ドン・トロの使い
もちろん、ハザマは奥方の誘いを断った。
ただでさえややこしい状況なのに、さらに混乱を招くような真似をするべき理由がない。
「つれないねえ」
ハザマが断っても、奥方は特に気を悪くした様子も見せなかった。
駄目でもともと、冗談交じりにそういってみただけなのだろう。
だと、思いたい。
「このドン・デラで大きな顔ができるようになれば、相当の利権が手に入るよ」
「駄目なものは駄目です」
ハザマは強く拒絶した。
「金にしろ権力にしろ、今のおれは持てあますくらいに持っているますから」
今以上に欲張って、これまで以上にややこしい仕事を押しつけられたくはないというのがハザマの本音である。
このグラウデウス公爵家出身のホロ・トロの奥方の名は、セッテマ・トロというそうだ。
「わたしがこんなところに嫁いできたのは確かに本家の意向を受けたんだけどさ」
セッテマ奥方はいう。
「そりゃ、最初は貧乏くじを引いたと思ったよ。
でも、しばらく様子を見るうちに、これはこれでやり甲斐のある地位なんじゃないかと思いだしてね。
なんといっても、余剰の農産物を大量に仕入れる仕事だし、そうなると穀物相場なんかに与える影響も決して少なくはない。
王国経済そのものに直接影響を与えられる仕事なんて滅多にないってことに気づいてね。
本家をせっついて金を出させ、職人を集めて育てて醸造所もここまで増やし、さてこれから本格的に商売を広げようかというとこでこの騒ぎだ。
材料があがったらその分だけ売価に上乗せをすればいいだけのことなのに、それをしないで下の者に今以上の負担を強いようなんて姑息な手は、そうそう長続きしやしないよ。
それに、そんなことをすればその程度のことで安売りをしなければ売れない程度の酒だと自分で宣言しているようなもんだからね。
矜持を持って酒を醸している古手の職人ほど気を悪くするってもんだ。
こういうときは黙って値をあげて、そして相場が落ち着いてからもその値を固定しておけばいいだけのこった。
それで売れ行きが落ちるようなら、所詮その程度の品質でしかないってだけのことだろうに。
まったく、あの宿六は!
肝が据わってないっていうか腰砕けっていうか、とにっかく碌なことをしない!」
「は、はあ」
ハザマは適当に相槌をうっておく。
「たいした能がある男でもないけれど、一応このドン・デラでは顔役の息子だからとそれなりに顔を立てておいたらこのざまだ!」
セッテマ奥方は続ける。
「それで、無能であるだけならばともかく、有害であるというのならばこれ以上立てておく理由もない。
幸いなことに子どもはできているし、いい機会だからあの宿六にも出ていってもらおうと思ってね」
おれにはまるで関係のないことだな、と、聞きながらハザマは思っている。
正直、
「勝手にしてくれ」
としか思えなかった。
「職人をはじめとして下の者たちも、ホロ・トロよりは奥方様を信頼なさっているわけでしょう」
口に出しては、ハザマはそういう。
「わざわざ洞窟衆なんかに頼る必要は、どこにもないのではないですか?」
「でも、あんたはホロ・トロを潰したいんだろ?」
セッテマ奥方はにやりと笑った。
「だったら、利害は一致していると思うけどね。
誓ってもいいけど、うちの宿六は塩売りのドン・トロの跡目を継げるほどの器量はないよ」
「別にホロ・トロ氏個人に対してどうこうするつもりもありませんが」
ただ、成り行き次第で自滅したとしても、なんの痛痒も感じないだろうな、とは思う。
「まあ、塩売りの跡継ぎの件以外でも、あんた方洞窟衆には興味を持っていたところなんだけどね」
ハザマに拒絶されても関係なく、セッテマ奥方はまくしたて続ける。
「異邦人だかなんだか知らないが、随分とやりたい放題にやっているようじゃないか」
「どの事業のことをさしてそうおっしゃっているのかわかりかねますが」
ハザマは冷静な声で返した。
「要請や需要があるからこそ、われわれの働きも世に知られているわけでして」
「わかっているよっ!」
セッテマ奥方は軽く顔をしかめる。
「ただ、あんまり急進しすぎると頭の固い連中がなにかとうるさくなってくると思ってね。
ブラズニア家の坊やや嬢ちゃん、それにニョルトト家の跡継ぎとも随分と仲よくやっているようだが、これからのことを考えると他の公爵家との関係もよくしておいた方がいいだろう?
このドン・デラにはうちだけではなく、他の公爵家も随分と投資を重ねているようだから、今回の件もうまく捌かないと買わなくてもいい恨みを買うことになるよ!」
さて、これは脅しか売り込みか、それとも親切心から出た忠告か。
いや、そのすべてか、とハザマは思う。
「さっきもいったように、ホロ・トロ氏をその稼業から追放することに加担する気はありません」
ハザマはいった。
「われわれには、そんなことをしなければならない動機も理由も持たないからです。
ホロ・トロ氏がドン・トロ老の跡目を継ぐほどの器量がないというご意見も、参考として胸に留めておきます。
事業経営者としての才覚はともかく、ホロ・トロ氏は連絡の取れなくなったご家族のことを大変心配しておいでです。
この先どうするのかについて意見を述べる立場にありませんが、とりあえずは一度連絡を取って、ホロ・トロ氏を安心させてやってはいかがですか?」
そういって、ハザマはセッテマ奥方に用意していた通信タグを渡す。
「へえ、これが通信タグってやつかい」
小さな革製のタグを指でつまみ、セッテマ奥方はそれをしげしげと眺めた。
「噂には聞いていたけど、見るのははじめてだよ。
これ、どうやって使うんだい?」
「それはホロ・トロ氏が持っているはずのタグと専用の通信タグになります」
ハザマは説明した。
「肌と接触した状態で、心の中ではなしかけてください。
相手もタグを身に着けた状態なら、そのまま会話が可能なはずです」
「へえ。
随分と簡単なんだねえ」
セッテマ奥方はそういった直後、目を見開いた。
「あ。
本当に聞こえた。
ああ、あんた、今洞窟衆の……」
「あの、声に出さなくても通話は可能ですから」
ハザマはそういったあと、すぐに立ちあがる。
「ホロ・トロ氏のご家族の安全を確認し、もし可能ならば醸造所内から退避させるというのが今回おれたちに与えられた仕事でした。
この場に居たままでもご家族に危害が加えられる心配はなし。
そして、ホロ・トロ氏ともこうして連絡が可能になった以上、われわれとしても頼まれた仕事は果たせたものと判断します。
それではセッテマ・トロの奥方。
われわれはここでお暇させていただきます」
セッテマ奥方の返事を待たずに、ハザマは控えていたリンザとヘヘルロイに合図をしてそそくさと客間を出ていく。
正直なところ、これ以上、ホロ・トロ周辺の問題に深入りしたくはなかったし、この家の使用人たちもハザマたちが退出するのを特に咎めることもなく送り出してくれる。
「思ったよりも早く出られたな」
ホロ・トロの屋敷から出ると、すぐに杜氏のカマスに声をかけられた。
「あの奥方のことだ。
もっと長々と引き止められると思ったのだが」
どうやらこのカマスは、わざわざハザマたちが退出するまでこの場で待ってくれていたらしい。
「なかなか押しの強い方でしたね」
ハザマは簡単に感想を述べた。
「だが、あの方が残ってくださったおかげで、この醸造所は静かでいられる」
杜氏のカマスはそう説明してくれる。
「他に四つほどあるホロ・トロの醸造所では、衛士隊やホロ・トロが雇ったチンピラどもと激しい抗争を経験しているそうだ」
カマスがわざわざ、
「あの方のおかげで」
などというのは、こんな騒ぎになってもセッテマ奥方が自分の意思で醸造所の外に出ず、その事実を外部の者たちが人質に取られていると解釈して余計な刺激を与えないよう、余計な手出しを控えていたためであった。
「でも、そのすべてを押し返したんでしょ?」
ハザマはいった。
ハザマにしてみれば、ずっとのこの醸造所に居る筈なのにかなり離れた場所にある他の醸造所の様子までこのカマスが細かく把握していることの方が驚きだった。
「今のところはな」
ハザマが確認すると、杜氏のカマスは重々しく頷く。
「だが、これからはどう転ぶかわからん。
うちの職人や労務者どもも腕っぷしはそれなりだと思うが、時間が経てば経つほど疲労もたまるだろう」
いずれにせよ、五つある醸造所の職人や下職の労務者たちがなんらかの方法で横の連絡を取り、連携しているのは確かなようだ。
「お疲れ様でした」
醸造所の門扉を出ると、洞窟衆実働部隊の隊列を背にしたイリーナから声をかけられた。
中での出来事はだいたいリンザが通信を介して中継していたはずなので、このイリーナも大枠は把握している。
「いやいや」
ハザマはゆっくり首を振る。
「そんなことよりも、無駄足を踏ませて悪かったな」
「余計な交戦をしないですんだのは、むしろ幸いです」
イリーナは真面目な表情で答えた。
「今回のこれは、訓練の一環とでも考えることにしましょう。
こいつらにもちゃんと給金を払っているわけですから、その分は働いてもらわないと」
「それもそうか」
その言葉に、ハザマも頷く。
「それでは、ここで案件はここで終了。
もう解散させていいぞ」
「それでは、余計な混乱が起きないよう、各自の宿泊場所まで行軍してから解散させます」
イリーナがそう復唱してから合図を送ると、隊列は一糸も乱れがない動きで即座に動き出す。
イリーナ自身は、その場に残っていた。
「男爵がこの中に入っている間にも」
イリーナはいった。
「他の醸造所関連で何度か小競り合いが起きたようです。
少なからず死傷者も出ているとか」
「勝手にやらせておけ」
ハザマはいった。
「基本的な方針として、うちから余計な手出しをすることはない」
「了解しました」
「近隣住人からの協力要請とかは?」
「相変わらず、ありません」
ふむ。
このドン・デラの住人は、この程度の混乱では動じないということか。
ハザマはそんなことを思った。
ようやく、ズベレズラ准男爵邸に帰ることができた。
「男爵様にお客様が見えていますよ」
帰るなり、准男爵婦人にそんなことをいわれた。
「皆様のお部屋に案内しています」
ここでいう皆様のお部屋とは、つまりはハザマたち洞窟衆が会議室兼現地指令室として使用している大部屋である。
さて、このタイミングで訪ねてきたのは誰かいな、とか思いつつ大部屋に入ると、
「やあやあ。
どうもどうも」
などと屈託のない笑顔を浮かべた塩賊のギッシュが出迎えてくれた。
「なんだ、あんたか」
ハザマは不機嫌な表情を隠そうともしなかった。
「なんだ、とはご挨拶ですな」
塩賊のギッシュは口ではそういったものの、その割には大して気にも留めていないない様子だ。
「ところで、男爵。
これで男爵は、トロ家の後継者候補四人と対面したわけですが」
「よく知っているな」
ハザマはいった。
「監視でもつけているのか?」
「その辺はご想像にお任せします」
ギッシュはすました顔で続ける。
「実際に会ってみて、よさそうな者はいましたか?」
「正直、どれもパッとしないなあ」
ハザマはいった。
「誰を選んでも、ドン・トロ老ほどの働きをすることはないだろうよ」
「それについては、重々承知しております」
端的なハザマの意見に対して、ギッシュも大きく頷いた。
「ドン・トロ老は稀代の傑物でして、それと同等とかそれ以上の働きをすることはわれら塩賊も求めておりません」
「現状維持程度で満足できるのならば、誰を選んでも大差はなかろうよ」
ハザマは吐き捨てるようにいう。
「それぞれに短所や長所はあるんだろうが、四人ともまるっきりの無能ってわけではなさそうだ」
「それ、本気でおっしゃっていますか?」
ハザマの言葉を聞くと、ギッシュは目を眇めてハザマの顔を軽くにらんだ。
「お前さんがどういう解答を望んでいるのかは知らないがな」
そんなギッシュにむかって、ハザマはいった。
「あの四人の中から選ぶのなら、誰になってもたいした違いはないように思える。
結局は、その周囲の者たちの苦労が増えるだけだろうってところまで含めてな。
長男はグラスゴウス侯爵家から、三男はグラウデウス公爵家からそれぞれ嫁さんを貰っているんだっけか?
このドン・デラにおいて、そうした王国有力貴族の影響力がこれ以上強まると、お前ら塩賊としてはやりにくくなるんじゃないのか?」
「その辺の事情は、あまり考えなくとも結構です」
ギッシュは即答した。
「男爵は男爵の思うがままに、選定をしていただければ」
「そうかい」
ハザマは不機嫌な表情を崩さずにいった。
「おれはてっきり、ドン・トロ老の跡目が誰に決まったとしてもどこからか不満が出るから、余所者のおれに選定役という損な役割を押しつけたのかと、そう思ったんだがな」
「その辺は、ご想像にお任せします」
ギッシュはそういうと、にやりと笑った。
「それでは、まだこの時点では男爵は誰にとも決めかねると、そういうことでよろしいですな?」
「ああ、それでいいよ」
ハザマは頷いた。
「ひとつ確認しておくが、選定する基準は完全におれに任せてくれるということだったよな」
「はい」
ギッシュも頷いた。
「それが前提であり、そういうことでなければわざわざ男爵に頼むことはありません」
「その言葉、忘れるなよ」
「それで、実際にはどうするつおりですか?」
ギッシュが帰ってから、リンザがハザマに確認をする。
「そろそろだいたいの方針でも伝えておかないと、実働部隊も困ると思うのですが」
「やつらにはしばらく、待機させておけ」
ハザマはいった。
「難しく考えることもない。
どうせ旅費は王国持ちだ。
今のうちに、せいぜい骨休みをさせておけ」
「つまり、当分出動することはないと?」
「たぶんな」
そういってから、ハザマは慌ててその言葉を取り消した。
「いや、相手の出方次第だから、実際にはどうなるのかはわからんが。
だが、おそらくはそんなに大したことにはならないと思う。
少なくとも、おれたち洞窟衆にとっては」
そしてハザマは、現在抗争している選定方法についてその部屋に居る者たちに説明をしはじめた。
「そいつはまた」
ハザマの説明をすべて聞いたあと、ヘルロイが眉根を寄せて感想を述べた。
「えらく傍迷惑な方法ですな。
つまり、このドン・デラの民にとっては」
周囲に居た直属班の者たちも、大きく首を振って頷いていた。
どうやらそのヘルロイの感想は、その場に居合わせた全員に共通したものであるらしい。
「物質的な損害に関しては、王国に保障させるという言質を取っている」
ハザマはそう指摘をする。
「なんのためにここ数日、ドン・デラの有力者たちに挨拶回りをしてきたと思っているんだ?
それに、あの兄弟たちにしても、おれみたいな他人がいきなりしゃしゃり出てあなたがドン・トロの跡目です、なんて指名をしたところで、到底納得なんかしないだろう。
その点、この方法だと、どういう結果になろうが納得しないわけにはいかない」
「これまでそんなことを考えて行動していたんですか」
リンザはそういって、ゆっくりと首を振っている。
「あなたらしいといえば、確かにあなたらしい」
「お前は納得してくれたのか?」
「どちらかというと、呆れているんですよ」
リンザはいった。
「こんな方法、普通、思いついたとしても実行に移そうとはしないものですけどね」
「だが、後腐れがない方法でもある」
ハザマはその点を指摘した。
「仮に誰かを指名したとしても、その決定に不満を持つものが残って、洞窟衆がここから離れた途端にまた暴れだしたりしたら、それこそ元の木阿弥だろう?」
「現実には、そんなにうまくはいかないと思うんですが」
リンザは、なおも抗弁しようとした。
「なんのための諜報部門だよ」
ハザマはいった。
「こういうときにこそ、活用しなけりゃそれこそ宝の持ち腐れだ」
ハザマがそこまでいったとき、大きなノックの音がして大部屋の扉が開いた。
「ハザマ男爵様を訪れた使いの者が来ております」
扉をいくらか開けた状態で、ズベレズラ准男爵家の使用人が告げた。
「こちらに通しても構いませんでしょうか?」
「どなたが遣わした者か、名乗りましたか?」
その問いに直接答える前に、ハザマは確認した。
「塩売りのドン・トロ様に仕えている方だと名乗りました」
使用人はあっさりとその名を告げた。
「ほう」
ハザマは口の端を吊あげて、答える。
「このタイミングで、あの老人が接触してきますか。
結構です。
その使いの方は、そのままこちらまでお通してください」




