鉄蟻の襲撃
「それは、教団としての方針ですか? それとも、個人の見解ですか?」
「両方です。
この場合、両者の区別はありません」
「ふむ」
ハザマは頷く。
「さっきもいったように、現在の洞窟衆では力が及ばない部分が多いわけですが、その前提に立った上で善処してみましょう」
鉱物資源を含めた山岳地の産物、それに山岳民の人的な資源も含めて考えると、できる範囲内で援助して取り込む方策は別に悪手というわけでもない。
また、いわれるまでもなく現在でも実行している部分もあり、ハザマはそう返答しておいた。
「無論、できる範囲内で十分です」
ヘムレニー猊下は頷いた。
「資金面の問題でしたら、教団の方からの支援も可能ですし」
「山岳地に援助を出すとして、教団としてはどのような利益がありますか?」
「布教です」
ヘムレニー猊下は澄ました顔をして答えた。
「教団としては、信者の拡大を図るのは当然のことでしょう。
山岳地方面への布教はこれまでに試みる機会がありませんでしたので、この苦境もいい機会であると見ることもできます」
「ああ」
ハザマはげんなりした顔をして頷いた。
そりゃ、そうだよな。
たとえ宗教団体であろうとも、巨大な組織が見返りがないのに膨大な資金を投下するわけがない。
「まあ、やるなとはいいませんが、お手柔らかに。
強引な勧誘は、少なくともハザマ領内では禁止させていただきます」
「するつもりもありません」
ヘムレニー猊下はそういって微笑んだ。
「別に強引に入信を勧めなくても、わたくしどもの教団は十分に魅力的ですから」
ヘムレニー猊下は、教団は各種回復魔法を含む医療知識や建築、美術などを含んだ先進的な技能集団を抱えており、そうした長い歴史の中で培った知識や技術を目当てにして多くの者が集まってくるといった意味のことを説明してくれた。
そうして出入りする人数が多くなれば、そうした者たちの口から教団の長所が喧伝されてさらに多くの人間を引きつけ、結果、信者の増大に繋がるという。
そういや、元の世界でも組織化された宗教団体は、知識や技術を蓄え、体系的に整理し、後生に伝えるために機能していたよな、とハザマは思い出していた。
それ専門のアカデニズム機構が整うまでは、先進の技術はまずそうした宗教団体が独占的に占有していることも多かったはずだ。
こちらの世界でも、似たような事情なのだろう。
以前、ネレンティアス・シャルファフィアナ皇女がなにかの折りに大学という言葉を口にしていたから、帝国まで行けば専門的な学術機関があるようなのだが、それが具体的にどの程度の規模と内実を備えているのかまでは、この時点でのハザマは知らなかった。
資本と先進的な技術や知識、か。
と、ハザマは思う。
ヘムレニー教団がハザマ領内に敷地を求め、そこに根拠地を築くことはすでに決定している。
そのことが今後のハザマ領に、あるいは山岳地にどのような影響を及ぼしていくのか、この時点で見通すことは不可能だった。
判断するための材料が不足しているし、それ以前に、どんなに心配していても結局なるようにしかならんだろう、と、ハザマは思っている。
投げやりな態度に見えるかも知れないが、ハザマ一個人の影響力など高が知れたものであり、いざというときにはなんの役にも立たないものだと、ハザマ自身は達観していた。
それに所詮、根本的に余所者であるハザマは、この世界の変化に対して強く干渉する権利も持っていないものだという思いもある。
現実にはハザマはすでに領主として認められ、国際社会の中でもそれなりの発言権を得ているわけであり、少なくともハザマが自認する以上の影響力をすでに持っているわけだが、そのことについてハザマはまだ現実以上に軽く考えていた。
「強引な勧誘とかしない限りは、好きにしてください」
というのが、ヘムレニー教団に対するハザマのスタンスである。
これは別にヘムレニー教団に限ったことではなく、他人に害を及ぼす言動を行わない限りは基本放置。
「勝手にやってろ」
というのが、ハザマの基本的なスタンスであるわけなのだが。
「ええ。
好きにさせていただきます」
ヘムレニー猊下はまた、微笑んだ。
『おくつろぎのところ申し訳ありません』
そんな会話をしている途中で、通信が入った。
イリーナからだった。
「緊急の要件か?」
ハザマは確認する。
『鉄蟻たちが集落に襲撃をかけてきました』
イリーナは報告する。
『それ自体は予想の範囲内ですし相応の備えをしてあります。
ですが、念のためにハザマ領に援軍の要請をしておいても構いませんでしょうか?』
「やつら、そんなに大群なのか?」
『いえ。
それほどでもないんですが』
イリーナはいった。
『ただ、地中経由での襲撃は予想していましたが、羽蟻までがいるとは想定していませんでした。
対空戦用の人員はほとんど準備していなかったので、そこで少しまごついているわけです』
硬い外殻を持つ鉄蟻には、通常の弓矢はまず通用しない。
その前提でいたので、弓矢の準備がなく羽蟻に対する有効な対抗手段がほとんどないと説明された。
「大変じゃないか」
ハザマはいった。
「すぐに援軍の要請をしろ」
貴重な転移魔法使いをまた酷使する形になるわけだが、背に腹は変えられない。
こんなところ人件費を惜しんで無駄に人的な被害を拡大するのも、馬鹿馬鹿しかった。
『いえ。
現在、地中から沸いてきた鉄蟻に対処しつつ風系の魔法を使える者を集めて羽蟻に対抗する準備を進めているところでして。
あまり深刻な事態でもないんですけどね』
撃退する自信があるのか、イリーナの声はあまり切羽詰まったものではなかった。
『多少、予定したよりは処理時間が長くなるかなあ、という程度の違いでしかありません』
それでも、余計な費用がかかる援軍を要求するのか、と、ハザマにおうかがいを立てているわけだった。
「妙な遠慮をするな」
ハザマは即答した。
「味方に無駄な被害を出さないことが一番の利益だ」
『了解しました』
イリーナはいった。
『それでは、早速ハザマ領に援軍の要請をします』
「さて、と」
ハザマはたちあがって、自分の服がおいてある小屋へむかった。
「急用が入ったんで、おれはここで失礼します」
ヘムレニー猊下にそういったあと、雪上で遊んでいたバジルを拾いあげてハザマは走り出す。
事態を理解しているのかいないのか、双子たちもハザマのあとに続いて走り出していた。
服を着たあと、ハザマは空をみあげる。
「あそこか」
確かに、黒い雲のような物体が集落の上に存在していた。
その黒い雲状の物体は、よく見ると動いているわけだが。
まあ、まずはあそこまで行けばいいだろう、とあたりをつけて、ハザマは走り出す。
鉄蟻の襲来に備えている、というイリーナの言葉に嘘はなかった。
集落のそこここに、地中深くまで石を埋めた場所があり、集落の人々はその上に集まって鉄蟻に対抗している。
ハザマが到着したときには、すでに集落の中は小さな鉄蟻がびっしりと絨毯のように集まって地面が見えないほどであったが、集落の人々はあまり動揺した様子もなく、そうした鉄蟻に対抗していた。
その場に居る鉄蟻たちは、ほとんどが五十センチ以下の小型のものであったので、多くの者は無造作に踏みつぶしている。
このサイズの鉄蟻が怖いのは、大勢に取りつかれ、その頑丈な顎で一斉に食いつかれることくないなので、冷静に対処していけば別に脅威にはならなかった。
たまたま手足に取りついた鉄蟻がいたとしても、周囲の者が目ざとく見つけてたたき落としたあと、踏みつぶしていた。
意外に頑丈な胴体部分はともかく、細い肢や顎などは、その程度の衝撃で容易く折れ曲がり、機能しなくなる。
たとえ完全に死んでいなかったとしても、機動力と攻撃能力を失ってしまえばそれ以上、その鉄蟻を警戒する必要もない。
労働鉄蟻はその顎で噛みつく以外に有効な攻撃方法を持たないので、顎か足さえ壊してしまえば、それ以降は放置しておいても問題はなかった。
問題は、と、ハザマは思う。
羽蟻の方か。
羽が生えた鉄蟻が、上空から集落に襲ってきていた。
一体一体は小型の鉄蟻よりもさらに小さく、おまけに空を飛ぶため軽量化が必要だったのか、かなり体が細い。
全長が三十センチ以上のものはなく、細長い胴体の両脇に半透明の、かなり大きな羽根が突きだしていた。
その羽根が見た目通りに脆く、素早い攻撃が掠めただけで容易に破れて地上に落ちてくる。
この羽蟻の大群に包まれたとしても、滅茶苦茶に手足を振り回すだけで面白いように叩き落とされていた。
またこの羽蟻に関していえば、たとえ取りつかれたとしてもすぐに振り払うことができた。
小型の鉄蟻よりもずっと華奢にできているらしい。
単独で見るならば、この羽蟻はまるで問題にならない。
今回問題なのは、同時に小型の鉄蟻も襲ってきているという点だった。
羽蟻に対処をしようとすれば相応に手を取られることになり、結果として他の小型鉄蟻につけいる隙を作ることになる。
なんだ、意外に苦戦しているじゃないか。
と、ハザマはそんなことを思ったとき。
唐突に、黒い雲が、大きく攪拌された。
ごう、と風の音がして、巨大な竜巻が集落の上空に出現する。
その竜巻は、出現したときと同様に、唐突に消失した。
と。
そのあと、集落の空は元通りに晴れ渡り、代わりに、羽根を破損した羽蟻が一斉に地面に落ちはじめる。
「風系の魔法、とかいっていたな」
ハザマは呟く。
山岳民の中には、制精霊魔法の使い手もそれなりに存在するということだった。
以前に聞いた説明では、制精霊魔法は威力が大きい代わりに制御するのが難しく、使いどころがなかなかないということだったが、今回の場合に限っていえば絶大な効果を発揮したことになる。
「あとは……」
地上に残っている小型鉄蟻の駆除だけ、だ。
そう思ったハザマは、バジルの能力を全開にして集落を走り回った。
「おーし。
そこそこ。
もうちょい右だ。
そこで、坩堝を傾けろ」
坩堝の中身、真っ赤に熱せられた金属が鉄蟻が出てきた穴に注ぎ込まれる。
そのあと、その穴の上には巨大な鉄蟻の体が置かれた。
まだ動いている鉄蟻は存在したが、すでに事態は収束にむかっており、集落の中はすっかり落ち着きを取り戻している。
しつこく生き残っていた鉄蟻を追いかけたり、バジルの能力によって動きを止めていた鉄蟻をバラして無力化したり、鉄蟻の死体を邪魔にならない場所に集めたりといった作業が進行中であったが、これらはすでに残務処理であるといっても過言ではなかった。
「あまり深刻な事態ではない、といった通りでしょ?」
イリーナはそういった。
「これでも事前に、過去の鉄蟻の記録を改めて相応の準備を進めていたんですから」
この集落に鉄蟻が攻め込んできた場合の対処法についても、いくつかのパターンを想定した上で手順所を作成し、何度か演習を繰り返しておいたのだと、イリーナはハザマに説明した。
「死体を運搬する手間を考えると、こちらからむこうの巣の近くまで攻め込んでいくよりは楽になるくらいで。
ただ、あの羽蟻は過去の記録になかったので、少し焦りましたが」
「おれ、ここに来る必要もなかったんじゃないのか?」
ハザマはそんな言葉を漏らしてしまった。
「そんなことはありませんよ!」
イリーナは慌てた様子でフォローする。
「ハザマさんのおかげで処理時間が大幅に短縮できたことは確かですし。
それに、ええと、羽蟻の出現ような、予想外の不測の事態に対しても有効打になりますし」
「そうか」
ハザマはあっさりと頷く。
とりあえず、そういうことにしておこう。
「それで、今回は羽蟻と小型のしか出てこなかったが、大型のまでが出てきたらどうするつもりだったんだ?」
「洞窟衆の古参組と、それに付与魔法をかけた者たちが総出で対抗したはずです。
足場の悪い雪上だと少し手間取ったかも知れませんが、地面が露出した集落の中なら十分に抵抗できたかと」
イリーナがこういうのなら、実践を想定して訓練もそれなりに積んできたのだろうな、とハザマは思う。
「こちらの想定を遙かに上回る敵が出てきたら?」
「この集落を放棄して、逃げます」
イリーナは即答した。
「集落の全員を短時間で退避させることが可能なだけの転移魔法使いは、常時待機させておりますので」
集落の中にも多数の転移魔法使いを配しているし、いざとなればハザマ領に居る予備の転移魔法使いも一斉に動くことになっていたという。
この集落の人数は、そうした一度に動かせる転移魔法使いの数によって上限を設定されていると説明された。




