広報活動の必要性
「よろしいでしょうか?」
ちょうどそのとき、ノックの音がした。
「ちょうど必要な説明が済んだところです。
すぐにはじめてください」
ハザマが返答するよりもはやく、ルアが応じている。
「お、おい」
戸惑うハザマをよそに、どかどかと数人の男女が入ってきた。
「以前、王都で礼服を作ったところに注文していた服をお持ちしました。
細かいところを直す必要がないのかどうか、まずは試着をお願いします」
そういって執務室に入ってきた男女はハザマに服を指し出す。
どうやら、フォーマルな衣装一式を持ってきたらしい。
「この者たちは男爵様の衣装係となります」
ルアはそういって席を立った。
「今後も長く務める予定となっているので、仲良くしてあげてください。
それでは、わたしは仕事が押しておりますのでこの辺で失礼させていただきます」
いい終わるや否や、ハザマがなにかいう前にルアは足早に執務室から出て行った。
「……逃げたな」
その後ろ姿を見ながら、ハザマはぽつりと呟く。
別にそれはいいのだが。
「夜会、か」
誰にともなく、ハザマは呟く。
「かったるいな」
「すぐになれますよ」
衣装を持ってきた男がハザマの独り言に応じた。
「さあ、これを着てみてください」
「おう」
ハザマは着ていた上着を脱いだ。
寒冷地仕様の、分厚く不格好な上着だった。
「なあ、貴族様の夜会ってのは、行ってなにをすればいいもんなんだ?」
「談笑しながら飲み食いして踊ったり、ですか?」
その男は、ハザマに衣装を渡しながらいった。
「とはいっても、おれも直にこの目で見たことはないんですけど」
「談笑に飲食に、それにダンス、か」
ハザマはため息をつく。
「それよりも男爵様。
パートナーはもうお決めになったのでしょうか?」
「パートナー?」
「そういう集まりには、通常男女一組で参加することになっていますが。
既婚者の場合は夫婦で。
しかし、そうではない男爵様の場合、誰か女性を選んで連れて行く必要が」
「……えー」
ハザマはすぐに主催者のマヌダルク・ニョルトト姫に連絡を入れた。
「このたびはお招きにあずかりまして。
いや、それ自体は結構なことなんですが、ちょっと困ったことがありましてね。
ええ。
その、同伴する女性についてなんですが、今回はなしにしてもらえませんかね?
聞くところによると、ルアのやつも単身で参加していたようですし、おれのその例に倣おうかな、と。
いえいえ。
そんな選び放題なんてことはありません。
確かに、うちは多数の女性を抱えておりますし要職にもつけておりますけど、だからこそかえってその中の誰かを特別扱いするとあとが怖い。
ええ。ええ。
まあ、そういうことです。
なんですか、それは?
これでも部下のことはそれなりに考えていますよ。ええ。
あくまで、それなりにですけど。
そうですそうです。
この場にリンザがいれば、あいつなら誰も文句はいわないんですけどね。
それ以外の誰かを同伴するとなると、ええ。
ちょっと、うちの身内が騒ぎ始めますので。
そうですか。
それでは、今回は特例ということで。
ええ。はい。
ありがとうございます。
それではまた、今夜の約束の時間にお願いします」
通信を切ると、衣装係が意外なものをみる目つきでハザマの顔を眺めていた。
「そういうことですか」
その衣装係は感心したような表情をしていった。
「あんだけ大勢の女性に囲まれている割には、実際に手折る者が少ないなとは思っていたのですが。
男爵様は、意外に思慮が深いのですね」
「面倒くさいことを避けたいだけだよ」
そういってハザマはその衣装係の頭を軽く叩く。
「洞窟衆の身内で女同士の意地の張り合いでもはじまってみろ。
それこそ、目も当てられないじゃないか」
それ以前に、ハザマがその立場の割には案外ストイックな生活を続けているのは、単純にそんなことにかまけている暇があまりないというだけのことだったのだが、そうした事情を別にしても、ハザマとしては内部崩壊へと繋がる原因は極力作りたくはないのだった。
単純に性欲の解消を目的とするだけならば、別に身内に手を着ける必要もない訳で、どうしても女が必要だったら愛玩用の、それ以外に能がないような女性を囲っておけばいいだけのことなのである。
すでに責任のある地位についてそれなりの仕事をしている女性に対して、本業の功績以外の理由で重用しはじめれば、早晩、洞窟衆の組織としての序列が狂いはじめるのも必定であり、最悪、内部から分裂、瓦解という事態にもなりかねない。
ハザマとしては、そんな馬鹿な結末は避けたいところだった。
今回のところは主催者であるマヌダルク姫の了解を得られたのでパートナーを同伴せずに行くことができるのだが、今後についてもなにか考えて置かなくてはなあ、とハザマは考える。
いっそのこと、洞窟衆で要職についている女性たちで当番制で持ち回りにするという案でも提案してみるか、などと埒もないことを考えはじめていた。
無駄に装飾の多いフォーマルな衣装を試着してから、ハザマは溜まっていた書類に目を通し、文章が晦渋で文意がよく理解できないところは子守衆の者に質問したりしながら、必要な場合は署名をしたりして過ごした。
そうした書類の中にはハザマ領内で過ごしている者からの上申書も含まれており、その上申書がハザマのところまで届いているということは、なにかしらの理由により途中で誰かしらが処理をすることができなかった案件なわけであり、勢い、ハザマも真剣に目を通すことになる。
予想されたことではあったが、急増され、最近になってにわかに大勢の人が集まるようになってきた商用地区の近辺では大小様々な問題が噴出していた。
その大部分は、ハザマのところに持ち込まれるまでもなく洞窟衆の各部署で対策を講じていたわけだが……。
「ゴミの回収を増やしてください、か」
ハザマはため息をついた。
「そんでこいつは、下水道がしょっちゅう目詰まりして、その改修工事をするたび地面をほじくり返すは悪臭が漂うわでそいつをなんとかしろ、と」
「ゴミの回収は、もうかなり増やしているんですけどね」
子守衆のひとりがため息混じりに事情を説明してくれる。
「場所にもよりますが、ゴミが多く出る場所では一日に三度以上回収しているはずです。
予算よりも人員の募集が間に合わないような状況であるとか聞いています」
商用地区で出るゴミはハザマ領の役人が手配した人員が定期的に回収してまわっている。
街路や広場など、公共の場所にはゴミ箱も設置していた。
そうして回収したゴミは、森の奥深くに掘った穴に放り込んでそのまま腐敗するに任せている。
基本的に、この世界で出るゴミというのは有機物がほとんどであり、悪臭の届かない場所にでも放置しておけばそのまま肥料になるのであった。
衛生環境の向上に力を入れているハザマ領としては、そうした部分をおろそかにすることはできず、それなりに力を入れていたつもりであったが、ゴミにせよ下水道にせよ、当初の予想を超えて人が集まってきたため、処理能力の方が追いつかない状態になっているようだった。
「予算の増加は……すでにやっているのか」
書類をめくって、ハザマは呟く。
「つまりは、対応するための動きはすでにはじめているのだが、そいつが間に合わなくてクレームが来ている状態なわけだな」
放置して置いても、時間が経ちさえすればそのうちに収束するんだろうな、と、ハザマは思う。
特に下水道などについては、大々的に敷設するのはこの商用地区がほとんどはじめての事例になる。
その最初の段階でなにかしらの不具合が出てくるのは、ある意味では想定の範囲内なのだった。
しかし、と、ハザマは少し考えこんだ。
「今、ハザマ領から、ハザマ領内に居住する人たちへの広報っていうのはどうしているんだ?」
ハザマは思いついた疑問を口にしてみた。
「広報、ですか?」
執務室内に居合わせた子守衆の者たちが、戸惑った顔をして顔を見合わせた。
「その、広報とは、いったいなんですか?」
「あるだろう?
役場からのお知らせとか」
ハザマは簡単に説明する。
「今度こういう催しがあります、とか。
いや、それは興行部門の仕事になるか。
それ以外にも、たとえば新しい法が施行される前後に、そのことを広く一般に知らせるとか。
そういう仕事は、誰がやっているんだ?」
「新しい法の施行などについて、広く一般に知らしめる努力などは通常、行われることはありません」
子守衆は妙にきっぱりとした口調でいいきった。
「むろん、役場の関係する部署へは、混乱がないように事前に通告されるわけですが」
「そいつは、おかしくはないか?」
ハザマは軽く顔をしかめた。
「仮に、それまでになかった法が新しく施行されたとして、その法の存在自体を誰も知らなかったとしたら、いきなり捕まって罰せられることもありうるんじゃないのか?」
「ええ、そうなりますね」
子守衆の者たちは大仰に頷きあう。
「そうして罪人が出ることによって、その法の存在が周知されるわけです」
それは駄目だ。
と、即座にハザマは思った。
それでは、なんのための法なのかわからない。
「罰則を伴う法が施行させるのは、そうした法で民の行動を縛らないと迷惑するやつが多いからだろろ?」
ハザマは指摘をした。
「罰則の存在自体を周知すれば、それだけで抑止力になるじゃないか。
それをしないで、いきなり罪人を作り出すというのは、あー。
不公正もいいところだし、第一、法の精神からいえば、本末転倒もいいところじゃないのか?」
「そうかも知れませんね」
子守衆たちは、ハザマの言葉に頷く。
ハザマの意見は、特に抵抗なく受け入れられるものではあるらしい。
だがそれに続けて、子守衆はこう問い返してきた。
「ですが、その、広報ですか?
不特定多数の民に、場合によっては複雑な内容を周知するためには……実際には、いったいなにをどうすればいいんですか?」
「なにって、そりゃ……」
いいかけて、ハザマは絶句する。
元の世界であれば、ニュース番組で報道する、スポットCMを流すとか、それこそいくらでも、無数に方法がある。
しかし、この世界では、そもそもマスメディアに相当するものが存在しない。
それだけではなく、識字率さえかなり低い。
「ええっと、チラシや回覧板、ポスターを貼って……っていうのも駄目か」
ぶつぶつと小声で呟きながら、ハザマは対策を模索しはじめた。
しばらくししたのち、
「誰か、興行部門のやつを呼んできてくれ」
と、子守衆にことづける。
「と、いうわけで」
いくらもしないうちに執務室に現れた興行部門の者に、ハザマはざっとこれまでのあらましを説明した。
「今後は、広く民草にむけた広報活動が必要となってくると思うんだ」
「ははあ」
興行部門に所属するというサイテンは、曖昧な表情で頷く。
「つまりはご下知をすみやかに広めるということですな。
ご主旨の方は、理解できたと思います。
ですが、しかし。
具体的には、わたしらはいったい、なにをどうすればよろしいので?」
「それは、そちらで考えてくれ」
ハザマはいった。
「おれの頭では、ポスター、チラシ、回覧板くらいしか思いつかん」
「ポスター、チラシ、回覧板……ですか?」
サイテンは要領を得ない表情になる。
「よくわからないんでお聞きしますが、それらは、なんですか?」
ハザマは辛抱強く、ポスター、チラシ、回覧板について説明をする。
「ははあ。
紙に印刷したものを、所定の場所に貼ったり、配ったり、回したり、と」
サイテンはハザマの説明に頷く。
「確かに、湯水のような予算がありさえすれば、決して不可能なことでもないでしょうな。
しかし、それだけでは、情報が周知されるのはほとんど文字が読める者だけになりますが」
「それなんだよ」
ハザマは情けない表情になった。
「おれにも、文字が読めない者に対する広報の、効率のよいやり方が思いつかない。
だから、お前を呼んだんだ」
「なるほど、なるほど」
ようやく、サイテンは自分が呼ばれた理由を飲み込み、したり顔で頷いた。
「いや、ようやく呼ばれた理由がわかりました。
そういうことでしたら、わたしら興行部門の方でいくつか工夫をしてみましょう」




