争乱の予感
「その王女様ご一行は、今はどこに居るんですか?」
まさか、とか思いつつ、ハザマは念のために確認をしてみる。
「今頃は、ハザマ領の内にある、建立中のうちの神殿の敷地内に入っている頃かと」
ヘムレニー猊下は事なげにそう返してくる。
……おい。
と、ハザマは思った。
「なんで、そんな火種をわざわざうちの領地に」
呻くように、そういう。
「もはや彼女が火種になることはありませんよ」
ヘムレニー猊下は微笑みを絶やさずに続ける。
「なぜならば、彼女は近日中にうちの教団に帰依し、俗世間のくびきから解き放たれることになっていますから」
「そんなんで、火種が消えるものなんですか?」
ハザマは重ねて訊ねる。
「消えますでしょう」
ヘムレニー猊下は答えた。
「たとえ王族といえども教団の内側に入ってしまえば、世俗の関係とは無縁になります」
「それで、周りが承知するものなんですか?」
ハザマは、今度はバグラニウス公子に訊ねた。
「承知しなければなりますまい」
バグラニウス公子は苦い表情をしてハザマの問いに答えた。
「ヘムレニー教団と事を構えるのはどう考えても得策ではありませんからね。
ましてや、アポリッテア姫はスデスラスの王位を継承したわけでもなく、今の時点ではなんの権限も持たない身。
教団が保護したとなれば、本人が自分の意志で還俗でもしない限りはどうにもなりません」
実質、アポリッテア姫には政治的な利用価値がなくなってしまった、ということか。
宗教団体が持つ権威というのは、やはり大きいのだな、とハザマは実感する。
「では、スデスラスの王位は相変わらず空白のままですか?」
誰にともなく、ハザマは訊ねてみる。
「スデスラスといえばかなりの名門なんですがね」
バグラニウス公子はそういって首を左右に振る。
「先王が勝手に退位し、後継者もいないとなればこのまま途絶えるしかありません。
アポリッテア姫の気が変わって還俗してくれれば事情は変わってきますが、その他に直系の王族がいない以上、たとえ傀儡であっても周辺諸国が納得する王位継承者を用意することは難しいでしょう」
アポリッテア姫以外の王族を王位に据えようとしても、どこからか文句が出てきて紛糾するような感じであるらしい。
見方を変えると、アポリッテア姫個人の人生にとってはこれでよかったかも知れないな、と、ハザマは思う。
少なくとも、王族のままでいるよりは将来の選択肢的にははよほど自由になったことだろう。
とはいえ、ハザマにとってアポリッテア姫なりスデスラス王家の事情なりなどは、あくまで他人事に過ぎなかった。
王国にとっては扱いやすい手駒をみすみす取り逃がした結果になったわけで、先ほどからのバグラニウス公子の渋面がそのことを物語っているわけだが。
まあ、王家がなくてもスデスラス王国の旧領を経営する算段くらいはあるだろうしな、と、ハザマは思う。
ただ、中間に領民の不満をなだめたり反らしたりするための、王家という便利な緩衝材がなくなるだけのことで。
しかし、スデスラス王家の人々がハザマ領内にしばらく居座るのか、と、ハザマは思った。
ヘムレニー猊下は、
「もはや火種となることはない」
と断言していたわけだが、ハザマはもちろんそんな言葉を信用してはいなかった。
アポリッテア姫が駆け込み寺に飛び込んで難を逃れ、政治的な追求から一時的に退避することに成功したことは認めるにせよ、そんな複雑な事情を抱える人物が自分の領地内に存在するだけでまたそぞろ別の問題を引き起こすのではないか。
いや、まず確実に起こすだろうな、と、ハザマはほぼ確信している。
具体的にどんな問題を起こすのか今の時点では予測がつかないので、かえって歯がゆく思った。
「なんだ、辛気くさい面をして」
それまで小型鉄蟻とはなし込んでいたナゴスト族のブラスダがこちらに近寄ってきた。
「いろいろと難しい局面になってきたようでして」
誰も答えようとしないので、仕方がなくハザマが応じる。
「問題というのはいつまでも尽きないものだからなあ、基本的に」
ブラスダはそういって酒を要求した。
「どれ、おれにも飲ませろや」
「鉄蟻との対話はもうよろしいので?」
「今日はもう、十分にやった」
ブラスダは真面目な顔をして頷く。
「大枠では合意が取れたと思うし、残りは明日に仕切り直して行うことにした。
いや、慣れんとどうも疲れていかんな。
連中とのやり取りは」
「それはまあ、お疲れ様でございます」
ハザマは傍に控えていた子守衆に合図をして新しい酒杯を用意させる。
「ところで、ヘムレニーのところでスデスラス王家の姫君を匿ったり、いつまでも収まらないドン・デラの治安を心配していたようだが」
ブラスダが、そんなことをいいだす。
鉄蟻たちと交渉をしている最中も、こちらの会話は漏れ聞いていたようだ。
「そんな小さなことよりも、メレディラスはもっと大きな懸念事項を抱えているんじゃないのか」
「さて、心当たりがありませんね」
バグラニウス公子は真顔で即答する。
「そういうが、公子よ。
顔色が先ほどよりいささか優れていないような気がするぞ」
酒杯を一気に煽ってから、ブラスダはいった。
「ふう。
やはり酒は山地のきついものに限るな」
「それで、王国が抱える懸念事項とは?」
ハザマがブラスダに訊ねた。
「先日、召喚獣の騒ぎがあったろう」
ブラズダは淡々とした口調で説明した。
「あの件は、どうも王国内のそれなりの地位の者がしかけたものではないかという噂が周辺諸国に広まっている。
当然だな。
あれだけの大がかりな仕掛けとなると、当然、手引きをする者も必要となる。
召喚獣だけならまだしも、かなり広範な地域にまたがって反乱まがいの騒ぎを起こそうとしていた形跡もある。
周辺にかなり顔の利く、貴族の誰かしらが荷担していたと見るのが当然だ」
「状況からの推測ばかりですね」
バグラニウス公子はいった。
「当然、王国上層部もその可能性も考慮した上で捜査を進めております。
正式な発表がないところをみると、今に至っても目立った進展はないようですが」
「あるいは調べ尽くした上で、病根の深さゆえに容易に公表できなくなっているか、だ」
ブラズダはいった。
「第一、おかしいとは思わないか?
王国上級貴族八大公爵家、いや、今では九大公爵家になるのか、とにかく、権勢を誇る家は王国内にはまだまだあるのに、ドン・デラの一件をわざわざ新興のハザマ男爵に振ること自体が、かなり不自然だ」
「嫌がらせではないんですかね?」
ハザマは訊ねてみる。
「正直、それもあるだろう。
なんにせよ、男爵のところの連中はなにかと目立つからな」
ブラズダはハザマの言葉に頷く。
「だが、裏を返せばだな。
そうした難事を押しつけられ、万が一にもうまく解決してしまったら、また洞窟衆の手柄が増えてしまう。
これは、王国の貴族どもにしてみても、歓迎するところではなかろうよ」
「つまり、他の、ドン・デラの騒動を収める能力を持つ王国内の勢力は、総じて別のことに煩わされている、と?」
「そのように考えるのが、妥当であろうなあ」
ブラスダはいった。
「そこの公子様は必死になって否定しておるが、ここ最近、メレディラスの上級貴族たちの間で怪文書のやり取りが流行っておる。
どこそこの公爵が反旗を掲げる準備をしているとか、どこかの国と結びついているとかいった内容の」
「その手のデマは、いつの世でも出回るものですよ」
バグラニウス公子は平静な声を出そうとしていた。
「しかし、そうした流言飛語が実際に世情に影響を及ぼすことは滅多にありません」
「この場合、問題となるのは流言飛語の存在そのものよりも、意図的にそれを発信している者たちの思惑になるわけだがな」
ブラスダは酒杯に新しい酒を注がせる。
「さて、やつらが本当に興味本位の遊びでやってるのならそれでよいとして。
そうでない場合、本当の計画から目を反らすために、あるいはあえて人心を乱すことこそを目的とする場合などは、王国はかなり困ったことになるのではないかね?
それこそ、ドン・デラどころではなくなるだろうさ」
中央委員のブラスダは、明確に、近い将来、王国内でなんらかの混乱が起こる可能性を示唆していた。
その上で、
「そうしたら、おぬしはどうするね?
お若いの」
と、ハザマに水をむける。
「どうするといわれましても」
ハザマはとぼけることにした。
「仮定の問いにはお答えできません」
「仮定も仮定。
仮定ついでにだな、あー。
王国内の公爵家同士が、二つ三つに分かれて相争うような事態になったら、ハザマ領はどのように動くかね?
いっそのこと、王国から完全に離反してうちの身を寄せるか?」
「そうしてもいいんですけどね」
ハザマはそういいかけると、バグラニウス公子が腰を浮かしかけた。
その公子の動きを、ハザマは手真似で制する。
「仮にそんな事態になったとしたら、うちは王国から分離したついでに、部族連合からも分離して完全な独立国になりますよ。
あるいは……」
「あるいは?」
「そうですね。
ハザマ領全土をどこぞに売りつけましょうかね?」
ハザマはそういって首を傾げた。
「とはいえ、あの領地も今ではかなり金を投じて整備しているので、かなり高額な対価を約束していただかないことには手放す気にもなりませんが。
こちらのいい値以上の金額を出していただければ、いつでも、誰にでも進呈しますよ」
ハザマや洞窟衆にしてみれば、領地など王国から無理矢理押しつけられたようなものなのである。
これまで採算が合うように手を入れていたわけだが、だからといってその領地に対して必要以上に拘泥するつもりもない。
「はははははは」
ハザマの返答を聞くと、ブラスダは破顔した。
「そうか。
おぬしは、領地には拘りを持たぬか」
「もちろん、あればあったで便利に使わせて貰いますがね」
ハザマはあっさりと答える。
「だからといって、いつまでも後生大事に抱え込んでいなければならないものでもない。
むしろ、いつまでも抱え込もうとすることによってかえって危ない目に会うくらいなら、さっさと手放すのも手でしょうよ。
おれにしてみれば、下手に抵抗したりして人的な被害が広がる方がよっぽどこわいです」
「ほう。
人的被害か」
ブラスダは軽く目を見開いてハザマの顔を眺めた。
「若いの。
おぬしは、そんなに領民が大事か?」
「領民というよりも」
ハザマは不機嫌な表情でゆっくりと頭を振る。
「貴重な知識や技術を持った人材が、ようやく育ちかけているところですからね。
今の時点でこれを逸散させるのには忍びないというか、もったいないというか」
ハザマにいわせれば、この世界の最先端技術を担う人材が、ハザマ領に揃いつつある。
あとほんの数年の猶予があれば、この世界の様相を一変できるほどの潜在力を秘めた人材たちなのだ。
単なる地面なんかよりも、そうした人材の方がよほど貴重なのだと、ハザマ思っている。
「そこまでのものか」
ブラスダは、ハザマの真意をどのように理解したのか定かではなかったが、それでもハザマの返答にそれなりに感心して見せた。
「王国の心配より、ですね」
そんなブラスダに、ハザマは意見をする。
「山地の秩序を、もっとしっかり守ってくださいよ。
今ではうちも山地方面にかなりの投資をしているんですから、このままグダグダになって政情不安な状態になってもらったらかなり困るんですけど」
中央委員の、いや、山地をまとめていた部族連合という箍が、そろそろ役に立たなくなりつつある。
この認識を持つ者は、今では少なくなかった。
多少なりとも山地の情勢を知るものにとっては、
「時間の問題であろう」
くらいの常識になりつつある。
部族連合が現在の体制を維持できるための要件が、次々と破綻している最中なのだ。
それを証明するように、ここ数ヶ月、ルシアナの崩御をきっかけとして部族連合からの離反を表明した部族はかなりの数にのぼっている。
「痛いところを突いてくるなあ」
ハザマにいわれたブラスダは、露骨に顔をしかめた。
「確かに苦しいところではあるんだが。
だがまあ、できる限りの手は打つつもりではある」
「さっきのはなしなのですが」
バグラニウス公子が、心持ち小声でハザマに問いかけてきた。
「まさかとは思いますが、部族連合にハザマ領を売りつけたりしないですよね?
そうなったら、王国としては国防上、かなりまずいことになるのですが」
ハザマ領は、王国と山地との間にある緩衝地帯である。
それに加えて、物流を盛んにするため、最近では何本も新しい橋を建築中でもあった。
確かに、ハザマ領が部族連合のものになると、王国としては国土を守るのがかなり難しくなるだろうなと、ハザマもそう思う。
「……その手があったか」
少し考えてから、ハザマはいった。
「冗談ですよ。
今のところは、その予定はありません」
バグラニウス公子の顔色が変わったのを確認してから、ハザマは慌てて前言を撤回した。




