決戦前の野営地にて
「スデスラス王国はようやくこちらにむかってくるそうだ」
『その口調ですと、歓迎する準備はすでに整っているようですね』
「準備をする時間はたっぷりとあったし、やれる範囲のことはすでにやり尽くしているのだがな。
ただ、いくさは相手があるものだ」
ファンタルは、居留地に居るマヌダルク・ニョルトト姫と通信を介してやりとりしている。
「絶対ということはない。
実際に事態がはじまってみないことには、結果がどう転ぶのかはわからない」
『最善を尽くしてさえくだされば、それで結構です。
そもそも今回は……』
「スデスラスの軍勢に勝つことは要求されていない」
『そう。
わが王国は、何十万というスデスラスの大軍をしばらくそこに足止めしてくださることを望んでおります』
マヌダルク姫は冷徹な口調で断言する。
『無論、特に連邦にとっては、いくさに負けるよりは勝利する方がずっとよいのでしょうけど』
「いずれにせよ、こちらがすべきことは同じ。
味方の損耗を最小限に抑えて敵軍の損害を最大限にするように努めること。
ただ、これだけだ」
ファンタルは素っ気ない口調で応じた。
「ところで、水妖使いの三人を借り受けたそうだが、そうなるとやはり海か?」
『すっかりお見通しですのね』
マヌダルク姫はファンタルの推測を首肯する。
『カヌラナの半島を迂回し、ミノラダとジュムバツなどを経由して侵攻する予定です』
「なに、王都には洞窟衆の者も居るからな。
大きな出兵がありそうだという気配があれば、こちらにも伝わってくる。
それに加えて水妖使いまでもが必要になるというと、そちらの動きもほぼ推測ができる」
『沿海州の方々が張り切っておいでです』
「ジュムバツはともかく、ミノラダの港はなかなか賑わっているからな。
あそこが王国に併呑されるとなると、東周りの航路までかなり行き来がしやすくなる。
利権としてみたら、かなりおいしい獲物になるだろう」
『そのミノラダも、有力者の何名かはすでに買収を終えております。
形だけの抵抗はあるかもしれませんが、ほぼ無傷のまま王国のものになるかと』
「それは誠か?」
はじめて、ファンタルは驚きの声をあげる。
「あそこの強欲商人たちを、いったいどんな餌をやって手懐けたのか?」
『あらたに公爵位を設けて、それに税率その他の設定も含めた自治権を承認するという条件をつきつけました』
「……それはまた、思い切った手を打ったものだ!」
ファンタルは声を大きくする。
「それでは王国にとっては、ミノラダを手中に収める旨味がないだろうが!」
『直接的な税収よりも、多くの荷が活発に動くことで景気が活発になることを期待しております。
それに今回は、ミノラダそのものが目的ではなく、スデスラス王国へ進運するための通路を短期間のうちに確保することを優先しておりますので』
さんざん揉めた末、連邦の正式名は、「ガダナルク連邦」となった。
「ガダナルク」とは、ガルメラ、ガンガジルの領土を含んみ、かなり広範なこの一帯の地域を収めていた王国の名である。
何百年も前に滅びた、人々の記憶からは半ば忘れ去られていた名称でもあったため、今回のように連邦に参加する特定の勢力にとって有利になることもなく、かえって都合がよかった。
デメリットといえば、対外的な印象が多少悪くなる、といったことがあるだろうか。
往事のガダナルク王国の領土はかなり広かったので、その名を冠した連邦は、周辺諸国へ積極的に侵攻していくような覇権主義の集まりである、というイメージを持たれかねない。
実際のところはガンガジル王国に侵略されかけた三ヶ国とドサグサ紛れに三ヶ国へ侵攻してきた山岳民の寄せ集めであり、将来的にはともかく現在のところは自分たちの食い扶持をどうやって稼ぐのかに頭を悩ませる貧乏勢力の集まりだった。
その上、まずは間近に迫ったスデスラス王国の大軍勢を、どうにかして退けないと将来がない。
「だから」
ハザマはガダナルク連邦に所属する各勢力の代表者たちに説明する。
「戦争の準備は必要だけど、それ以上に長い目で考える必要があるわけですよ。
当座は連邦の名前で債権を発行して凌ぐにしても、来年は、さらにその先はどうなります?
何十万って人口を支える食料を毎年輸入するというのも、金額的に考えると非現実的ですよ」
「だから、産業を発展させよと」
ブリュムルのなにかのギルドから派遣されてきたとかいう男が発言した。
「そうそう。
この際、売れる物はなんでも売りに出しましょう」
ハザマはその男の言葉に頷く。
「物品をそのまま売ってもいいし、加工して付加価値をつけてから売ってもいい。
鉱山を押さえている山岳民の方々は、貴金属だろうが卑金属だろうがどんどんこっちに下ろしてください。
商売が活発になってきたおかげで、平地では貨幣や貴金属が不足しているそうです。
金とか銀とかなら、地金の状態でもかなりの高値で引き取ってくれるそうですよ。
それ以外には、家畜とか紙とか。
紙はまだまだ需要が増大しています。
製紙の工房作ってもいいという方が居らっしゃったら、気軽に洞窟衆の者に相談してください」
「家畜の方は?」
山岳民の誰かが質問をしてくる。
「断然、不足しています」
ハザマはいった。
「運搬作業もに使う馬や山牛、それに食用にする山羊などもどんどん増やしましょう。
すでにご承知の通り、風車塔を利用すればそれまで不毛の荒野であった土地もそれなりに有効利用が可能になります。
産めよ殖やせよ地に満ちよ、ですね」
ハデントン・ガルメラ公子から申し込まれた例の一件について、ハザマはすぐに通信でタマルに連絡をして相談している。
『転移魔法が可能な魔法使い、三百名ですか』
その際、タマルは即答した。
『それが本当だとしたら、すぐにでも正式な契約を交わすべきです!
相手の気が変わらないうちに!
いえ、そうですね。
ハザマさんでは心許ないので、わたしが直接そちらに乗り込むことにしましょう。
これからそちらでは、どうやら大口の商談がまとめて発生しそうな案配でもありますし……』
「こっちに来るのは構わないけど……」
ハザマはのんびりとした口調で応じる。
「……そっちは大丈夫なのか?
お前が抜けても?」
『なにをいっているんですか』
タマルは呆れたような口調になった。
『わたし一人が抜けてだけで身動きが取れなくなるような、洞窟衆はとうの昔に、そんな柔な組織ではなくなっていますよ。
これでも人材の短期育成には定評がありますし、それにいつまでも上の者が大きな顔をしてのさばっていると、育つ人材も育ちません』
それからいくらもしないうちに、タマルがゼスチャラを引き連れて野営地に姿を現す。
そしてそのまま通信でハザマの所在地を確認しつつ直行し、ハザマをハデントン・ガルメラ公子に面会にむかう。
ハデントン公子はアポなしの面会を快く承諾し、すぐに商談に移った。
「こちらが望むことはただひとつ。
今回の騒動のおかげで荒れたガルメラ王国内の復興と連邦の支援を洞窟衆にしていただくことです」
タマルと顔を合わせるや否や、ハデントン公子は単刀直入に切り出した。
「よくわかります」
タマルは頷いた。
「技術的な支援でしたら、いくらでも。
わが洞窟衆でも、別の場所にある程度の規模を持つ生産拠点が欲しかったところです。
それ以外に、食料を供給ももっと大幅に増やさないと、今後、山岳地との摩擦も増える一方でしょう」
「大規模な開拓事業については、ガダナルク連邦での最優先事項として承認されております。
そのためには、風車塔の増産が欠かせないわけですが……」
「すでに、ハザマ領ではこちらにこちらに出向してもいいという鍛冶職人たちのリストアップ作業を開始しています。
洞窟衆としてできるのは、そうした職人たちの斡旋と仲介、それに移送の補助まででしょうか。
ここの作業については、それぞれの職人たちと個別にご相談ください」
「では、各地のギルドに受け入れ体制を整えるように通達しておきます」
そんな会話をしながらタマルとハデントン公子は詳細な条件を検討し、きわめて短時間でいくつかの契約を成立させた。
こうして、タマルが到着してから半日も経たないうちに三百人からなる魔法使いがハザマたち洞窟衆の所有するところとなる。
三百人からの中高年の男女を前にして、「ずいぶんと呆気ないもんだなあ」、と、ハザマは思った。
「とりあえず、この人たちは奴隷身分だそうだから、それを外そうと思うんだけど」
「いずれはそうするにしても、今すぐに、というのはお勧めできません」
タマルは冷静な口調で指摘をした。
「まず第一に、なんの対価も支払わずに解放されると、洞窟衆とはそれだけ甘い組織だと舐められてしまいます。
その場で勝手にどこかへ行方をくらましてしまうかも知れません。
第二に、もっと現実的な問題ですが、これだけの人数ともなりますと、奴隷所有契約を破棄するための作業だけでも大変な人手と時間が必要となります。
今、この場でそれだけの無駄な作業を行えるだけの余裕は、この野営地の洞窟衆にはありません。
いずれ自由民にするとして、今の段階では将来的な約束というだけに留めておいて、しかじかの仕事をし終えたら奴隷契約を破棄するという条件を明示しておいた方が、彼らの勤労意欲を刺激するし、こちらも彼らの管理がし易くなると思います」
なかなか合理的に思える意見だったので、ハザマはそのタマルの意見をそのまま採用することにした。
それからハザマとタマルは、魔法使いの使用法について簡単に打ち合わせをする。
結果、三百人の魔法使いは当人たちの希望も聞いた上で三つの組に分け、ひと組は今後の魔法教育に必要な教本の整備などにあて、あとのふた組はこの野営地とハザマ領、それに、ハザマ領とその周辺の山岳地方各地とを転移魔法で往復するメッセンジャーとして働いて貰うことになった。
転移魔法でタマルを送ってきたゼスチャラは、なぜかハザマ領に帰りたがらなかった。
「いや、本当。
あの女、容赦ねえからなあ」
そういってゼスチャラは、辟易した顔つきになる。
詳しく聞いてみるとゼスチャラは、魔法関係の各種教本の執筆を巡り、毎日のようにルアから矢の催促を受けていたらしい。
「……魔法関係の知識があるやつはお前しかいないんだから仕方がないだろう」
ハザマはそういってゼスチャラをたしなめた。
「そいつもわかるんだが、いくらなんでも限度ってもんがある」
ゼスチャラはげんなりした表情でそういった。
「あの女、絶対に嗜虐癖があるぜ」
目の前に本人が居ないから、いいたい放題であった。
「じゃあ、お前はしばらくはこっちに居るってことでいいんだな?」
そんなゼスチャラにむかって、ハザマは念を押す。
「おお。
しばらく、こっちで骨休めをさせてくれ」
「いや、そういうわけにもいかない」
ハザマは即答する。
「ちょうど、大勢の魔法使いが手には入ったところでな。
これからお前さんには百人からの魔法使いを監督して、各種の教本を作って貰わなければならん。
簡単なものから転移魔法みたいに収得するのに年単位の時間がかかるような複雑なものまで、片っ端から手際よくおぼえるための手順書を作成してくれ」
「そんな殺生な!」
「自分の手で執筆するよりは、他人に指示を出して書かせる方が楽だと思うがな。
ちゃんとやることさえやっていれば、あとで酒は好きなだけ差し入れるから安心しろ」
こうしてゼスチャラはしばらく百名からなる魔法使いとともに缶詰状態となった。
むろん、それだけの人数であるから、身の回りの世話をする人員も何名か手配をしておく。
前後して、ムヒライヒ・アルマヌニア公子率いる王国の工兵隊が野営地に到着した。
混合軍における王国兵士の比率は割合に少なく、そのほとんどが洞窟衆やブラズニア配下の魔法兵、王家直参影組などの特殊な人材によって占められている。
ましてや、混合軍の役割が連邦の支援に変わりつつある現在、こうして直接人員が派遣されて来ることは珍しい。
他の混合軍三ヶ国との兼ね合いもあって、王国は、この三ヶ国問題に関しては一貫して直接的な戦力の供出を避けている節があった。
にもかかわらず、ムヒライヒ公子率いる工兵隊が今になって出現したのには、当然のことながら相応の理由がある。
「ここが、新兵器の実験場所ですか?」
到着直後のムヒライヒ・アルマヌニア公子は、周囲を見渡して誰にもなく呟いたという。
「見通しがよくて、実験には最適の場所ですね」




