停戦の実務処理
そのすぐあと、ハザマはトロワの背に乗っていた。
トロワはハザマ以外にもムッペルエンデ卿が伴ってきた魔法兵を背に乗せた状態で、苦もなく疾走している。
ハザマたちを背に乗せた水妖使いたちはあっという間に魔法効果消去結界の効果範囲外に出た。
ハザマの背中側から、魔法兵が転移魔法の呪文を詠唱する声が聞こえてくる。
ハザマは首にかけた宝玉に意志を集中し、
「無差別に伝える」
ことを強く意識しながら、通信で以下のように語りかける。
通信術式をこのような、つまり受信する相手をあえて指定せず、不特定多数に設定するやり方で使用することは、ハザマにしてみてもはじめての経験であった。
『この場に居合わせた全員に告げる。
先ほど、スデスラス王国軍の総司令であるエデチエル伯爵が自害した』
前後の事情についてはあえて伏せることにした。
必要を感じれば、スデスラス王国軍の将兵がフォローするはずだ。
特にスデスラス国王とのいきさつに関しては、ハザマ自身にしてもまだ消化しきれていない感があり、うまく説明する自信もなかった。
『スデスラス王国軍の兵士たちはすでに感じていることと思うが、その際にエデチエル伯爵は全将兵の契約魔法を解除している。
諸君はもはや何物にも縛られない身である。
もはやこれ以上、交戦を続ける理由もない。
速やかにガダナクル連邦に投降してくれることを期待する。
また、ガダナクル連邦側の兵士たちにも告げる。
交戦する意志がないことを示したスデスラス王国軍の兵士たちを殺傷することを控えてほしい。
契約魔法が無効となった今、彼らはすでに敵軍の兵士ではない。一個の独立した人格である。
投降した意志を示した者を殺傷することは、戦いではなく一方的な暴行に当たる。
不合理、不名誉な行為であるばかりではなく、あたら有用な人材を無駄に消尽する不経済な行為でもあると肝に銘じて欲しい。
繰り返す。
スデスラス王国の体制が大きく揺らぎ、この地の兵士たちの契約魔法が破棄された今、これ以上戦闘行為を続行する理由はなにひとつない。
全軍、速やかに戦闘行為を中断し、新たな指示がくだされるまでその場で待機をすることを希望する』
そうした通告をしている途中で、ハザマたちは野営地のただ中へと転移した。
見渡せば見おぼえのある風景。
ハザマたちはすでに野営地内にある路上に居た。
「司令部、ファンタルさんが居る場所はわかるか?」
ハザマは跨がっているトロワに訊ねた。
『わかるー』
トロワは通信で応じる。
『匂いがするー』
突如出現したハザマたちに対して何事かと目を丸くして見守る通行人たちを尻目に、水妖使いたちはまっしぐらに司令部の前まで駆け抜けた。
天幕の前でトロワの背から飛び降り、ハザマは司令部の中へと入る。
その際、門番の兵が誰何しようとしたが、ハザマが生首を抱えていることに気づくと気圧された様子で退いた。
「ファンタルさん!」
ハザマは一直線にファンタルの元へと駆けつける。
「今の通信、聞こえましたか?」
「ああ、聞こえた」
若干疲れの見える表情をしたファンタルは、軽く頷く。
「詳しい事情も聞きたいところだが、もう少し待て」
そして、ファンタルもハザマに倣って受信者を選ばない無差別通信をはじめる。
『この場に居合わせた全将兵に告げる。
こちらは、ガダナクル連邦の総司令を勤めるファンタルである。
スデスラス王国が瓦解しつつあり、この地の司令官であるエデチエル伯爵は自害した。
もはや、これ以上の交戦に一切の意味はない。
これ以降の戦闘行為は、単なる私闘と見なす。
スデスラス王国軍は速やかに投降し、ガダナクル連邦の者は投降した兵士を保護せよ。
繰り返す。
これ以上の戦闘行為は意味がない。
無駄に死傷したくなければ速やかに一切の戦闘行為を停止せよ』
通信でそこまで伝え終わると、ファンタルは司令部内に居た者に、
「医療班と配膳車両に出発するよう、伝えよ」
と指示を出す。
それから、ハザマたちに改めてむき直った。
「それで、なにがどうなったんだ?」
「なんていうことだ」
その通信が届いたあと、多くのスデスラス王国軍の兵士たちはその場にへたり込んだという。
「あれだけの被害を出しながら……」
「おれたちがやったことは、無駄だったというのかっ!」
誰にともなく、そんな悪態をつく兵士も居た。
「は。
はははははは」
泣き笑いの表情で、力のない笑い声をあげる兵士も居た。
「逃げるか?」
「どこへ?」
そんな問答をする兵士たちが居た。
「なんだ、大将の声じゃないか」
ハザマの通信を耳にしたあと、馬上のヴァンクレスは誰にともなくそう呟く。
「しかし、これで終わりか。
確かにやる甲斐もないいくさだったが……」
大槌を自分の肩に乗せて、急速に戦意を喪失した敵兵たちを睥睨する。
「お前ら、それで納得がいくのか?」
挑発するように、そんな声を出した。
「ヴァンクレスさん!」
スセリセスの馬が近づいてきて、厳しい声を発した。
「今の通信を聞いたでしょう。
そんな挑発するようなことは控えてください」
「なんでだ?」
ヴァンクレスは首を捻る。
「これまで、何千何万って死人を出してきたってのに、その一切が無駄だったといわれたんだぞ。
普通なら、腹が立たねえか?」
「だからといって、さらに被害を増やそうとするのも……」
「そいつのいう通りだ!」
スセリセスの声は、途中で蛮声に中断された。
「上の事情は知らないが、ここまで来て手打ちだこれ以上戦うなといわれ、すぐにはいそうですかと頷けるもんか!
おれの仲間が、いったいどれだけ死んだと思っていやがるっ!」
声の主は、汚れた甲冑を着込み、柄の曲がった槍を杖代わりにしてようやく立っている態のスデスラス王国軍兵士だった。
「おれの小隊の中で、生き残ってここまで来れたのはおれひとりだ!
ここで……ここんなところろで止めちまったら……先に行ったやつらに顔むけできねえ!」
「それでどうする」
ヴァンクレスは馬上からその兵士に語りかける。
「これ以上の戦いは、確かに無駄だ。なんの意味もない。
そうとわかった上で、やり通すつもりか?」
「おうさ!
やってやる!」
その兵士はおぼつかない足取りで、それでも手にしていた槍の穂先をヴァンクレスにむけた。
「いくぞ!」
そのまま、ヴァンクレスの馬へと突進する。
ヴァンクレスはほんの少し馬を動かし、その穂先を避けた。
その上で、その兵士の手元に大槌を振りおろす。
もちろん、兵士の手の骨も砕けていた。
「その意気だ」
ヴァンクレスはいう。
「お前の戦いは、ここで終わった。おれが今、終わらせた。
他にも納得がいかないやつはいねえかっ!」
その後も何人かのスデスラス王国軍兵士たちがヴァンクレスに挑み、そして即座に返り討ちにあったという。
続々と、スデスラス王国軍兵士たちが投降の意志を示してくるという報告が入ってくる司令部で、ファンタルはハザマとムッペルエンデ卿からの報告を聞いた。
無論、数名の書記がそうした報告を速記で記録している。
ムッペルエンデ卿は、一連の報告を終えると同伴した魔法使いたちを伴ってそのまま姿を消した。
占拠したばかりのミノルダとジュムバツも、まだまだ長く目を離せる状態ではないのであった。
この際、水妖使いの三人はこの場に置いていっている。
「まさか本当に、敵指令の首を持ち帰るとはな」
一通りの報告を聞いたあと、ファンタルはそういって首を左右に振った。
「おぬしが敵本陣に近づけば、それだけで敵の指令系統に遅延が生じるとは思っていたのだが」
逆にいうと、ファンタルはハザマの動向に関して、その程度の効果しか期待していなかった。
だから、
「好きに動け」
といった意味のことを伝えていたのである。
ハザマがどのような行動をしようとも、ハザマの存在自体が敵軍の動きを牽制する効果を持っていることはわかっていたのだ。
「おれの手柄というよりは、完全に敵さんの自滅なんですけどね」
ハザマは素っ気ない口調でそういった。
「強大な敵よりも無能な味方の方がより大きな障害となることは、ままあることだ」
ファンタルはそう意見を述べた。
「……そういや、おれの世界でもたいして事情は変わらないような」
ハザマも、そんなことを呟く。
「一番の敵は、無能な味方か」
心当たりが、ありすぎるのだった。
「ともあれ、ここでの戦争はこれで終わりですかね?」
ハザマがファンタルに訊ねる。
「それはどうかな?」
ファンタルは小さく首を傾げた。
「スデスラスの方は片づいたが、まだガンガジルが残っている。
あちらが今後どういう出方をしてくるのかは、今の時点では読み切れない。
それを別にしても、まだまだ戦後処理が残っている。
メキャムリム姫にいわせると、なんでもいくさは実際の戦いよりも……」
「その前の下準備と、そのあとの後始末の方が数倍面倒くさい、ですね」
ファンタルが停戦命令を発した直後に、大量の車両と人員とか野営地をたって戦場へとむかっていた。
車両は、食料や医療品を満載した荷車と、それに煮炊きをするための設備を備えた配膳車からなっている。
この手の物資はいくさの趨勢がどちらに転んだとしても必要となるため、かなり大量に備蓄されこうして放出される時期を待っていた。
物資だけではなく人員についても、この日のために各種の応急処置が行える人員をかなり多く養成している。
そうした知識や技能の伝授は、例によって洞窟衆の医療班が中心となって行われていたわけだが、その際に医療班筆頭のムムリムは、
「うちの子たちは、外科処理ばかり上達して」
と、そうこぼしたという。
国境紛争から召喚獣騒動、そしてこのいくさと、立て続けに大量の負傷者を処置する現場が続いているため、洞窟衆の医療班の中では、傷口の縫合ばかりが上達していく者が多かった。
だからといって、今回のような大口の現場においては、その洞窟衆関係の人員だけではとうてい手が回りきれない。
そこで事前に、素人でも可能な処置はできるだけ素人にして貰おうと、日数をかけて必要な知識を仕込んでいたのだった。
負傷者の搬送。負傷の度合いをみて、処置を行う優先順位を決める。痛み止めを投与する。処置をする前に傷口を洗浄する。処置が終わった者に対して必要な注意事項を伝える。
など、深い医療知識がなくともできる仕事はそれなりに多く、また、そうした雑事を多人数に振り分けないと到底手が回りきらず、結果として助けられるはずの負傷者を助けることもできなくなる。
ガダナクル連邦はこうした医療行為に必要な予算をかなり多く用意し、専任の要員として戦闘員に匹敵する五万人前後を新たに雇い入れていた。
むろん、人道的な見地からだけではなく、敵味方に関わらず助けるべき人員の労働力としての価値を惜しんだからであり、また、医療用の人員についても、今回以降にも利用価値があると認めていたからであった。
ここまで大きないくさをくぐり抜けて独立を守る以上、ガダナクル連邦も今後の繁栄をどうにかして勝ち取らねばならない。
そのためには、優秀な医師もそれなりの人数、必要とする。
ガダナクル連邦の上層部は、戦後の体制まで視野に入れて動きはじめていた。
まだそこここでしぶとく小競り合いを続行している者も居るようであったが、大部分のスデスラス王国軍兵士たちは虚脱した状態で自分たちになんらかの沙汰がくだるのを待っていた。
そんな戦場に到着した医療班と配膳車は、すぐに働きはじめた。
配膳車は、敵味方に関わりなくパンや煮込み、粥などの食料を配りだし、医療班はすぐさま負傷者の手当を開始した。
この戦闘は朝方からはじまったのだが、今ではもう日が落ちかけている。
それだけの時間が経過していたため、配膳車が近づいて料理の匂いを漂わせるようになると、すぐさま多くの兵士が配膳車の周囲に群がった。
「パンはひとりひとつずつだ!
まだまだ大量に用意しているから慌てないでくれ!」
そうした食料は敵味方に関わらず配っているということが知られるようになると、スデスラス王国軍の兵士たちも配膳車へと集まりはじめた。
そうして自力で歩ける兵士たちに関しては、医療班の出番はないということでもあった。少なくとも、優先順位は低い。
医療要員はその場から動けない者たちに近づき、負傷状況などを確認する。
失血のため顔色がほとんどなく、反応らしい反応も示せない手遅れ組も数多くいたが、痛みにより意識を失っているだけの者も多かった。
五万人からなる医療要員は広い戦場に散らばって、そうした負傷者に対してひとりひとり必要な処置をしていく。




