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トカゲといっしょ  作者: (=`ω´=)


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城壁のドン・トロ

 その使いの者に案内されて、ハザマたち一行はその日のうちにドン・トロ老が住まう場所まで足を運んだ。

 ドン・トロ老が住んでいるのは、なんのことはない。

 大昔、このドン・デラをぐるりと取り囲んでいたという城壁の一画であった。

 現在ではその城壁の外にまで建物が軒を連ねているわけだが、もともとこのドン・デラは城塞都市としての機能していた。

 現在では王国内の都市となっているためそうした城壁も無用の長物と化しているわけだが、石造りの頑強な建築物をあえて撤去するほどの財源もなく、そのまま補修されながら利用されている。

 居住性のことまで考慮された建造物ではないので、たいていは各種の工房や倉庫などとして利用されているそうだが、使者によるとこの都市随一の実力者であるドン・トロ老はわざわざそうした快適ではない場所を選んで住み着いているそうだ。

 それを聞いたとき、ずいぶんと酔狂なことだな、と、ハザマはそう思った。


 とにかく、重厚にして長大、ドン・デラの中央部と郊外部とを仕切っているその城壁は、巨大であるがゆえにかえって都市の風景と馴染んでいてかえって存在感というものがない。

 古くからの住人であればあるほどそこに城壁があることを意識せず、ましてやあのドン・トロ老がそんなところに住んでいるなどと思いやしない。

 そういう意味では完全に盲点であり、隠棲するためには手頃な環境であるのかも知れなかった。

 使者がいうには、城壁内部にいくつか同じような環境を整えている場所があり、ドン・トロ老は外来者から行方を隠すために数日ごとに居場所を転々としているという。

 大物であるドン・トロに渡りをつけてなにがしかの問題を解決しようとする者は、それなりに多いらしかった。

 そうした者たちの相手をするのが煩わしい、という気持ちは、ハザマにしてみてもよく理解できるのだが。


 城壁の中は、案の定薄暗かった。

 この世界の石造りの建物は総じて採光のことをあまり考慮していないのであるが、この城壁は建造された時代が古くこともあってかひときわその傾向が強い。

 使者は持参したカンテラに火縄式のライターで火をともすと、それでハザマたちの足元を照らすようにしながら城壁の中の長い長い階段を昇りはじめた。

 ハザマたちの方は、案内されるままに進むだけである。

「それで、なんだってドン・トロ老人が今になっておれを呼び出すんだ?」

 今さらではあるが、ハザマはそう訊ねてみた。

「用件についてはなんら知らされておりません」

 初老の使者の返答は素っ気なかった。

 とぼけているのか、それとも本当になにも知らされていないのか。

 判然としていなかったが、まあいいか、と、ハザマは思う。

 いずれにせよ、直にドン・トロ老と対面してみれば真相ははっきりするのである。

 それ以前に、ハザマはハザマでドン・トロ老に会う機会があれば、いいたいことがあったし。


 かなり長く階段を昇り、狭い通路を歩いてようやく古ぼけた扉の前にたどり着く。

「ドン・トロ様はこの扉のむこうにいらっしゃいます」

 使者の老人がいった。

「この先は、ハザマ男爵様だけでお願いします」

「おれだけか?」

 ハザマが微妙な表情になった。

「人払いをしたとしても、おれは必要だと思えばこの中の出来事をすべて他人にぶちまけるつもりだぞ」

「承知しております」

 老いた使者はそういって一礼した。

「その点については、男爵様のよろしいように。

 ただ、わが主人は男爵様と二人きりでの対面を望んでおります」

「二人っきりで?」

 ハザマは、少し驚いてみせた。

「護衛も召使もなしにか?

 ドン・トロともあろうお方が?」

「わが主人も寄る年波には勝てず、長いこと患いついておりますので」

 そういって使者はハザマを促した。

「今では身の回りの世話をする者も最低限しか置いておりません。

 どうか、男爵様のみでこの扉をおくぐりください」

 ハザマは微妙な表情のまま、その扉をノックする。

「洞窟衆のハザマという者です」

 そう名乗ると、即座に、

「入れ」

 と短い返答が返ってきた。

 年輪を感じさせる声だったが、想像していたよりは力強い。

「失礼する」

 そういい、ハザマは扉を開けて中に入る。

「なにしろ病床のことゆえ、このようななりで失礼する」

 寝台の上に半身を起こした、痩せた老人がハザマのことを見据えた。

 眼光が鋭い。

「わしが、塩売りのドン・トロだ」


 さて、この一代で巨万の富を築いた人物に対してハザマはどう対応したかというと、

「どうも」

 という、ごく短く芸のない発言で挨拶を返した。

「おれが、洞窟衆のハザマです」

 ハザマはハザマで、目の前の老人の血色の悪さに驚いていた。

 この老人の実子であるルノ・トロも顔色がすぐれなかったが、ドン・トロの顔色はそれにもまして血の気がない。

 あるいはドン・トロが体調も崩しているというのは人前に出ることを避けるための方便ではなく、本当のことなのではないか。

 ハザマはそんなことを考えた。

「人払いをして悪かったな」

 ドン・トロ老はいった。

「老いたりとはいえ、こんな姿をあまり衆目に晒したくはないのでな」

「それはいいのですが」

 ハザマはいった。

「今日は何用があっておれなんかを招いてくれたのですが?」

「惚けるな、若いの」

 ドン・トロは苦笑いを浮かべた。

「お前が塩賊からうちの子どもを選定するために遣わされたということはこちらでも把握しておる」

「それで」

 ハザマは短く先を促す。

「そのおれの仕事と、ドン・トロ様がこうして呼び出すことの関係が見えてきません」

「わしの跡目を誰にするつもりだ?」

「今の時点では、誰にとも」

 ハザマはいった。

「どれも、わしの基盤をそのまま引き継ぐような器量はなかろう」

「さて、その点は」

 ハザマは言葉を濁した。

「おれの口からは、なんとも」

「ふん。

 いわんでもわかっておる。

 揃いも揃って不出来な者たちだということはな。

 だからこそ、誰が跡目を継ぐのか、明確にすることができなかった」

「そのおかげでこちらはいい迷惑をこうむっております」

 ハザマはいった。

「ドン・トロ様が誰かを指名していたら、このような有様にはならなかったものを」

「さて、それはどうかな」

 ドン・トロは笑みを深くした。

「それぞれに財産を分配したとしても、息子どもはそれに不満を持ち、略奪や争いをはじめたに違いない。

 むろん、もっともらしい口実を設けたうえでな」

 市長である長男と衛士隊長である次男は、そうした口実を用意しやすい地位にある。

 いや、今までも、そうして陥れられて無実の罪で財産を没収されたものがいたのかも知れないな、と、ハザマは思う。

 あの二人が清廉潔白な身であるとも思えなかった。

「だとすれば」

 ハザマあえてそう指摘をした。

「身を挺してでもそうした不祥事を防止すべき立場にあるのは、ドン・トロ様なのではないですか?」

 別に親族が身内の不祥事を注ぐ義務があるとも思わないが、このドン・トロは命令ひとつ下せばそれくらいのことは造作もなくやってのけるだけの権力を持っている。

 ハザマが不審に思うのも、無理のないところだった。

「そうはいうがな」

 ドン・トロはそういってゆっくりとかぶりを振った。

「あれらも、もういい歳だ。

 いつまでも親がしゃしゃり出るのも世間体が悪い」

 世間体ねえ、と、ハザマは心中で嘆息する。

「それでは、ご子息たちの行動によって市井の人々がどんな被害をこうむっても構わないと、そうおっしゃるのですか?」

 そう、確認せずにはいられなかった。

 ハザマにいわせれば、出来が悪いと分かったうえでその息子たちに過分な権力を持たせたのは、このドン・トロ本人なのである。

「そう憤るな、若いの」

 ドン・トロはいった。

「わしの最初の妻は、このドン・デラの大地主でな。

 その妻が相続した財産を元にして、わしは現在ある地位の基盤を作った。

 その妻の血を引くものを市長の地位に据えることは、妻の親族の頼みでもある。

 わし個人の意向ではどうにもならないものもあるということだ」

「だったら、せめて」

 ハザマは続けた。

「ご子息たちがそうした要職に就くことが避けられないのだとしたら、せめて害のないふるまいを行うように、幼少時からしつけるべきではなかったのですか?」

 個人の価値観など、育ってきた環境や教育次第でいくらでも変わるとハザマは考えている。

 現在、ドン・トロの息子たちがあのような性格や行動パターンを有しているのは、つまりは親であるドン・トロの責任が大きかった。

「そこを突かれると痛いな」

 ドン・トロは軽く顔をしかめる。

「たしかにわしは、あやつらになにもしてこなかった。

 みずからの財を大きくすることばかりにかまけて、そのおかげでこの有様よ。

 家族のことなど顧みる余裕はなかったし、息子たちの養育に関しても少しも口を出してこなかった」

「その結果が、今のドン・デラの状態です」

 ハザマはいった。

「息子さんたちは、今にもこのドン・デラを壊しかねません」

「なにをいうか、この若造が」

 ドン・トロはまた、笑みを深くした。

「今、息子どもの対立を煽り、衝突をするように仕向けているのは貴様の手下ではないか」

 老いたとはいっても、流石はドン・トロ。

 こちらの動きくらいは、先刻ご承知ということか。

 まあ、このドン・デラは、この老人の庭先みたいなもんだしな、と、ハザマは思う。

 ハザマが諜報部門の者たちを通じて対立を焚きつけはじめたことも、すでに把握していたらしい。

「若いの。

 おぬし、うちの愚息どもを煽ってなにを企んでいる?」

 ドン・トロはそういってハザマの顔を睨んだ。

「なにって、そりゃ」

 ハザマはいった。

「塩賊に依頼された件に決まっているでしょう」

 相手がそこまで把握しているのであれば、ハザマとしても隠すべき意味がない。

「わしの跡目の件か?」

 ドン・トロはそういって目を剥いた。

「わざわざ騒ぎを大きくして、誰が得をする?」

「強いていえば、あなたの息子さんたちが」

 ハザマは平然とした顔で答えた。

「誰に決めても、どう決めても不満が出るんだ。

 だったら、お互いに実力行使をして決着してもらいましょう。

 幸いなことに、かなり前から小競り合いが頻発しているので地元住民の方々は自衛行動に慣れているようでしたし、物理的な被害に関しては、今ならば王国から補償もされる。

 いざというとき、地元住人だけでは手に負えなくなったときには、うちの者たちが応援に駆けつけるような体制も整えました。

 今ならば、やりたい放題やりあっても被害は最小限に留めることが可能です」

「故意に息子どもをいがみ合わせてるように仕向けたというのか!」

 ドン・トロは声を大きくした。

「なにをいっているんですか」

 ハザマは冷静に指摘をした。

「そういう土壌を作ったのは、他ならぬあなたご自身でしょう。

 身内の諍いを放置し、それが行き過ぎたときもまた放置し、いよいよ手に負えなくなっておれたちが出向いて来たらその方法にだけ文句をつける。

 あいにく、そんな勝手ないい分に耳を傾けるべき理由はこちらにはありません」

「ドン・デラが荒れるぞ!

 荒れ放題になるぞ!」

「破壊された建物などは、すぐに新しく立て直されます。

 費用は王国持ちでね」

「そうだ!

 ルノのやつはどうする!」

 ドン・トロは怒鳴った。

「あの子は最初から争う気がない!

 優しい、欲のない子だ!」

「ええ」

 ハザマは少しの間動きを止めた。

「たった今、うちの手の者がルノ・トロ氏の屋敷に入って防備をかためたということです」

「なに?」

「ルノ・トロ氏だけではなく、ご子息四人全員に対して、跡目争いに参加しないという意思を表明した場合はただちに洞窟衆がその身柄を保護するという書状を先ほど送ったのですよ」

 ハザマは説明する。

「あとの三人は、今のところこの争いから降りる気はないようです。

 あとはせいぜい、勝手にやらせておきましょうよ」

「洞窟衆のハザマ!」

 ドン・トロ老は叫んだ。

「それが貴様のやり口か!」

「争うのをやめろといってもやめる気がないのなら、被害を最小限に留めるための策を講じた上で、とことんやらせるしかないじゃないですか」

 ハザマは涼しい顔をして答えた。

「おれはあなたのご子息たちになんらかの命令を下すような立場にはありません。

 が、こちらの方針を伝えたうえで、塩賊から後継者の選定を任されたものとして、ゲームのルールを設定するくらいのことはできます。

 身に余る欲望を抑えることができない方々には、せいぜい殴り合って無駄に損耗して貰いましょう」

「貴様は!

 貴様はっ!」

 ドン・トロはそういって自分の胸を押さえた。

「ああ」

 ハザマは優しい声を目の前の老人にかける。

「あんまり興奮しすぎると、お体に障りますよ」

「わしはっ!」

 ドン・トロは叫ぶ。

「こんな結末を迎えるために、これまで財を蓄えて来たわけではなかった!

 なんだ、これは!

 ドン・デラの王といわれたこのわしが、どうしてこんな目に合わねばならない!」

 知らんがな、と、ハザマは心中でげんなりする。

 少なくとも息子たちの教育に失敗したのは、完全にドン・トロ自身の責任ではないか。

「他人に迷惑をかけないようにしましょう」

 レベルのマナーさえしっかり教え込んでおけば、少なくともこのような結末に至ることはなかったはずだ。


「ドン・トロ老。

 あなたは確かにこのドン・デラでは王様にも等しい存在なのかもしれません」

 内心の思いはともかく、口ではハザマは、そのようにいった。

「ですが、このおれはそのドン・デラとはあまり関わりがない余所者です。

 余所者であるおれが、この土地の王様に意向に縛られる必要もまた、ありません」

「洞窟衆のハザマよ!」

 ドン・トロはハザマの顔をまともに見据えてそういい放った。

「おぬしもいずれ、すべてのものに裏切られるぞ!

 みずからが生み出したすべてのものがおぬしの思惑を超えて暴走し、おぬしを苦しめることになろう!」

「それは、大変に結構なことですね」

 ハザマは涼しい顔をして答えた。

「そうなるときのことを、せいぜい楽しみにしていましょう」

 最後にそういい残して、ハザマはドン・トロの部屋から退出した。


 ドン・トロとハザマとは、その履歴において、一代で非常識なほどの立身を果たしたこと、その過程でやはり非常識なほどの財産と影響力を獲得したという共通点があった。

 ドン・トロの最後の叫びは、あるいは予言めいた響きを持ってハザマの耳に届いたのかもしれない。

 とはいえ。

「とっくの昔に、おれの手には余っているんだけどな」

 と、ハザマは思う。

 洞窟衆のことであった。

 暴走というのならば、すでに洞窟衆は暴走状態にある。

 ときとして、ハザマの予測を軽々と超えた動きをしてくるのだ。

 そしてハザマは、よほどのことがなければ、そうした暴走状態を抑制しようとは思っていない。

 自分は所詮この世界では余所者に過ぎず、洞窟衆に属しているのかいないのかに関係はなく、この世界での決定権はやはりこの世界の住人にある。

 そのような意識が、ハザマの中に強くこびりついているからだった。

 仮にこの先、洞窟衆の者たちがハザマの存在を疎ましく思い、追放ないしはそれ以上の行為に及んだとしても、ハザマはなんの抵抗もなくその決定を受け入れて追放されてやるつもりであった。

 現状でもいい加減、洞窟衆の頭目という地位が窮屈に思えるときがある。

 つき合いが長いリンザなどは、そうしたハザマの心情を敏感に察し、

「せめて三年は今の体制を維持してくださいね」

 と、釘を打ってきたことさえあった。

 そうしたことを考えると、ドン・トロ老の叫びは、ハザマにとってはあまり不吉な内容というわけでもなかった。

 未来のことはわからないが、まあ、なるようにしかならんか。

 と、ハザマは考える。

 つまりは、考えるだけ無駄ということだった。


 その晩、洞窟衆の使者がノル・トロの邸宅を訪れた。

 その使者をすぐに邸宅の中に通したノル・トロは、受け取った書状に目を通し、かすかに眉根を寄せた。

「つまりは、ここで父上の跡目に対して未練がない。

 それを受け取ることを放棄すると明言しさえすれば」

 書状から目をあげて、ルノ・トロは使者に確認する。

「わたしの身の安全は、洞窟衆の方々が保護してくださると?」

「そういうことです」

 洞窟衆の使者は小さく頷いた。

「万が一のことがありますから、絶対の安全は保障できませんが。

 それでも、御身を守るために微力を尽くさせていただきます」

「これと同じ書状を、兄上たちも受け取っているのですね?」

「まさしく、この瞬間に」

「これは、大変だ」

 ルノ・トロは、他人事のような静かな口調でいった。

「ドン・デラに、嵐が来る」


 その直後、ルノ・トロは洞窟衆に保護を求めた。

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