洞窟衆の流儀
どうやら王子様はかなりの負けず嫌いのようだった。
チェスとか将棋とかリバーシとかのボードゲームで片っ端からハザマに勝負を挑んでくる。
ハザマとてそうしたゲームに熟練しているということもないのだが、基本的な定石くらいは弁えている。
対して、王子さまの方はこうしたゲームに接しはじめてからまだ日が浅く、十分な攻略法の研究を行うだけの時間的な猶予というものを与えられていない。
結果、当然のことのようにハザマの勝ち越しになった。
全戦全勝とまではいかないが、王子様の勝率はだいたい三割前後といったところか。
ハザマにしてみれば、かなり健闘しているように思える。
しかし、王子様の方にしてみればこの結果は
かなり面白くないらしく、先ほどからリバーシの盤面を前に俯いて、細かく肩を震わせていた。
チェスや将棋はまだしもマシだったが、王子様はリバーシが決定的に弱かった。
「これで気が済みましたか」
ハザマは、王子にむかってそう訊ねた。
相手の立場が立場であるゆえに粗略に扱うわけにもいかず、かといってここまでしつこく食い下がられると流石のハザマでもいい加減、げんなりとしてしまう。
こんなところでお子様の相手をしている場合でもないんだがなあ、というのがこのときのハザマの本音であった。
ドン・デラの件について、あるいは、今後の対王国側への対応などについても、すぐにでも一度領地に帰って相応の準備をする必要があった。
これでなかなかハザマも多忙なのである。
「多忙であるというのか?」
上目遣いにハザマの顔を見あげてホランジョ・メレディアス王子が問いただしてきた。
「実は、かなり」
ハザマは素直に頷いた。
「先ほど、お父上からかなり難儀な仕事を押しつけられたところでして」
「どのような困難が待ち受けているというのか?」
「そうですね、たとえれば」
ハザマはほんの少しの間、考えてから答えた。
「そちらのチェスや将棋は所詮盤上の遊戯ですから、かなり単純化されています。
今回、王子様のお父上からおれが貰った仕事は、一度に四人の王将やキングを相手にしてそのすべてに勝てと、そんなことをいわれているのに等しい」
「一度に四人の、だと?」
ホランジョ王子はハザマの顔をみあげてまじまじと見つめた。
「そんな無茶な。
たった一人を相手にするのにも全力を尽くさねばならないというのに。
それが、一度に四人もの相手をしろだと?」
「それが現実なのですからしかたがありません」
ハザマは澄ました顔で答えた。
「そして、その現実にうまく対応するためには、相応の準備が必要となります」
「わかった」
ホランジョ王子は頷いた。
「公務があるというのならば仕方がない。
長く引き留めて悪かったな」
「いえいえ」
ハザマは、案外素直じゃないかとか思いつつ、そう応じる。
「それでは、われわれはこれでお暇させて頂きます」
「今しばらく、待ってくれ」
ホランジョ王子はハザマを引き留めた。
「多忙なところ悪いが、少しだけこれのコツを教えてはくれまいか?」
そういって、リバーシの盤面を指さす。
「最初からあまり貪欲にならないことですよ」
ハザマはそう答えた。
「序盤から駒を取りすぎると、後半から終盤にかけて打つ手がなくなってくる。
とれる駒をすべて取ろうとするとかえって将来の選択肢が狭まるわけです」
ホランジョ王子から解放されて、ハザマたちはようやく王宮をあとにすることができた。
「茶番だなあ」
というのがハザマの素直な感想であった。
ホランジョ王子のご機嫌取りのことだけではなく、王様との謁見などについてもハザマは「仰々しいだけで無駄な儀式だ」くらいの感覚しか持っていない。
無駄だよなあと思いつつも半ば強制的につき合わされる身としては、もっとシンプルにいかないものかと思うわけだが、だがよくよく思い返してみればハザマの世界においても特に権威を必要とする場ではそれなりに儀式めいたことがなされていたわけであり、こういうのは必ずしも社会体制のせいであるばかりとはいえず、むしろある程度複雑な構造を持つ社会であれば避けられないことなのかもなあ、と思ったりもする。
そもそも、王国から男爵号を下賜されている身分である、つまりは歴とした貴族の一員であるハザマ自身が、ここに至っても相応の自覚を持っていないのが一番の原因になるわけだが。
つまりハザマはいまだに自分の立場に自覚的になれず、いつまでもミスキャストで自身に相応しくはない配役を押し付けられた三流役者のような気分でいることが一番の原因であるわけなのだった。
環境が人を作る、などいう者もいるようだが、このハザマの場合、いつまでも元の世界での感覚が抜けきらず、こちらでの立場などに順応しようとしないハザマの心性が原因なのではないか、と、ハザマ自身も思う。
貴族だろうが洞窟衆の首領だろうが、もう少しそれらしくなりきって見せれば違和感も軽減するだろうにと、そう思わないでもないのだが、どうやらハザマは、自分で思っていたよりも流されにくい気性であるらしかった。
いいかえれば、流されにくく、醒めている。
もう少しそれっぽく、与えられた役割になりきって見せれば確かに気持ちは楽になるんだろうけどな。
とか、思わないでもないのだが、ハザマはいまだに洞窟衆という今ではかなり大きな規模を持つ組織の最高責任者としての自分、あるいは王国貴族としての自分と、本来の、つまり二十代半ばのこれといった長所を持たない青年としての自分との間に齟齬を感じていた。
こちらでのハザマの価値を客観的に考慮してみると、そうした地位よりも異邦人としての自分、つまりは元の世界での価値観を揺るがずに持ち続け、結果としてそのことによってこちらの世界になにがしかの影響を与え続けている、という役割が一番大きい。
だから少なくとも当面の間はこのままでいいか、と、ハザマは結論づけた。
他人が押しつけてくる役割にいちいち合わせてやる必要もないか、と。
そんなことを考えながら宿屋を引き払い、ハザマたちはハザマ領に帰還した。
これからなにをするにしても相応の準備をする必要はあり、たとえば身ひとつでドン・デラに赴いてもできることは限られている。
なにより今後の指針を固め、身内で意思を統一しておかないとたいしたことはできない。
関係者を集めて情報を交換し、今後具体的にそれぞれの部署がなにをすべきなのか決定しておく必要があった。
そのためには、関係者が多く集まっているハザマ領内に一度戻るのが、一番手っ取り早かったのである。
仮庁舎に戻ると執務室のハザマの机に分厚い紙束が置かれていた。
なんだこれは、と疑問に思いながら手にしてパラパラとめくってみると、どうやらドン・デラの件を引き受けたことにより発生する王国からの報酬について、こちらから要求する事柄をまとめたものであるらしかった。
その企画書は、タマルとルアの連名だった。
ハザマはその企画書を読み、読んだ端からリンザに紙片を手渡していく。
リンザも読み終えた紙片をすぐに側にいた直属班の者に渡す。
「どう思う、これ?」
そうして王都から帰ってきた者たちが企画書すべてを読み終えると、ハザマはそこに居た者たちに意見を訊いてみた。
「おれは、なかなかいい案だと思うけど」
「現実的な線ではありますね」
リンザが答えた。
「王国の側がこの企みの意図をどこまで正確に推し量れるのかまではわかりませんが」
「一部の能吏は別にして、王宮のやつらはこちらのことなんてあまり本気で考えていないからなあ」
直属班の者がそういった。
「案外、あっさりと承認するんじゃないですかね」
「先々に対する影響力をろくに予想せずに、な」
別の直属班の者が、そうつけ加えた。
その企画書には、王都やドン・デラ、その他の王国内の人口密集地帯に、段階的に洞窟衆の出張所、出先機関とでもいうべき施設を設けるという案が書かれていた。
そこで通信所、印刷所、私塾を兼ねた業務を継続的、複合的に行い、洞窟衆の主導により優秀な人材の育成に努める、というわけである。
表面的な理由としては、狭いハザマ領内での人材育成事業にも限界があり、それならばいっそのこと、人材が流出してくる元の場所で育成事業を行い、そこで育った人材をハザマ領に送る。
あるいは、そうした人材はそのまま現地において活用されても構わない。
洞窟衆側も無償で教育事業を行うわけではなく、なにがしかの知識や技術を教授する対価として相応の金銭を得ることになるわけであり、どっちに転んでも損はしないようになっているのだ。
そうした出先機関が設けられる場所にとっては、こうした事業は一種の失業対策にもなるわけで、反対すべき材料がほとんどなかった。
「見る者が見れば、露骨な文化侵略だと気づくよなあ、これ」
というのが、この企画書に対するハザマの感想である。
教育に、出版に、通信。
現在、洞窟衆が持っている情報関連の技術を、洞窟衆の流儀を王国内部の影響力の強い地域で活用していく。
その結果、どうなるのかというと、つまりは洞窟衆的な価値観、ものの見方が、時間が経てば経つほどほど、広い範囲に影響を増していくはずであった。
おそらくは、王国内の識者がそうと気づいたときには、すっかり手遅れになっていることだろう。
洞窟衆的な価値観が広まれば、従来の、古典的な価値観がそれだけ損なわれることになる。
目に見えぬ、物理的な破壊行為は伴わないものの、これは一種のテロ行為にも等しいのではないか。
ハザマは、呆れ半分にそう思う。
「ここまでやって、いいんだろうか」
誰にともなく、そう呟く。
「いいんじゃないでしょうか」
そのハザマの呟きを拾ったのは、傍らに居たリンザであった。
「そもそも、これまでやってきたことの延長でしかありませんし。
それに、王国のどんな法を見てもそれに反してはいません」
「そりゃ、そうなんだろうが」
ハザマは渋い顔をした。
「同じことをやるにしても、ハザマ領内でやるのともっと広い、人口の集中した地域でやるのとでは、情報の伝播力とでもいうべきものがまるで違ってくる。
この先、どんな影響が出てくるのか、予測がつかないことになるぞ」
これまでだって洞窟衆は決して自重してきたわけではなかったのだが、それでもこれまではあくまでハザマ領内から積極的に外に出ていこうとはしていない。
そうする意思を持たなかったというよりも、次々と襲い来る状況に対応するのに追われて結果として外部に進出する余裕がなかっただけのことではあるが、とにかく、洞窟衆が積極的に外部の諸勢力に対して干渉を行って来なかったのは事実なのであった。
出版物のその他の洞窟衆の産物が間接的になんらかの影響を与えてきたことはあるだろうが、それは積極的な介入とは呼べまい。
「遅かれ早かれ、こういうことはやることになると思いますから」
リンザは澄ました顔をしてそう指摘をした。
「王国側がドン・デラの件の報酬としてなにかをしてくれるというのでしたら、これくらいのことをしてもらってもいいんじゃないでしょうか?
あまり無欲にしすぎても、今度は要らぬ疑心を招きそうですし」
「あくまで、王国側の要請に従った形でこの案を出すのか」
なるほど、と、ハザマは思う。
この時点でこうした要求を出しておけば、むこうから見れば、確かに水をむけられたのをいいことに、洞窟衆側が過分な野心を刺激されたかのように感じるのかも知れない。
王国側は警戒をしつつも、洞窟衆も理解可能な論理で動いていることを知り、安心するかもしれないな、と、ハザマも思う。
「第一、こちらがこうした要求を出したとしても、王国側が受け入れてくれるかどうかはまた別の問題になりますし」
リンザは、慎重な口ぶりでそう続ける。
「試すだけ試してみてもいいのではないですか」
「試すだけでも」
ハザマはそう呟いて頷く。
「駄目元で、ということか」
確かに、こうした提案が拒否されたとしても、洞窟衆が痛手をこうむるわけではない。
「仮に、王国側がこの提案を呑んだとして」
ハザマはそう続ける。
「ドン・デラだの王都だのに新しく拠点をつくるとなると、それなりの資金が必要となる。
その点は……」
「ちゃんと見積もりがあがっていますね」
リンザは企画書の紙を見ながら静かな口調で指摘をする。
「これによると、比較的地価の安い郊外を狙って用地買収をするそうです。
試算によると、現在の洞窟衆の資産状況ならばさして無理をせずにいけるとのことです。
それに、そうした拠点を築いたらお金も出ていく一方ではなくて、それなりに収益も増えるということですから、そんなに心配する必要もないかと」
「まあ、その手の計算ならばタマルがやっているんだろうけどな」
ハザマもリンザの言葉に頷く。
その企画書は、財政部門のタマルと人材育成部門のルアの署名が入っていた。
「それに、ハザマ領内部だけで人材の育成を行うのも、そろそろ量的に限界に来ているそうですから」
リンザは、一枚の紙片をハザマに示す。
それによると、現状ではハザマ領に集まってくる人数と比較すると用地開発がまるで追いつかず、住宅をはじめとする施設が絶対的に不足しがちであるという。
「すると、ベレンティア公爵領を貸してくれるっていう王国側の提案は」
「それなりに、こちらにとってもありがたい申し出であるといえますね」
ハザマの言葉に、リンザが頷く。
「王国側がどこまでハザマ領の現状を把握しているのかまでは知りませんが」
「まあいいや」
ハザマはいった。
「その提案にせよドン・デラの件にせよ、この時点で気を揉んでも仕方がない。
どちらももう少し詳細を詰めてから実行に移すことにしよう」
ということで、ハザマは関係者各位を招集するように指示を出した。
具体的には、財政部門のタマル、人材育成部門のルア、戦闘部門からファンタルとイリーナ、発足したばかりの外交部門からニライア姫と他に数名、諜報部門からも代表者であるオットル・オラ他数名が出席するようだった。
ドン・デラの件のみならず、ハザマ領が今後王国にどう対応していくのかという方針も含めて議題にあげるということにした。
これまでそうした方針についてもその場の勢いとかあるいはハザマ個人の判断に任せてきた経緯があるのだが、ハザマ領という領地を獲得した上、組織としてもここまで規模が大きくなってしまうと、こういう機会にでも内部の意見を統一させておかないとなにかの拍子に分裂しかねない。
洞窟衆も身内だけのなあなあで大事な指針を決めていいような時期はとうの昔に脱しているのだった。
「詳しい経緯はすでに聞いていることと思うが」
会議室に集まった面々を前に、ハザマはそう口火を切った。
「ドン・デラの騒動を洞窟衆で収めることになった。
これは王国首脳部と、それに塩賊からの依頼だ。
確証はないのだけど、印象としてはどちらかというと塩賊が王国に働きかけて、この仕事を洞窟衆に振るように仕向けたみたいだ。
断ったら王国だけではなく塩賊をも敵に回すことになるから断れなかった」
「このタイミングで塩の供給が絶たれるようなことがあったら、領内でももちろん困りますがそれ以上に山地方面から不満が噴出します」
タマルが説明を補足する。
「山地ではただでさえ食料が不足しがちで不満や鬱憤が溜まっているところですから、ここで塩の供給が絶たれたらそうした不満が平地との橋渡しをしているこのハザマ領にぶつかれることも十分にあり得ます。
この場合、事実上、断る道はなかったでしょうね」
「そういうことだな」
タマルの説明に対して、ハザマは頷いてみせる。
「その仕事を受けるのは別にいいんだが、やる以上は期待されている以上の働きをしておきたい。
国境紛争からこのかた、うちはずっと王国から頼まれている仕事には常に十分以上の成果をあげてきているし、今後ともそうありたいと思っている。
第一、半端な仕事をして王国の連中から蔑まれるのも面白くない。
今回の件に関しても、完璧以上の成果をあげることを目標とする。
これが、今回の議題の一点」
ハザマはここで一度言葉を切った。
「そのドン・デラの件について、詳細に算段するのはまたの機会にする。
なんといっても現地の情報が不足している。
今の段階でできるのは、この時点でどういう準備をすればいいのかとかそういう打ち合わせだけだ。
で、あともう一点の議題なんだが、今回の件は王国の側もかなり無理をしてごり押ししてきた自覚があるらしい。
報酬としてベレンティア領の地所をいくらか分割して長期にわたってハザマ領に貸しつけることを検討しているようだ。
それ以外にも報酬を用意するとの言質を国務総長から貰ってきた。
これについては、タマル」
「王国内の人口が集中している各都市に、洞窟衆の拠点ともいうべき施設を順次設ける許可を洞窟衆側から提案する予定です。
拠点といっても軍事的な意味合いではなく、通信や出版、教育などを前面に押しだした洞窟衆の出先機関のようなものを考えています。
商業的な採算のことも考慮しているわけですが、今回の場合、それ以上に重要なのは長期的な影響力になります。
一定水準以上の知識を持った人間を同時に各地で育成していけば、労働力の水準も底上げされます。
結果、各種の産業が活発化します。
同時に、洞窟衆が編纂した知識が、各産業の基盤に、共通言語になります」




