嵐の合間
『それは都合がいい』
通信で呼び出すと、アズラウスト・ブラズニア公子はすぐに出て機嫌がいい声でそんな対応をした。
『ここまで騒動が大きくなれば、トロ家への対応ということではなくドン・デラの治安維持という名目で堂々と出陣することができます。
そのグラウゴラス、グラウデウス両公爵家の魔法兵とやらも、ついでに一掃しておきましょう。
なに、暴徒と見分けがつかなかったとか、いわけはいくらでも効きます』
やはりそうなるのか、と、ハザマは思う。
これまで王国中央部によってドン・トロへの介入を戒められていること自体に、特にアズラウスト公子は不満を持っているようであった。
領主であるブラズニア公爵家にしてみれば、火種がそこにあるということが明瞭になっているのにも関わらず、防火することを禁じられていたも同然で、そのことに対する不満も大きかったのだろう。
流民たちが暴徒化するだけならともかく、その上公爵家直属の魔法兵なんて代物が公然と暗躍しはじめれば、いくら上から手出しをするなといわれていようが、ブラズニア公爵家としては動かないわけにはいかない。
放置しておけば、下手をすればこのドン・デラ全土が灰燼に帰してしまう可能性すらあるのだ。
おそらく、ではあるが、グラウゴラス、グラウデウス両公爵家の魔法兵をすべて始末した後で、この者らが両公爵家の配下であるとは気づきませんでしたとでも空とぼけるつもりだろう。
現状は、そのような惚け方も許容されるような混乱状態にあり、常識的に情報の錯綜ぶりを考慮するとその程度の間違いは普通に起こり得るのだった。
実際には、ハザマたち洞窟衆もアズラウスト公子も、構築された通信網によってドン・デラ各所の状況をほぼリアルタイムでかなり詳細に把握していたりするのであるが、その通信網がまだ完全にいきわたっているわけではないこの王国の常識では、そう判断するのが当然なのだった。
暴徒に混ざってどこからともなく現れて破壊工作を行う不審な魔法兵たちを領主であるアズラウスト公子の配下が排除してなにが悪い、というシナリオである。
そうした魔法兵とトロ家兄弟との関係も、正式に名声が出されているわけでもないので今の時点では不明であり、そうした魔法兵たちはあくまで正体不明の不審人物として処理されることになるわけだ。
「無関係の領民にはできるだけ被害を出さないようにしてくださいよ」
ハザマの立場としては、そうお願いするのが精いっぱいだった。
ハザマは、ブラズニア公爵家の嫡男であるアズラウスト公子になにかを命ずることができるだけの地位には就いていない。
『当然ですね』
アズラウスト公子は機嫌のいい声で返事をした。
『なんといっても、ここはブラズニア公爵家の領地です。
うちの配下がうちの領民を故意に害するわけがないじゃないですか』
領民とはすなわち領主であるブラズニア公爵家の財源であり、その領民を領主の手勢が害する理由がない、という意味であった。
裏を返すと、どこの領地にも属していない流民たちはそうした領主たちに庇護を求められる立場ではない、ということにもなるのだが。
現在の流民たちは、暴動鎮圧とかを名目にすればそれこそ皆殺しにされても文句の出しどころがない、そんな弱い立場に立っている。
それだけ不安定な、失うものがほとんどない立場だからこそ、自暴自棄になって暴発もできたという側面もあるのだろうが。
トロ家の兄弟たちを互いに噛み合わせることを構想したとき、この流民たちの存在が視野に入っていなかったのは、完全にハザマのミスでもある。
ハザマだけではなく、この世界の支配層の常識では、流民たちは数が多いだけでなんの力も持たない存在として扱われていた。
よほどのことがないと治世や政策などに影響を与えることがないはずのその流民が、今回は珍しく表舞台に立って場を掻き回している形であった。
グラウゴラス公爵家とグラウデウス公爵家、それに地元であるブラズニア公爵家、それぞれの配下である魔法兵たちの衝突は、結果としてみると意外なほど短時間のうちに終息した。
個々の魔法兵だけを取り出してみれば、グラウゴラス公爵家とグラウデウス公爵家両家配下の魔法兵たちもブラズニア公爵家配下の魔法兵たちとなんら遜色がない精強さであった、といわれている。
ただ、個々の魔法兵はともかく、ブラズニア公爵家配下の魔法兵たちは、この頃には通信術式を駆使した連携にかなり熟練していて、数名の魔法兵で敵を包囲しての殲滅を心がけていた。
これは、味方の被害を最小にするための措置でもある。
結果、ほとんど損耗をしないブラズニア公爵家配下の魔法兵たちと、それに個別に撃破されていくグラウゴラス公爵家とグラウデウス公爵家両家配下の魔法兵たちという構図が最初から固定してしまった。
グラウゴラス公爵家とグラウデウス公爵家、それぞれの領地にも通信術式の知識や通信タグは伝わっているはずであったが、それらを研究し、現場で、実戦の場で応用するところまでには至らなかった、ということか。
これは、従来の、あくまで魔法兵個人の職人芸に頼っていたものが、連携を前提とした集団戦に敗れたはじめての事例でもあった。
そうした背景事情に加え、グラウゴラス公爵家配下の魔法兵とグラウデウス公爵家配下の魔法兵とは、当初からホロ・トロの醸造所を巡って抗争していた。
抗争していた両者に対して、あとからやってきたブラズニア公爵家配下の魔法兵が突如現れて攻撃をはじめた、という経緯があったので、この最初の奇襲によってグラウゴラス公爵家とグラウデウス公爵家、両家配下の魔法兵たちはともにかなりの打撃をこうむっている。
態勢を立て直す間も与えずにブラズニア公爵家配下の魔法兵たちがそのまま攻勢を続けたので、すぐに総崩れになった、というのが、どうも真相であるようだ。
結果をみてみると、どさくさに紛れてドン・デラに出現した両家配下の魔法兵たちは、結果としてみるのならばその八割から九割に届く人員をブラズニア公爵家配下の魔法兵たちに討ち取られ、残りの者は転移魔法によって逃げ帰ったようだった。
ただし、グラウゴラス公爵家とグラウデウス公爵家、両家配下の魔法兵たちも無意味に討ち取られていっただけではない。
この両者はブラズニア公爵家配下の魔法兵が駆けつけるまでにホロ・トロの醸造所を巡って攻防を繰り返していたわけだが、最終的には、五つある醸造所のうち二つが全焼に近い被害を受け、残りの三つも、規模の大小の差こそあれ、なんらかの形で施設を破壊されていたという。
どうやらホロ・トロは、すぐに操業を再開するのは不可能なほどの大打撃を受けてしまったらしかった。
こうした情報を、ハザマはズレベスラ准男爵邸の中に居ながらにしてほぼリアルタイムで把握していた。
というのも、あらかじめドン・デラの方々に配置してあった諜報部門がなにか変事があったら通信によって直属班に伝える、という体制を整えていたからであった。
これは別にハザマ個人の好奇心を満たすためではなく、洞窟衆直属班が事態の推移を把握するのに必要な措置でもあった。
次々と入ってくる報告に耳を傾けているうちに、ハザマの中に、洞窟衆でさえこれくらいの備えはしているのに、どうしてアズラウスト公子はこうした情報を収集するための布石を置いておかなかったのだろうかという疑問が芽生えた。
このドン・デラはブラズニア公爵地の領地であり、決してアウェーではない。
あまりにも不用心なのではないか。
しかし、次々と入る報せに対応しているうちに、ハザマはそんな疑問について深く考える余裕もなくなってくる。
そんなことをしているうちに、ズレベスラ准男爵邸にむかっていたルノ・トロが洞窟衆の護衛に囲まれた状態で到着した。
ハザマはルノ・トロを出迎え、すぐに用意させておいた部屋に案内をしようとするのだが、当のルノ・トロは逆に現在のドン・デラの状況を知りたいといってきた。
「洞窟衆の保護下に入った以上、わたしが父の地盤を引き継ぐ目はありません」
そういうルノ・トロの顔色は、流石にすぐれなかった。
「できればこちらで、せめて皆さんといっしょに、この都市がどうなっていくのか見守らせては貰えませんか?」
「そういうことなら」
ハザマは簡単にルノ・トロの希望を受け入れた。
ルノ・トロ自身も自覚しているようだが、現在のルノ・トロはこの状況に対して完全に影響力を喪失している状態だった。
別に観客がもうひとり増えたところで、大勢に影響はないだろう、と、ハザマはそう判断する。
強いていえば、体が弱いというルノ・トロの健康状態が心配になるくらいであったが、これはまあ本人が判断して管理すべき事項になる。
あれこれの事件が連動して起こるうちに、夜もかなり更けた時刻になっていた。
ルノ・トロの希望を受ける形で、ハザマは椅子を用意させ、大部屋の中にルノ・トロの席を作る。
「市民からの救援要請は来ているか?」
「数回、魔法兵同士の衝突が路上で起きた際に救援を呼ばれています」
ハザマが確認すると、リンザが即答する。
「でもそれも、相手が凄い速度で移動してすぐにいなくなってしまったため、駆けつけたときにはなんにもすることがなかったという状態になってますね」
ということは、洞窟衆の損害も今のところはなしということか。
ドン・デラにとっては今回の件は災難以外のなにものでもないわけだが、洞窟衆からみるとかなり気楽な案件になりつつあった。
「トロ家の三兄弟、それぞれの現状と現在地は?」
「長男のロロ・トロ市長はかなり前から姿を消しています。
次男のカロ・トロ衛士隊長は現在、多数の部方ととともに路上でたむろしていた流民たちと衝突中。
途中、衛士隊は何度か魔法兵と接触しているのですが、魔法兵の方がすぐに移動しているための本格的な交戦にはいたっておりません。
三男のホロ・トロは、焼け落ちた醸造所のひとつに居座って泣いています」
「泣いているって?」
思わず、ハザマは訊き返した。
「こんなときにか?」
「こんなときだから、でしょう」
リンザは軽くため息をついた。
「泣きながら、まだ息がある負傷者たちを治療する手配をしているそうです」
「……人間としては、まともな感性の持ち主ではあるんだろうがな」
それを聞くと、ハザマは難しい表情になった。
「立場を考えると、そんなことをしている場合じゃないだろといいたくなるな」
それから、すぐそばにルノ・トロが居たことに気づき、そちらの方にちらりと目線をやる。
「どうぞ、お気遣いは無用に」
ルノ・トロは寂しげな微笑みを見せる。
「的確な評言だと思います」
「魔法兵を退けた今、全体ではどういう状況になっているんだ?」
「大きな動きはなくなりましたね」
リンザが即答した。
「少なくとも、今のところは。
市庁舎も醸造所もこれまでの騒ぎの後始末で忙しくしているようですし、カロ・トロ衛士隊は相変わらず稼働中ですが、せいぜい逃げ遅れた流民たちを小突き回すのか関の山で、少なくとも状況を大きく動かすようなことにはなっていません」
「ブラズニア家の魔法兵は?」
「グラウゴラス公爵家とグラウデウス公爵家、両家配下の魔法兵を退けたあと、姿を消しています。
どうも、魔法兵が本気で隠れはじめるとうちの諜報部門でもあとを追えないようでして」
「いや、なにも動きがないのならば、それでいい」
ハザマはいった。
なんとなく、アズラウスト公子はこの状況を利用してもっと大それたことを企んでいるのではないのかという、特に根拠がない予感をハザマは持っていたのだが、どうやらその予感は外れたらしかった。
「となると、今のところ、予想に反して大した被害は出ていないんだな」
ハザマはいった。
「厳密にいうと、人数も分からないくらいに大勢の流民たちと、それに敵味方の魔法兵にかなりの犠牲が出ていると思いますが」
リンザがハザマの発言を訂正した。
「洞窟衆とドン・デラの一般市民に限定していえば、確かに今のところは犠牲者が出ていませんね」
「そういうのは、犠牲者といっても騒ぎの渦中に居た当事者だからなあ」
ハザマはいった。
「被害を受けたとしても文句をいう筋合いでもないだろう」
それよりも、ロロ・トロ市長が姿を消していることが、ハザマは気になった。
市庁舎が襲撃を受けていたときに隠れているのならまだしも理解できるのだが、多少なりとも落ち着いた今になっても姿を現す様子がない。
一応、洞窟衆の諜報部門もトロ家の兄弟に関しては個別に監視をしていたはずであるが、それさえも振り切っていつの間にやら行方が分からなくなっていた、ということであった。
今、どこに居てなにをやっているのか、気にかかるところである。
「流民たちの様子は?」
「市庁舎と醸造所の襲撃が失敗に終わったことから、気落ちした様子で散り散りになって郊外方面へと逃走しているものがほとんどです」
ハザマが確認すると、リンザが即答する。
「組織的な抵抗はもはやないものと考えても差しさわりはないでしょう」
これで本当に山場は超えたのかな、と、ハザマは疑問に思う。
どうやら簡単に行き過ぎて、拍子抜けしてしまったらしい。
長男であるロロ・トロは肝心なときに姿をくらまし、次男であるカロ・トロは衛士隊長であるのにも関わらず今回の一連の騒動に対して目立った功績をあげられず、三男のホロ・トロは醸造所の大半を壊され、稼業を再開するのにもかなり苦労することになるだろう。
兄弟三人が、本業についてそれぞれに不利な条件を抱え込んだ形になる。
これでは、父親の跡を継ぐための闘争に差し向けるための余力さえ残っていないのではないか。
これでやる気をなくして終ってくれるといいんだがなあ、とか、ハザマは思う。
もちろん、それはハザマ個人の単なる願望であり、現実にはすべてがそんなに単純に片づくわけではない、ということは理解していたのだが。
その夜のうちに、あちことに配布していた通信タグを経由して洞窟衆への問い合わせが何件か来ていた。
「負傷して動けなくなっている魔法兵を捕らえたが、どうするべきか?」
とか、
「この騒ぎに便乗して盗みを働こうとした不届き者をタコ殴りにしたうえに確保した」
とか、そんな通報であった。
本来ならば衛士隊にでも突き出せばそれで終わるような案件であったが、衛士隊の詰め所が何か所も襲撃され、まともに機能していない現状では、通信タグで手軽に連絡ができる洞窟衆へ問い合わせるのが一番手っ取り早かったのだろう。
いわれてみれば、衛士隊、すなわち警察に相当する組織がかなりの部分、機能不全に陥っている今は、確かに盗賊などが活発化するのに絶好の条件であるともいえる。
ドン・デラの市民たちの自衛意識が高く、好戦的な側面もあったので結果としてすぐに捕らえられるわけだが。
そうした連絡があるたびに、ハザマは最寄りの場所に居る洞窟衆を差し向けて、問題のある人物の身柄を保護、拘束した上で、ズレベスラ准男爵邸まで移送するように指示を出しておく。
犯罪を犯した者はあとでしかるべき場所に突き出しておけばいいわけだが、魔法兵の生き残りに関してはどのこの陣営の属する者かわからないこともあり、治療だけしておいてあとでアズラウスト公子にでも処遇を委ねるしかない。
あるいは、アズラウスト公子がそうした魔法兵たちに過酷な尋問を加えることも十分にあり得るわけだが、ハザマの立場としてもそこまで干渉をするつもりはなかった。
筋でいえば、領主であるブラズニア公爵家に属するアズラウスト公子は、自衛のためこうした不審者を自由にする権利があるのである。
事件の全容を操作する権利は、最初からハザマたち洞窟衆の手にはないのであった。
ホロ・トロの醸造所はセッテマ奥方が居た西のものを除いてほぼ壊滅。
衛士隊の詰め所もその半数以上が物理的に打ち壊され、残りの半数もその大半が襲撃を受けた結果、備品類のほとんどを持ち去られている。
市庁舎は、物理的な被害こそ免れたものの、周辺部で大量の移民が焼死したため、その死臭がなかなか消えず、かなり酷い様子であるという。
なにより、市長であるロロ・トロの姿は、いぜんとしてどこでも見かけることができなかった。
トロ家の三兄弟はそれぞれ大きな痛手を受けた状態で、ドン・デラは状況は徐々に沈静化していった……かのように、見えた。
しかし、そろそろ空が白みはじめる頃、アズラウスト・ブラズニア公子が関係者にこうした連絡を入れたことから、また事態は一変する。
アズラウスト公子は、ハザマには通信で、その他の者には使者を経由した書簡によって、以下のような通達を送ってきた。
「職務における背信行為が判明したので、以下の者を罷免しブラズニア公爵領から追放する。
ドン・デラ市長、ロロ・トロ。
ドン・デラ衛士隊長、カロ・トロ。
両職の後任人事については、選定の上、後日通達するものとする」
長男のロロ・トロと次男のカロ・トロは、これまでに築いてきた地位を剥奪された形であった。




