オルダルトの来訪
その日の晩、王国に仕える洞窟衆つきの官吏オルダルト・クロオルデルが宿屋を訪ねてきた。
このオルダルトとは、ハザマ自身が直接対面するのはひさかたぶりのことであるのだが、なにしろ、洞窟衆にとっては王国側の窓口になる人物である。
洞窟衆の他の者たち、特に公館組のハヌンやカレニライナとは毎日のように顔を合わせているという。
明日、ハザマたちが実際に王宮に足を運んで国王と謁見するにあたって、事前に打ち合わせをしておきたいということであった。
「と、いわれてもなあ」
と、ハザマはぼやく。
「肝心の用件についてなにも説明されていないから、こちらからはなんともいえない」
「それについてですが」
オルダルトは簡単に説明してくれた。
「予定では、ドン・デラでの騒動について、その収束を洞窟衆に依頼することになっています」
これについては、事前にバグラニウス・グラウデウス公子から漏らされていた通りであったので、ハザマにしてみても驚きはない。
「だったら、断ることになるな」
ハザマは即座にいった。
「うちは、ドン・デラの情勢とはまるで関わりがないし、それに、迂闊に手を出すには問題が大きすぎる」
塩賊とやらが介在していることもあるし、ドン・デラの情勢が正確に把握できないこともある。
安易に引き受けてしまったらこちらの損害が増えるばかりの、ひとことでいってしまえば洞窟衆にとっては旨味がまるでない案件なのであった。
「それは、できればしていただきたくはない」
オルダルトは、真剣な面もちでそういった。
「王室の威光に泥を塗ることになります」
「と、いわれてもなあ」
ハザマはいった。
「ひどく面倒な上に、かりにうまくやりおおせたとしても、関係者各位からの恨みを買うばかりの仕事だ。
できれば手を出したくはないと思うのは、自然なことだとは思うけど」
別に足下をみていっているわけではなく、洞窟衆にしてみれば、実際にやりたくない、やったとしても得るところがあまりにも少ない、やるだけ損な仕事なのである。
「仮に、この仕事を無事に成功したとしたとしたら、王室からも過分の報償が送られることでしょう」
渋るハザマに対して、オルダルトはそういった。
「具体的にいうと、ベレンティア領の利権、その一部を、十年以上、ハザマ領に貸与することを王宮は考えております」
そう来たか、と、ハザマは思う。
この申し出案自体は、ハザマたちが予想した中にもあったものであったので、さして意外には思わなかった。
「そいつは、気前がよすぎないか?」
ハザマが、確認してみる。
「どうしてもというのなら、受けてやらないこともないけど。
だけど、そんなものを気前よくおれたちに渡してしまったら、他の王国貴族の中には、結構不機嫌になるやつらもで出てくるんじゃないかな」
ベレンティア公爵領の扱いについては、王国内でもかなり揉めていると以前から聞いていた。
これは、報償にみせかけた嫌がらせに近い、というのが、ハザマの素直な感想である。
もしもそんな報償をハザマたちが受けてしまえば、ベレンティア領の利権を狙っていた貴族たちの憎悪がかなりのところ、洞窟衆にむかってくることは分かり切っている。
「とはいえ、ハザマ領に隣接する領土の支配権を、一時的とはいえ預けられることはそちらにとっても大きな利益になるのも確かでありましょう」
オルダルトは平然とした顔をして、そういう。
「今後の領地経営にも大きく貢献することかと思います」
「利益もあるけど、マイナス面も大きいな」
ハザマはぼやいた。
「王国にしてみれば出血大サービスなのかも知れないが、こちらにしてみれば嫌がらせにも思える」
ハザマの、正直な感想だった。
面倒な仕事の対価として、難ありの報償を用意されてもねえ、とか、ハザマは思う。
それでやる気を出せといわれても、モチベーションがあがるわけがない。
「王宮は、ハザマ男爵による領地経営の手腕を高く評価しております」
オルダルトはいった。
「前例のない施策ばかりをしているのに、そのすべてがことごとくうまくいっている。
手の入っていない森林地帯であったハザマ領でさえあれほどの成果を出しているのだから、現ベレンティア領をしばらく使わせてみたらさらなる発展を望めるであろうという声があがっております」
ドン・デラの件の報償として用意してはいるのだが、決してそれだけではない。
と、オルダルトはそういいたいようだった。
「そちらの都合はさておき、おれたちの方から見るとなあ」
ハザマは、あえて、そういってみた。
「正直、ありがた迷惑っていうか。
ハザマ領の開発事業だってようやく先が見えてきたところだっていうのに。
この上、領地がいきなり増えても、面倒が増えるだけっていうか」
領地経営に関わる人員も、ようやくどうにか落ち着いてきたところなのだ。
この上、さらに仕事が増えるとなると、また仕事ができる人間を増産するしかない。
もちろん、領地開発に必要となる資金も、今以上に必要となってくる。
管理すべき土地が増えることは、必ずしもいいことばかりではないよなあ、と、ハザマは思う。
数年から数十年をいう長いスパンで見ればいずれ黒字になるのだろうが、短期的に見るとハザマ領の財政に大きな負担をかけることにもなりかねない。
いきなり、
「やる」
といわれても、すぐに、
「はい、そうですか。
ありがとうございます」
と頭をさげて押しいただく気にはならない褒美であることは確かであった。
まあ、ハザマ領にさらなる負担をかけることも、この報償の目的ではあるんだろうが。
とも、思った。
「報償のことはさておき」
ハザマは、話題を変えることにした。
「なんだってドン・デラの問題を、おれたちが処理しなけりゃならないんだ?
ドン・デラがあるブラズニア公爵の頭越しに勝手にそんなことを決めても、いいもんなの?
この前にあったとき、アズラウスト・ブラズニア公子は上から手出し無用の厳命がだされているってかなり不満そうでしたよ?」
筋からいっても、ドン・デラの問題に洞窟衆が出張るのはおかしいのではないか?
そいう、問題を提起してみた。
「それは」
オルダルトは難しい顔つきになる。
「実は、ドン・デラの問題については、すでに王国とかブラズニア公爵領だけの問題ではなくなっているのです」
なんだ、それは?
と、ハザマは疑問に思った。
「王国とかブラズニア公爵領だけの問題ではないって、他にどこがドン・デラのことを問題にするっていうんですか?」
そのまま、疑問を口にしてみる。
「端的にいうと、塩賊になります」
オルダルトは答える。
「その塩賊から、是非洞窟衆の方々にこの件を解決に当たらせてくれ、との申し出がありまして。
王国としても無碍に断ることができる相手でもなく」
「なんだ、そりゃ」
思わず、ハザマはそう口に出していた。
「いや、ドン・デラを牛耳っていって人が塩賊と関わりがあるとは耳にしています。
つまり、ドン・デラの騒動って、結局はその塩賊が元になっているわけじゃないですか。
その塩賊がなんだって、おれたちに尻拭いを依頼してきて王国までその後押しをしてくるんですか!」
筋違いもいいところだ、と、ハザマは思う。
「そういいたくなる気持ちも十分に理解できますが、王国にしてみても、塩の流通を握っている塩賊の願いを無碍にすることはできません」
オルダルトはハザマの説得を試みる。
「正直にいいますと、王宮の中では今回の件について、洞窟衆に任せることに反対する声も多かった。
これはなぜかわかりますね?」
「妬まれているからだろう」
ハザマは即答する。
「なんだかんだで、洞窟衆の存在感は大きくなる一方だ。
これ以上に功績をたてて王国内で大きな顔をされるのを嫌う勢力も、決して少なくはないはずだ」
「その通りです」
オルダルトは頷く。
「ここ最近、王国内におびただしい富が流入してくる一方、その富の行き渡り方が決して公正なものではないと感じ、不平を抱きはじめている者たちが増えております。
そうした不平分子は、これ以上、洞窟衆に対して増長する機会を与えるべきではないと考えているようです」
「でも結局、塩賊とやらのいう通りにするわけだ」
ハザマはいった。
「おれとしては、その不平派たちにもっと頑張って貰いたかったけどな」
「彼らは結局のことろ、なんらかの理由で時流に乗り損ね、そのことで逆恨みしているに過ぎません」
オルダルトはそういって肩をすくめる。
「そんな人たちには、自分の意見を通すために有効な運動を起こすことさえできないでしょう」
そんな甲斐性があったら、そもそも時流に乗り損ねていない、というわけであった。
「それに、塩賊が本気で望んでいることをはねのけるだけの力は王国にはありません」
とも、つけ加える。
「ついでにいえば、ドン・デラの件も、おれたちが失敗すればいいと思っているやつらが多いってわけだな」
ハザマはあえてそう指摘をしてみた。
「それとも、成功したとしても、そこに至るまでに無駄に消耗してしまえばいいと」
「そのように考えている人たちは多いのかも知れませんね」
オルダルトは認める。
「それが王国貴族の中で多数派を占めているとは思わないで欲しいのですが」
「それはいいよ、もう」
ハザマはいう。
「王国の中も一枚板ではない。
ある程度の大きさの組織では、別に珍しいことではないしな。
それに、おれたち洞窟衆だって自分たちが憎まれるはずがないと思いこめるほどにはナイーブでもない。
なんらかの直接行動に出てきた場合は別として、ただ遠くでやっかんだりなんだりするだけならばせいぜい好きにやらせておくさ。
そんなことより、おれたち洞窟衆がそのドン・デラの件を引き受けなかったらどうなるの?」
ここで、ハザマは最初の問いに帰ってきた。
王国が洞窟衆にその仕事を依頼するのはいい。
しかし、洞窟衆の側がその仕事を断ることはできないのか? と。
「できれば素直に引き受けていただきたいものですが」
そう前置きしたあと、オルダルトはいった。
「仮に男爵がお断りになったとしても、王国としてはなにも困ることはありません。
そもそも、塩賊がわざわざ指名をしてこなければそちらに持ち込まれることがなかったはずの案件です。
しかし」
「しかし?」
ハザマは聞き返す。
「罰則かなにかを押しつけてくるのか?」
「先ほどもいいましたように、王国からはなんの沙汰もないはずです」
オルダルトは、ハザマの疑念を否定する。
「王国からはなにもないのですが、そのかわりに、塩賊からはなんらかの報復措置があるのではないかと予測されます」
「具体的には?」
眉根を寄せながら、ハザマは確認する。
「考えられるのは、ハザマ領に流入する塩の物流量の、極端な軽減。
ないしは、断絶ですな」
オルダルトはいった。
「塩賊のいつもの手口です」
「ハザマ領に入ってくる塩がなくなれば」
ハザマは一瞬、呆気に取られてしまった。
「ハザマ領だけではなく、山地のかなり広大な地域で塩が不足することなる」
山地でも若干の岩塩は採取できるのだが、当然のことながら、それだけで膨大な人口を支えるのは不可能であり、食料と並んでこの塩も、恒常的に平地部からの輸入に頼っている。
そしてハザマ領は、今ではその平地から山地への輸入経路の、かなり重要な一部を担っていた。
つまりは、そのハザマ領に塩が入ってこなくなると、かなり大勢の人々が生命の危機にさらされることになる。
事実上、この膨大な人口すべてを人質に取られているようなものであった。
「ですから、先ほどからお断りになられない方がよろしいと、再三申しているわけです」
オルダルトは真面目な表情のまま、そう結論した。
決して得心のいく結論ではなかったわけだが、これでは引き受けることを前提に考えておいた方がよさそうだ。
ハザマも、そう考える。




