福利厚生の問題
「各集落の建築計画とかを見返してみると、それなりの割合で多人数世帯むけの部屋も用意しているみたいなんですけどね」
書類の束を見返しながら、リンザがいった。
「計画を担当した技師さんたちもその辺のことはわきまえているはずですから、われわれがわざわざ心配する必要もないのではないでしょうか」
「そんならいいけどな」
ハザマは短く答える。
「いや、建物の方がそういう仕様になっていったとしても、行政の方がしっかりしていないと駄目か」
ニョルトト公爵家公館から帰ってきたハザマは、領内における福利厚生面のことが気になってきたので調べさせてみた。
なんとなくこれまで、領内に来る者はほとんど単身者であると理由もなく仮定してきたような気がする。
ハザマの脳裏では、領内に集まってきた人々が結婚し子を作り、世代を重ねるということを詳しくイメージしてはいなかったのだ。
「福利厚生といいましても」
リンザはいう。
「現状、この領では税に相当するものをほとんど徴収していないわけで、財源がないことにはできることも少ないかと思われますが。
配偶者なり子どもなりが居る人に対する保険金を軽減する制度を整える、程度の措置をするのがせいぜいではないでしょうか?」
各部門、各部署の調整役をすることが必然的に多くなる位置に居るリンザは、なにかしら積極的な施策を行う際、相応の出費を覚悟しなければならないということを普段から痛感していた。
これまで、ハザマが気まぐれに発案する事物を直属班ですぐに開発などに取り掛かることができたのも、大抵の場合、そのほとんどが将来的になんらかの利益をもたらすものと予想されていたから、反対者も出なかったし、一時的に領主権限で動かせる予備費を投入した分もあとで余裕で取り返すことが可能だった。
しかし、福祉とか福利厚生とかにかける予算は基本的に出て行く一方であり、そうした見返りがほとんど望めない分野である。
特に継続的な施策を行おうとすれば、安定した財源を確保しておく必要があった。
いくら今のところ、ハザマ領の景気がいいと入っても、無限にその状態が続く保証もなかったし、安定した施策を長期間に渡って持続しようと思えば、なおさらしっかりした資金源を確保しておく必要がある。
「医療面に関しては、保険制度の方に任せておけばいいとして」
なにごとか考えつつ、ハザマはいった。
「その他、そうだな。
トエスのところの託児所があったろう。
ああいう託児所も、予算が足りないとかいってたな」
「当然でしょう」
トエスは指摘をする。
「目下のところ、わざわざハザマ領にまで来るのは他の土地で生計をたてられない人がほとんどです。
子ども連れならなおさらなこと、少なくとも働いている間はどこかに預けておかないと安心して働けません。
そうした境遇の人々が、十分な託児料を収められるとも思いません。
それに、ああした施設では孤児の占める割合がかなり多いわけでして。
そうなると完全に、予算的には持ち出しが多くなるわけです」
「その持ち出し分というのは、今のところ、どこで持っているんだ?」
「人材育成部門とこちらの直属班と、半々ですね」
リンザが指摘をする。
「前者については、実際にそうした施設から出てすでに働きはじめている子がぼちぼちと出はじめていますから、先行投資的な意味合いで出しているようです。
それでも足りない部分を、直属班の予備費から出しています。
今のところ、こちらの直属班が一番使えるお金が多いわけですから」
「それでも、足りないわけか」
ハザマはため息をついた。
「命からがらハザマ領まで歩いて来る流民の子どもたちは、日に日に増える傾向にあります」
リンザはいった。
「年齢面も、ですが。
そうした子どもたちは栄養状態などの面でもかなり劣悪な状態にあり、数日間は休養させないと命さえ危ぶまれるようなことが少なくはありません。
こうした子たちも発見次第、こちらに収容しているので、予算面もそうですが施設的にもかなり圧迫されています」
「……面倒なことだな」
ハザマは渋い顔をして頷いた。
おそらくは、ハザマ領が子ども流民にとって優しい場所であるという噂が広まり噂を頼りにして集まってくるという循環が出来ているのだろう。
「気持ちとしては、できるだけ救いたいところだが……そのためには、予算や設備その他を安定して確保する必要があるのか」
「そうした年端もいかない流民たちを保護すること自体には、反対はしませんけどね」
リンザはいった。
「うまく育てれば、ハザマ領に対して忠誠心を抱く生え抜きの領民になるわけですし。
ただ、理想論だけでは予算不足を解消できませんから、現状以上の待遇を望むのならばまず足元からしっかりと整えるべきかと思います」
「だなあ」
ハザマはリンザの言葉に頷く。
「この件については、ちょっと、タマルやルアとも相談してみるわ」
この時点でハザマは、そうした孤児や流民の育成に必要となる経費を成長したあとに分割で支払わせる、といった制度を漠然と構想していた。
しかし、そうした制度を実施するにしても、個々人のかかった経費などを記録し、返済計画をたてる専門家をまず育成する必要があり、すぐには実施することは不可能だった。
仮にその制度を実施したとしても、かかった経費をあとで本人に返させるのはいいにしても、その借金が重荷になって当の本人が自分に人生に前向きになれなかったりすることも考えられる。
また、後払いにするにするにしても、今現在必要としている経費をどこから捻出するのかという問題自体はなにも解決していない。
やはり心当たりの関係者を集めて、対策を講じる必要があるだろうな、と、ハザマは思った。
「よー! 大将!」
ハザマが淡々と領主としての仕事をこなしていたある日、唐突にヴァンクレスが執務室に入ってきた。
「帰ってきたぞ!」
「ああ、そうかい」
書類の山と格闘していたハザマは、おざなりに答えておく。
「鉄蟻の件で山地でも顔を合わせたし、あまりひさびさって気もしないけどな」
「ところで大将はまだこっちに居るんだな」
ヴァンクレスはハザマの様子には頓着せず、勝手に来客用のソファに座った。
「てっきり、もう領都とかいう場所に移ったのかと思ったのに」
「他の部門が、だいたい商用地区周辺に固まっているからなあ」
ハザマは答えた。
「結局、数日ごとに行ったり来たりを繰り返しているような感じだよ」
領主権限で転移魔法使いを数名、常時確保しているので、移動はさほど苦にはならない。
煩雑だなあ、とは思うのだが、洞窟衆内部の他の部門との連携が崩れるよりは素直に顔を合わせたほうが問題が少なかった。
通信網が発達したとしても、直に面談した方が手っ取り早く解決する場面は、それなりに多かった。
「そっちこそ、もう引き上げてきてもよかったのか?
ガダナクル連邦の方は」
反対に、ハザマがヴァンクレスに訊ねる。
「おれは、難しいいことはよくわからんけどな」
ヴァンクレスはつまらなそうな顔をして答えた。
「なんでも、これ以上むこうに居ても、おれたちを食わせる金が惜しいんだと。
だから、馬の種つけが一通り済んだところで帰ってきた」
「ってことは、一応、政情は安定しているわけか」
ハザマは頷く。
「まああの連邦は、今や周辺諸国の借金で出来ているようなもんだからな。
下手に手を出したらガダナクル連邦に投資した連中から猛攻を食らうか」
つまりは、これ以上過剰な戦力を連邦内においておいても、もてあますだけだと判断されたのだろう。
「ところで、こっちに来るそうそう、冒険者ギルドとやらに登録することを勧められたんだが、あれはなんだ?」
ヴァンクレスがいった。
「現状だと、傭兵に毛が生えたようなものだな」
ハザマはいった。
「今のところは、森歩きが獲物のやり取りするのを助ける組織と化しているが。
それ以外にも、護衛その他の人手を募ったりすることにも使われている。
お前のような血の気が多い連中用の仕事もあるはずだから、とりあえず登録しておけば食うには困らないぞ」
「なんでえ。
荒事の斡旋所か」
ヴァンクレスはハザマの説明に頷いた。
「手下どもにはそう伝えておく」
「その手下どもとやらは放置しておいても大丈夫なのか?」
ハザマは訊ねた。
「そっちの世話は、スセリセスと姫さんに任せている」
ヴァンクレスはあっさりと答えた。
「その方が、おれなんかがやるよりはよほど確実だからな。
とりあえず今は、宿に移動して給金の計算が終わるのを待っているはずだ」
こうした遠征の際、衣食住などは基本的に洞窟衆が手配して、小遣い銭以上の現金は支給しないような規定になっている。
旅先で下手に多額の現金を渡すと、そこで逃亡したり地元民との諍いを起こす確率があがるためだった。
ヴァンクレスが率いる騎馬隊の場合、昨年から数ヶ月に渡ってガダナクル連邦に出張していたわけで、危険手当込みで、かなりのまとまった金額の現金が手渡されるはずだ。
そうした給金の精算がすべて終わった時点で、はじめてこの任務が完了したと見なされ、解散となる。
あるいはその金を元手にして、別の職に変わる者も出てくるかも知れない。
「大きないくさは、もうないのか?」
ぽつり、と、ヴァンクレスが呟いた。
「どうかな」
ハザマは首を傾げる。
「火種は、このハザマ領の外にならいくらでもあるようだけど。
ただ今のところは、どれもくすぶるばかりで派手に燃えあがるような気配はない。
仮に燃えあがったとしても、どこか遠く離れた場所でのことだろうよ」
少なくともハザマのつもりとしては、洞窟衆側からどこかに対して積極的に介入するつもりはなかった。
「そうか。
それはつまらんなあ」
ヴァンクレスはそんなことをいいながら、腰をあげる。
「それでは、その冒険者ギルドとやらで荒っぽい仕事を探してみるか」
基本的にこの男は、戦場以外ではあまり使いみちがないからなあ、と、ハザマは思う。
いや、その膂力や体力などを活用すれば、いくらでも働く場はあるのだろうが、本人がそうした仕事では満足できないのだろう。
そんなことを思っていたハザマだったが、数日後、ヴァンクレスが冒険者ギルドから子守の仕事を斡旋されたと耳にすることになる。
託児所などで大勢の子どもを相手にするのは、あれでなかなか体力を必要とするのだが、最近では特にアレルとエレルの双子を相手にできる職員がほとんど居ないということで、冒険者ギルドにクエストが出されていたそうだ。
これまではトエスがこの双子の相手をほとんどの専属のような形でやっていたそうだが、相手は二人であり、そろそろトエスひとりでは対抗できなくなったようだ。
ヴァンクレスだけではなく、騎馬隊の中からもかなりの人数が託児所へと派遣されたらしい。
そうした噂を耳にしたハザマは、
「なんだかなあ」
と思いつつ、通信でトエスに問い合わせ、不足している肉体労働の分を、犬頭人によって充当させることを提案してみた。
冒険者ギルドを介して犬頭人の集落へとクエストを発注する形となるが、ハザマの名によってクエストを出せば確実に人手は集まるだろう。
そのための賃金は、直属班から出すとも説明をした。
問題となるのは、託児所内部での反発や差別意識くらいなものなわけだが、案に相違してトエスは、
『助けてくれるんなら、犬頭人でもなんでもいいよ!』
と、悲鳴にも似た声が返ってくる。
『もし反対するやつがいたら、このわたしがぶっ飛ばしてやる!
あ、それから。
うちの予算、もっと増やして!
最近、こっちに来る子が増えすぎて、とてもじゃないけどやっていけない!』
どうやらそちらの状況は、ハザマが把握している以上に深刻な状態にあるようだった。
トエスとの通信を切ってから、ハザマはリンザに直属班から今すぐに出せる予算を確認し、そのうちの半分以上を託児所あてに送るように手配をした。
缶詰の事業がぼちぼち正式に発売できそうなくらいにまで進んできたし、そちらが軌道に乗ればそれくらいの損失はあっという間に補填される計算であった。
少し前から領内に入り込んで来る流民、そのうちでもすぐに働けないような年少者の扱いについて、基本的に保護をすることを前提とした対策をする部署を、ハザマは直属班の中に設けていた。
こちらも食料の確保や寝起きする場所の手配など、それなりの働きをしていたのだが、そうした年少者の流民たちは想定外に増え続けて、もはや手配が追いつかないほどだという。
平地からだけではなく、暖かくなってきた最近では、山地方面からもハザマ領を目指して移動してきているらしい。
「どうしますか?」
そうした問題にあたっている者が、再三、ハザマに訊ねてきた。
「これでは、いくら予算を追加しても間に合わなくなりますが」
どこかで線値引きをして、見放すべきだと、そう、いいたいらしい。
「完全に手に余るとなったら、そうするけどな」
ハザマは呟いた。
「だが、それはまだ先のことだ。
おれたちはまだ、やれることをやりきっていない」
人手に関しては、犬頭人をはじめとして、国境紛争以降、洞窟衆が保護してきた傷痍軍人の中から働ける者に声をかけ、託児所の仕事を斡旋した。
こうした傷痍軍人は四肢のいずれかを欠損している場合が多く、多くの職場で門前払いも同然の扱いを受けた者が多かった。
働きたくとも働く口がない、かといって、故郷に帰ることもできないという者が領内にはそれなりにたむろしており、洞窟衆としても出来る限りそうした者でも就ける仕事を斡旋してきたのだが、需要よりも供給の方が圧倒的に多く、仕事にあぶれている者が多数、存在している。
そうした人々も有効に活用することで、どうにか凌ぐことになった。
予算などは当面は直属班から出すことにして、長期的な展望については、人材育成部門のルアと相談の上、体力面で不安のある子どもに出来るような仕事を早めにおぼえさせて、経済的な独立ができる時期をできるだけ早めるように手配をした。
各種の魔法などはおぼえさえすれば子どもでも行使でき、労働条件さえ調整すればたとえ子どもであっても大人なみに稼げるようになるわけであった。
いくら経済的自立していようとも、年端もいかない子どもをそのまま放り出すわけにもいかないので、一定の年齢に達するまでは洞窟衆が用意した寮に居住する形になるが、自分で稼いだ金銭で生活することを早くからおぼえさせれば自立心が育つし、洞窟衆側の負担も減る。
そうした年少者の流民の流入が避けられないのであれば、ハザマ領内部の経済活動に労働者として組み込んでしまえばいい、というわけである。
また、数年、こうした仕事をしながら、別の仕事をおぼえて自立することも可能になるように労働時間を調整することも、ハザマは指示を出しておいた。
体力面での不安もあり、こうした年少者の労働時間は、最大でも成人の三分のニほどまで抑えることを、ハザマは徹底させる。
また、洞窟衆がこうした身寄りがない年少者を養う期間は、最大で十六歳までとした。
この世界の慣例として、地方により前後することもあるのだが、成人としてみなされる時期がだいたい十五、六歳くらいからであったからだ。
それまでの生活は洞窟衆が保証するが、その年令に達するまでには、将来、自分になにをして生計を立てるのか決めておくように、というわけである。
そうした制度を布告し、実際に施行してみると、大半の者がそれよりも早い時期に勝手に師匠なり働き口なりを見つけて巣立っていった。
そうした託児所に、ほぼ毎日のように人材育成部門の者が出入りをして、子どもたちに今足りていないしかじかの仕事があるなどと細かい広報を熱心にしていったおかげでもあったが。
実際のところ、ハザマ領は少し前までの、山地と平地を結ぶ要衝、というだけの場所から、それ兼、各種製品の製造工場という性格を強めてきているところだった。
領内の整備が進み、各集落においての生産活動がいよいよ本格化してきたのである。
材料となるものを運びこんで、製品にまで加工して売りに出す、ということを日常に行っていた。
職人が熟練していくに従って、生産量の方も、物によっては一月で倍増するほどになってきている。
そんな次第であったから、本人にやる気がありさえすれば、働く場所に困ることはなかった。
特に若くておぼえがいい人材は、どこの工房でも歓迎された。
つまりは、ハザマたち為政者の側としては、そうした流民たちが一時的に休養ができ、将来のことを考えることが可能なだけの場所と選択の余地を用意するだけで、当面の危機は回避することが出来たわけだ。
しかし、と、ハザマは考える。
「五年後十年後を考えると、頭が痛いな」
そうした若年層のうち、相当数がくっついて子どもを産み家庭を営むようになってくると、今度はそちらの方の面倒も見ななくてはならない。
いや、そもそも、今の領内で最大どれくらい人数を養えるものか、そういった計算からはじめておかないといけないわけか。
すぐにどうこうという問題でもないのだが、領主としての悩みはつきなかった。




