ブラズニア公爵家の意志
「最初からそのつもりだったのか」
ハザマは小さな声で呟いた。
おそらく、と、ハザマは思う。
「そういうことなのでしょうな、おそらく」
そばに控えていたヘルロイがハザマの発言に頷いた。
「こうなった時期が、ブラズニア公爵家にとって都合が良すぎます」
アズラウスト公子はもともと、このドン・デラからトロ家の権力を一掃するつもりでいたのに違いない。
もちろんアズラウスト公子個人の意向であるわけもなく、領主であるブラズニア公爵家としての意思を代行した形だろう。
背信行為とやらに関しても、その証拠となる物はあらかじめ用意してあり、最上のタイミングを狙って発表したのではないのか。
トロ家の者たちが身動き取れない今ならば、抵抗もほとんどないはずだ。
領主であるブラズニア公爵家にしてみれば、これほど大きな都市の利権を貴族でもなんでもない者たちが牛耳っているのは、どう考えても面白くはないはずなのだ。
「おれたちは、おとりにされたのか?」
ハザマはまた呟いた。
「洞窟衆の動きにみんなの注意が集まっていれば、ブラズニア家の間諜どももさぞかし動きやすかっただろう」
王家に影組があるように、ブラズニア家もその手の役割を果たす者たちを飼っていてもおかしくはない。
いや、洞窟衆でさえ諜報部門を抱えるようになっているのだ。
その手の人種を活用する必要性は、洞窟衆よりも公爵家の方が大きいだろう。
そうした者たちに、以前からトロ家の弱みを探らせていたとすれば?
「推測に、過ぎないかな」
ハザマの口からそんな言葉が漏れた。
推測ではあるのだが、蓋然性はかなり高い推測だ。
ハザマはさらに推論を進める。
仮定として、ブラズニア家はドン・デラからトロ家の影響を一掃する機会をうかがっていた。
正面からいったら、官職に就いているロロ・トロとカロ・トロの二人を追放することはできても、他の兄弟二人に手を出す口実がない。
いや、それ以前に、平常時に正面からトロ家に手を出そうとするれば、グラウゴラス、グラウデウス両公爵家からなんらかの干渉を受けていたはずである。
だが今は、ルノ・トロはドン・トロの跡目を継ぐことを公然と拒否し、ホロ・トロは大きな経済的打撃を受けて破産も同然の有様になっているし、さらにいえばグラウゴラス、グラウデウス両公爵家はともに公然とブラズニア公爵領内に魔法兵を出したという負い目がある。
その事実を盾にすれば、両公爵家の干渉をはねつけることも可能だろう。
ドン・トロ老が老衰によって勢いを失い、他の兄弟たちがそれぞれの理由で身動きが取れないこの時期であれば、公然とトロ家の勢力をドン・デラから一掃できるのだ。
ハザマがトロ家の兄弟を噛み合わせることを考えていたように、ブラズニア公爵家は洞窟衆とトロ家を噛み合わせることを考えていたとしても、決して不思議ではない。
それが一番、ブラズニア公爵家にとってリスクの少ない方法なのだ。
というか、ハザマがブラズニア公爵家の立場にあってトロ家の影響をドン・デラから排除しようとしたら、ブラズニア公爵家の配下を直接には使わず、やはり洞窟衆のような第三勢力をうまく利用しようとするだろう。
自分自身の手を汚すことを避けて漁夫の利を狙うのは、労力やリスクを減らすための基本的な思考法でもあった。
「いえ、まずそれで間違いないでしょう」
ルノ・トロが神妙な表情でハザマの推測に賛同した。
「その筋書きが、一番しっくりとくるように思います。
こうなると、わたしが洞窟衆に保護を求めたのは正解ということになりますね。
野心を持たないことを公に認めているわけですから、今後公爵家に狙われることもないでしょう」
そういうノロ・トロは、自嘲を込めてかうっすらと笑っていた。
「ブラズニア公爵家の意図がそういうものであったと仮定して」
リンザが冷静な声でいった。
「われわれ洞窟衆としては今後どう動くべきですか?
塩賊から依頼された件とブラズニア公爵家の動きとは、真っ向から対立するわけですが」
塩賊からは、トロ家の兄弟の中からドン・トロ老のあとを継げる者を選定してくれという依頼を受けていた。
しかし、ブラズニア公爵家は、そのトロ家の権力を根こそぎ無に帰そうとしている。
確かに、両者の意思は完全に対立する関係にあった。
「別に、今まで通りでいいだろう」
しかし、ハザマは、あっさりとこういい放つ。
「方針を変える必要はない」
「トロ家の兄弟を監視しつつ、ドン・デラ市民の安全を優先して動くということですすね?」
リンザが即座に確認する。
「それでいい」
ハザマは頷いた。
塩賊の依頼に対して、ハザマはできるだけのことはやったと思っている。
ブラズニア公爵家がこのような挙に出たのは想定外であったが、だからといってむきになって最初の構想通りに事を進めるつもりはハザマはなかった。
正直なところ、ハザマにしてみればトロ家やドン・デラがどうなろうがあまり関心はなかったし、塩賊の依頼だって半ば無理矢理に押しつけられたものである。
依頼を完遂しようという意志に乏しく、この時点でもやれることはやった、十分に義理を果たしたというくらいの意識でいる。
さらにいえば、ブラズニア公爵家という現実的な権力を敵に回してまでその依頼に拘る積極的な理由もなかった。
「本当にそれでいいんですか?」
なぜか、部外者であるノロ・トロの方が目をまるくしてハザマの反応に驚いている。
「本当にいいもなにも、アズラウスト公子がこうしてでばって来ている以上、おれたちが抵抗しても結果はかわらないだろうよ」
ハザマはそういって肩をすくめた。
「こうなると問題は塩賊とかトロ家だけのものではなくなってくる。
洞窟衆としては、塩賊のためにブラズニア公爵家に逆らうような義理もなにもないしな」
「塩賊よりも公爵家の方を選びますか」
ノロ・トロは釈然としない表情をして、それでも一応頷いて見せた。
「おれたちにしてみれば、内情がよくわからない塩賊よりもブラズニア公爵家の方がよほど怖い」
ハザマはそう答えておいた。
「あるいは、現実には塩賊の方がブラズニア家よりも怖いのかも知れないが、そのときはそのときだ。
まあ、塩賊が本当にそんな力があるのならば、トロ家の問題もとうの昔に自力で片づけていると思うがね」
塩賊はともかく、トロ家はこれで実質終わりだろうなあ、とハザマは思う。
血筋を絶やすところまではやらないだろうが、今後、ドン・デラ内で権力は握れないように解体していく。
ブラズニア家はそのつもりで動いているように、ハザマには見えた。
ロロ・トロ市長とカロ・トロ衛士隊長にかけられた嫌疑も、真偽のほどまではハザマにも判断はできないが、どちらにしよこうして公表された時点で逃げ道は塞がれているものとみて間違いはないだろう。
官職から追放されたこの二人は、実質、身ぐるみをはがれたようなものであり、なんの影響力も持たない一個人になりさがった。
この状態でなおも領主であるブラズニア公爵家に逆ろうとしたら、それこそ反逆罪が適用されかねない。
ブラズニア公爵家からみれば、ハザマたち洞窟衆はいい隠れ蓑になったことだろう。
ハザマにしてみればいいように利用された形になるわけだが、一番の被害者であるトロ家に対して思い入れがないことも手伝って、あまり不快にも感じなかった。
「さて、あの二人はどう動くかな」
ハザマはそんな風に呟く。
罷免された、ロロ・トロ市長とカロ・トロ衛士隊長。
正式には、それぞれに元とつけなければならないのだろうが、その二人がこのままおとなしく引きさがっているのだろうか?
というのが、目下、ハザマの関心事であった。
「納得できるか!」
その知らせを受けたとき、カロ・トロ衛士隊長は叫んだ。
もともと多血質で頭に血が昇りやすい性格でもある。
ブラズニア公爵家の使者が持ってきたは、カロ・トロの地位を剥奪するという報せであった。
理由は、職分を超えて一部の罪人を優遇し、その罪状を故意に見逃したことであるという。
罪人を取り締まる立場にいながら本来やるべきことを怠った、職務放棄が理由として挙げられていた。
しかし、そうした罪人たちをうまく利用することは、歴代の衛士たちもごく普通に行ってきたことであった。
現実問題として、そうした裏側にも精通した協力者をうまく活用しないとドン・デラのような巨大な都市の治安を守ることなどできないし、そうでなくても守るべき人の数に比べて、衛士隊の人数は少なすぎる。
そんなことで職場を追放されるようなら、そもそも衛士隊のほとんどがその資格なしということで去らなければならない。
つまり、公爵家から来た通達は、法を厳格に適用するのならば可能な措置であるが、現実にはかなり馬鹿げた内容であるということになる。
ましてや、ドン・デラの内情がこんな不安定になっている時期を選んでわざわざ衛士隊長である自分を解任するとは!
自分が地位を追われることよりも、この大事な時期にこんな扱いを受けなければならないという事実に、カロ・トロは強い憤りを感じていた。
だが、その憤りをブラズニア公爵家の使者や自分の部下にぶつけたところで仕方がない。
カロ・トロは無理やりにでも胸中にこみあげてくる怒りを鎮めようとする。
これはおそらく、政治的な判断というやつだ。
洞窟衆のハザマとやらの動きとなにか関連があるのかも知れない。
だが、そんなことと今、目前にあるドン・トロの混乱状況にはなにも関係がないではないか!
さて、どうする、どう動く。
カロ・トロが忙しく頭を働かせた。
この場では、どう動くのが最上だ?
「納得はできんが、辞めろというのなら辞めてやる!」
カロ・トロはそう叫び、やおら自分が着ていた衛士隊の制服を脱ぎ、乱暴な動作でブラズニア公爵家の使者に叩きつけた。
「これで、衛士隊長としてのカロ・トロはいなくなった!
これで構わんな!」
「あと、ブラズニア公爵領からの追放令も出ているのですが……」
公爵家の使者は戸惑った様子を見せながらも、さらにそういい募った。
「それについては、しばし待っていただこう!」
カロ・トロは叫んだ。
「なにしろ今はドン・デラの一大事!
この騒ぎを収めるまでは、ドン・デラから離れるつもりはない!
とにかくそちらが要求してきた通りに地位は返上した!
あとはこの身ひとつ、一個人のカロ・トロとしてできることをさせていただく!」
そう叫ぶと、カロ・トロは使者の反応を確認もせずにそのまま走り出した。
これまでカロ・トロに随行していた衛士隊の面々もそれに続く。
「ブラズニア公爵家もやってくれるじゃないか!」
ブラズニア公爵家の使者は、当然、市長であるロロ・トロの元にも来た。
実際には、当のロロ・トロが行方不明になっていたのでロロ・トロの夫人であるピゼッタ・トロが使者からの通達を受け取ったわけだが、ピゼッタ夫人はその内容を一瞥するや否や、そういったという。
そのあと、ピゼッタ夫人は誰にともなく呟く。
「緊急避難とはいえ、よその公爵家から魔法兵を引っ張って来た引け目というものもあるからねえ」
今回に限り、実家からの干渉は期待できない。
魔法兵という生ける戦術兵器を無断でブラズニア公爵領内に入れたことはまぎれもない事実であり、どういう観点から見てもこれは領主であるブラズニア公爵家の威光を傷つける行為なのである。
使者が持ってきた書状によると、ロロ・トロには贈賄など複数の嫌疑がかかっているということだった。
ピゼッタ夫人にはその真偽まで確認するほどロロ・トロの言動を把握していなかったが、仮にもブラズニア公爵家がこうして直々に動いている以上、申し開きをしても無駄になるくらいの細工はすでに終わっていると見るべきだった。
つまり、ロロ・トロの市長としての生命はこれでつきているわけで、ここまでお膳立てを整えられているのだったら、もはや抵抗するだけ傷が深くなる。
王国公爵家がわざわざ動くということは、つまりはそういうことだった。
「市長を首にするというのなら、役人たちの安全はそちらで預かってくれるんだろうね?」
ピゼッタ夫人は使者にそう確認した。
「それはもう」
使者は、ピゼッタ夫人に対して深々と頭をさげる。
「ブラズニア家の軍勢が、こちらにむかってきております」
もちろん、軍勢といってもそんなに大軍ではない。
兵隊というのは、なにもないところからわらわらと発生したりするものではないのだ。
この場で使者が口にしたブラズニア公爵家の軍勢とは、つまるところ、洞窟衆とともにドン・トロに駐留していた魔法兵たちのことを差す。
寡兵とはいっても、アズラウスト公子直属の精鋭たちだった。
「それなら、問題はないね」
ピゼッタ夫人はあっさりと頷いて見せた。
「あいにく、知っての通りロロ・トロ市長はかなり前から姿を晦ましている。
だから、この報せはまだ本人には伝えることはできないけど、市庁舎としてはブラズニア公爵家の方針に従うように徹底させるよ」
ピゼッタ夫人が特に抵抗をする様子を見せなかったのは、抵抗しても無駄だと悟るところがあったのとは別に、この時点でこの騒ぎがひと段落したら、ロロ・トロとの婚姻を解いて郷里に帰る決心をしていたからであった。
この非常時に職務も職場も放棄して姿を隠すようなロロ・トロのことを、ピゼッタ夫人は異性とも配偶者とも見ることができなくなっていたのである。
以前からなにを考えているのかわからないところはあったが、あの男は今頃、どこでなにをしているのかね。
ピゼッタ夫人は、そう思った。
「ロロ・トロは、相変わらず発見されていないようです」
リンザが報告した。
「衛士隊にもブラズニア公爵家の軍勢にも、それに洞窟衆の監視網にも引っかかっていません」
「それ以外は、落ち着いた……のかなあ」
ハザマは眠気覚ましに濃い目にいれた香茶を啜りながら、そういった。
「想定していたよりも、各方面での抵抗はないようだが」
案外、いざとなるとあっさりしたもんだな、と、ハザマはそんなことを思う。
ドン・トロの跡目とやらも、外野が気にするほどにはトロ家の面々は気にしていなかったようにも見受けられた。
いや、兄弟それぞれの身の振り方を考えれば、ドン・トロ老は単一の後継者にすべてを託するよりは、四人の兄弟が共同してドン・デラのために働くような未来図を描いているように見える。
それを許容せずにわざわざ壊したのは誰かといえば、王国であり、塩賊であり、ブラズニア公爵家であり、ハザマたち洞窟衆である、というところだろう。
それ以前に、兄弟同士で長く小競り合いを続けていたことも原因なのだろうが、とにかく、一代で築いたドン・トロ老の王国はこの一夜だけで、事実上、瓦解した。
あとはゆっくりと朽ちていくのを待つばかりの代物と化したのだ。
どう考えても、もはやトロ家の者たちに権力者としての明るい未来が訪れることはない。
「塩賊には、どう伝えるおつもりですか?」
ルノ・トロが、ハザマに訊ねた。
「事実通りを、正確に伝えるさ」
ハザマはいった。
「別に、こちらから必ず成功するものだと保証しているわけでもない」
それで塩賊がなにかいってきたとしても、今の時点ではやつらからは、別に報酬らしい報酬を貰っているわけでもないしな、と、ハザマは思う。
「でも、これでよかったという気もします」
ルノ・トロが誰にともなく呟いた。
「今になって振り返ってみると、われわれ兄弟にとって父の影響は大きすぎました。
ここまで壊されて、はじめて自分自身の人生が歩めるようになるのではないでしょうか?」
「偉大すぎる父の影におびえる、か」
ハザマは呟いた。
「そういう心境は、正直、うまく想像することができないな」
「できない方がいいですよ」
ルノ・トロは、そういって薄く笑う。
「その方が、正常だと思いますし」
「衛士隊から、洞窟衆に対して協力の要請がありました」
リンザがハザマに訊ねてくる。
「ドン・デラの治安維持活動に協力してほしいようです」
「それはもちろん、一時的なものだろうな?」
ハザマは確認をした。
「協力するのは構わないが、しかるべき報酬は貰うように。
事前に期間と報酬を決めた上で協力をするのであれば、断る理由はないと伝えてくれ」
「つまり、絶対にタダ働きはするなということですね」
リンザはハザマの発言を要約した。
「現場にはそのように伝えておきます」
こうして、ドン・デラにおけるトロ家の内紛は決着したように見えた。
関係者の誰もが、あとは諸々の後始末をするだけだろうと予想していた。
しかしその予想は、あっけなく裏切られることになる。




