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トカゲといっしょ  作者: (=`ω´=)


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長い夜のはじまり

『いつまで外をほっつき歩いているんだい』

 通信とやらでセッテマ・トロの声が脳裏に直接響いてい来る。

「だ、だけどよぉ」

 ホロ・トロは情けない声を出した。

「醸造所は心配だし、見に行くくらいはいいじゃないか」

 通信術式というシステムに慣れていないホロ・トロは、つい声も出してしまう。

『今さら見に行ってどうするんだい!』

 セッテマ奥方の反応は辛辣だった。

『行ったってなににもできやしないよ!

 衛士隊が何度も撃退されているってことじゃないか』

 普段から過酷な訓練を受けている衛士隊が敵わなかった相手に、ホロ・トロが連れている程度の手勢でどうにかできるわけがない、といいたいらしかった。

『どうせ放置しておいても、明日か明後日にでもなればへべれけになってあっさりと取り押さえられることができるんだから、今の段階でわざわざ手を出すことはないよ!』

 とか思っていたら、どうやら違ったことを考えていたらしい。

「そうはいうがな!」

 ホロ・トロは叫んだ。

「なにかできるかもしれないだろ!

 行ってみなけりゃわかんねーじゃねーか!

 お、おれだってな、おれだってなぁっ!」

 その先は、言葉にならなかった。

 もともとこのホロ・トロは、複雑な思考を言語化する習慣がない。

『あんたが醸造所に肩入れしているのは知っているよ』

 セッテマの奥方はいった。

『だがその醸造所だって、元はといえばうちの実家の資本があったからここまで手を広げられたんじゃないか。

 何か所か壊されたとしても、あとでまた再建すればいいだけのことだろう』

 後半は、ホロ・トロにいい含めるような口調になっている。


 ホロ・トロはドン・トロの不肖の息子だった。

 物心がつくかつかないかという時分から、そういわれて続けている。

 体こそ大きかったものの、複雑なことを考えるのが苦手な性質だったのだ。

 三男であるということもあり、ドン・トロも周囲もホロ・トロに期待するところは大きくなかったため、放置されて育った結果、随分と奔放な性格に育ってしまった。

 なまじ体が大きく腕力も強かったため、同年配の子どもたちから持ちあげられることが多かった。

 幼少時はそうした身体的な条件から、少し長じてからは父親であるドン・トロの富や名声のおこぼれにあずかろうとした者たちが多数集まり、ホロ・トロの周囲は絶えずにぎやかだった。

 しかしホロ・トロ本人は、そうして集まってきた連中が自分をいわゆる神輿として担ぐことによってその権勢を利用しようとしていることもかなり早くから感じていて、一種の空しさもおぼえていた。

 常に大勢の人間に囲まれながらも、ホロ・トロはいつも孤独だった。

 そんなホロ・トロも青年期に入り、年齢的にいってもなんらかの職を得ていないと格好がつかない時期にさしかかる。

 ドン・トロの息子ともあろうものがいつまでも無職のままでは沽券にかかわる、というわけで、ホロ・トロはその当時ドン・トロが買収したばかりの醸造所を任されることになった。

 過剰な設備投資があだになって借金がかさみ、当時の経営者からその借金ごとドン・トロが買い取った醸造所であったが、長期的なスパンでみればいずれ黒字化することはわかりきっており、だからこそ資本的な体力のない当時の経営者からドン・トロが貰いうけた物件だ。

 たとえお飾りであろうとも、ドン・トロの息子がそこの経営に携わればさらにその醸造所の先行きは明るくなるだろうと、当時はそんな風にいわれていた。

 つまりその当時、ホロ・トロに経営者としての手腕を期待する者は、ほぼ皆無だったのである。

 ところが、実際にホロ・トロが醸造所の中にはいってみると、意外なことに自分でもできそうなことが多いことに気づいた。

 蔵の中で行われる醸造などの微妙な部分にまでは流石のホロ・トロも介入できるとも思われなかったが、それ以外の部分は案外、ホロ・トロでもどうにかなる仕事が多かった。

 それ以外の部分とは、要するに原料やできあがった製品の搬出など物流関係になるわけだが、これらはだいたい決まった短い期間にいかに要領よく必要な仕事をこなすのかという発想が必要となる類の仕事だった。

 体が大きくて腕力が強く、そして常に大勢の人間に取り囲まれて育ったホロ・トロは、一時雇いの者たちを叱咤激賞し、ときにはみずからが率先して力仕事を行いつつ、巧妙に使役した。

 ホロ・トロは人あしらいという仕事に関して、天性ともいえる勘働きというものをもっていたのだ。

 ホロ・トロもこの時分には自分が難しいことを考える適性に恵まれていないことを自覚していたので、商品の製造や経営などについてはそういったことに詳しい部下たちに任せ、ホロ・トロ自身はあくまで自分でもできそうなことだけをやっていた。

 そうして数年が経過し、縁談を組まれるままにセッテマと結婚、それ以降はセッテマも醸造所の経営に参加し、同業他社を買収するやら醸造所を増設するやらを繰り返していつの間にやら五つの醸造所を切り盛りする身になっていた。

 これは酒の醸造所として、ドン・トロはおろかブラズニア公爵領の中でも随一の規模を誇る。

 そこまで規模が大きくなってしまえば、あのドン・トロの息子としての面目を保つのにも十分であった。

 反面、買収や増設に必要とした資金を借り受けた妻の実家や買収した醸造所に属する職人たちの扱いについて気を遣う必要が出てきて、ホロ・トロとしては肩身が狭い気持ちを感じることも多くなったのだが。


 そして現在、ホロ・トロは比較的信頼のおける部下たちをかき集めて、流民たちに占拠された醸造所へとむかっているところだった。

 ホロ・トロにしてみれば醸造所を占拠した連中もこれまでに使役して来た一時雇いの者たちの仲間であり、実際に顔を会わせてはなしをすればなんとかなるという思いがある。

 基本的に育ちがよく他人を疑うことを知らないホロ・トロは、ここに至っても自分がしでかした誤りについて強く自覚することなく、日雇い連中の賃金をさげるのがどれほど深刻な影響を与えるのかということを、理解するだけの想像力を欠いていた。

 よくいえば人がいい、悪くいえば他人の境遇に対して鈍感なホロ・トロは、この期に及んでも自分がそうした流民たちに強い敵意を抱かれているということを自覚していなかったのだ。

 多くの流民たちにとって、この時点でのホロ・トロは気まぐれな決定により何百人という仲間たちの生活基盤を根底から破壊しようとする敵でしかなかったのだが。

 そうして数十人で醸造所へと急ぐホロ・トロたちを見つめるドン・デラ市民たちのまなざしは冷たいものだった。

 多くの市民にとって醸造所占拠の件は所詮他人事に過ぎなかったのだが、それでもそれがきっかけになって流民たちの暴動が発生したことは理解している。

 市庁舎や衛士隊詰め所の数々が襲撃を受けた件を知らない者はほとんどいなかったし、便乗した流民たちが略奪騒ぎなどを起こすことを警戒し、多くの市民たちも武器を用意して警戒態勢に入っていたのだ。

 そうした余計な仕事を増やした原因はなにかといえばトロ家の連中であり、その中でもホロ・トロは流民たちが暴発をする直接的な原因を作った人間であると、多くのドン・デラ市民たちはこの時点で認識していた。

 しかし、例によって他人の気持ちに対してとことん鈍感なホロ・トロはそうした冷ややかな視線にもやはり気づいていなかった。


 結局、セッテマの奥方はホロ・トロの説得に失敗した。

 ホロ・トロは頭の働きが鈍いわりに、こうと決めたことに対しては妙にな頑固なことろがある。

 などとセッテマ奥方は心中で思い、軽くため息をついた。

 説得を試みるにせよ、武力に訴えるにせよ、今さらホロ・トロが流民たちになにをやってもたいした影響を与えることはできない、と、セッテマ奥方は思っていた。

 どうせ相手は統率を取る者を碌に居ない烏合の衆であり、二、三日様子をみていれば勝手に疲れるか分裂するかして、さほど労力を使うこともなく事態を収拾できるだろう、とも。

 明確に効果が望めるすでに対策案を持っているのであれば別だが、先ほどのホロ・トロの様子ではおそらくいつもの通り、出たとこ任せでその場になって思いつく程度のことしかしないし、できないだろう。

 そんなことをやってもなんの効果も望めないし、場合によっては流民たちの心証を悪くすることさえありえるのだが、例によってホロ・トロはそこまで未来のことを想像する能力を欠いている上、自分の能力について根拠のない絶大な自信を持っているのであった。

 そのあとに待っているであろう後始末の大儀さを想像すると、セッテマ奥方は軽い目眩さえ感じる。

 一応、グラウデウス公爵家の血筋を引いているとはいえ、かなり末端の分家に生まれ、世渡りなどに関してもそれなりに苦労してきているセッテマ奥方は、自分の足元に対して限りなく無頓着なまま育つことができてたホロ・トロのような人物を前にすると嫉妬と羨望、それに絶望とがないまぜになった複雑な感情を抱いてしまう。

 ましてや、そのまるで警戒ということをしない馬鹿が自分の配偶者であるというのだから、その将来は限りなく暗い。

 あの馬鹿。

 いっそのこと、この場で離縁してやろうか。

 と、そんなことさえ、考えていた。

 そんな風に考えごとをしているとき、不意に目の前の空間が揺らめいて唐突に人影が出現した。

 来たか。

 と、セッテマ奥方は思う。

 こんな現象を、セッテマ奥方は以前にも目撃した経験があった。

「本家の魔法兵がなんのようだい?」

 出現した魔法兵にむかって、セッテマ奥方は不機嫌な声で問いかける。

「ここはドン・デラ。

 ブラズニア公爵家の領地だよ。

 そんなところにあんたたちのような者が入りこんだが、なにかとややこしいことになるんじゃないのかい?」

「ご機嫌はあまり麗しくはないようですな。

 セッテマ・トロ様」

 出現した魔法兵は慇懃な態度で一礼をした。

「当地のおいてはすでにグラウゴラス公爵家の魔法兵が出兵しております。

 わがグラウデウス公爵家としても王国公爵家の一画を占める家としてはこのまま見過ごすわけにはまいりません」

「そういう建前はいいよ」

 セッテマ奥方はゆっくりとかぶりを振った。

「要するに、本家もドン・デラの利権が欲しいんだろ?」

 分家に属していた自分が三男のホロ・トロに嫁いでいる。

 その自分を助けるということを表向きの名目にして、このドン・デラでのグラウデウス公爵家の利権を少しでも確保しておきたい、というのが、こいつらの背後にいる本家の意思だということは容易に想像がついた。

「できればわたしの名は使ってもらいたくはないけど、やりたかったら勝手にしておくれ」

 セッテマ奥方としては、嫌み混りにそういうのが精いっぱいであった。

 グラウデウス公爵家に限らず、上級貴族のやつらとその配下の者が自分たちの面子とか利益を守るためにどれほど悪辣な真似をできるのものか、セッテマ奥方は熟知していたのである。

 どうせ逆らって無駄なのだから、できるだけ関わり合いにならないよう方がいいというのが、この手の連中に対するセッテマ奥方の遇し方であった。

「そのようにさせていただく所存です」

 その魔法兵は表面的にはうやうやしくこうべを垂れた。

「すでにホロ・トロ様が所有する醸造所を解放するため、仲間たちが現場にむかっております」


「なんだ、これは」

 ホロ・トロは目前の廃墟を見てそう呟いた。

「昨日までは、醸造所があったのに」

 ホロ・トロは五つの醸造所を所有していた。

 ここは、そのうちの中規模な醸造所があったはずの場所だった。

 しかし今は、ホロ・トロの言葉通り、焼け焦げた瓦礫の山しか残っていない。

 仮に火災があったにしても、この燃え方は異常ではないか、と、ホロ・トロは思った。

 これまでホロ・トロの元にどこかの醸造所で火の手が上がったという報告は届いていない。

 にも拘らず、ここまで綺麗さっぱり消失しているというのもかなり不自然であった。

 この世界では、一度発生した火災を消し止めるのは容易なことではなく、条件が悪ければ数日間に渡って延焼し続けることさえ珍しくない。

 にもかかわらず、ホロ・トロが移動している間に発生して、この醸造所内の建物だけをきっちりと燃やしたと、周囲に火を移すこともなくきれいに消火されているというは、かなり不自然だ。

 第一、この中に立て籠もっていたはずの流民たちにしても、そのほかの誰かにしても、ここに火をつけるべき動機を持っていないはずだった。

 流民たちが自分たちが居る敷地内の建物に放火した仮定するのは、あまりにも不自然ではないだろうか。

 あるいは、流民たちになんらかの恨みを持っている者がて、そいつがホロ・トロの醸造所ごと火をつけて浄化したとでも見る方がよっぽど納得がいく。

 いずれにせよ、昨日まで普通に存在した醸造所がこうして消し炭も同然の有様になっている様子を目の前にしたホロ・トロは、しばらくその場でなすすべもなく呆然としていた。

「ホロ・トロ様でございますね」

 不意に背後から、聞き慣れない声が問いかけて来た。

「わたくしどもは、グラウデウス公爵家の家中であります。

 主家の命により、ホロ・トロ様がドン・トロ氏の名跡を継ぐことを助力させていただきます」

 その耳障りな声を聞いたとき、ホロ・トロの背筋になんともいえない悪寒が走った。

 確かめなくても、この目前の不自然な火事にこいつらが関与していることはすぐに予測がついた。

「その助力とやらを断ったらどうする?」

 ホロ・トロは押し出すような口調で確認してみた。

「あなた様の意思はもはや関係ありません」

 その魔法兵とやらは、素っ気ない口調で答えた。

「ドン・トロの血を引くあなた様は、ただこちら側において健在であってくだされば、それでよい。

 あとのことはわたくしどもが万事よしなにやらせていただきます」

 一言でいえば、ドン・トロにはもはや選択権はないということだった。

「この火事で何人死んだ?」

「さあ」

 ホロ・トロの問いに、その魔法兵は首を傾げた。

「いちいち数を確認するいとまもありませんでしたから。

 おそらく千人に届くことはないとは思いますが」

 つまり、中に数百名単位の人間が立て籠もっていることを知りながら、中の人間ごと醸造所の建物を綺麗に焼き払った、ということだった。

「おれは、お前らが嫌いだ」

 ホロ・トロの口から、そんな言葉が漏れる。

「それは、お好きなように」

 魔法兵はホロ・トロの言葉によって感情を動かされた様子を一切示さず、その場で深々と頭をさげる。

「われら魔法兵は主家の命に従うのみ。

 本来ならば幾人かをホロ・トロ様の護衛として残しておくところですが、これよりわれらも多忙なりますゆえ、このまま失礼させていただきます」

 その言葉を最後に、その魔法兵は一瞬にして掻き消えた。


 それからいくらも経たないうちに、ドン・デラ中に散って情報収集にいそしんでいた洞窟衆の諜報部門がいくつかの魔法兵同士の戦いを観測した。

「魔法兵同士の、って……」

 その報告を耳にしたとき、ハザマは戸惑った様子で呟く。

「どこから湧いてきたんだ? そんなもん」

「おそらくは、グラウデウス公爵とグラウゴラス公爵の両家からではないかと」

 ヘルロイがそんな予想を口にする。

「このドン・デラでドン・トロが手にしている権益を考えると、公爵家が動き出しても不自然ではありません」

「長男と三男の嫁さんが、そっちの家の出だったけか」

 ハザマは、ぼんやりと呟く。

「なんかどんどん、こじれていくな」

「最初の口火を切ったのは、他ならぬあなたでしょうに」

 リンザが、思わずといった口調でハザマにツッコミをいれる。

「無責任に煽ったりするから、みんなやる気になっちゃんたんじゃないですか」

「……まあ、そういうことなんだろうな」

 数秒黙り込んだあと、ハザマはもっともらしい表情をして頷く。

「それで、周囲の被害状況は?」

「今の時点では、多少、路面や建物の壁面が焼け焦げる程度で済んでいるそうです」

 直属班の者がいった。

「ただ、なにぶん魔法兵同士の決闘ですから、なにかと派手なことになって普通の人間では仲裁したり介入したりすることは難しいようですが」

 そりゃそうだろうな、と、ハザマも思う。

「その件については、ブラズニア公爵家に伝えてあげてくれ」

 少し考えてから、ハザマはそう指示を出す。

 アズラウスト公子とその配下ならば、うまく扱えそうな気がする。

「そんなまわりくどいことをするよりも、アズラウスト公子に直接通信でお伝えする方が早く対応してもらえるかと思いますが」

 リンザが、即座にそんなことをいった。

「それもそうか」

 ハザマは頷き、すぐに通信でアズラウスト公子を呼び出す。

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