ある王族の消息
「難しいはなしはこれで終わりか」
ヴァンクレスが声をかけてくる。
こと男は、基本的に自分が興味あることにしか関心を持たない。
具体的にいうと、日々の飲食のこと、馬のこと、それに女の事が少々、といったところか。
ヴァンクレスにとってそれ以外はすべて些末事であり、おおよそ「どうでもいい」ことなのであった。
ハザマたちの会話を耳にしていたとしても、その内容をほとんど理解していなかっただろうし、理解する気もなかっただろう。
「あなたくらい単純に生きていくことができれば、生きていくのも楽しいでしょうね」
バグラニウス公子が、ヴァンクレスの顔を見ながら意外なほど真摯な表情をしていった。
どうやら皮肉ではなく、本音でいっているようだ。
「どうしてそうしないんだ、貴族様よ」
ヴァンクレスはきょとんとした表情をして、そう返す。
「それこそ他人から見りゃ、羨ましがられるようなご身分だろうに」
「それはそれで、背負わねばならない荷物が多くなるわけですからね」
バグラニウス公子はゆっくりと首を振りながら、そういう。
「公子という身分も、これはこれで気苦労が絶えないものなのですよ」
「そんなもんかねえ」
ヴァンクレスはいかにも興味がなさそうな口調で生返事をする。
「とりあえず、難しい相談が終わったんなら、もっとどうだい?」
そういって、片手で陶器の大徳利を持ちあげる。
「どのみち、その分では今日明日中に片がつく問題でもないんだろう?」
「まあ、確かに」
バグラニウス公子は頷いて酒杯を差し出した。
「鉄蟻の扱いになんにせよ、すぐに合意が取れるものでもないのですが」
その様子を見て、この二人は生まれ育ちも性格もまるで違うのだが、だからこそ案外気が合うのかも知れないな、とか、ハザマは思う。
特にバグラニウス公子にしてみれば、ヴァンクレスくらい単純な性格の人間を相手にする方が、言葉の裏を探る必要がなくて気が楽なのかも知れない。
バグラニウス公子が本来、相手にしなければならないもうひとりの相手は、いまだ小型鉄蟻たちを相手に熱心にはなし込んでいた。
意志の疎通というか、相手の意図を理解するだけで一苦労らしく、何度も小型鉄蟻に細かい言葉の意味を問い返している。
あの分では、まともな結論に至までにはまだまだ時間がかかるだろうな、とハザマも思った。
外交の専門家らしく、このまま細かいところまで誤解や拡大解釈の余地がないように煮詰めるつもりなのだろうか。
このままいくと、徹夜コースになるだろう。
ハザマは子守衆に、
「中央委員が休まれるときには、すぐに軽い食事や飲み物などを用意できるようにして待機しておけ」
と指示を出しておく。
「鉄蟻の件がこのまま片づいたら、そのあとはどうなさるおつもりですか?」
ヘムレニー猊下がハザマに訊ねてくる。
「とりあえず、いったんハザマ領に帰還します」
ハザマは即答する。
「そのあとは、状況次第ですね。
領地内で片づける必要がある雑事が溜まっているかも知れないし、別口の用事でどこかに呼び出されるかも知れない。
そういうのがなかったとしたら、また別の召喚獣を目指して遠征をすることになるのかも」
なんだかんだいって、ハザマもそれなりに多忙な身であった。
この土地に洞窟衆が呼び寄せた援軍についても事後処理などをしなければならないから、最低でもあと数日はここに滞在する必要はあるわけだが。
「ああ、そのことなんですが」
酒精のせいで心持ち顔色がよくなったバグラニウス公子が、ハザマに告げた。
「ひょっとすると、洞窟衆に王都から動員命令が降りるかも知れません」
「またですか?」
そう聞いて、ハザマは露骨に顔をしかめた。
「王国は、うちらのことをあてにし過ぎじゃありませんか?
他にも軍勢を抱えているところは多々あるはずなのですが」
王国、戦争しすぎだろう、とハザマは思った。
この半年間だけでも、洞窟衆は何度「王国のいくさ」に呼び出されたことか。
「それが、ですね」
バグラニウス公子はいった。
「今度のは、単純ないくさとはかなり趣が違いまして。
どこの軍勢でもいいというわけにはいかないのです。
少数精鋭で、なおかつ柔軟な動きが可能なところがいい」
「そういう微妙な任務ならば、王族直属の影組とかいう組織があるんじゃないですか?」
なおも警戒を解かない顔つきのまま、ハザマはそう問い返す。
「別に、おれたちみたいな新参者をあてにしなくても」
「それがですね」
バグラニウス公子はなんだか不明瞭ないい方をする。
「今度の件は王都そのものというよりも、王都に介して洞窟衆を指名してきたさる勢力の意志がありまして」
「……王都に圧力をかけられる組織なんて存在するんですか?」
ハザマは、顔をしかめたまま軽く首を捻った。
ここ最近の王国は、いろいろあって昇り調子だと聞いていたのだが。
「いくらでもありますよ、そんなもの」
バグラニウス公子はもともと眠たげであった目をさらに細める。
「確かに最近、少々威勢がいいことは認めます。
ですがその王国も結局は、周辺諸国と本質的な部分で大した差があるわけではありません。
今の勢いは所詮一時的なものですし、絶対的な強みを持っているわけでもない」
「それはいいとして、その実際に王国に圧力をかけてきている勢力っていうのは、具体的にどこなんですか?」
なんだかじらされているような気がして、ハザマは性急に結論を求めてしまう。
「塩賊になります」
バグラニウス公子は素っ気ない口調で答える。
「お聞きになったことはありますか?」
「……一応、名前くらいは」
ハザマは、不機嫌な顔をしていった。
「しかし、なんだってその塩賊が、洞窟衆なんかを頼らなくてはならないんですか?
しかも、王都に仲介して洞窟衆になにかをさせようだなんて、まどろっこしい真似まで
して」
「残念ながら、塩賊の意図までは把握しておりません」
バグラニウス公子はいった。
「ただ、彼らはドン・デラの掃除をしたいのだと思います」
「ドン・デラの」
ハザマは、呟く。
予想外の回答であった。
「あそこを牛耳っているドン・トロ家の内紛をどうにかしろって意味ですか?」
それは、おかしい。
と、ハザマは思う。
確かに年老いたドン・トロの息子たちがもうなかり長いこと跡目を争っている、という噂はハザマも耳にしていたが、そのドン・トロは塩賊の支援を受けて一代で身を起こした人物であるはずだった。
背後に塩賊が居るという事実が、王国をしてドン・デラに武力介入を行えない理由になっていた。
筋からいえば、その去就についても、塩賊の意志ひとつでどうとでもできそうなものだが。
「塩賊には、ドン・トロを排除できないなんらかの理由でもあるのでしょうか?」
少し考えてから、ハザマはそう確認してみる。
「詳しいことは聞いていません」
バグラニウス公子はそういって首を横に振る。
「確かにそのように考えると理解しやすいのですが。
あるいは別の、背後にもっと複雑な事情があるのかも知れません」
「いずれにせよ」
ハザマはため息混じりにそういう。
「正規の王国の勢力とか塩賊が直接手を出せないような汚れ仕事を、洞窟衆に押しつけようって魂胆なわけですね」
「おそらくは」
バグラニウス公子は、ハザマの推測を首肯する。
「そして、わたしのところにまで伝わってきているくらいですから、今頃はハザマ男爵もこの仕事を断れることができないような仕掛けが完成しているはずです」
「なにがなんでも、洞窟衆にやらせなければならない理由ってやつは思いつきませんが」
ハザマはいった。
「それでも、どうせ断れないのならば、せいぜい賃金を吊り上げるように心得ておくべきですかね」
権力というやつは、これでなかなか厄介だよなあ、と、ハザマは思う。
組み込まれまいとしてあがけばなにかと不自由になり、逆に安定を求めて組み込まれてしまってもどんどん不自由になっていく。
「なんだ。
また新手のいくさか」
ヴァンクレスはハザマたちの会話を理解できないなりに、そんな反応の仕方をした。
「戦争にもなるかもしれないが」
ハザマはいった。
「もっと微妙な判断が要求される仕事になると思うな。
今回のは」
「なんだ、そりゃ?」
ヴァンクレスは首を捻る。
「誰が本当の敵で誰が本当の味方なのか、誰かに会うたびに考えて判断しなけりゃならないような、おそらくはそんな戦争になる」
ハザマは、そんな説明の仕方をする。
「ますます、わからん」
ヴァンクレスは顔をしかめた。
「つまり、誰から叩けば片がつくのか、ギリギリまでわからないってことか?」
「簡単にいえば、そういう戦争だ」
戦争というよりも、これは犯罪組織の殲滅に近いのではないか、とハザマは思う。
それも、地元の社会にしっかりと根付き、利権などが複雑に入り乱れているような場所で大がかりな外科手術をするな。
どこからどこまでが悪性の腫瘍なのかを判断し、場合によっては幹部の周囲にある良性の部分にまで被害を与えつつ、腫瘍を排除するような外科手術だ。
かなりうまくいったとしても被害は大きなものになるし、相応に恨まれもするだろう。
……召喚獣相手が終わったと思ったら、今度は人間という厄介な生物が相手か。
と、ハザマは思う。
さて、どちらの方を相手にするのが、より容易いことになるのか。
「それは、もう決定事項なのですか?」
ハザマは、念のためにバグラニウス公子にそう確認してみた。
「おそらくは」
バグラニウス公子はあっさりと頷く。
「洞窟衆は、こういってはなんですが、成功しすぎました。
貴族の間では、洞窟衆の成功をあまり歓迎していない者たちもいます」
お馴染みの、どこにでもある妬みとか嫉みというやつである。
どうせどうやっても泥をかぶる仕事であるのなら、洞窟衆に押しつけてしまえ、というわけだった。
なによりも塩賊の指名があったことが大きいのだろうが、そうした前提がなかったとしても、洞窟衆にあてがわれた仕事になるのかも知れないな、とさえ、ハザマは思う。
通信網が復旧したら、王都組に確認して情報を集めさせなければな、とも、思った。
「塩賊といえば」
唐突に、ヘムレニー猊下がそんなことをいい出す。
「似たような組織に川賊があるのはご存じですか?」
「河川に生まれ育つ者たちを中心に構成された組織ですね」
バグラニウス公子は即答する。
「いかなる国家にも属さず、河川を中心として独自の秩序を維持している」
そういうものもあるのか、と、ハザマは思う。
賊、といういい方をしているが、要するに固有の武力を持ち、場合によっては略奪も行うが、普段は物流の仕事に携わったり通行税を勝手に徴収しているような連中だろう。
似たような連中は、山賊や海賊など、ハザマの世界でも普通に存在していた。
特に国際的な秩序が固定化されていない環境では、合法と非合法の境界があやふやになりがちであり、結局は当事者同士の力関係がことの正否を決定しがちなのである。
「その川賊がどうかしましたか?」
ハザマは、ヘムレニー猊下にそう問い返した。
「ええ。
つい先日のことですが、ある川で難民の集団がその川賊に取り囲まれておりましてね」
ヘムレニー猊下はなんでもない世間話でもするような口調で続ける。
「その難民の船団は、ほどんとが女子どもやお年寄りで構成されているような有様でして」
「別に珍しいことではありませんね」
バグラニウス公子はそういって頷く。
「それで、その難民たちは捕まって奴隷にでも身を落としたのですか?」
「そうなる寸前に、わたくしどもの教団が介入して難民の方々の身柄を押さえさせていただきました」
ヘムレニー猊下は澄ました顔をして、結論を述べる。
まずは、平和なオチだな。
と、ハザマは思う。
この世界においては、実際にはバグラニウス公子がいったようなオチで終わる例の方が多いのだろうが。
「なぜ、そのようなことを今、おっしゃったのですか?」
バグラニウス公子が、怪訝な表情を浮かべてヘムレニー猊下に訊ねた。
難民が川賊に襲われることも、ヘムレニー教団がたまたま難民を保護することも、別に珍しい出来事ではない。
つまり、この場でわざわざ口にすべき話題でもないように思えたのだ。
「それがですねえ」
ヘムレニー猊下は、ことさらゆっくりとした口調でとんでもない爆弾を落とす。
「そのときに保護した難民の中に、アポリッテア姫という方がいらっしゃいまして。
確かこの方は、先日からメレディアス王国の方々が探し求めていた方でしたので、一応うちの教団で預かっていることをお伝えしておいた方がよろろしいような気がしまして」
「アポリッテア姫!」
バグラニウス公子は叫びながら立ちあがった。
「それはあの、捜索中のスデスラス王家のアポリアッテ姫ですか!」
「さて、他に同名の姫様に心当たりはありませんから、おそらくはその方なのでしょうね」
笑みを崩さずに、ヘムレニー猊下はバグラニウス公子の言葉に頷く。
「大勢の身内の方と、それにワンちゃんもいっぱい船内にいれて大層難儀した様子でございました」




