再訪の王都
王都行きの準備はすぐに終了した。
実のところ、ハザマ領を出立できる用意は、かなり以前からなされていたのであった。
少し揉めたのは、同行する者の人選くらいか。
直属班の者が数名に、護衛役のヘルロイ・スデスラス。
それに、今回は本人の希望により、リンザも同行するという。
「人もだんだんと育ってきましたから、領地の方にはもうわたしがいなくても大丈夫かと」
とは、本人の弁であった。
が、それを聞いたハザマは、
「十代半ばの少女の台詞じゃあないな」
と、かなり呆れたものだった。
つまりは、これまでの洞窟衆の在り方がいかにいびつなものであったのか、改めて認識した。
それ以外に、アレルとエレルの双子もハザマたちに同行したがった様子を見せていたが、これについては当然のように無視される。
遊びに行くわけでもないのに、まさか子連れでいくわけにもいくまいという、ごく当然の判断であった。
そうした状況をどこまで理解しているのか、双子たちはなんとなく機嫌を損ねた様子だったが、この頃には直属班の者たちも以前よりは双子の扱いになれてきていたので、特に問題はないだろうとハザマは判断している。
「それじゃあ、いってくるわ」
としゃべった次の瞬間には、ハザマたちは王都にあるハザマ領公館の中に居る。
ハザマはこの公館に来るのはこれがはじめてのことだったが、ハヌンとカレニライナが出迎えてくれたのですぐにここが公館の中だと悟ることができた。
ハザマたちに続いて、直属班の者たちも転移魔法使いに伴われて次々と同じ室内に姿を現す。
すでに何度も経験しているのだが、やはり便利この上ないなあ、この魔法。
などと、今さらながらにハザマは思う。
「王宮に到着したという報せをやってくれ」
ハザマはすぐにハヌンにむかっていった。
「使いを送るのはすぐにでもできるけど。
でも、いいの?」
ひさびさに顔を合わせるハヌンはそういって首を傾げる。
「せっかく王都に来たんだし、あちこち見物してからの方がよくない?」
「悪いが、おれはこんなところで観光をする趣味はないんだ」
ハザマはぶっきらぼうな口調で答えた。
「王宮の出方によって、またすぐに忙しくなる。
面倒な用事は」
避けて通りたい、といいかけ、ハザマはその言葉を飲み込む。
「さっさと終わらせたい」
かわりに、そういった。
「想像していた以上に狭いな」
というのが、ハザマ領公館に対するハザマの感想だった。
「そりゃ、ね」
ハヌンは肩をすくめる。
「この過密な王都で、急場にこれだけの物件を押さえることができただけでも感謝しなけりゃ」
ここはあくまで公館としての代表連絡先であり、実際の事務処理などはいくつかの事務所に分散して、そこで行われているということだった。
その中には、ハザマ商会の支社の片隅を借りているところなどもある、ともいっていた。
「ハザマ領自体が場当たり的に立ちあげられた領地だから、こうした急場しのぎも仕方がないことなのか」
とも、ハザマは思った。
その狭い室内で、ハザマ領から来た連中は小さくなって固まっていた。
「それで、なんだって王宮から呼び出しがかかったの?」
ハヌンが、そう訊ねてくる。
「わからん」
ハザマは首を振った。
「推測していることはあるが、呼び出し状には明確な理由は書いていなかった」
「相変わらず、出たとこ任せねえ」
ハヌンは、ため息混じりにそんないい方をする。
呼び出された理由が明示されていないのは、別におれのせいではないんだがなあ、と、ハザマは思う。
ハザマは、今度はカレニライナの方に振り返って声をかけた。
「クリフはガダナクル連邦で元気にやっているようだぞ」
「知っている」
カレニライナは素っ気なく答える。
「手紙は途切れることなく交換しているし」
それくらいことはやっているか、と、ハザマも納得する。
離れて生活していても、数少ない肉親同士だものな。
「それより、領地の様子はどうなの?」
カレニライナは身を乗り出してきた。
「かなりいろいろあったようだけど」
この公館の連中は、どうもハザマ領のことを「領地」と呼ぶようだ。
「確かに、いろいろあったけど」
ハザマは、いいよどんだ。
「さて、どう説明したものかなあ」
公館の連中は、果たしてどこまでハザマ領での子細を把握しているのか。
それがハザマにはわからなかったので、とっさに答えを返すことができなかった。
「なにについて知りたいんだ?」
そこでハザマは、逆にそう訊き返す。
「領地ではなにが流行っているか!」
カレニライナは即座にそういって顔を輝かせた。
「だって居留地って、各国から偉い人たちが集まる場所なんでしょ?
そんな居留地に隣接している領地で、どんな服やお化粧が流行っているのか、とても興味があるわ!」
そっちか、と、ハザマは思う。
いや、年頃の女の子らしい関心のありようだとは思うのだが。
「……リンザ、頼む」
そちらの方面に対して興味も関心もないハザマは、すぐに返答をリンザに丸投げした。
リンザを連れてきてよかった。
このときのハザマは、本心からそう思った。
そんな四方山話をしているうちに、王宮に出した使者が帰ってきた。
「明日、出廷すること、だって」
その使者が持ち帰った書状を見て、ハヌンがいう。
「こうして王国印が捺された書状を貰ってみると、本物の貴族にでもなった気分になるわね」
「本当の貴族なんだよ」
ハザマはいった。
「残念なことに」
「知ってるけど」
ハヌンもいった。
「だけど、いまだに現実感がないっていうか」
そういいたくなる気持ちも、わからないではない。
つい半年ほど前まで、このハヌンはアルマヌニア公爵領奥地の森の中にある、開拓村の娘に過ぎなかったのだ。
別の世界からやってきたハザマの変転に比べればまだマシなのだろうが、ハヌンたち洞窟衆の初期メンバーの経歴も相応に波瀾万丈なのである。
「今すぐに王宮にいく必要がないというのなら」
ハヌンはいった。
「近くに宿屋を借りたから、取りあえずはみんなでそっちに移動して」
国許から急遽呼び出される貴族は別にハザマたちばかりでもなく、そうした貴族に相応しい宿屋が王都内には何件かある。
ハザマたちはそのうちのひとつに案内された。
「なかなか居心地がよさそうなところじゃないか」
その宿屋の部屋に落ち着いてから、ハザマはいった。
「そうですね」
ヘルロイが無難な返答をする。
ハザマ領からやってきた連中が何部屋かに分宿したわけだが、ハザマはヘルロイと同じ部屋をあてがわれた。
護衛というヘルロイの役割を考えると、この部屋割りは不自然でもない。
ハザマたちがいった通り、室内は若干狭く感じるものの、清潔でくつろげる雰囲気を持っている。
おそらく、長い年月に渡って手をかけてそうした環境を保ってきた結果だろうな、と、ハザマは思った。
調度のひとつひとつが古いながら磨き込まれていて、風格を感じさせた。
こうした年月に磨かれた風格は、ハザマ領にはないものだ。
「これからどうしますか?」
ヘルロイがそう訊ねてくる。
「気軽に散歩、というわけにもいかないんだろうな」
ハザマはそう返答した。
「気晴らしに、ロビーでも出てみるか」
「そうですね」
ヘルロイも、ハザマの言葉に頷く。
「それくらいなら」
この室内は、上品な内装ではあるが、狭い。
そんな場所でこのヘルロイと二人きりでいつまでも居るというのも、ハザマの趣味ではなかった。
その宿屋には中院があった。
建物が正方形に建てられ、外の空間と中の庭園とを区切っていたのだ。
庭園はよく整備された樹木が植えられていて、ところどころに小さなテーブルやベンチが置かれ、そこで簡単な飲食もできるようになっていた。
もちろん、警備も宿屋側がしっかりと行っており、不審な者が気軽に入れないようになっている。
このとき、王都は冬のただ中であった。
空気も冷たく乾燥していたのだが、建物が密集する王都の中では貴重な緑でもあり、ハザマたちはしばらくこの中院で過ごすことにした。
貴族などの上客を相手にする宿屋らしく、ハザマたちが中院にでると宿屋の者がすぐに香茶の入ったポットと茶器を用意してハザマたちがついたテーブルの上に置いていく。
「空が、高いな」
椅子に座ると、ハザマは上に顔をむけてそういった。
冬は、空気が済んでいて空が高い。
こういうところは、この世界もハザマの世界と変わりはなかった。
「寒くありませんか?」
香茶を用意しながら、ヘルロイが訊ねてくる。
「山地と比べれば、どうということもない」
ハザマは短く答えた。
風が冷たいことは確かであるが、ハザマ領もこの王都も、東京の一番寒い時期と比較しても若干気温は暖かく感じる。
もちろん、あくまでハザマの体感での比較でしかないわけだが、今日のように晴れていて風も穏やかな日なら、野外にいても特に苦にならなかった。
なにより。
「こうして予定が詰まっていない時間というのも、ひさびさだからなあ」
大きく伸びをしながら、ハザマはいう。
なんだかんだいって、領主などをやっていればそれなりに判断を求められる場面が多く、仮庁舎に居る時間はだいたいひっきりなしに仕事がやってきて気が休まる暇がない。
これから明日の王宮へいくまでの間は、ハザマにしてみれば不意に訪れたのんびりとした時間ということになる。
「失礼ですが」
そんなとき、背中から声をかけられた。
「あ?」
ヘルロイが、この男らしくもなく間の抜けた声を出す。
振り返ると、商人風の服装をした男が、召使いの服を着た十歳前後の女の子を従えて立っていた。
「こちらに宿泊している、貴族の方でしょうか?」
商人らしい身なりの男が、そう訊ねてきた。
「まあ、一応」
ハザマは短く応じる。
「貴族の端くれではあるな。
まだ成りたてだけど」
「さようでございますか」
その男は、なんとも柔らかい笑みを浮かべた。
「わたしもこちらに投宿させていただいております。
行商で旅暮らしをしている、クレラスという者です」
「子連れで旅暮らしとは、また珍しい」
お義理に、そう答えておく。
ハザマはこの初対面の男を、初見から信用できなかった。
この宿屋は、多くの貴族が利用していることからもわかるように、それなりの格式であり、宿賃も相応にする。
と、そう聞いている。
そんな宿屋に好んで宿泊する商人は、そんなに多くはないはずなのだ。
こいつ、なにか裏があるな、というのが、この男に対するハザマの印象であった。
「たいへん不躾ではありますが、同じ宿に宿泊する者同士、同席させていただいてもよろしいでしょうか?」
ハザマの疑念を察しているのかいないのか。
その男は笑みを浮かべながらそんなことをいい出す。
「あの」
ヘルロイがなにかいいかけるのを、ハザマは手で制す。
「お好きにどうぞ」
ハザマはいった。
「ごらんの通り、このテーブルは大きい。
まだ何人も座れます」
この男がなにを目的にハザマに近づいてきたのか、それはわからない。
しかし、これほど人目のある場所でいきなり襲ってくることもないだろうと、ハザマはそう予想した。
仮に襲ってきたとしても、こちらにはバジルもヘルロイも居る。
どうとでも切り抜ける自信があっての慢心であったが。
「それでは、失礼して」
クレラスと名乗ったその男は、無造作にハザマの対面に座った。
「失礼ですが、お名前を頂いてもよろしいでしょうか?」
「ハザマだ」
やはり短く、ハザマは答える。
「おお、やはり!」
クレラスと名乗ったその男は、大仰な、芝居がかった仕草で驚いてみせる。
「そちらにトカゲを連れておいでだから、もしやと思っておりましたが!
あなたが、あの名高いハザマ男爵でいらしたのですね!」
「まあ、一応」
ハザマは短く頷いた。
「その、ハザマ男爵です」
まさか、有名人とのんきに世間話をするために近づいてきたわけでもあるまい、と、ハザマは警戒する。




