猊下の見解
ハザマは部屋の中央まで歩いていき、そこにあった火鉢から焼け石をいくつか取り出して水瓶の中に落とす。
双子が入ってきたため、蒸気がかなり抜けていたためだった。
「なぜこの時期を選んだのかといえば、それにはいくつかの理由があります」
ヘムレニー猊下はいった。
「元々、わたくしの教団はあなたの洞窟衆と協調して動くことを考えていました。
これまでに調べてきた限りでは、あなたの目的と教団が指向するところとの間に齟齬が見られない。
そういう結論が出ていたからです」
「おれたちの動きを観察していたのですか?」
「うちの教団くらいの規模になりますと、別に監視をするつもりがなくても各地でなんらかの変事が起こればなにかと上の方に注進してくる信者の方々には不自由しないものですから」
まあ、普通に思い返してみても、洞窟衆はその変事とやらばかりを起こしている集団だよな、と、ハザマも納得をする。
たいていは、外部からのなんらかの要請を受けた結果として、そうした変事を起こしてしまっているわけだが、いずれにせよ注目を集める理由には事欠かない。
それに、教団が耳目となる人々に事欠かないというのも、嘘ではないだろう。
広域な範囲に多数の信者を抱えているということは、そういうことなのだ。
「でもそれは、あくまでそちらの教団がうちと協調する根拠にはなるでしょうが、今の時期を選んで教団のトップである猊下が直々に出張ってくることの理由にはならないと思います」
ハザマは指摘をする。
「そうですね」
ヘムレニー猊下はハザマの言葉に頷く。
「なぜ今の時期にここに来たのかといえば、ごく近い将来にあなたがわたくしの助けを必要とすると予測したからです」
「なぜそう判断したのですか?」
そう聞いて、ハザマは露骨に渋面を作った。
「よろしければ、そう判断した根拠についてご説明いただきたい」
「だってあなた様は、鉄蟻との接触を開始したところでしょ?」
ヘムレニー猊下は微笑んで、小さく首を傾げる。
「あの子たちは、唐突に連れてこられたこちらに根を張り、すでに確固たる地位を築いている存在です。
しかも、それこそ、あのルシアナでさえその支配下に置くことを諦めるほどに強力な。
安易にあの子たちに手出しをしたあなた方が、今後、無事でいられるとも思えません」
「それは、警告ですか?」
「なぜに、わたくしがあの子たちの立場を代弁する必要がありましょうか?」
ヘムレニー猊下は笑みを崩さずに続ける。
「わたくしは、客観的な視点から見て予想されるべき未来図を語っているだけです。
そもそもあなた様は、なぜあの子たちに手を出したのですか?」
「理由はいろいろあるのですが、一番大きいのは不足してきた鉄材を補充するためですね」
ハザマは簡単に説明をする。
「なにをするにしても、今後、鉄は必要になる。
それ以外に、山地の輸送網を強化するための根拠を作るとか、山岳民に仕事と食料を配布するための口実を作るとか、副次的な効果も見込んでいますが」
当然のことながら、既存の鉱山はすでに山岳民たちががっしりと押さえていて余所者が入り込めない状態であった。
定量的に鉄を入手するための方法として、鉄蟻の巣を襲うのが一番手っ取り早かったのだ。
「確かに、今の時点でならあなた様はあの子たちに遅れを取ることはないでしょう」
ヘムレニー猊下はハザマに告げる。
「ですが、あの子たちが本気で反抗を開始したら、この山地は元より大陸の半分以上はあの子たちの縄張りと化してしまいかねません。
だから、ルシアナもあえてあの子たちには手を出さなかったのです」
「あの鉄蟻は、そんなに強いのか?」
「個体の強さは、あなた様が先ほど確認した通り、さほどでもありません。
十分に訓練された者なら、数名が連携すればなんとか倒せる程度です。
ですが、それはあくまで個体での強さに過ぎません。
ひとりの兵士の強さを見て全軍の強さを判断するのは、愚かな行為であるかと」
「……数の問題、か」
「いくらあなた様でも地平線の隅から隅までを覆い尽くすほどの大群に抗することは不可能でございましょう」
ヘムレニー猊下はそう指摘をしてきた。
「やつらは、そんな大群を動かすことができるのですか?」
流石のハザマも、眉をひそめた。
「やつらは、自分の縄張りから出てこないと聞いていますが」
「あの子たちが自分の設定したテリトリーの外に出ないのは、そうする必要がないからに過ぎません。
しかし、自分たちを脅かす存在があると知れば、全力でそれを叩きに来るはずです。
あなた様は、あの子たちにとって十分な脅威となり得ることをつい先ほど、証明してしまいました」
「……虎の尾を踏んじまったのか」
ハザマは、顔をしかめた。
「やつらをおとなしくさせる方法はありますか?」
「実際に可成功するかどうかはわかりませんが、対話の場を作ることは可能かと思われます」
「対話?」
思わず、ハザマは聞き返す。
「交渉……できるほどの知性が、やつらにはあると?」
「あの子たちに知性があるかどうかは、知性という言葉の定義によって答えが変わってきます。
あの子たちはヒトのような思考を持つわけではありあせんが、群れにとって利益になることと不利益になることの判断をくだすことができ、後者よりは前者を選ぶだけの分別もあります。
そして、ヘムレニー、つまり古語でいう仲介者であるわたくしは、あの子たちとあなた様との間を取り持つことが可能です」
そう来るか、と、ハザマは思った。
鉄蟻を出汁にして、自分の立場を売り込んできているとも判断できる。
いずれにせよ、このヘムレニー猊下がしゃべった内容を検証もせずに丸飲みにするつもりは、ハザマにはないわけだが。
「そちらの件についても、もうしばらく判断を保留させていただきます」
ハザマはいった。
「もう少し様子を見て、もし本当に助けが必要となることがあれば、そのときは遠慮せずに縋らせていただこうかと」
「あなた様は随分と早く結論を出すのですね」
ヘムレニー猊下は、例のアルカイック・スマイルを浮かべる。
「しかも、最悪のときに備えながら現在の利点も失することがない態度を選択している。
あなた様は、これまでの亜神の協調者にはいないタイプの方ですね」
「そんなに多いんですか?
その、亜神というやつは?」
「さて、どこからが多くてどこまでを少ないというのか。
その基準が今ひとつ分からないのですが、亜神と呼ばれる存在は思いの外多くこの大陸に発生しているのではないかと思われます。
少なくとも、わたくしはそう思っています」
ヘムレニー猊下は淡々とした口調で説明してくれる。
「ですが、その多くは協調者を得る前に死に絶えます。
亜神とはいえ、生物の姿を借りてこの世に出現する以上、淘汰圧に晒されているわけですから」
「普通の生物のように食われるっていうのか?」
「補食されることもあれば、餓えて死ぬこともあるでしょう。
生き残り、与えられた役目をまっとうするところまで成長できるのはごくごく僅かであるかと」
「……いいのか?
仮にも神に準ずるものが、そんな体たらくで……」
「たとえ亜神といえど、自力で生き抜けるほどの力さえ持たない存在はそもそもあまり役には立ちません。
強い者が生き残り、弱い者が淘汰されるのは自然の摂理にも適っているのではないですか?」
ヘムレニー猊下は、ハザマがなにに困惑しているのか理解できないようだった。
あるいは、ハザマが持っている神、ないしは神性に対するイメージ自体が、この世界では異質であるのかも知れなかったが。
「歴代の亜神の協調者の中には、王朝を起こした者も少なからず存在しております。
それに、学問を発展させたり作物の品種改良を極めるなどの形で世に影響を与えた者もいます。
それ以外に、生涯無名のまま人知れず多くの民を救った英傑も多くいます。
と、このように列挙していくとかなり多いように錯覚しますが、実際には同時期に活躍できる協調者はせいぜい数名といったところでしょうか。
それも、そのだいたいがかなり離れた場所で発生するので、こうして実際に協調者同士が接触できること自体、かなり珍しいのです」
つまりは、亜神なりその協調者なりとは、その程度の確率でしか発生しないということだった。
「それじゃあ、ヴァンクレスとか猊下とかと普通に顔を合わせているこのおれは、かなり異例な存在になるんじゃないか?」
「はい。
かなり」
ヘムレニー猊下は素直に頷く。
「なんの干渉もない状態で普通にガルバスとその協調者と合流している時点で、あなた様はかなりおかしいです。
おまけに、異邦人であるとか。
こんな例は、空前絶後であるといっても過言ではないでしょう。
そうした点も含めて、あなた様は大変に興味を引かれるわけですが」
そしてヘムレニー猊下は意味ありげな表情を浮かべた。
「ちょっくら、体を冷やしてきます」
そういってハザマは、またぐったりしてきた双子を抱えて室外に出た。
体が小さい分、双子たちはのぼせるのが早い。
双子たちを雪の中に放り込み、自分自身も雪の中に横たわり、手で雪をすくってすっかり火照っていた自分の肌に擦りつける。
肩に乗っていたバジルが雪の上に這いだして周囲をうかがいはじめた。
雪上でも別に不自由なく動き回っているところを見ると、やはりこれはトカゲの形をしたナニモノかであり、見た目通りのは虫類ではないのだな、と改めて納得できる。
どうみても、外部の気温によって大きな影響を受ける変温動物の動きではない。
「ふぅ」
ハザマは息を吐いた。
雪の冷たさが、今はかなり心地よい。
極限まで熱された、体に凍傷するような冷たい雪。
この温度差は、いいな。
とか、ハザマは思う。
ふと横を見ると、双子たちがお互いに雪をかけあってはしゃいでいた。
ハザマも再度雪を手ですくい、それを自分で顔を濯いだり、胸板につけたりする。
上気していた肌が徐々に冷え、引き締まっていく感触。
「この開放感は、日本では決して味わえないだろうな」
誰にともなく、呟く。
単なるサウナに入るだけならば可能なのだろうが、これほど自然が残っている場所で奔放に楽しむのは、まず確実に無理だろう。
そんなことを考えながら雪の冷たさを全身で味わっていると、蒸し風呂小屋から白い裸体が飛び出してこっちに駆け寄ってきて、ハザマのすぐ横の雪原に倒れ込む。
いうまでもなく、ヘムレニー猊下だった。
「先ほどのおはなしの続きになりますが」
ヘムレニー猊下はしばらく邪気のない様子で雪の上を転げ回ったあと、上体を起こしてハザマの顔を見つめる。
「あなた様はルシアナを倒しました。
結果として、もう長いことルシアナが守ってきたこの地の均衡状態も崩したことになります」
「それを責めるおつもりですか?」
ルアによると、このヘムレニー猊下とルシアナは長年に渡る親交があったそうだ。
あまり敵討ちなどに拘るタイプにも思えないのだが、ハザマは一応身構える。
「とんでもない」
ヘムレニー猊下はあっさりと首を横に振った。
「闘争もその結果も、すべては自然の摂理の内にあります。
勝敗の結果はそれこそときの運。
そのこと自体について口を挟むつもりはありません。
しかし、その結果として山岳地を中心としたかなり広い地域で一種の混乱状態が生じていることも事実です。
あなた様には、ルシアナをくだした責任をとって少しでも秩序の回復に努めていただければと、そのようなことを望んでおります」
「いや。
それは土台、無理な注文です」
ハザマは即答した。
「現状でも、洞窟衆は手一杯です。
業務の拡張につぐ拡張で、まるで人手が足りていない現状でして。
今まで以上にまた手を広げようとすると、おれが部下たちから突きあげを食らいます」
洞窟衆が組織的な活動を開始してから、まだ半年も経っていない。
にもかかわらず、領地を経営する傍ら広大な商圏を確立し、大小の紛争に出兵もしている。
客観的に見て、洞窟衆はその発足以来、周囲の状況によってオーバーワークを強いられていると見なしても、どこからも文句が出ないだろう。
さらにこの上、広大な山地の秩序と平和にまで責任を負えとか無茶な注文をつけられたら、ハザマでなくとも即座に断りたくなるはずだった。
「無論、できる範囲内で構いません」
ヘムレニー猊下はそういい直した。
「今までの通りに、支援が可能な範囲内で、支援を望む山岳民に手を差し伸べ続けてください」
「……こっちは、そんなにやばい状況なんですか?」
猊下の態度を見て、ハザマの方が心配になってきた。
「すぐにどうこうということはないと思います。
しかし、部族連合も、所詮はルシアナの影響下であることを前提とした体制です。
五年先、十年先にまで健在であるかどうか。
あるいはもっと長い目で見ると、中央委員の求心力は徐々に薄れて分裂していくのではないかと予測しております」
ヘムレニー猊下の予想は、いつだったかバツキヤが語っていた分析とさして変わるところない内容だった。
「部族連合の政治的な統一性が失われること自体はどうでもいいのですが、そうした混乱時には必ず、多くの民が餓えます。
あるいは、内紛により命を落とします。
そうした犠牲が少しで減るように努めてくださることを、わたくしは望みます」




