スデスラス王城の災厄
ミノラダとジュムバツは、ともについ先頃までスデスラス王国に属していた港町である。
現在、両者の主要な官庁はグフナラマス公爵軍によって占拠され、事実上占領されているところであった。
この二つの港町はトモベツという峻厳な岬の両側に位置しており、直線的な距離でいえばごく近い場所にある。
だが、実際にそのどちらかから別のどちらかに移動しようとすると、陸路であっても海路であってもぐるりと大回りをする必要がある、という微妙な位置関係にあった。
しかし、大型の船を直接つけることができる港が近場にはほとんどないことから、近隣からは「ミノラダとジュムバツ」、あるいは「双子の港町」と一括して語られることが多かった。
「おう。
誰かと思えば、ニョルトト家の嬢ちゃんか」
占拠したジュムバツの市庁舎の中で、ムッペルエンデ・グフナラマス卿は遠方からの通信に応じていた。
「いやはや、この通信というやつはたいした代物だのう。
こいつのおかげでいくさの手配も随分と楽になった。
それで、今度は……ふむ。
ワデルスラス公爵よりも先にスデスラス王の身柄を押さえたい、と。
なるほどなるほど。
そういう状況か。
それでは確かに、国王を質に取って軍を退かせるのが上策というものだな。
そのまま放置すれば、ワデルスラス公爵はスデスラスの王族を根切りにしてしまいかねん。
そのためには……おお。
あの娘たちを使うか。
よかろう。
こちらでも早速、そのように手配をしよう」
その頃、スデスラス王国の王城は近年まれにみる争乱の最中にあった。
大勢の借金取りが詰めかけ、城内のめぼしい財貨を片っ端から搬出しだす、というだけでも十分に前代未聞の珍事といえたが、今ではそれに加えてワデルスラス公爵の軍勢が続々と城内に入り、さらに輪をかけた騒動にまで発展している。
城内で、抵抗らしい抵抗はほとんどなかった。
というか、大勢の借金取りが問答無用で城内の金品を搬出し出した時点で、城勤めの兵士たちのやる気はほとんどなくなってしまったようだ。
仮にこの危地をどうにかして凌いだと仮定しても、この分だと自分たちに支払われる給金にも事欠くはずなのである。
それで兵士の士気が保てると思う方がどうかしていた。
表だって公然と職務を放棄する者はほとんどいなかったが、王族の居場所を問いかけてくるワデルスラス公軍の兵士たちに抵抗しようとする者も皆無であった。
逆に、
「知っているが、タダで教える気にはならないな」
などと暗に賄賂を要求する者、どさぐさに紛れて城内の調度などを懐に納める者などが続出した。
もはや、今朝、ミノラダとジュムバツが呆気なく陥落したという報せが届く前とは、なにもかもが違ってしまっている。
わずか一日も経っていないうちに、この歴史あるスデスラス王国は滅びたのも同然の存在と化してしまった。
一応、まだ正式にスデスラス王国が何者かに打倒されたわけではないのだが、ここから再起をすることは事実上不可能だろう。
少なくとも、王城周辺に居る人々は、そのような見解を共通して持ち、そのことを前提に行動しはじめている。
あるいは、遠いガンガジル王国方面へと赴いている派遣軍が予想もつかないような戦功を立ててこの状況を打破してくれる可能性もなくはないのだろうが……常識的に考えて、そんなことは万が一以下の、ごくごく希少な確率でしか起こらないだろう。
事情を知る誰もが、現状をそのように認識していた。
つまりス、デスラス王国は、辛うじてまだ死亡宣告をされてはいないのだが、事実上は死に体である……と。
そのような中、王城内を必死に逃げ回っている者たちが存在した。
いうまでもなく、渦中にあるスデスラス王国の王族たちである。
彼ら、王族たちは親子や兄弟など、親しい者数名ずつに別れて城内のそこここに潜みはじめていた。
正妃、側室、その子たちなど、つまりいわゆる王子や王女、それに、王の両親や叔父、叔母、従兄弟、兄弟なども含めるとその数は軽く数百人という単位になる。
そのほとんどがこの王城内からほとんど出たことがない人々であり、この非常時においても外に逃れるという発想ができなかった。
いや、仮にそのことを思いつき、実行したとしても、外界についての知識を著しく欠いた彼らでは、敵に捕まる前に外の環境に無事に順応できなかっただろう。
彼らスデスラス王国の王族たちは、これまでわが物顔で練り歩いていた城内を、今では人目を避けるようにして逃げ回るはめになっていた。
そんな不器用な逃避行が長く続くわけもなく、スデスラス王国の王族たちはひとりまたひとりとワデルスラス公の兵士たちに捕らえられていく。
「ワデルスラスの手の者だと!
たかが分家の兵の分際で、われらに無礼を働くというのか!」
年かさの王族が城内のどこかで嗄れた抗議の声をあげていた。
「無礼以上の真似も、許されているんですがね」
若い、いや、幼いといった方がいいようなワデルスラス公爵軍の兵士が、皮肉げな笑みを浮かべつつ答える。
「捕らえる際、抵抗した場合は殺傷しても構わないといわれています。
ここで抵抗して殺されることを選びますか?」
そういわれてしまえば、取り囲まれた王族の側はがくりとうなだれるしかない。
この侵攻を行うにあたり、ワデルスラス公爵はメレディラスの王室から、
「ぐれぐれも、いくらかの王族は生かして捕らえること」
と念を押されていた。
メレディラス王国側の人間が直接的に統治を行うよりは、傀儡にしたスデスラスの王族を介して間接的に統治した方が、占領政策を行う際にもより円滑に行えるという計算からである。
スデスラスの王族は、奪取した旧スデスラス王国の領民へ、というよりは、同時にスデスラス王国内に侵攻してきた勢力へを牽制するために、もう少し必要だった。
逆にいえばこれは、対外的にそうした間接統治を行えるだけの王族を残しておけば、あとは根絶やしにしてもいい、ということでもあるのだが。
いずれにせよ、ワデルスラス公爵軍にとって、現在のスデスラス王国の王族とはその程度の存在でしかなかった。
若い女性の王族を見つけ次第、その場で襲いかかった兵士たちも珍しくはなかった。
略奪や暴行はこうした侵攻の際にはつきものであり、下手に抑制するしようとする兵士たちが反抗的になったり、最悪、反乱に至ることもある。
このため、この手の乱交はよほど度を超さない限りは黙認されることが多かった。
こうして、借金取りと王族狩りが横行する城内を、スデスラス王は腹心の数名のみを連れて逃げ回っていた。
これまでにさんざん軽んじてきたワデルスラス公爵の手勢にいいようにされているのは口惜しい限りだが、それ以上に今は自分の命が惜しい。
身なりから身分が明らかになることを恐れ、このときのスデスラス王は出入りの庭師から入手した粗末な衣服を身につけていた。
本人の了承を得て借り受けたわけではなく、中院内にあった物置小屋に放置されていたものを勝手に着用したのである。
何名かついてきた腹心たちにも、怪しまれないように同じくらい粗末な衣服を身につけさせていた。
このときのスデスラス王は六十をいくらか越えた年齢であった。
小柄な体格でもあり、そうしたボロを身につけるととてもではないが一国の王には見えない。
そもそもこのスデスラス王は、普段から貫禄がない、という評判があった人物であった。
「そこのやつら!
止まれ!」
顔を伏せて中院の隅を歩いていくスデスラス王の一行に、横柄な物言いで声をかけた者がいた。
「お前たち、何者だ!」
「わ……われらは、しばがない庭師にございます」
顔を伏せながら、スデスラス王は震える声で応じる。
「庭師か。
なるほど、それに相応しい貧相なやつらだ」
ワデルスラス公爵軍の兵士たちが、次々とこちらに駆け寄ってくる。
「どれ、お前たちの掌を見せてみろ」
「……掌、でございますか?」
「豆ができる、傷がつく、皮が厚くなる……普段からなにかしらの仕事をしている者は、掌にもそれなりの刻印が刻まれているものだ。
それだけ年老いた庭師であるのなら、それなりの掌になっているはずだな!
ろくに力仕事をしたことがない王族ならば、傷ひとつない柔らかな掌をしていることだろうが……」
顔を伏せたままのスデスラス王は、その場で言葉に詰まった。
そばに控えていた腹心の者が、隠し持っていた剣に手をかけようとしていたが、それを察知したスデスラス王はその動きを目線で制止させる。
仮にこの場を切り抜けられることができたとしても、大声を出されれば、さらに大勢の兵士たちがこちらにむかってくるだけなのであった。
「お戯れを」
いいながら、スデスラス王は自分の掌をその兵士たちに晒す。
「ごらんの通り、綺麗で柔らかな掌でございますが、これは実作業を若い者に委ねるようになってから長く経つからでございます」
「そうか」
スデスラス王の機転を、その兵は鼻で笑った。
「では、今の時期に剪定を必要とする木は、この中院にある中ではどれとどれだ?」
すかさず、次の問いを重ねてくる。
「それは……」
スデスラス王は、動揺がおもてに出ないように気をつけながら、ゆっくりと周囲を見渡した。
もちろん、スデスラス王に庭仕事の知識があるわけでもない。
その事情は、おそらくこの兵士も同様であろうが……この兵士は、スデスラス王の挙動から、何事かを読みとろうとしている。
しかし、ごく低い確率であるとはいえ、この兵士が庭仕事についての知識をそれなりに備えている可能性も、完全にないわけではない。
「それは?」
しばらく言葉が途切れたスデスラス王に、その兵士は追い打ちをかけてくる。
「それは……」
さて、どう答えたものか。
考えつつ、スデスラス王はゆっくりと口を開いた。
そのとき。
「……ちょっと待ったあ!」
不意に、乱入してくる者があった。
しかしそれは、なんという乱入者だろう。
子どもだ。
十代の半ばくらいか。
それくらいの年頃の少女が、見たこともないような巨大な獣に跨がっている。
そして、一本の槍を肩に担いでいた。
獣。
猫に似た、しかしヒトよりもよほど大きな体躯。
そして、発達した二本の犬歯が、長々と口の両端から下に延びている。
「ドウ!
このお爺さんで間違えない?」
『このヒトから、同じ匂いがしてくる!』
その少女は、跨がっていた獣に対してなにやら言葉をかけていた。
その獣から少女にむけた返答は、通信タグを持っていないワデルスラス公爵軍の兵士たちの耳には入らなかった。
「じゃあ、この人でいいのかな?」
獣に跨がった少女は、そんなことをいって一人でうんうんと頷いていた。
そして、周囲に居合わせた兵士たちに、
「悪いけど、この人、今後はこっちで預かるから」
と一方的に宣言した。
「なんだと!」
「いきなり現れたと思えば!」
「不埒者め!」
途端に、周囲の兵士たちは色めきたった。
年端もいかない少女に、軽視されてせっかくの手柄を横取りされようとしている。
と、おそらくは、本能的にそんなことを嗅ぎ取ったのだろう。
論理的に思考したわけでもないのだが、ろくな説明もなく獲物を横取りされるのは、彼らの自尊心を踏みにじる行為だった。
「あちゃ」
その少女は可愛らしく舌打ちした。
「そうなっちゃうのか。
……どうしようかな」
『まとめてやっちゃう?』
「待ってよ!
一応、味方なわけだし……。
少女は、なにやら訳が分からないことを獣に語りかけたあと、
「ええと、わたしたちは、至急ということで、わざわざ遠くから来たばかりで……」
と、いっこうに要領を得ない釈明を兵士たちにしだした。
「だから、なぜお前がおれたちの獲物を浚うのか!」
兵士の一人が、声を大きくする。
「おお、ここに居たのか」
ひゅん、と異音を発して、突如、大男が出現した。
「大きな声がしたから、念のために来てみて正解だったな」
いや、大男だけではなく、魔法使いらしい風体の者が数名と、それに、例の長大な牙を持つ猫に似た巨大な生物がさらにニ体が、ほぼ同時にすぐそばに、唐突に姿を現す。
転移魔法だ、と、その場に居た者たちは等しく直感した。
「おぬしらは、ワデルスラス公爵の手の者か。
お役目ご苦労」
その大男は兵士たちに声をかける。
「わしの名は、ムッペルエンデ・グフナラマス。
これでも王国八大公爵家の一角を担う、グフナラマス公爵の身内の者だ。
今回は至急の用件でな。
そこに居る御仁を、少し借り受けるぞ。
なお、この用件は、ワデルスラス公爵の意向にも優先する。
多くの人命と、それにいくつかの国々の行く末がかかっている重大事だ。
悪いようにはせぬから、ここは手を引いてはくれないか?」




