中身の問題
「この缶をひとつ厨房に持って行って、中身をすり潰して濾したものを蒸留させてくれ」
ハザマがそう指示を出した。
「それから、これを運んできた人足たちにはできるだけ上等な宿を用意して、十分に休養させてくれ」
「それはまた、どうしてですか?」
人足たちを退去させてから、リンザはハザマに問いかけた。
「はるばる貴重な商材を運んできたんだ。
労うのは当然だろう?」
「いえ、そういうことではなく」
リンザはハザマに訊き返す。
「缶詰の中身をすり潰して煮たてるのはなんのためですか?」
「あのカブ、かなり甘かったろう」
ハザマはいった。
「煮詰めれば、砂糖に近い物が残るはずだ。
流石に純度はあまり期待できないだろうが、それでもこの世界においてはかなり貴重な砂糖に近いものだ」
「砂糖ですか!」
タマルが食いついてきた。
「それだけでも一財産作れそうですね!」
「あのカブが実際にどれくらい収獲できるものかどうかまだわからないし、それに本当に砂糖として通用するほどの純度が確保できるものか、試してみないことにはなんともいえない」
ハザマはいった。
「どのみち、こちらの世界でのサトウキビやてんさいに相当する作物はいずれ探させるつもりだったからな。
まあ、仮にこれがハズレであっても、大きく落胆することはないさ。
それよりもだ、タマル。
この缶詰、どう思う?」
「この程度の品ならば、うちでも十分作れそうですね」
タマルは空になった缶を手で持ちあげてそういった。
「作れるだろうな」
ハザマは頷く。
現在、洞窟衆が抱えている鍛冶屋たちはおそらくこの世界でも最先端の金属加工技術を持っている。
見本としてこの実物を与えて、これと同じものを作れといったら、すぐにでも再現できるはずだった。
「それよりも、こうして缶に詰めることによって、食べ物が数ヶ月から条件によっては一年以上も保存することが可能になる。
このことについては?」
「中身の甘いカブのことを除いても、大きな商品価値があると思います」
タマルはいった。
「多くの作物というのは限定した時期に一気に実るわけで、これまでは食べきれない分まで作ることは無駄とされてきました。
それが、こうして缶に詰めることによって長期保存が可能になるとしたら、それってつまり……」
タマルはしばらく視線をあらぬ方向にさまよわせた。
「……意外に、とんでもない代物なのかも知れませんね、これ」
「食料の長期保存以外にも、完成した調理済みの代物をこうして缶に詰めておくことができる、この意味は想像できるよな?」
「はい」
タマルは頷いた。
「兵站も、ですが、それ以外の一般庶民の食生活も一変させてしまいかねません。
そもそも、こうした保存食が十分に行き渡ってしまえば、食事ごとに面倒な調理をする必要が無いわけで。
あれやこれやを考えると、この缶詰が普及しただけでかなりの物事が変わってしまうような気がします」
タマルは、ライフスタイルという言葉を知らない。
いや、そうした概念さえ、知らないはずだった。
しかし、こうした保存食が一般的なものになれば、特に庶民層のライフスタイル全体ががらりと変わってしまう可能性さえ、想像できたのだろう。
そんな風に、ハザマは思った。
「それでも、洞窟衆でこの商品を扱うべきだと思うか?」
ハザマはあえてタマルに確認してみた。
「扱うべきでしょう、それは」
タマルはいった。
「山地の方で試作品を製造してきたということは、洞窟衆抜きにしてもいずれ出回るようになるわけで。
だったら、積極的に関わっていくしかないじゃないですか。
それに、周囲に与える影響とかいうことを言い出すのならば、それこそ今さらというものですよ」
「だよなあ」
ハザマは頷いた。
「ということで、この缶詰についてはひとつ、うちでも本腰を入れて取り込むことにしよう」
「異論はありません」
ハザマの言葉に対して、タマルは即座に頷いてみせた。
「問題なのは、缶の中になにを入れるかだ」
「まあ無難なのは煮込みの類になるわけだが」
ハザマはいった。
「そればかりでは芸がないし、第一、飽きるだろう。
なにせ、大量に作って売り出すわけだから」
「材料を大量に運び込んで、大量に調理して……」
リンザは課題を指折り数えはじめる。
「流通経路とか、それに厨房や調理器具も、大量に調理するための特別製の物が必要になるかと」
「それに、缶自体の製造と、肝心の密封作業もある」
タマルはそれにつけ加えた。
「うちで缶を製造することになりましたが、もう少し改良しましょう。
あのままでは、開けるときに面倒すぎます」
「はめ込み式の蓋とかを作ればいい」
ハザマは手近な紙を引き寄せてさらさらと簡単な絵を書いてみせた。
「それに、おれが知る缶詰はたいてい円柱形をしていたんだけどな」
「それはおそらく、その方が加工しやすいのと、それに内圧を分散するためではないでしょうか」
リンザがいった。
「角ばった形よりも、丸い方が丈夫だと思いますし」
「そうか」
ハザマは製造過程を想像しながら頷いた。
「薄い板金を作ることさえできれば、あとは丸めて底と天辺をつけるだけだしな」
確かに立方体形に作るよりは、手数が要らなさそうだった。
「このはめ込み式の蓋というのは、実際にはどう作るんですか?」
タマルがハザマが描いたばかりの絵を指差しながら問いかけてきた。
「ぴったりとはまって水も漏れないとなると、実際にはかなり精密な仕事が要求されると思おうのですが」
「おれも詳しくは知らないが」
ハザマはいった。
「おそらくは、プレス加工だな」
「プレス加工?」
リンザが、首を傾げる。
「なんですか、それは」
「こういった薄い板金を、だな」
ハザマが手振りを加えながら説明した。
「金型の間に挟んで、ぐぐっと大きな力を加えて、変形させる」
「金型さえしっかりしたものを作っておけば、こうした噛みあわせが必要な製品もいくらでも作れるわけですね」
タマルは関心したように呟いた。
「実現すれば、これに限らず多くの鍛冶仕事の省力化に繋がると思います。
ですが、そんな、いくら薄い板金とはいえ金属を変形させるほどに大きな力をどうやって発生させるのですか?」
「おお」
ハザマは呻いた。
「そうだ。
この世界には、そんな機械はないんだったな」
大きな圧力を発生させる装置。
それも、常に一定の圧力を発生させるような都合のいい仕掛けをこの世界で再現するのは、かなり難しいことのように思えた。
元の世界では、確か。
「……油圧かなにかを利用した機械を使っていたはずだ」
「油圧というのはわかりませんが」
リンザがいった。
「つまりは、大掛かりな万力みたいな装置なのですね?」
「そう、それだ!」
ハザマはいった。
「そうか。
万力なら、前に作っていたな。
あれの応用で、どうにか似たような機能を持つものを作れないものかな」
動力が油圧だろうが、あるいは歯車を介した人力であろうが、要するに薄い板金を変形させるだけの力さえ得られればいいわけだ。
「時計屋のナイゼルさんにでも相談してみましょう」
タマルが冷静な口調でいった。
「男爵が元に居た場所でも実現できたのであれば、こちらでも再現が可能なはずです」
「だよなあ」
ハザマはタマルの言葉に頷く。
「おれが元居たところでは、ドロップの缶にだってはめ込み式の蓋がついていたし」
それからハザマは、熱膨張による破裂の可能性など、缶詰について気になっていた点を口頭で指摘した。
「そういった注意事項については、売買するときに念を入れて説明する。
それと、ただし書きみたなものを印刷して缶にでも貼っておくしかないですね」
一通り、ハザマの懸念について聞いたあと、タマルはそういった。
「こちらとしては、それ以上のことはできそうにありません」
「実際に現物が流通するようになれば、いやでも扱い方を学ぶようになるとは思うんだけどな」
ハザマも、そういって頷く。
「いずれにせよ、この分じゃあ、実際に商品化するまでにはまだまだ課題が多そうだな」
「それに、肝心の中身についてはまだなんの提案もなされていません」
リンザがそう指摘をした。
「ああ、それなんだがな」
ハザマはあっさりとした口調でいった。
「いっそのこと、一般公募にでもしてみたらどうだろうか?
商用地区あたりで公募すれば、それなりのサンプルは集まると思うんだが」
「公募、ですか?」
タマルは、戸惑ったような表情になる。
「具体的には、どうやって?」
「コンテストでもするさ」
ハザマはいった。
「イベントも兼ねて、集まった候補者に屋台でも出させて。
そんで、一定期間を区切って、集まったお客に投票させて決めさせる。
今、あの商用地区は山地と平地の両方から多種多様な人種が集まる場所になりつつあるから、なかなか面白いことになるんじゃないか?」
「確かに、飲食店は増えているようですけどね」
タマルは頷いた。
「小規模な屋台なども含めて、ですが。
しかし、不特定多数のお客さんに選ばせますか」
「なにか問題があるのか?」
ハザマは訊ねた。
「いえ、そういうことでもないですが」
タマルは軽く首を横に振った。
「ただ、わたしたちではできないような発想だなと思ったので」
「そんなもんかなあ」
ハザマは呟いた。
「別に、独創的なアイデアというわけでもないと思うけど」
ハザマの基準では、この手の食のイベントは珍しくもないのだが。
「興行部にも準備をさせなければなりませんね」
リンザはいった。
「缶の製造ラインを自前で整えるのと平行して、準備させることにしましょう」
もちろん、例によって直属班の中から人員を割いて新たな専属班を立ちあげるつもりだった。
「この缶詰に関わらず、さ」
そちらの話題が一段落してから、ハザマはいった。
「肝心なのは、中身だろう。
お前は新しい商材が欲しいようだけど、やりようによっては今のままでもより大きな商売ができるんじゃないか?」
「そういわれましても」
タマルは怯むことなく応じる。
「頭打ちになる前に、次の手を模索するのは経営者としては当然の発想だと思いますが」
「それ自体は、いいんだ」
ハザマは指摘をした。
「ただ、そのためにすぐに新奇な方法を探そうとするのは、あまりいい傾向とはいえないんじゃないか?
たとえば、今回の缶詰の件についていえば、新しい製造ラインとか諸々の準備でそれなりに先行投資が必要になる。
相応の人手も要る。
おれは缶詰の製造が可能だと知っているし、それにこうして試作品が現にできあがっているから、まあよほど下手をうたない限りは失敗することがないと知っているわけわけだけど。
でも、こうした新しい事業を興すには、やはり、余計なリスクがつきものであるわけでな。
その点、今までに立ちあげてきた既存の事業でも、やりようによってはもっと儲けることができるんじゃないか?」
「具体的には」
タマルは鋭い語気を発した。
「たとえば、そうだな」
ハザマは少し考えてから、いった。
「一番いいのは、あれだ。
印刷だな。
これまでは実用一点張りでやってきたわけだが、そろそろ娯楽品とかにも手を広げることを考える時期じゃないか?」
「娯楽品……ですか?」
タマルはキョトンとした表情になる。
「そうさ」
ハザマは大きく頷いた。
「これから、紙の生産量もだんだん増えていくようだし、それに、少なくともハザマ領の周辺についていえば、識字率もかなりあがっているんだろう?」
「まともに読み書きくらいはできないと、うちではまともな職に就けませんからね」
タマルは頷く。
「みんな、必死でおぼえてますよ」
「魔法だのその他の技術だのを書物にして広めるのはいいことだとは思うが」
ハザマは両手を広げてそういった。
「それだけじゃあ、詰まらないだろう。
もう少し、気晴らしになる娯楽作品なんかも出版していけばいい」
「ええっ、と」
タマルは落ち着かない表情になった。
「男爵」
リンザが、ため息混じりに助け舟を出す。
「あまり回りくどいいい方をせず、もっと具体的な事をいってください。
気晴らしになる、娯楽的な印刷物とは、実際にはなんなんですか?」
「え」
今度は、ハザマが戸惑ったような表情になった。
「小説とか物語とは、この世界にはないのか?」
「小説とか物語というのはよくわかりませんが」
リンザは、そう応じた。
「そもそも、庶民のほとんどは読み書きができないので」
「ああ、そうだったな」
ハザマは呻いた。
「仮にあったとしても、ある程度余裕のある連中、上流階級にしか普及してはいないはずだった」
ときおり、ハザマはこの世界の事情について失念してしまうことがある。
ハザマが元居た場所との、格差がありすぎるのだった。
「とにかく」
気を取り直したハザマは、改めていい直した。
「試しに、娯楽品の物語集を出版してみろ。
この世界にも、伝承されてきている昔話くらいはあるだろう?」
「そりゃ、ありますが」
タマルは頷いた。
「その土地その土地で、いろいろなものが伝わっています」
「まずはそういうのを集めて編纂して、出版してみろ」
ハザマはいった。
「それが一通り終わったら、今度は創作物に手を着ける」
「この前、男爵がトエスのところで語ったような内容をですか?」
リンザが確認した。
「そう、ああいうのだ」
ハザマは頷く。
「あのときにおれが語った内容を含めてもいいぞ。
とにかく、他にはなんの役にも立たないけれども、ただ気晴らしにはなるってだけの本を出版して売ってみろ」
「……本当に売れるんですか? それ」
タマルは懐疑的な態度でいった。
「いいから騙されたと思ってやってみろ、って」
それでもハザマは強気な態度を崩さない。
「仕事ばかりじゃ息が詰まる。
娯楽品もしっかり与えなけりゃ」
おそらく、おおよそ実用的なものにしか興味を示さないタマルには、こうした娯楽品の価値がなかなか理解できないのであろう。
しかし、ハザマはこの事業の成功を疑っていなかった。
厨房から、
「缶詰の中身をすりおろして濾して蒸留したあとに残されたもの」
が運ばれてきた。
「甘いな」
「甘いですね」
「これは、風味はちょっと変わっていますが、砂糖だといってもいいのではないでしょうか」
タマルがいう。
「少なくとも、そういう触れ込みで売りだしても、どこからも文句は来ないかと思います」
「そうか」
そのタマルの見立てを聞いて、ハザマは深く頷く。
「ならば、ベスタにはこのカブは缶詰にして売るよりは砂糖に加工して売った方が儲かるぞ、と知らせてやることにしよう」
実際には、ハザマは砂糖の取引価格など知らないし、それ以前に比較するべき缶詰の売値もこの時点では決まってはいない。
しかし、運送するコストなどを考えると、缶詰を運ぶよりも砂糖を運ぶ方が楽であることは確かだった。
「砂糖、平地では高価なんだよな」
ハザマは、念の為にタマルに確認をする。
「そこそこ、ですね」
タマルは頷く。
「毎食の食事に気軽に使えないくらいの価格であることは、確かです。
平地むけの商材として優秀であることは保証しますよ」
「ならば、問題はないな」
ハザマは大きく頷き、リンザにむかって、
「試作品の缶詰が届いたこと。
中身のカブを食べたこと。
その甘さに驚いたこと。
このカブについていうのならば、缶詰にするよりは砂糖に加工して売った方が効率が良いと思うこと。
缶詰の中身については、別に考えてほしいこと」
などの内容を口述筆記させ、ベスタへの書状として送るように手配をする。
「缶詰の改良案とかについては書いておかなくていいんですか?」
途中で、リンザがハザマに訊ねた。
「書いた方がいいと思うか?」
ハザマは、リンザに訊ね返す。
「おれは、缶詰のことについてベスタには教えたが、それを独占させるとかいったおぼえはないんだが」
「一応、伝えておいた方がいいでしょうね」
リンザは、ため息混じりにそういう。
「別に契約に反していないにしても、信義というものがありますから。
それにどの道、教えたところでうちでやれるほどの細工をむこうでも再現できるものとは思えません」
「……それもそうか」
しばらく考えて、ハザマは頷いた。
大規模なプレス加工用の機械を製造するなど、今の洞窟衆以外の場所で可能だとも思えない。
「では、その辺のことは適当に書いておいてくれ。
あと、そちらで製造した缶詰は、送ってくれさえすれば洞窟衆を通じて平地の国々に売りつけてやるとも書き足しておいてくれ」
一通り、バジルニア周辺を見学してきたマヌダルク・ニョルトト姫が帰ってきた。
そのまま居留地に直帰するのかと思っていたが、
「せっかく来たのですから」
と、一泊していくつもりのようだ。
どうせ来賓用の部屋も設えてはいたし、いつまでもこのまま未使用というわけにもいかないから、ハザマの方にも異論はない。
ただ、ハザマとしては、
「暇な訳がないのになあ」
と思うだけであった。




