影組追放者の来訪
ルアが帰ったあと、ハザマは直属班の者に命じて、現在ハザマ領内で活動している山地出身の商人について、実態調査をしておくようにと指示を出す。
どれほどの人数が来て、どれほど規模の商いをしているのか、今のうちに把握しておきたかった。
場合によっては、そうした商行為を奨励するための政策を考える必要もあるしな。
とか、ハザマは思う。
そして、
「ルアが、たとえばハザマ領自前の迎賓館を造れ、などといい出さなくてよかった」
とも、思った。
理念的なことに賛同するのと、具体的な出費がともなう事業を新たに立ちあげるのとでは、実行するにあたって雲泥の差があるのだった。
「外交部門については、ニライア姫が名目上の責任者で、場合によってはルアにもサポートさせるということで」
どのみち、人材育成部門のルアは、外交部門の立ちあげに関してもそれなりの手助けを必要とするはずなのだ。
「あとは、諜報関係か」
誰にともなくそう呟いて、ハザマは軽く顔をしかめる。
正直なところ、ハザマにはそっち方面の素養などあるわけもなく、どう手を着けていいのかまるで見当がつかない状態であった。
例のジズザ・オラは、まだ牢の中に居た。
本人は至って平然としたもので、ひなが一日寝台に腰掛けて目を瞑っているという。
ハザマとしてもどのように扱ってよいのか持て余している部分もあったので、とりあえずもうしばらく放置しておくことにする。
この件は、ジズザ・オラひとりのことだけではなく、王室直属影組と今後どのようにつき合うのかという問題も含んでいるため、容易に結論が出せないでいた。
ジズザ・オラの存在自体が罠とされていた件について、事情を知る者たちからは反発の声があがった。
やり口がやり口であるから、当然といえば当然なのだが。
だからといって、愚直にその件について王室なり影組なりに問いただせばいいというものでもないことが、この問題を複雑なものにしている。
ジズザ・オラに何重にも呪いがかけられていたことは確かなのだが、そちらの知識に明るいトスラタトテにいわせると、そうした呪いがかかっていたとうことを客観的に第三者に証明する術は事実上ないらしかった。
下手に騒ぎ立てても、ハザマたち洞窟衆の狂言であろうと断言されてしまえばそれ以上に追求することは不可能であり、つまりはこの件についてはなにもいわないでおくことが一番無難な、ハザマたちが受けるダメージが少ない方法だということになる。
なんともすっきりとしない結末ではあるが、ジズザ・オラの罠についていうのなら、ハザマたちにはもはや打てる手がないのだった。
そんなことを思案しているうちに、影組から追放されてきたというジズザ・オラの縁者たちがハザマを訪ねてくる。
おおかた、ジズザ・オラの件についてハザマたちが反応してこないことに痺れを切らした影組が、次の手を打ってきたのだろうな。
と、ハザマはそんなことを思う。
「オットル・オラといいます」
追放されてきた者たちの代表者は、執務室に通された途端にそう挨拶してきた。
「こちらに捕らえられているジズザ・オラの長男になります」
「別に捕らえているつもりもないんだがな」
ハザマはいった。
「あいつ自身の意志で、牢の中に留まり続けているんだ」
オットル・オラと名乗った男はまだ若く、ハザマとたして違わない年齢にみえた。
ジズザ・オラの年格好を考えれば、その息子であるオットル・オラもこれくらいの年齢にはなるか、と、ハザマは思う。
「なるほど」
オットル・オラは、ハザマの言葉に頷いて見せた。
「そうかも知れませんが、しかし、現象としてみるとどちらでも同じことでしょう」
「ま、ジズザ・オラが牢から出てこないって点では、どちらも確かに変わらんけどな」
こいつはまた、オラス・オラともジズザ・オラとも感触が違うなあ、と、ハザマは思う。
これまでにあったオラ家の男たちは、性格は異なるものの妙に押しが強い印象があった。
しかしこのオットル・オラは、なんというか、掴みどころがない。
「それで、影組を追放されてきたんだって?」
「本家のオラスから聞いていると思いますが、ジズザ・オラの血を受けた者、薫陶を受けた者、合わせて六十余名が見事に追い出されました。
これはご存じかどうか知りませんが、こうした追放劇は、影組では珍しくもありません」
「ジズザ・オラもそういっていたな」
ハザマは頷いた。
「それで、お前としてはどう思っているんだ?
それと、影組から追放されたのが本当だとしても、別にハザマ領に身を寄せなければならない法もないだろう?」
「正直にもうしまして、他にいくあてがありません」
オットル・オラはそういって肩をすくめる。
「王国内に身の置き場がないのはもとより、近隣諸国でも影組の評判はその職務のせいかはなはだ悪い。
影組の名が知られていない遠い国まで逃げるにしても、その途上で誰かしらの手に掛かるのがオチです」
「それこそ、影組のわざとやらを使えばいいじゃないか」
ハザマは、そう指摘した。
「その程度の修羅場ならば、いくらでも潜ってきたんだろう?
お前らは」
「王国の名を背負っているのとそうでないのとでは、立場が大きく異なります」
オットル・オラは答えた。
「たとえ保身のためにでも、これ以降、誰かを傷つければより大きい憎悪を受けてしまうわけでして」
「一時的に急場を脱することは可能でも、どんどん先細りになっていずれは袋小路にいきつく、ってか」
ハザマは顔をしかめた。
「理解できないでもないが、よくもまあ自分自身の境遇をそこまで冷静に判断できるもんだな」
「追放されたとはいえ、これまで影組の一員として身を修めてきましたからね」
オットル・オラは軽い口調でそういう。
「体術や怪しげな術よりも、こうした判断力が一番の武器でありましたもので」
そうかい、と、ハザマは心中で頷く。
でも、そうして見通しがよすぎるというのも、かえって生きにくいのかも知れないな、とも思う。
「それで、お前さんたちとしては、ハザマ領ないしは洞窟衆からなんらかの身分を保証してもらいたいわけか」
「そうなります」
ハザマが水をむけると、オットル・オラいった。
「なんらかのうしろ盾が欲しいと思っております。
無論、得られるだけの対価分は、相応の働きをしてお返しすることが前提になりますが」
普通の場合なら、そうしたビジネスライクな態度にはむしろ好印象を受けるのだが、相手が相手だしなあ、と、ハザマは辟易する。
「まず前提として、おれたちはお前らを信用しきることができない」
ハザマは率直なものいいをした。
「実に賢明な態度ですね」
そうしたハザマの態度に憤ることもなく、オットル・オラは平然とした顔をして頷く。
「信用はせず、それでも仕事だけは押しつけるのが、この場合の賢い扱い方であるかと」
まるで、他人事のような口調だった。
「合意がとれたようでなによりだ」
ハザマそう続ける。
「で、その点を前提にして、だな。
お前らは現実問題としてなにができる?」
「僭越ながら、その問いかけは少々間違っているかと」
オットル・オラはハザマの問いかけを訂正した。
「この場でお訊ねになるべきなのは、われらにはなにができないのかという点ではないでしょうか?」
「つまりは、今のお前たちには逆立ちしてもできないことがあるわけだな?」
ハザマは、オットル・オラの質問に対して質問で返した。
「ご明察です」
オットル・オラは、やはり他人事のような涼しい顔のまま頷く。
「今のわれらは、契約魔法によって影組直伝の一部の秘術を使えません。
また、それを他者に伝えることも禁じられております」
なるほどなあ、と、ハザマは思う。
そういう仕掛けを施しておけば、確かにたとえ身内であっても、気軽に追放処分にできるだろうよ。
「うちには、魔法全般にかなり詳しい者がいるのだが」
ハザマは、気になった点を確認してみる。
「そいつに、その契約魔法を解除させたとしたら?」
「仮にそれが可能であったにせよ、実際には実行に移さない方がよろしいでしょう」
オットル・オラは即答した。
「なぜというのなら、なんらかの方法によって契約魔法が解除されることがあれば、その契約魔法を施した者にもすぐそうと知られますゆえ」
「それは、契約魔法を施した者が遠く離れた場所に居たとしてもたちどころにそうとわかるもんかね?」
「契約魔法を認めた書類になんらかの変化が生じるはずです。
影組にこちらの動きを伝えてもよいと覚悟している場合以外は、避けておくことが無難でしょう」
「ふむ」
ハザマは唸った。
「なんというか、いろいろと面倒なんだなあ」
「今さらでございますね」
オットル・オラはそういって頷く。
「わたしなどは物心つく頃からこうした環境に身をおいておりますゆえ、すでに慣れっこになっておりますが」
「では、その契約魔法を破らないままだとしよう」
ハザマは、先を続ける。
「影組直伝の一部の秘術以外であれば、自分でも使えるし、他人にも教えることが出来るんだな?」
「そういうことになります」
オットル・オラは頷いた。
「われらにできることであれば、いかようにもお使いください」
卑屈なんだか図々しいんだか、よくわからんやつだ。
と、ハザマは思う。
先にあった二人のオラ家の男立ちよりは、このオットル・オラの方がよほどつき合いやすそうなのは確かではあったが。
「……うーん」
ハザマは、そのオットル・オラを前にして数秒、なにごとかを考え込んだ。
「なにか、不明な点がおありでしょうか?」
すかさず、オットル・オラが確認してくる。
「いや、気づいたんだが」
ハザマはいった。
「お前たち追放されたやつらが契約魔法に縛られているのは、理解できた。
それはいいんだが、その契約魔法っていうのは、ジズザ・オラにはかけられていたのか?」
「あっ!」
オットル・オラは目を見開いて小さく叫ぶ。
「それは……。
おそらくは、かけられてはいないかと」
「理由を聞いてもいいか?」
「まず、ジズザ・オラは頭領の家系の者です。
それほどの身分のものに、その手の契約魔法を施すのはよほどのことがない限り無理です。
次に、ジズザ・オラはすでに刑の執行を待つ身でありました。
近い将来に刑死することが確定している身に、なんで今さら手間をかけて面倒な契約魔法を施す必要がありましょうか」
「身分から来る面子の問題。
それと、無駄だからしなかったということか」
ハザマはそういって、ますます眉根を寄せた。
「ますます、わからなくなった。
いや、こうやっておれを悩ませることこそが目的ではあるんだろうが」
「まだなにか、悩むべきことがあるのでしょうか?」
オットル・オラは軽く首をひねる。
「いや、なんで影組が、わざわざそんな穴を残していくかな、と。
そう、疑問に思ってな」
ハザマはいった。
「お前らには契約魔法を施して、ジズザ・オラには施さないままに洞窟衆に身柄を押しつけてきた。
これでは、つじつまが合わない。
まるで、ジズザ・オラを通じて洞窟衆に影組の技を伝えたいとでも思っているようじゃないか」
「方針が、統一されていないということですか」
オットル・オラも、目を細めた。
「確かにこれは、かなり不審なことですな」
「うっかり見落とした、なんてことは」
「影組に限り、あり得ません」
オットル・オラは即答する。
「ジズザ・オラが契約魔法で行動を封じられていないのだとすれば、必ずやそれが影組の意志であるはずです。
もっとも、ジズザ・オラがこちらの手により撃たれた場合は、その意志すらも無駄になってしまったはずですが」
「つまり、こういうわけか?」
ハザマはいった。
「誰かの手前、つまり建前としては、影組は、その秘伝を含めた技を外部に伝えることはしたくはなかった。
だから、お前たち追放者に対しては手間がかかる契約魔法を施して封印した。
しかし、一方で本心としては、ジズザ・オラを通じて影組の技をおれたちに伝える可能性も残しておきたかった、と」
「そのように考えるのが、妥当であるかと」
オットル・オラは複雑な表情で応じる。
「ですが、だとすれば」
「だとすれば?」
「ジズザ・オラに施された様々な呪術も含めて、その身柄をこちらに押しつけてきた行為そのものが、罠というよりは試験に思えてきますな」
「試験、か」
ハザマはいった。
「いや、おそらくは、そういうことなんだろうな」
あっさりとジズザ・オラを処断し、その呪いによって汚染されてしまうようであるならば、洞窟衆には影組の技を伝承する資格はない。
その逆に、ジズザ・オラをどうにかしてうまく活用できる組織ならば、影組の技を伝えてもよしとする。
ことの真相、影組の意志とは、おそらくは、そういうことなのだろう。
「面倒くせえことだなあ、おい」
というのが、ハザマの率直な感想であった。




