「繁」の旗
裏庭は草が生え放題になっていたので、馬を放して食わせることにした。
その間に、特に破損が酷い厩舎の手入れをする。
破れ放題だった屋根や壁の穴を塞ぎ、刈った草を地面に敷き詰める。
馬の世話は、元盗賊の者の中に手慣れているやつらが何名かいたからそいつらに任せることにした。
それ以外の元盗賊の奴隷たちには、荷馬車を一台貸して途中の待ち合わせ場所まで荷を取りに行かせていた。
犬頭人たちが運んできた荷物が、そこまで来て待機しているのだ。異族への差別意識はハザマが想定する以上に激しいらしく、犬頭人はそのままではこの宿場町に入れないらしい。
そのため、目立たない場所で隠れて待ち合わせを行わなければならなかった。
無駄な手間だなあ……と、ハザマは思う。
これから軍の兵站を襲うようになれば、当然、馬車なども鹵獲することになるだろう。そうなれば、自然と解消する問題ではあるのだが、こんなくだらない理由で余計な手間がかかるのは馬鹿らしいといえば馬鹿らしい。
「あとは……」
今も、建物内のそこここで大工仕事の音がする。
臨時雇い浮浪者たちが、ゴグスやリンザ、ハヌン、トエスらの指示に従って建物の改修をしているところだった。
「……あっちを手伝ってもいいんだが……」
まあ、こっちの仕事は人海戦術でなんとかなるだろう、と判断し、ハザマはリンザたちを呼びにいった。
「では、留守を頼む」
「はい。頼まれました」
ゴグスにそう告げて、ハザマたちは町中に向かう。
「……案内を探している」
建物を出たところで、ハザマは声を張りあげた。
「回るのは、まず防具屋だ。その後、矢も買いこみたい。
誰か、いい店を知っている者はいないか?」
建物の前にいた浮浪者たちがわらわらと集まってくる。
「礼は出るんだろうな?」
「当然だな。
いい店を紹介したら、ボーナスも出そう」
「いくらだ?」
「……おい、リンザ」
「相場がわかりませんが……。
銅貨二枚くらい……でしょうか?」
「で、いいか?」
「……しけてるなあ」
いったん集まった浮浪者たちが踵を返し、ぞろぞろと立ち去っていく。
「……安すぎましたかね?」
「なに。足元を見られているという可能性もある」
不安そうな顔を浮かべるリンザに、ハザマは淡々と答える。
「ほら、残ったやつもいるじゃないか」
「……子どもですよ。
クリフくんくらいの」
「きちんと案内をしてくれるのなら、誰だっていいさ。
おい、坊主。
お前さん、いい防具の店を知っているのか?」
「知っている!」
「こっちにいる女の子が身につけるような防具が欲しいんだ。
その店は、小さいサイズのも揃っているのか?」
「たぶん! ラデハルの店は品揃えがいいから!」
「よし。
じゃあ、銅貨二枚で契約成立だ。
買い物に満足できたらボーナスも弾むからな」
「……ということで、こいつらが身につける防具を一揃い、見繕って欲しい」
「旦那さん、いくらいくさが近いからっって、こんな小さな子たちを……」
「おれもだが、こいつらもかなり特別製なんだ。
見かけ通りだと思わない方がいい」
「防具……といいますと、どの程度の物をお考えでしょうか?
鎖帷子やリングメイルなどは防御力に秀でておりますが、その分、少々重たく……」
「鎖帷子やリングメイルってえと、斬撃を防ぐためのものだろう?」
ハザマは、少し考える。
「それよりも、矢とかを防ぎたいんだが……」
この三人が戦場に出るときは、できるだけハザマが同行する予定だった。
そうなると、斬撃よりは遠くから射かけられる矢の方が、怖い。
「では、レザーの方がよろしいでしょうな。
その線で、見繕ってみましょう」
「この三人の分が終わったら、おれの分も頼むな」
「はい、かしこまりました」
試着して、サイズが合っていることを確認してから、四人分の装備を買い取ることにした。
リンザに勘定を支払わせながら、ハザマはラデハルに、
「矢を売っている店はないか?」
と、訊ねた。
「矢、ですか。
それならば、少し離れたところになりますが、マルデルのところがよろしいでしょう」
店ではないが、矢を専門に作っている工房だという。
ラデハルは、紹介状も書いてくれた。
「……旦那。
つかぬことをお聞きしますが、旦那もこんどのいくさに従軍なさるので?」
「まあ、そういうところだな」
「ひょっとして……旦那。
ハザマとかいうお名前では?」
「確かに、おれはハザマだけど……どこでその名を」
「いや、これはおみそれいたしまた。
ご高名は、かねがね……」
「……どんな話を聞いたんだよ、お前は?」
「黒髪黒目で、犬頭人を自在に操ってあの赤鬼のヴァンクレスを退治したとか……」
「……もうそんな噂が届いているのか……」
「矢が欲しい、だと?」
「ああ。
多ければ多いほどいい」
「ふう。
どいつもこいつも……」
「ないっすかね? 在庫」
「ああ。
他ならぬラデハルの紹介状つきだ。
こちらとしても何とかしたいのは山々だが、なにしろいくさが近いって話だからなあ。
おっとり刀の貴族どもが作る端から買い占めていく」
「……仕方がないか」
要は、需給の関係なのだ。
ハザマがいくら惜しがったところで改善は見込めないだろう。
「じゃあ、少しでも余裕ができたら新市街にある……ええっと……」
ここで、案内に雇った浮浪児が助け船を出し、マルデルに屋敷までの道順を教えた。
「……あそこか?
あそこは確か、長いこと浮浪者が住み着いてどうにもならなかった物件のはずだが……」
マルデルは、軽く眉をひそめた。
「昨日、買い取って一掃した」
ハザマが、ことなげに答える。
「随分と軽くいうな、おい。
無法者でさえ手を出しかねていた場所なのに……」
「なに、そういうことに向いている特技を持っているもんでね」
「特技……それに、その髪と目……。
ちょっと待て!
あんた、ハザマか!」
「確かにおれはハザマだけど……」
うんざりした口調で、ハザマが答える。
……どこのどいつが、おれの噂を流しているんだか……。
「おお。そうかそうか。
それでは、なんとかしなくてはなあ。うん。
今日明日にすぐ、というは無理だが、できるだけ早いうちに数を揃えてその屋敷に届けよう」
「……なにいきなり協力的になってんだよ……」
「こんどのいくさも、また派手にどばーんとやるんだろう?
うちの矢を使って、是非、大活躍してくれ。
そうしたら、ハザマの洞窟衆ご用達と看板にデカく描いてやるから」
「……あー、もう。
好きにしてくれ!」
「……どんな噂が流されているんでしょうね?」
「知らね。知りたくもねえ」
帰り道、リンザの問いかけをハザマは軽く流す。
「なあなあ、あんちゃん」
道案内の浮浪児が、ハザマに問いかけてきた。
「あんちゃん、本当にあのハザマなのか?」
「ハザマですが、なにか?」
この問答も、本日三度目だ。
ハザマもいい加減、うんざりしている。
「あんちゃん、あんまり強そうには見えないな。
あの赤鬼を退治したって話だろ?」
「あー。
ヴァンクレスな。昨日、詰所に突きだしてきたばかりだけど」
「本当か!
赤鬼って、こーんな大きくて真っ赤な髪をしているって……」
「ガタイはでけーし、赤毛なことは確かだ。
普段は兜を被っていることが多いんで、髪の色はあまり意識したことがないが……」
「一対一で赤鬼と決闘して勝った本当か?」
「……うーん、まあ。
一応。
嘘ではないな。うん。
成り行きでそうなったってだけだけど……」
「すげぇー!
じゃあさ、じゃあさ。
そん時のことを教えてよ!」
「面倒くさいから、パス」
「……えー!」
「ええと、リンザ。
あとは任せた」
「任されません」
「おい、お前」
「面倒な仕事をいつも押しつけないでください」
帰ると、建物の前に見慣れない旗が翻っている。
「……なんじゃこりゃ?」
その旗を見て……いや、より正確にいうのなら、その旗に描かれた文字を見て、思わずハザマは間の抜けた声を漏らしていた。
図案化された「繁」という漢字が、その旗に浮かび上がっていたのだ。
どうみても、ハザマの名前に由来するデザインであるとしか思えない。
「ああ、あれですか?
昨日、布地を買いつけにいった時、ついでに発注しておいたものです。
あの旗を、これからこの商会に関係する馬車につける予定でおります。
わがハザマ商会のトレードマークといいましょうか……」
「……ちょっと待ったっ!」
滔々と説明しはじめたゴグスを、ハザマは慌てて止める。
「今、なに商会といった?」
「ハザマ商会、ですが?」
ゴグスは、「なにを今さら」といった表情で、ハザマの顔をしげしげと眺める。
「商会を立ち上げる時、金主の名を表に出すことはままあることですし、洞窟衆の名を直接に出すよりはハザマ様の名を出した方が世間的な印象がよろしかろうと判断いたしまして……」
「……そんならそれで、一言おれに断れよ」
ハザマは、思いっきり渋い表情になった。
「お伺いを出したら、ハザマ様は反対しなさるでしょう?」
「当然だな」
「でしたら……やはり、無断で決定した判断は間違いではありませんでしたな。
凶賊ヴァンクレスをくだしたハザマ様の名は、商売をする上では大変に縁起がよろしい。
新たな商会に関する名としてこれ以上に印象がよい名前というのは、そうそうありません。
ああ、それからこれと同じ旗はまだまだ何十枚とありますから、戦場に赴く際には軍旗としてご使用ください。
そして戦功をたて、是非ともハザマ商会の威名を轟かせていただければ……」
「おい、坊主」
リンザから道案内の報酬を手渡されている浮浪児に、ハザマは声をかける。
「お前、無法者がたむろしていそうな場所を知っているか?」
「知っているけど!」
その浮浪児は即答する。
「ハザマのあんちゃん。
今度は……この宿場町で、なにをすんの?」
「賞金首狩り。
高額な賞金がかかっている無法者を片っ端から捕らえて詰所に放り込む。
案内、できるか?」
「……という段取りでいく予定だ。
ここまでで、なにか質問はあるか?」
日が落ちてから、ハザマは荷捌き所に集まった五十名余りの者たちに語りかける。
リンザ、ハヌン、トエスの三人に、元盗賊の奴隷たち、それに、浮浪者の中から希望者を募って集め、これだけの人数になった。
「質問がなければ……さっきもいった通り、まずおれたちが先行する。
他のやつらは、少し遅れて着いてきてくれ」
まず、ハザマと三人の少女たち、それに道案内の浮浪児が夜の町に繰り出し、少し間をおいて他の者たちがぞろぞろと続く。
街灯、などという気の利いた代物はこの宿場町にはないので、夜に出歩く時はなにかしら照明になるものを持参しなければ暗すぎてまともに歩けない。
火災防止のため町中での松明の使用も禁じられているので、受け皿に油と芯をさしてそこに火を灯した器具を、紐や鎖でぶら下げて持ち歩くことになる。
随分と頼りない照明であるが、それ以上にハザマが気になったのは……。
「なあ、これ。
ちょっと強い風とか吹いたら、すぐに消えるんじゃないのか?」
「え? ええ、そうですね」
リンザが答えた。
「明かりを灯す魔法も、あることはあるんですけど……」
使用できる者は、極端に少ないそうだ。
魔法を使用するためにはそれなりの知識が必要であり、日常生活にあまり関わってこない無駄な知識を学ぶ余裕がある者は、この世界ではかなり限られている。
「これ、まわりをガラスで囲ったりはできないのか?」
そうすれば、ランプになる。
「硝子……ですか?
はなしに聞いたことはありますが、実物を見たことはありません」
なんらかの理由で、ガラスは高級品のようだった。
「じゃあ……そうだな。
せめて、骨組みで囲って紙を張るとか……」
時代劇でおなじみの、行灯、いや、提灯だ。
「それは、いいかも知れませんね。
エルフの製法による薄い紙ならば、そういう細工もできそうです」
帰ったら、ゴグスと相談して作らせてみよう、ということになった。
「おい、坊主。
そういやお前、なんて名前だ?」
ハザマは、今度は道案内の浮浪児に声をかける。
「ダンダ! そう呼ばれてる!」
「そうか。
ダンダはこの町に詳しいのか?」
「ここで生まれ育ったからな!
新市街は、庭のようなものだよ!」
「……その自信が、本当にあてになればいいけどなあ……」
「丈夫だよ!
賞金首がいっぱいいるところだろう? そういうところといったら……」




