黎明の商会
次の瞬間、夥しい矢が、石が、襲撃者たちの頭上に降り注ぐ。
ハザマ商会の各階の窓や屋上はもちろんのこと、周辺の家屋の上からも。
雇った浮浪者たちに弓矢を配布し、ハザマ商会の周辺の家屋の屋根の上にあげて、伏せさせておいたのだ。
一斉射目で悲鳴があがり、二斉射目でほとんどの襲撃者が戦意を失い、三斉射目でもはや立っている者は数えるほどになっている。
路上になんの策もなく密集していたため、素人でも命中させることができた。なんとなく、ここいらへん……程度のいい加減な照準で矢を放っても、誰かしらには命中するのだ。
また、鏃がついていない矢であるとはいえ、特に上から射かけられてる矢の威力は、侮れない。衣服の上からでも十分な打撃を与えたし、運悪く目に命中した何名かは、視力を失う羽目になった。
一カ所や二カ所ではなく、体中のそこここに矢が降り注ぎ、いやというほど打ち据えられたのだ。
普段、粋がってやんちゃな真似をしていた襲撃者たちも、ごく短時間で鎮圧された。
「……それじゃあ、あとはこいつらを縛って。
まだ抵抗する元気がある人がいたら、多少手荒な真似をしてもいいから……」
こんなのでも、奴隷契約を済ませれば有意義に運用できる労働力だ。
賃金を支払う必要がないからタマルやゴグスが喜ぶし……第一、こういう所で無駄に血を流しても、ハザマ商会のイメージが悪くなる。
「あと……矢も、全部拾っておいてね。
使えるものは使うから……」
「こっちはどうだった?」
馬車に送られてハザマ商会に帰ってきたそうそう、ハザマはゴグスに首尾を確認した。
「予想通り、八十名ほどから襲撃にあいましたが、すぐに鎮圧されました。
捕虜になった者たちをご覧になりますか?」
「いや、いい。
どうせ、使いパシリがせいぜいのチンピラばかりだろう。
……そうだな。
身ぐるみ剥いで素っ裸にして、旧市街の大通りにも捨てるか?」
「それも一興ですが、奴隷契約で縛る方が経済的かと」
「わかっているよ、冗談だ。
じゃあ……武装解除と金銭没収はもちろんだが、それに加えて髪の毛を刈ろう」
「髪を、ですか?」
「辱め、ってえの?
面子を潰してこちらに逆らう気をなくす。
その一環で」
「……いいですな。
髪の毛を刈ってボロに着替えさせ、しばらく周辺の街路でも掃除させることにいたしましょう。
ハザマ商会を襲う者がどういう末路をたどるのか、周知させることにもなりますし……」
ちなみに、ハザマ商会周辺の街路は、かなり汚い。
掃除するほど生活に余裕がある周辺住人が極端に少ないせいだが、ゴミはもちろんのこと、反吐や人糞も平然と転がっていたりする。
「浮浪児のガキどもにでも監視をさせてな」
すぐに奴隷契約を結べればいいのだが、生憎と今、ここにはまともに契約魔法を使える人間がゴグスくらいしかいない。
であれば、なんらかの形で捕虜の心を折り、こちらがいう通りの条件を呑むようにし向ける必要があった。
「すぐ全員を……というのは無理ですが、十人とか二十人ずつ感化していく予定です」
「そのへんは、任せるよ」
ハザマは、鷹揚にうなずくことができた。
このゴグスが、賃金を支払う必要のない労働力獲得の機会をみすみす逃すとも思えないのだ。むしろ、あの手この手を駆使して積極的に奴隷に落としていくことだろう。
「それで……そちらの方は?」
今度は、ゴグスから正餐の首尾を訊ねられる。
「ああ……。
結局、だな。
カレンとクリフを戦場に連れて行くことになった」
妙に渋い顔で、ハザマはそう答える。
「準備を整えて、明日の朝にこの商会に来るってさ。
それから……オミツカミス・ズレベズラ卿がハザマ商会に出資したいそうだ」
それからハザマは礼服を着替えてから、ヴァンクレスが使っていた大鎚を持ち出す。
「今夜も賞金首狩りですか?」
「当然」
問いかけてくるリンザに、ハザマは答える。
「明日か、遅くとも明後日にはここを発つ。
それまで、せいぜい暴れてやるさ。元盗賊の奴隷たちと道案内のダンダ、浮浪者たちを集めてくれ。
まだ襲撃があるかも知れないから、ハヌンとトエスはここに残ってくれ。
交代で見張りを立てて、警戒を怠らないように」
その夜、ハザマの一党は五十三名の賞金首を捕らえた。
翌日、ハザマは前日のように賞金首を衛士の統括詰所に突き出してから帰りに大量の食料を買い込んできた。
ハザマが商会に帰るころには、荷物を持ったカレニライナとクリフが着いていて、皆で食事を、ということになる。
「……思ったよりも簡単だった。
拍子抜けっていうか……」
その席上で、ハヌンはそんなことをいった。
「段取りがよかったからだろう」
ハザマは、そう答えた。
「盗賊を狩ったときもそうだったろう?
事前の準備をしっかりとやれば、本番の時にそんなに苦労はしないはずだしな」
「特に情報……相手について知っておくことが大事ね。
昨夜だって、いつ来るのかわからない相手を闇雲に待っていたら、無駄に神経が削られていただろうし……」
「交替で見張りを立ててて正解だったろ?
見張り以外はよく眠れるし」
「本当……事前の準備って、大事」
ハヌンは、ため息とともにそう締めくくった。
なぜこんなはなしをしているかというと、クリフが昨夜の騒動について聞きたがったからである。
賞金首狩りのことについても聞きたがったが、こちらはハザマ自身がごく簡潔に説明を済ませておいた。
「でも、これで夜襲への対処法は確立したようなもんだからな。
あとは、おれたちがいなくなってもなんとか凌げるだろう」
「そうだといいんだけどね」
「まさかやつらも、こんな町中で火攻めとか派手な真似はしないだろうしな」
この商会の建物は石造りだったが、周辺の家屋は木造のものが多い。
火矢などを使ったら、すぐに大きな火災が起きてしまう。
そんなことになったとしたら、原因を作った側はこの宿場町での居場所を失う。
だから、無法者同士の喧嘩でも、刃傷沙汰がせいぜいなのだ。
「そういや、昨夜捕らえたやつら、だいたい奴隷契約済んじまったってな。
いったいどういう手を使ったんだか……」
「ああ、それ。
あの……服を剥ぎ取って地下室に押し込め、一時間ごとに冷たい井戸水をたっぷりとぶつけました」
ハザマの疑問に答えたのは、トエスだった。
「たいていの方は、朝になる前に何でもするからもう許してくれ、っていいはじめましたけど……」
「……なんだってそんなことを考えつくのかな、お前は……」
流石のハザマも、少し唖然としている。
「そうですか?
わたしたちが洞窟で経験したことを、ほんの少しアレンジしただけなんですけどね。
あの程度で根をあげるなんて、この町のチンピラは柔すぎると思います」
「……まあ、今のうちに新鮮な果物をたっぷりと食っておけ。
旅に出たら、またこういうのは食えなくなるぞ」
ハザマはさり気なく話題を逸らす。
その日の昼過ぎから洞窟衆発の馬車がハザマ商会に到着しはじめた。
ほとんどは空荷だったが、たまに薬品や紙、小麦が入った袋、あるいは人、などを乗せている馬車もある。
荷はすぐに降ろされ、代わりにこの町で仕入れた布や木材、衣服や鍋釜などの日常雑貨類、あるいは人を乗せ、そうした馬車はすぐにこの町を発つことになる。
御者や馬が交替することはあっても、馬車そのものはほとんど休まず動き続けた。
ハザマ商会が本格的に稼働しはじめた、ということであった。
「鹵獲した馬や馬車、捕虜にした人が余りはじめているそうです」
ゴグスはハザマに向かって、そう説明した。
「森の中の某所にて、平馬車はすべて幌つきに改装します。
盗品であるとばれないようにするためでもありますが、それ以上にハザマ商会の幌馬車を早めに印象づけるためでもあります」
豊富な馬と馬車を駆使した輸送力だけでも、商会としては大きな武器になる。
それにプラスして、ゴグスは幌馬車と例の「繁」の印を使ったイメージ戦略も考えているようだった。
「そのための材料や職人などもすでに現地に送っております。
あとは、森の中の人たちがはやめに習熟してくれることを願うばかりですな」
幌馬車だけではなく、着火器や提灯などの工場も、森の中に作らせるつもりであるようだ。
「農地の開拓も有意義だとは思いますが、結果が出るまでには少々時間がかかります。
その前に、もっと短時間で収益に繋がる産業を興しておくべきでしょう」
「そのへんは、任せるわ」
ハザマの返答は、素っ気ないものだった。
「心話の通信網、ゴグスさんも使えるようになったんでしょ?」
一応、説明を聞きはするが、正直、あまり興味が持てない分野なのだ。
「その他、売り物になりそうな商品を思いつきましたら、是非早めにお知らせください」
「ああ。
そのへんは、まあボチボチやっていきましょう」
実は、提灯の中に入れる蝋燭について、すでにエルシムに相談していたのだが、原料になりそうなものを森の中で集めるのは、かなり苦労するらしい。
「やってもよいのだが……割に合わんぞ」
とのことだった。
この世界にも蝋燭はあるのだが、かなり高価で滅多な者では使えない、という。
ハザマ商会に運び込まれたのは荷物だけではない。人も、運び込まれていた。
各種契約魔法、帳簿や契約書の書き方をマスターした「狭い分野の専門家」たち、だった。
とはいえ、まともな商人がゴグスくらいしかいなかったそれまでを考えれば、大きな恩恵ではある。
ゴグスは周辺の浮浪者たちの組織化を進めながら、そうした「狭い分野の専門家」たちの知識を早めに伝播する体制を整えようとしはじめる。
頭が回りそうな者を選抜して「狭い分野の専門家」たちの下に置き、助手として働かせはじめた。同時に、知識の伝授も行わせようとするわけだが。
それ以外にも、周辺の浮浪者を巻き込んで組織化し、商会のために働く労働力として活用するための方策も動きはじめている。
最初に商会の仕事を請け負いはじめたのは元々商会の建物を不法占拠していた輩なわけだが、ハザマたちはただ追い出しただけで終わらせず、適宜誰にでもできるような仕事を与えて見返りに報酬を渡す、という形で手懐けてきた。
「商会へ行けばなにかしらの仕事にありつけることができるらしい」という噂が広がり、人が集まりはじめたところで昨夜の襲撃と撃退騒ぎである。
リンザやハヌンたちの指揮があったとはいえ、ほぼ浮浪者たちだけで普段肩で風を切って歩く風の威勢のいいチンピラたち八十名を完全にやりこめたことは痛快事として記憶され、その噂も速やかに広がった。
なにより、仕事もなく食べるや食わずのすさんだ生活をしていた浮浪者たちに、大きな自信を与えることになった。
ハザマ商会は地元住人から「強力な外敵を跳ね返す力を持った勢力」として認知され、その威光にあやかろうという気風が生じた。
一言でいえば、わずか数日の間にハザマ商会へ協力的な空気が形成されたのであった。
新たに奴隷となった元チンピラたちが、すっかり刈りあげられた頭を晒して路地の汚物をさらっていく。
その脇を、木材を抱えた男が通り抜ける。
木材は、矢や提灯の細工をするための材料である。そうした細かい木工仕事は、周辺のそこここに分散し、内職じみた状態で加工をされはじめていた。
木工の指導をする職人、材料やできあがった完成品、半完成品を運ぶ者、新しい工人を手配する者などが、忙しく往き来している。
ハザマ商会には外部から、あるいはドン・デラの中からひっきりなしに荷物が、馬車が着く。
馬車は荷物を降ろし、積み、すぐに商会の建物を出ていく。
商会の中をみれば、荷物の積み卸し以外に、仕分けやすぐに配送をはじめる人足たちでごった返している。
荷物を勘定し、人足に指示を与える者もいる。
商会の仕事をする者には割引で食事を与えることになっているため、厨房の火が消えることもない。それでも足りないので、軽食を作って商会の近辺で提供しはじめる者も少なくはなかった。
商会の裏庭は、馬場になっていた。
常に二十頭以上の馬が繋がれて、水や草を食らっている。荷馬車の、替えの馬だ。当然、頻繁に入れ替わる。ただ一頭、ヴァンクレスの乗馬だったひときわ大きい馬以外は。
世話をする馬丁も常時十名以上、張りついて馬の世話をしていた。




