醸造所の中
『西の醸造所へ集合する件だがな』
表面上、
「早ければ早いほどいい」
とはいったものの、ハザマは通信ではそれとは裏腹なことをいっていた。
『できるだけゆっくりと、ドン・デラに居合わせた人々に見せつけるようにしながら集合させてくれ』
『また示威行動ですか?』
イリーナの理解は早かった。
『それもある』
ハザマは、そう説明する。
『あとは、この状況下でも洞窟衆が人質救出のために動いたという事実を印象づけるため。
それと、どうもこの件は裏がありそうな予感がするんだよな』
『裏、ですか?』
『経営者の家族を人質に取っているにしては、たて籠っているやつらがそのカードを切ってこないのが気になる。
だって、人質なんてそういう交渉カードにしか使いようがないだろう?』
『……確かに』
少し考える間をおいて、イリーナから返答があった。
『交渉材料に使えない人質なんて扱いが面倒なだけです。
わざわざ確保をしておく意味がありませんね』
『そう。
交渉に使うつもりがなかったら、さっさと開放してしまえばいいんだ』
ハザマはいった。
『というわけで、諜報部門は引き続きこの件に関するより詳細な調査を頼む』
後半は、ズベレズラ准男爵邸に詰めている直属班の物への伝言であった。
『了解しました。
諜報部門の者に、醸造所内にまで潜入させましょうか?』
『今からか?』
ハザマはいった。
『必要ない。
かえって目立つし、第一、もういくらもしないうちにおれたちがそちらに到着する。
自分の目でみて、そのあと直接やつらと交渉してみるさ。
イリーナたち実戦部隊も、現地に集合後も決してこちらからは手を出さないように。
自衛のため、あるいは周辺住民に被害が及びそうな状況になった場合のみ、交戦を許可する』
『交渉をはじめる前にこじれたら、元も子もありませんからね』
『そういうことだ』
以上のような打ち合わせはすべて、ホロ・トロの手下に案内されながら移動する途上で行われている。
そんなやり取りをしている間にも、西の醸造所へむかう洞窟衆の軍勢を見かけることがあった。
彼ら実働部隊はドン・デラ内のほうぼうの宿屋に分散して宿泊していたので、ばらばらな場所から数人ずつ出発して途中の路上で徐々に合流していく形になる。
ズベレズラ准男爵邸にいる者たちがドン・デラの地図を見ながら通信で介して各部隊を誘導しているわけだが、三々五々にばらばらの場所から集まって来て、特に連絡を取り合っている様子もないのにいつの間にか合流をして隊列を作っている実働部隊は、ドン・デラの住人たちに強い印象を与えることになる。
軍旗を掲げ隊列を組んでいる以上、秩序だった動きをするのは当然のことであったが、通常の軍隊ならばならば大きな音がする楽器を合図に足並みを揃えるのがこの世界での常識であった。
そうした合図の存在もなしに黙々と集合し、そして集合したあとはどんな軍隊よりも機敏に動く洞窟衆の軍は、傍からはかなり異様に見えるはずであった。
『醸造所の様子はどうか?』
誰にともなく、ハザマは質問を発する。
『不自然なほどに、静まり返っています』
現地に居る誰かが、間髪入れずに答えてくれた。
『中には少なく見積もっても数百名単位の人間がひしめいているはずですが、そんな気配を感じないほどです』
不自然に、か。
ハザマは心中で呟いた。
やつら、単なる暴徒ではないのかも知れないな、と、そんな思いが脳裏をよぎった。
勢いで暴発しただけの群衆なら、もっと騒ぐものではないだろうか。
ホロ・トロの家族を利用する様子がないことといい、ハザマの中で醸造所を占拠した連中への違和感は膨らむばかりだった。
ホロ・トロが所有する西の醸造所は、ドン・デラの城壁から外に出てしばらく移動した場所にあった。
ハザマ商会がある場所もそうだが、たとえドン・デラであってもここまで郊外にくれば、地価なども相応に安くなる。
規模の大きな醸造所を作るのには条件のいい立地だったのだろうなと、ハザマはそんなことを思った。
その醸造所の正門前に、洞窟衆の軍旗を掲げた集団が整然と列を作って待機していた。
ハザマが指示した通り、不用意に中にいる連中を刺激したりはせず、その場に立ち尽くしているだけだ。
その列はまだまだ集合している途中であり、あとから合流してきた連中が無言のまま列の左右に立って列を伸ばしていく。
そうした様子を周囲の建物の窓や屋根の上に昇って見物している物見高い地元住民も少なからずいるようだった。
ハザマたち洞窟衆の兵士たちはそれなりに武装してはいるものの、ひどく静かな様子であったから警戒心がうまく働かないのかもしれない。
「門を突破して突撃しますか?」
ハザマの顔を見るなり、イリーナがそんなことをいいだす。
「それは最後の手段にしておけ」
それがイリーナなりの冗談であることを理解しながら、ハザマはそう応じる。
「まずは、交渉が可能かどうか試してみる」
「こちらを、直属班の方から預かっています」
イリーナはそういって一枚の通信タグをハザマに手渡した。
「間に合ったか」
ハザマはそういって、イリーナから通信タグを受け取った。
「こいつがあると、助かる。
それで、連中の様子は?」
「相変わらず、中に閉じこもったままです」
イリーナは説明した。
「他の醸造所へは何度かドン・デラの衛士隊が突入を試みているそうですが、この西の醸造所はご覧の通り、静かなものです」
そうした衛士隊の試みは、すべて退けられているはずだった。
「もう誰か、中に呼び掛けてみたか?」
「いえ」
イリーナは軽く首を振った。
「まだなにもしていません。
男爵が来るのをお待ちしていました」
「状況は理解した」
短く答えると、ハザマは正門の直前まで堂々と歩いていく。
「誰か聞いているか?
聞いているのならば、返事をしてくれ!」
そして、門の中にむかって、大声で叫んだ。
「おれはハザマ。
洞窟衆の、ハザマ・シゲルという者だ!
この中にたて籠もっている者とはなしたいことがある!」
「洞窟衆だと?」
意外なことに、すぐにしわがれた声が反応した。
「なんだって洞窟衆が、こんな場所に出てくる!」
その返答から少し間をあけて、白髪の初老の男が門の上にひょっこりと頭だけを出した。
どうやら、脚立か梯子に乗っているらしい。
「あんたが、たて籠った連中の代表者か?」
ハザマは、その老人に訊ねた。
「いいや、違う」
老人は即答する。
「たて籠った連中を支援をしている、杜氏のカマスだ」
「杜氏だって?」
ハザマはその返答を訝しんだ。
「なんだって杜氏が、日雇いの下職に加担しているんだ?」
そうした下職と歴とした技術を身に着けている杜氏とでは、立場もおのずから違ってくるはずだった。
「そのあたりに事情について説明すると、少々長くなる」
杜氏のカマスはいった。
「お前さんがあのハザマだというのが本当ならば、説明しても構わんだろう」
「おれが偽物に見えるか?」
ハザマはいった。
「見えんな」
杜氏のカマスはそういって、素直に頷く。
「ドン・デラに洞窟衆の軍隊が来ていることは知っているし、その風体となにより肩の上のトカゲは真似のしようがない。
真似をしても意味がない」
「では、はなしを聞いてくれるんだな」
「ああ」
杜氏のカマスは、また頷く。
「そちらのいうことも聞きたいし、お望みならばできる範囲内で説明もしよう。
それ以上になんだってあんたみたいなのがこの場に出張ってきているのか、そちらの事情も知りたい」
そういうとカマスは頭を引っ込めて、それとほぼ同時に木製の門が重たい音を響かせて開いた。
「そちらの軍隊までは入れないでくれ」
人がようやく通れるくらいの隙間が開き、その門のむこうから杜氏のカマスの声が響く。
「洞窟衆のハザマと、それとともの者数名程度ならば、そのまま中に入ってくれて構わない」
「それじゃあ、おれ以外に二名、合計三名でそちらに行かせてもらう」
ハザマはそう返答したあと、手でリンザとヘルロイだけ同行するように合図をした。
還暦くらいだろうか。
間近で見る杜氏のカマスは、ハザマが予想していた以上には小柄な老人だった。
「洞窟衆というのは民草の味方だそうだな」
杜氏のカマスは、ハザマを見るなりそんなことをいい出す。
「別に味方をしているつもりはない」
ハザマは正直なところを口にした。
「無駄に虐待をするほどに悪趣味ではないというだけだ」
「そう返すか」
杜氏のカマスはそういって軽く笑い声をたてた。
「ますます重畳。
声高に善行を求める者ほど胡散臭いものだ」
「もう少し落ち着いてからなら無駄なおしゃべりもいいんだが」
ハザマはいった。
「今はもう少し差し迫った用件がある。
たて籠った連中の代表者とはなしをしたい」
「おう」
杜氏のカマスは
「今、案内をする。
ついてくるがいい」
門の中に入るといく棟かの古ぼけた建物があり、その間には石畳の通路もある。
通路は貨物用の馬車がいきかうことを想定しているのか、道幅はかなり広く具体的にいうと往路と復路、二台の馬車がすれちがってもまだ余裕があるほどであった。
醸造所だけで小さな町になっているようなものだな、と、ハザマは思う。
「洞窟衆の青銅管はよく買っているんだぜ」
歩きながら、杜氏のカマスはそんなことをいい出しだ。
「ポンプや水車も発注はしているんだが、生産が間に合わないらしくてな。
今だにひとつも届いてない」
「毎度どうも」
こういう場所では水の扱いが肝心だからな、とか思いつつ、ハザマはそんな風に答えておく。
「意外と静かですねえ」
「無駄に騒ぐなと厳命している」
杜氏のカマスは答える。
「これまで働いてきた分の不払いなら打ちこわしくらいはしているかも知れんが、今の状態だとホロ・トロに損害を与えるとかえって不利になる」
交渉のための駆け引きの一環だろうか。
「そんなもんですか?」
「そんなもんだ」
「杜氏といえば立派な職人でしょう」
ハザマは気になっていたことを訊ねた。
「立派かどうかは知らんが、職人ではあるな」
「その職人がどうしてまた日雇いに肩入れしているんです?」
「なに、今回のことは完全にホロ・トロの勇み足だ」
杜氏のカマスは答えた。
「ただでさえギリギリの給金だというのにこれ以上に賃料を引きさげたとしたら、流民を通り越してそれこそ浮浪者くらいしか仕事の引き受け手がいなくなる。
そんな不潔な連中を倉にいれたらまともな酒も醸せなくなるし、第一、原料の値があがっているのに酒の値を据え置くというのは実質値をさげているのと変わらない。
おれたちはそんな安い仕事をしてはいないし、そんなこすい商売を続けていればいずれは先細りになる。
ホロ・トロのやつには今のうちに灸を据えておくのがよかろうと思ってな」
「はぁ」
ハザマは不明瞭な返答をした。
「職人の矜持というやつですか」
正直なところ、ハザマにはピンと来ない心理であった。
「そんなあやふやなもんじゃねえや」
杜氏のカマスは笑みを漏らした。
「ものにはそれぞれ、適当な値段ってもんがある。
矜持だなんだという前に、労力に対してしかるべき金を用意していく気風を守っていかないと、職人も手を抜くようになる。
できあがってくる、酒もどんどん質の悪いもんになっていく」
ただそれだけのことさね、と、杜氏のカマスはいう。
つまるところ、このカマスをはじめとする杜氏たちは、ホロ・トロの経営方針に反対する立場であり、下職の造反に加担することによってその方針を改めるよう、ホロ・トロに迫っているというところなんだろうな、と、ハザマはそう納得した。
少し歩いたら、これまでに見た建物とは明らかに趣の違う邸宅に到着した。
「ここがホロ・トロのやつの屋敷だ」
その屋敷を前に、杜氏のカマスはそんなことをいう。
「心配するまでもなく、中のやつらには指一本触れてない。
会いたいっていうんなら、このまま訪ねてきな」
「遠慮なく、そうさせて頂きます」
ハザマはそういって頷いた。
これまで聞いてきたことからも分かるように、たて籠り側は案外理性的な判断に基づいて行動している。
ホロ・トロの家族に手出しをしていないというのも、おそらくは本当のことだろう。
「すいませーん」
ハザマはそのままその屋敷の玄関前まで進み、扉をノックしながら大声をはりあげた。
「ホロ・トロ氏の使いで来ました!
どなたか、いらっしゃいませんか!」
「なんだい、やかましい!」
まるでハザマの出現を予測でもしてたかのように、身なりはいいがふとましい体つきの中年女性が二階の窓から首を出した。
「せっかく寝ついたところなのに、うちの子が起きちまいじゃないか!」
「あれが、お前さんが会いたがっていたホロ・トロのかみさんだ」
うしろで、杜氏のカマスがハザマにむかって説明してくれる。
「そっちのことは勝手にやってくんな」
「お騒がせして申し訳ありません」
とりあえず、ハザマは下手に出ておく。
「さっきもいったように、ホロ・トロ氏の使いの者です。
中に入れてもらえませんか?」
「なんとまあ、あの宿六がねえ」
ホロ・トロの奥方はふん、と鼻を鳴らした。
「そこまで気を回せるほどの知恵はかろうじてあったようだね。
それで見ない顔だけど、あんたの名は?」
「ハザマといいます」
ハザマは素直に名乗った。
「洞窟衆のハザマです」
「洞窟衆のハザマだって!」
そう聞くなり奥方は大きく目を見開き、そしてケラケラと笑い声をあげた。
「なんだってあんたみたいなのが、あの宿六の使い走りなんてしているんだい!」
「こちらにもいろいろと事情がありまして」
ハザマはいった。
「説明しだすと長くなります」
「いいだろう。
今、鍵をあけさせる」
奥方はハザマに告げた。
「中に入んな」
屋敷の中に通されたハザマたちは一応は客扱いだったらしく茶なども給され、まずここまで足を運んだ理由について奥方に説明をすることになった。
なぜハザマがドン・デラまで赴いてきたのかといったところからはじまってトロ家の三兄弟とのやり取りまで説明をしなければならなかったので、必然的にしばらくはハザマが一方的にしゃべり倒すことになる。
一通りの説明を聞いたあと、奥方は一言、
「なるほどねえ」
とのみ呟いた。
「そちらの事情については、おおかた飲み込めたと思うよ」
「それで、皆さんはここに軟禁されているわけではないのですか?」
ハザマは疑問に思っていたことをここにきてはじめて問いただすことができた。
この奥方もだが、屋敷の中の使用人たちの様子も平静そのもので、とてもではないが人質にされている者の態度ではない。
「はん」
そのハザマの疑問を、奥方は鼻で笑った。
「醸造所のやつらの性根がそこまで据わっているもんかね。
これでもわたしは、公爵家に連なる者だよ」
そういや、そうだった。
そう指摘をされて、はじめてハザマはその事実を思い出した。
そりゃ、嫁いだとはいえ公爵家の血筋に危害を加えれば、それこそホロ・トロに逆らうだけでは済まない苛烈な報復を覚悟しなけりゃならないだろうなあ、と、ハザマも予想する。
どう考えても、わざわざそんな真似をするメリットはひとつもないのだった。
「それでは、この屋敷の皆さんは、人質としてここにいるわけではないんですね?」
ハザマは、そう確認する。
「だったら、なんだって外と連絡を取ろうとしないんです?」
「取る必要がないからさ」
奥方は平然といい放った。
「今回のうちの宿六のやり方は、どういう観点から見ても誰も得をしない。
しばらくやきもきさせておくくらいでちょうどいいのさ」
「はあ」
ハザマは曖昧に頷いた。
「確かにホロ・トロ氏は、ご家族のことをかなり心配しておいででしたね」
つまりは、この奥方も杜氏のカマスと同じく、ホロ・トロが示した経営方針に強い不満を抱いたので、それに反対する意思表示としてあえてこの屋敷に留まって連絡を絶っている、ということらしい。
ホロ・トロの経営的判断については、ハザマは論評する立場にはない。
ないわけだが、同情混りに、
「どんだけ身内から信頼されていないんだよ、あの人」
とか、思ってしまう。
「この際、あんな無能な宿六のことはどうでもいいさね」
奥方はそんなことをいい出した。
「嫁いできたときには裏から牛耳ってやろうかとも思ったんだが、ここまで醜態を晒すとあってはこのわたしも考えを改めた。
いい機会だから、あの宿六を放り出してドン・デラの醸造所はこのわたしが取り仕切ろうと考えている」
「はあ、なるほど」
ハザマは適当に相槌を打っておいた。
そうした造反劇も、ハザマにとっては完全に他人事である。
「鈍いねえ、あんた」
奥方はさらりととんでもないことをいいだす。
「わざわざこの場でこんなことを口にしているんだ。
少しはその意味を考えておくれ」
「と、いいますと?」
「あんたら洞窟衆も、このちゃぶ台返しに加担しないかって誘っているのさ」




