共犯の契約魔法
そういう方向に転がしたいわけか、と、ハザマはマヌダルク姫の意図を察した。
「それだけですか?」
なんとなく意図を察したものの、周囲の者たちにも聞かせるためにハザマはあえて質問をする。
「出資してくださることはこちらとしては大いにありがたいと思っております。
しかし、そちらにとってもあまり利益がない取引のように思われますが」
「そうですね」
マヌダルク姫は意味ありげな笑みを浮かべた。
「それだけ、といっても、あの周辺に内外から大勢の人が蝟集するようになれば、それだけでも相応の実入りになるはずですが」
そう前置きし、
「あの土地はまだまだ潜在的な価値を開放しきっておりません」
と、結論をした。
「と、いいますと?」
ハザマは先を促す。
「男爵様は、あの周辺に新たに穀物の価格を決定するための市場を設ける計画については、お聞きになったことがおありですか?」
「そういうはなしがある、程度のことなら」
ハザマはそういって肩をすくめた。
「ただし、あまり具体的な内容は聞こえてこないので、信憑性の方については判断を保留しています」
「つまり、噂程度というわけですね」
マヌダルク姫は頷いた。
「実際、計画はされているものの、実行に移すような具体的な動きはまるでありませんから、それも無理もないことだと思います。
ではなぜ、その計画が現状で宙に浮いている常態になっているのか?
これには二つの原因があります」
そういってマヌダルク姫は周囲を見渡した。
「ひとつは、用地の問題。
ベレンティア公爵領の支配権が、現在に至るまで宙に浮いていますから、具体的な計画を進めようがないという点。
もうひとつは、今の王国は、それだけの計画を具体的に進めるための資金に事欠いているということが原因としてあげられます」
「王国の財政は、そこまで逼迫しているのですか?」
ハザマはそう問いかけた。
「そこまで貧乏だとも思えませんが」
「逼迫しているというよりは」
マヌダルク姫は説明をする。
「現金の在庫がない、といいかえた方がより正確であるかと。
最近の穀物相場の高騰により、物の物価が軒並みあがっていく傾向にあります。
このようなときは、普段よりも多くの貨幣が周囲に流通し、反対に市井の者たちは自分のところに溜め込もうと心がけます。
つまり、国庫にある貨幣も普段よりはより多く放出する必要が出てくるわけでして……」
あ。
と、ハザマは思う。
絵に描いたような、インフレの構図じゃないか。
しかも王国は、紙幣を刷るように簡単に貨幣自体を増やすことができない。
結局は山地から運ばれてくる部族連合からの賠償金を目当てにどうにか経済を回している状態なのである。
洞窟衆への報奨金の支払いが分割になり、ドン・デラの件の報酬が領地という現物支給になったも、結局はこれが一番の原因だろう。
王国は、気前よく洞窟衆への報酬を払おうにも、それをするために必要な貨幣の備蓄を欠いている状態なのだった。
「また結束しきっていない周辺諸国に王国の威光を示すために、王国軍の移転と関連施設の建設については優先して手をつけてきましたが、それ以外の不意の出費については、現在の王国の財政状況は、耐えられる状態にありません」
マヌダルク姫はそう結論した。
「穀物相場の開設となると、物理的な建物の建築費以外にも、関係する諸国への根回しも必要となりますから。
具体的に立ちあげるまでには、かなりの出費を強いられるはずです」
「その出費に耐えられるほどの体力が、現在の王国にはないと?」
ハザマは、そう確認をする。
「王国は、この短い期間にいくつかのいくさや内乱を体験しています」
マヌダルク姫はいった。
「こうしたいくさや混乱は、国家にしてみれば大変大きな出費を伴うわけです。
しかし、内外に王国の威信を示し続けるためには……」
「多少しんどくても、やせ我慢をして平気な顔をし続けているしかない、というわけか」
ハザマはそう呟いて、マヌダルク姫の言葉を引き取った。
「金貨や銀貨以外の、宝物や穀物の備蓄などを見れば現在の王国も決して貧しいわけではないと見ることができるわけですが」
マヌダルク姫はそう続けた。
「しかし、そうした現物だけでは、新しい事業を興すための資産は不足しているともいえます。
これが、現在の王国を取り巻く経済事情です」
「王国がすぐに新しい穀物市場を立ちあげられない理由は理解できました」
ハザマはそういって頷く。
「しかしそのことと、ニョルトト家が洞窟衆に協力を求めることとの間にどんな関係があるのですか?」
ここまで教えられたのならば、今少し生徒役に徹してやれとハザマは思っている。
そもそもハザマは、自分が無知であることを恥じ入る感性を持たない。
「しばらく王国が手を出せないのでしたら」
マヌダルク姫はそういって笑みを深くした。
「いっそのこと、わたくしたちの手で、その穀物を商うための市場を開いてしまえばいいではありませんか。
そうした市場があの周辺にできてしまえば、諸国の穀物相場にも大きな影響を与える存在となります。
経済的な意味での主導権を、ほんの少し自分たちの手で握ることになります」
ここでいうわたくしたちというのは、つまりはニョルトト公爵家と洞窟衆とで、ということなのだろう。
予想外に影響の大きな内容になってきたな、と、ハザマは思った。
「と、いうような内容を」
ハザマは、今度はタマルに水をむける。
「お前は、すでに承知しているわけだ?」
「ええ、まあ」
タマルはあっさりとそれを認めた。
「マヌダルク姫様とは、なにかと接する機会が多いわけでして。
何度かお会いするうちに、そういう内容に触れることも多くなり、いつの間にかそうなったら都合がいいなあという結論に達しました」
「ま、いいけどな」
ため息混じりに、ハザマは呟いた。
「商売まわりのことは基本的にお前の裁量に任せてきていたわけだし。
ただ、おれはともかく、他の連中にはその手の内容は事前に通達しておくようにしておいてくれ。
そうでないと、いざというときにうまく立ち回れないだろう」
「そうですね」
タマルは素直に頷く。
「今後、気をつけます」
「その穀物市場を開設するはいいとして」
ハザマはマヌダルク姫に確認しておいた。
「そういうのって、おれたちが勝手に開いても構わないようなもんなんですか?
それと、その開設に力を貸すのは洞窟衆とニョルトト公爵家だけなんですか?」
「それぞれの問いに順番にお答えしますと」
マヌダルク姫は笑みを崩さずに答えた。
「まず最初の問い、なんらかの横槍ないしは嫌がらせについては、これはもう絶対にあるでしょう。
有形無形、大小様々な妨害工作が各方面からなされることかと予想されます。
ですがわがニョルトト家においても洞窟衆においても、そういうことはむしろ日常茶飯事であり、たいした問題にはならないのではないかと。
次に、市場の開設に関わるのは、洞窟衆とわがニョルトト家のみに限定しておく方が賢明かと思われます。
あまり腰が座っていない協力者だけを増やしても足手まといになるだけですし、それ以上に将来発生するはずの利益の分前を細かく分けなければなくなります」
「そうですか」
ハザマは忙しく頭を回転させる。
「ニョルトト公爵家が欲しいのは、経済的な利益と今まで以上に国際的な影響力であると解釈しておけばよろしいのですね?」
「それに加えて」
ニョルトト姫は平然といい放った。
「あの居留地周辺を、経済的文化的な中心地にしたく思っております。
それこそ、王都すら凌駕する栄えた都へと変貌させることこそが、最終的な目的であるとお考えください」
へえ。
と、ハザマは他人事のように感心をする。
見かけによらず、野心的なお嬢さんなんだな、と、ハザマは思った。
「そこまでになってしまうと、王都や王国内の貴族やそれに諸外国の勢力からのあたりがかなりきつくなりすぎやしませんかね?」
口に出しては、そういっておく。
「所詮、世の中は競争でございますから」
マヌダルク姫は平然とそう口にした。
「決断し実行し、そして実績を出した者のみが利益を受けるのは当然のことかと思います。
ちょうど、洞窟衆の方々がこれまでそうしてきたように。
そうした努力をなにもしていない者がなにか不平をいったとしても、まともに受け止める必要はないかと思います」
「でしたら、ニョルトト公爵家が独力で行ってはいかがですか?」
ハザマは、そう訊ねてみた。
「それくらいの実力と権勢は、おありになるはずでしょう」
「ご冗談を」
マヌダルク姫は言下にハザマの言葉を否定する。
「ニョルトト公爵家の名前を正面にかざしてしまったら、かえって注目を浴びてしまって風当たりが強くなります。
そこへいくと、洞窟衆の方々でしたら、なにか無謀に見えることをやりはじめたとしてもまたかとおもわれるだけで済みますから」
「つまりは、外部の目を逸らすためにも洞窟衆の協力は必要になるということですか」
ハザマはそういって頷いた。
「そうなりますね」
マヌダルク姫は頷く。
「洞窟衆だけでも、それにニョルトト家だけでもこの件を成すことはできないでしょう。
この両者が協力してはじめて、どうにか外部の圧力に対抗することができるのだと、そのように思っています」
「そうそう思い通りにいくもんかな?」
ハザマは小さく呟いた。
「そんな市場を作るとなったら、その利権に群がってくる連中だって少なくはないだろうし。
それに、そもそも王都の連中がそんな市場の開設をすんなりと許してくれるものかどうか」
「王都との交渉に関しては、わたくしたちニョルトト家の担当にしてくださっても構いません」
マヌダルク姫はハザマの小さな呟きを拾って、そう補足説明をした。
「そうした交渉事に関しては、もともとわたくしどもが得意とするところですから」
「それができるものだと仮定して」
ハザマは、再びタマルの方に視線をむける。
「タマル。
今一度、今回の一連の件でニョルトト公爵家と組むことを利点を説明してくれ。
あとそれから、できれば不都合な点についても包み隠さずに。
この場に居る全員が納得できるような形で説明をしてくれ」
「はい」
タマルは椅子から立ちあがり、黒板の前に移動した。
「ニョルトト公爵家と協力する場合の一番わかりやすい利点は、洞窟衆が独力で行う場合よりも、はるかに多額の資金をベレンティア公爵領に投下できるということになります。
当然、これから同地域に建築する予定の建物の規模も大きくなることになります。
建物など徐々に整備していけばいいじゃないかという見方もあるかも知れませんが、短期間に集中して行ったほうがかえって工期が短く、人件費も安く済ませることができます。
なぜかというと、同時期に複数の建築現場がある場合、まとめて監督することで必要となる職人や人足などを順番に、合理的に配置することが可能となるからです。
また、建材などもまとめて購入することによって一件あたりの材料費を割安にする効果もあります。
投下可能な資金が増えれば、たとえ建物のような大きな物であっても結果として量産効果で単価を安くできると、そういうことですね。
外交とか政治とかの分野については専門外ですからこの場で詳しく述べることはできません。
こちらにおいでのマヌダルク・ニョルトト姫様はそちらの方面では若年でありながらもすでに一定の手腕を発揮されている才媛であるという定評があります。
能力的なことでいえば、十分にやりおおせることが可能なだけの手腕はお持ちであると、個人的にはそう判断しています」
「能力的にはさておき」
リンザが片手をあげて発言した。
「そちらのお姫様が、私利私欲のため、あるいはニョルトト公爵家のために洞窟衆を裏切ることはないといいきれますか?」
こいつも、相手の身分を構わずに斬り込んでくるなあ、と、ハザマは少し驚いた。
横目で確認すると、当のマヌダルク姫は特に気分を害しているように見えなかったので、その点は安心したが。
いや。
マヌダルク姫にしてみれば、その程度の疑惑を招くこと自体がすでに想定の範囲内か。
「ああ、そういう心配ですか」
タマルはあっさりとそう答えた。
「そういう心配は、今回に限り無用です。
なぜならば、こちらのマヌダルク・ニョルトト姫様はすでに契約魔法により、洞窟衆に不利益な言動することを厳重に封印されることも辞さないとおっしゃられています。
文面は工夫しなければならないでしょうが、そういう契約魔法を交わしてしまえばこのマヌダルク姫様が今後洞窟衆を裏切ることはあり得ません」
「……公爵家の令嬢が!」
「自身に契約魔法を、だと?」
タマルがそういうと、その場に居た直属班の者たちが一斉にざわめきはじめた。
「そこまで、身を入れて」
「なぜに、そこまで」
どうやら、マヌダルク姫のような高い身分の者がそんな件に関してわざわざ自分に契約魔法をかけてもいいといい出すのは、極めて異例のことであるらしかった。
ま、普通に考えれば、他人を縛ることはあっても他人に縛られることはほとんどないような身分だもんな、と、ハザマは考える。
「はい、静かに」
ハザマはざわつきはじめ連中に対してそう声をかけた。
「マヌダルク姫様がそうおっしゃっているのならば、早速その契約魔法とやらをかけさせていただこう。
タマルとリンザ。
具体的な契約内容を二人ですぐに相談してくれ。
ええと、マヌダルク姫様。
本当に、それでいいのですね?」
「ええ、問題ありません」
ハザマがそう確認をしても、マヌダルク姫はやはり笑みを崩さなかった。
「そこまでやってこそ、本当の共犯関係であるといえます」
タマルとリンザのふたりはしばらくして、この場にふさわしい契約魔法の文面を整えた。
その内容を、他の直属班の者たちにも確認してもらう。
魔法の書式に準じてくだくだしく書かれてはいるが、その要点はつまるところ、洞窟衆を裏切らない、洞窟衆に不利益を与える言動はしないという二点に集約される。
直属班の者たちが文面を確認し、ついで当事者であるマヌダルク姫本人にも契約内容を確認してもらい、誰からも異論が出されることがなかったのでついに正式に契約魔法を結ぶことになった。
この場合、契約魔法をかけられるのは、マヌダルク姫とそれにハザマの二人の間に、になる。
契約魔法は、人格のある個人を対象にしか効力を発揮しない魔法であった。
「本当にいいんですか?」
ハザマは、最後にもう一度確認した。
「仮にも公爵家のお姫様が、こんな」
「男爵様は心配症ですわね」
当のマヌダルク姫は、涼しい顔をしている。
「わたくし自身がそれでいいといっているのだから、もっと鷹揚に構えていらしてください」
ハザマは、
「どうしてこうなった」
とか思いながら困惑顔で周囲を見渡した。
誰もが、そんなハザマからさりげなく目線を逸らす。
これでは、まるでおれがなにか疚しいことに手を染めているようじゃないか、と、ハザマは思った。
「えーと、では……」
改めて、タマルが契約魔法の文面を読みあげて当事者であるハザマとマヌダルク姫、それに周囲の直属班の者たちに聞かせる。
その上で、事務系な口調で、
「この内容に異論がないようでしたら、契約魔法を実行しようと思います」
と続け、呪文の詠唱をはじめた。
タマルによる契約魔法の詠唱は数分続き、そのあと、二枚の同じ内容の文章が書かれた書面をハザマとマヌダルク姫の前に差し出し、署名をさせた。
二人が署名を書き終えると、その瞬間から、契約魔法が実際に効力を発揮していることになる。
とはいえ、魔力を感じることができないハザマは、以前となにが違うのかまるで感知することができないでいたが。
「ついに、後戻りができないところに来てしまいましたね」
契約書に署名をしたあと、マヌダルク姫はそういってハザマにむかって微笑んでみせた。
「これでもう、わたくしは男爵様には逆らうことはできません。
洞窟衆のためだと強弁されれば、このまま寝所へ連れ込まれても逆らうことができないのですよ」
「ご冗談を」
ハザマはそのマヌダルク姫の言葉をあっさりと流した。
ハザマはロリコンではなかったのだ。




