ハザマの異族政策
「なんで犬頭人にそこまで肩入れするんですか?」
「別に肩入れしているわけではない」
リンザの問いにハザマは即答する。
「ただ、ずっと考えていたんだ」
「なにを?」
「なんの因果か手に入れたこの権力を、いったいなにに使うべきかな、って。
これ以上の富や権力を求めるのは、おれの柄じゃない。
それ以上に、そういったものにはもれなく責任っていう面倒くさいものがついてくるからな。
放置しておいても、ここまで弾みがついちまえばそういうのは勝手に膨れあがるだろうし。
だったら、そうして転がり込んできたもろもろにしっかりとした方向づけを今のうちにしておいた方がいいだろうって思ってな」
「それが、どうして犬頭人の救済に繋がるんですか?」
先ほどからリンザは質問ばかりしている。
リンザはハザマが考えることが理解できないことがままあり、というか、飛躍が多く別世界の論理によって動くことが多いハザマの思考を追うことができないでいるわけだが、ときおり、悪あがき的にハザマが考えていることを理解しようとすることがある。
このときがそうだった。
「だから、犬頭人に肩入れしたり救済すること自体が目的ではないって」
ハザマは、ゆっくりと首を振った。
その動作は、ハザマが周囲の無理解に苛立っているときにする癖のようだというものに、リンザは気づいている。
「犬頭人でさえ人間並みに働くことができるということを証明することによって、この世界の異族の立ち位置を揺るがし、ひいては人権という概念を確立するための布石とする」
「じんけん、ってなんですか?」
リンザは素直に聞いた。
ハザマが耳慣れない単語を不意に口にするのは、珍しいことではなかったが、たいていは適当に聞き流す。
しかしこのときは、珍しく時間的な余裕があったこともあって、リンザはより詳しい内容を求めた。
「この世界には、まだない概念だ」
ハザマは珍しく真面目な顔をしていった。
「おれの世界では、この概念が普及するまでにおおぜいの人間が死んでいる。
この世界では、そうならないといいな」
この世界、おれの世界。
ハザマがそう口にするとき、リンザたちこの世界の人間にとっては、「この大陸、おれの大陸」という風に聞こえる。
ハザマが口にする「世界」という概念に一番近い単語が「大陸」であり、魔法による機能によって自動的にそう翻訳されるからだ。
リンザとしては、これまでの経験的にハザマがその単語を連発するときは、身の程知らずにも大きなことを成そうとしているときだとということを経験的に知っているだけだった。
つまりは、洞窟衆にとっては、それだけ負担が大きくなるようなことをやろうとしていると、そう直感した。
ひとことでいうと、
「また、ろくでもないことを考えているな」
という結論になる。
ハザマという人間は、あまりに地位や名声、金銭や権力に魅力を感じるような人種ではないということを、リンザは理解している。
傾向としてはその逆で、放置しておけばそれらすべてを投げうち、いつ身ひとつでどこかに姿を消してもおかしくはないような、悪い意味で無責任な人間だった。
少なくとも、リンザの見立てでは。
それでリンザとしては、日々、ハザマのなけなしの責任感を刺激して、洞窟衆におけるハザマの立ち位置を思い出すようにしむけているわけであるが。
しかしそんなハザマも、ときには洞窟衆を利用してなにかを成そうとするときがある。
そういうときは、決まって面倒くさいことになるのが常であった。
「つまりは」
リンザは、もろもろの条件を素早く考えてそのように結論した。
「今度のは、かなり面倒なことになる案件なんですね?」
「そう、なるだろうなあ」
ハザマは他人事のような口調でいった。
「おれとしては、できるだけ穏やかに収めたいとは思っているんだけど。
ただ、実際にやるとなると、反発も大きくなるだろうしな」
そういう自覚があるだけまだマシ、なのだろうか。
「今度は誰を敵に回そうっていうんですか?」
「権力者や資本家、あー、つまりは、金を持って他人をこき使っている連中全般から、大きな反発を買うことになると思う」
リンザは頭が痛くなった。
つまりは、現在大きな力を持っている連中のすべてに喧嘩を売るのに等しいことを、ハザマは考えているという。
もちろん、現在の洞窟衆が持つ資力や権力では、そんな大きな相手に正面からまともに挑んでも、勝てる道理がない。
「あっさりと潰されるのがオチですよ」
リンザは口に出してそういった。
「できるだけそうはならないように、工夫はするさ」
ハザマはいった。
「成功するかどうかは、実際にやってみないことにはわからないが。
犬頭人の件も、そのために力を入れていると思ってくれ」
いい機会だから、少し詳しく説明しておくか。
そう前置きして、ハザマはその場に座り込んだ。
「まず人権というのはなにかということからざっと説明しておこう」
ハザマはいった。
「おれが居た世界では、人間には生来的に幸福になる権利があると規定されている。
その権利のことをさして、人権と呼んでいる」
その場に居たリンザとトエス、それにヘルロイは微妙な顔をして顔を見合わせた。
「いや、それ」
トエスはいった。
「いいことなのかもしれないけど、そういうもんだと頭から考えるのは、あー。
なんていうか」
「現実的ではないでしょう」
トエスがいうべき言葉を探しあぐねているうちに、ヘルロイがさらりと続ける。
「それ!」
「こうであれという祈念として、そのような権利を誰もが持っていると考えること自体には異存はありません」
ヘルロイはいった。
「ただ、この世ではちょいと不作になれば餓死者が出る。
わずかな税を収めきれないために身売りをする者も居る。
そうした者たちにも、その人権とやらが、生まれながらにして幸福になる権利があると、どんな顔をして断言すればいいのでしょうか」
「だよなあ」
ハザマはヘルロイの言葉にあっさりと頷いた。
「だから、まずは豊かにすることからはじめなけりゃな。
いきなりこの世のすべてを、ってのは到底無理にしても、洞窟衆の周辺、ハザマ領の周辺から徐々にそうしていくのは可能だと思う。
実際、それは成功しかけているし」
「お金をいくら集めても、食べるものが不足すれば餓死者は出ますよ」
リンザは淡々とした口調で事実を指摘した。
「とくにこれからは、山地の膨大な人たちも支えなければなりません。
十分な食料を用意できないときは、それこそおおきないくさが起こって大勢の人たちが死ぬことになります」
「そうだな」
ハザマは頷いた。
「そうしたことも、考えていかなければならない。
だから、盛大に金をばらまいてそれまで余裕がなかった者たちにも行き渡らせて、大勢で知恵を絞るような体制を整えていかなけりゃならない。
まずは洞窟衆周辺、ハザマ領周辺から手をつけるが、徐々に手を広げて、それまで一部の独占物であった知識を広く普及させる必要がある」
「そういって、出版やらに通信やらに力を入れさせていることは知っているけど」
トエスはいった。
「それが本当に、豊かになることに、飢えをなくすことに繋がるの?」
「小さなことからコツコツと、さ」
ハザマはいった。
「知識や道具は、適切な使い方さえ知っていれば誰にでも使える。
そうしたものの使い方が広まれば、生産性もあがる。
また、それまでに知られていた道具や知識も、それに携わる者の数が増えれば増えるほど改良される機会が増えて、どんどん便利になっていくことだろう。
裾野の広い豊かさとは、そうした小さなことの積み重ねで生じるものだと思う」
「ずいぶんと、民草の自力を信奉しているものですな」
ヘルロイはそういって苦笑いを浮かべた。
「彼らの力を侮るつもりはありません。
が、民草というものはもっと御しがたく、自分の都合でどうにでも動く存在ですよ」
「それこそ、自分の都合でどうにでも動かしておけばいい」
ハザマはいった。
「それぞれが私利私欲のために動くくらいで、ちょうどいいのさ。
富や権力がどこか一箇所に集中するような事態だけはできれば避けたいが、これは適切に競争できる環境を整えておくだけで自然に解消されると思う。
幸い、ハザマ領周辺諸国は、今のところはどこかが一人勝ちできるような状態ではないようだし」
「簡単にいいますな」
ヘルロイは、苦笑いを深くした。
「つまりは今後も、特定の勢力に深く肩入れをするつもりはない、と?」
「別にする必要もないしな」
ハザマはヘルロイの問いに頷いてみせた。
「まずは、山地と平地の両方面に、そうした道具や知識をどんどん広めて普及させていくべきだろう」
「それはいいとして」
リンザはいった。
リンザにしてみれば、ここまでは洞窟衆の基本戦略であり、いまさら解説されるまでもない、既知の内容だった。
「それと犬頭人の重用とが、どう関わってくるのですか?」
リンザが一番に知りたいのは、そこだった。
「犬頭人とおれたちがうまくやれるということを証明し、内外に示すことで、この世界におけるヒトという概念を拡大する」
ハザマは、ゆっくりとした口調でいった。
「もちろん、簡単にそうなるとは思っていない。
お前らの反応を見ても、異族に対する偏見はおれが想像した以上に根強いようだしな。
ただ、実際に犬頭人と取引をしたり、いっしょに働いたりする事例が多くなり、直接接触する人間が増えていけば風向きも徐々に変わっていくと思っている。
たぶん、時間はかなりかかると思うけどな」
「ですから」
リンザは、なおも追求した。
「そんなことをして、わたしたちにどんな益があるというのですか?」
「まず、手っ取り早いところからいうと」
そう問われることを予想していたのか、ハザマはすぐに言葉を紡いだ。
「こちらが継続的に金を出すようにになれば、犬頭人たちも金を使うようになる。
つまりは、こちらも物を売る機会が増える。
これはまあ、犬頭人たちに限らず、人間相手にもおこなってきたことの延長だな。
それと、今後、犬頭人たちが、おれたちが与えた道具と知識を使いこなすようなことがあれば、この山地においてそれだけ有利に生活圏、ああ、その、縄張りを広げるようになっていくだろう。
ここまでは、わかるな?」
そういって、ハザマは周囲を見渡した。
いつの間にか、ロボ子までもがハザマのそばに来て黙ってはなしを聞いている。
「それは当然の帰結のように思えますが」
ヘルロイはいった。
「そうかもな」
ハザマは、そう応じる。
「それはともかくとして、その当然の結果を受けて、犬頭人が力をつけたとする。
すると、周囲の異族はどう反応すると思う?
あるいは、山地の民は?」
リンザ、トエス、ヘルロイは虚を突かれた表情になった。
「なんとなく、想像がつくだろう」
ハザマはいった。
「犬頭人たちがなんらかの交渉、契約をかわせる相手だと広く知られるようになれば、直接その力を借りようとする勢力が出てくるかも知れない。
あるいは、なにかを売りつけようとする者が出てくるかも知れない。
成功する場合もあるだろうし失敗する場合もあるだろうが、とにかく、そういうことを考えるようになるってことは、それだけ犬頭人が対等な相手だと認めたってこった。
また、犬頭人たちが台頭してくれば、それに対抗するために周辺の異族たちも、洞窟衆なり他の人間勢力なりに接触して協力を要請してくるようになるかも知れない。
こうなると異族は、差別し、敵対するだけの相手ではなく」
「交渉し、駆け引きを行う相手になる」
ヘルロイは、押し出すような口調でいった。
「……山地の情勢が、ますます複雑化しますな」
異族が一方的に害を与えてくるだけの相手ではなくなる。
交渉も可能な相手になるとは、つまりは、独立した勢力であると認めるのにも等しかった。
「正直、あんまりいいやり方でもないんだけどな」
ハザマは、そうぼやいた。
「それでも、相手の力量を素直に認めるってことは、差別と憎悪一点張りの現在の状況からすると、一歩か二歩くらいは前進しているはずだ。
すぐにどうこうとは考えていないが、遠い未来になら一部族として認定される異族が出て来ないとも限らない。
今やっているのは、やろうとしているのは、そのための地ならしみたいなもんだ」
ハザマがそう結ぶと、しばらく、誰もなにも言葉を発しなかった。
「各個体が個別に思考する種族のありかたというのは、ずいぶんと複雑なのですね」
しばらくして、ロボ子がそんなことをいい出した。
「個体対個体だけではなく、集団対集団の関係も考慮する必要が出てくるわけですか。
しかも各個体ならびに各集団が個別に意思を持って勝手に動き、未来を予測することは事実上不可能。
意思を持ち何事かを決定するのは巣全体だけである鉄蟻では考えられないような、複雑な状況です」
「まあなあ」
ハザマは苦笑いを浮かべならロボ子の相手をしだした。
「でもそちらも、巣の内部は意思が統一されているにせよ、その複雑な外部の状況に対応する必要があるのはこちらと同じようなもんだろう」
「そのために、巣も、ロボ子のような特製の個体を作る必要が生じたわけですが」
ロボ子はいった。
「ですが、そうした各個体が個別の意思と知性を持つ種族について、巣にも理解できるような形で報告する方法が、ロボ子には思いつきません。
両者は、知性体としてそのありようがあまりにも隔たっています」
「だろうなあ」
ハザマはいった。
「スタンドアローン型がネットワーク型のことを想像することはできるが、ネットワーク型がスタンドアローン型のことを想像することはできない、か。
知性っていうのは、必ずしも大が小を兼ねるってわけにはいかないもんだな」
「用語の定義が不明です」
ロボ子は、そう応じた。
「が、いいたいことはなんとなくわかる気がします。
鉄蟻とは、この世界ではどこまでも孤独な存在なのですね」
「そう嘆くこともないさ」
ハザマはいった。
「おれだってこの世界では相当に異質な存在だ。
異質な存在同士、せいぜい仲よくしようや」
正直なところ、この辺のロボ子とハザマとのやり取りは、リンザにはまるで理解できなかった。
リンザだけではなく、トエスやヘルロイもかなり微妙な表情をしている。
トエスやリンザだけではなく、高貴な身分に生まれてそれなりの教養を身に着けているはずのヘルロイまでもが理解できない内容をハザマは平然と口走っているわけであった。
頻度こそ多くはないものの、ハザマがこうしておそらくは高度なやり取りを唐突にはじめることはこれまでにも何度かあった。
単なる未知の知識を披露するというだけならば、ハザマが異邦人であるということで説明がつくのだが、こうした臨機応変なやり取りは知識があるだけで可能となることでもない。
リンザがハザマのことを理解しきれない、遠い存在だと感じるのは、ハザマがこんなことをやりだすときに多かった。
「はなしを元に戻しますが」
ハザマとロボ子の、リンザには理解不能なやり取りが一段落したところで、リンザはハザマに声をかけた。
「そういうことになりますと、犬頭人だけではなく、他の異族から接触があった場合も、洞窟衆はこれに応じるべきだということになりますよね?」
「それは、相手の出方次第だなあ」
ハザマはいった。
「相手の出す条件がこちらに取って都合がよいものだったら取引をすればいいし、そうでなかったら突っぱねればいい」
「つまりは、他の、人間相手のときと同じように扱うということですか」
リンザはいった。
でも、それは。
と、リンザは考える。
この山地には、いったいどれほどの異族が住み着いているのだろうかと。
おそらくは、人間の比ではないほど、数多くの異族が棲息しているはずだ。
多種多様なそれらすべてが、これまでにリンザたち多くの人間の視野に入っていなかったそうした異族たちが、人間に混じって働き、物を売り買いするような、そんなことになったとしたら。
山地とはいわず、この大陸全体が、今のそれとはかけ離れた状態になるのではないか。
想像しようとして、リンザは軽く身震いをする。
経済的な側面にのみ注目するタマルならば、不意に出現した膨大な市場と商機に身震いをしたのかも知れない。
が、リンザが身震いしたのは、そのようになった状況を、自分がうまく想像できなかったからだった。
ハザマが提示した状況は、リンザの想像できる範囲をはるかに凌駕している。
この人は、本当に、何者なんだろうか。
リンザは、ハザマの方にぼんやりと視線をむけて、そんなことを思った。




