使節団の帰還
さて、ハザマたち洞窟衆ならびに混合軍側の勢力が忙しく働いている間、対するガンガジル王国の側も状況を座視していたわけではない。
混合軍側だけではなく、三カ国への侵攻のそもそもも発端となったスデスラス王国軍が隣国のハラデルを経由し、ようやく大挙して押し寄せてきていた。
ようやく、とわざわざつけ加えるのは他でもない。
彼らスデスラス王国の大軍は、予定よりもかなり遅れてガンガジル王国領内に入っって来たからである。
このスデスラス王国軍が予定通りにガンガジル王国に入っていれば、先のメラモリ争乱もまた別の結末を迎えていたことであろう……というのが、メラモリに残っていたガンガジル王国の重臣たちの間で一致した見解であった。
スデスラス王国の大軍勢が居れば、そもそも混合軍によってむざむざと輸送網を分断されることもなかったはずだ。
多分に勝手な、それに他力本願ないい草ではあったが、ガンガジル王国とは本来、それほどの小国なのである。
総人口や経済力、それに実際に動員できる兵力も、たかが知れている。
スデスラス王国からの各種援助がなければ、そもそも三カ国への侵攻など夢にも思わなかっただろう。
逆にいうと、スデスラス王国の威光を笠に着ていれば、三カ国侵攻もまず失敗することはないはずであった。
ただ、ガンガジル王国とそれにスデスラス王国は、混合軍などという得体の知れない寄せ集めの急造勢力がこの件に介入してくることをまるで予見していなかった。
それその誤算だけで、ここまで劣勢に立たされていたわけである。
ともあれ、その誤算のおかげでガンガジル王国は「三カ国を経由して山岳民たちとよしみを結ぶ」という失敗するはずがないミッションに失敗している。
それどころか、スデスラス王国から支援された物資も大半は横取りされ、自国の軍勢もそのほとんどが散逸し、おまけに北部の諸公の間ではガンガジル王室からの分離と独立を目指すような動きさえ出ていた。
ボロ負けではないか、と、バイデアル王子は思う。
自身も、大蛇の姿に化身してさえヴァンクレスのボロ負けしていたこの王子は、加護持ち故の無駄に堅固な体質のため一命を取り留め、ここ数日寝台の上から離れられない状態だった。
このバイデアル王子は常人には想像もつかないような再生能力も持っているのだが、なぜかヴァンクレスに砕かれた牙は再生しておらず、かろうじて焼けただれた口内だけが元通りになっている。
おかげで食事も咀嚼する必要がない、粥などの柔らかいものに限定されていた。
とにかく、この時点でダメージが抜けきっていないバイデアル王子は御典医たちによって絶対安静を指示されながら、目まぐるしいここ数日の情勢について耳にしている。
ガルメラ王城が解放されたこと。
この時点で、ガルメラの後宮に詰めていた姉であるニライア姫の行方も途絶えていた。
三カ国方面へ侵攻したガンガジル王国軍が分断され、事実上輸送網としての機能を喪失していること。
物資の搬入が途切れたため、山岳民たちが三カ国の領内に侵攻したはじめたこと。
その動きを察知した混合軍は、洞窟衆のハザマとやらを派遣し、いったいどういう手を使ったものか、極めて短期間のうちに山岳民の大軍をおとなしくさせたこと。
同時進行で、解放されたガルメラ王族が親ガルメラ王家の貴族をまとめあげ、ごく短期間のうちに国内の安定を取り戻しつつあること。
三カ国と山岳民、それにガルメラ王国北部の有志領主が混合軍の野営地に集まって、評議会と僭称する評定の場を設立したこと。
……などなど。
わずか数日で、ここまで情勢が変わるのか。
そう驚愕するような日々であった。
南からは続々とスデスラス王国軍が詰めかけ、北ではガンガジル王国にとっては不穏な動きがにわかに立ちあがりつつあるこのとき、ガンガジル王国の首都であるメラモリは奇妙な静寂に包まれている。
デリガリ子爵がガンガジル王国からの離反を宣言して以降、このメラモリから脱出していく領民があとを立たない。
このメラモリに農地や商売の基盤があって、身軽に動けない者以外がほとんど北に脱出していった、と聞いている。
メラモリの領民の数が、わずか数日で一挙に四割前後も姿を消したというのだ。
単純に、いくさの巻き添えを食らうのを嫌って、ということではなく、おそらくは今のガンガジル王家の有り様が、否定されているのだろう。
無理もない、か。
バイデアル王子は、思う。
進んでスデスラス王国の属国になるような動きを見せたあげく、ボロ負けして物資と軍勢を失い、身動きすらできなくなっているのが、今のガンガジル王国の実状であった。
さて、親父様は、この難局をどう乗り切るつもりなのかな。
と、バイデアル王子は、そんなことを思った。
バイデアル王子の実の父親にあたるガンガジル国王は、その頃、ようやく混合軍の野営地より帰還した使節団からの報告を受けているところであった。
報告書はかなり以前に転移魔法が使える者により届けられていたのだが、書面で読むのと実際に見聞した者の口から報告を受けることは別である。
文書だけでは抜け落ちる情報が多く、そのことを重視してガンガジル国王は以前からこうした使者とは直に対面することにしていた。
「それで、どうだ」
使節団団長のブラバニア男爵から一通りの報告を聞き終えたあと、ガンガジル国王はそう問いただしてみた。
「その混合軍とやらについて、率直なとこころを答えてみよ」
「活気がありましたな」
そう問われることは半ば予期していたため、ブラバニア男爵はあらかじめ用意していた無難な答えを返した。
「さて、その活気とやら。
それも程度が問題だ」
ガンガジル国王はなおもブラバニア男爵に問いを重ねる。
「その混合軍とやらは、スデスラスの軍勢と正面からぶつかってもまともにやり合えると思うか?」
「……それは」
これまでそうした観点を持たなかったブラバニア男爵は、数秒、返答に窮した。
「単純に兵の数だけでいえば、混合軍というやつらも流石にスデスラスの軍勢には太刀打ちできないはずですが……いや、しかし。
実際のところは、どうでしょうか。
やつらはどうも、まだまだ奥の手を隠し持っているような気がします」
「いくさの趨勢は、数だけでは決まらぬか?」
「やりようにも、よりましょう」
ブラバニア男爵は真剣に考え込みはじめた。
「このメラモリとて、わずか百騎ほどの手勢にいいようにあしらわれたばかりでありませぬか」
メラモリの騒乱……と俗称される一連の騒動が起きたおり、このブラバニア男爵はメラモリには居合わせていなかった。
だからこそ、かえって気安く断言できる。
「なにを目的として争うのか。
それによって戦い方も大きく変わってくるはずです」
なおも、ブラバニア男爵は言葉を続ける。
「どうも、あの混合軍とかいう輩たちは、従来の軍勢とは別の動機で動いているような気がしてなりません。
必然的に、われらには想像もできないような戦い方を展開してくることでしょう。
スデスラス王国の軍勢がいかに精強であるとはいっても、その奇策のすべてを見通せるかというと、これはかなり危ういと思います」
「スデスラスの軍勢では、混合軍に勝てぬとそう申すのか?」
「いえ。
土台となる兵力からして違ってくるはずですから、損害を度外視して突撃でもしていけば、最終的にはスデスラスの軍勢が勝者になるとは思うのですが……」
ブラバニア男爵は、慎重な口振りで続けた。
「……ですが、そもそも、あの混合軍に対して、そこまでの損害を見越した上で戦いを挑むべき理由というのが、スデスラス王国の側にあるのでしょうか?
スデスラス王国にしてみれば、山岳民との仲介をするのがわれらガンガジル王国であろうともその混合軍とやらであろうとも、別段変わりはないはずで……」
「スデスラス王国にしてみれば、わがガンガジル王国はすでに用済みだと?」
「そこまでは、いいません」
ブラバニア男爵は慌てて姿勢をただす。
「ただ、両者が接触すればただちにいくさになると、そういった予断を持つのは間違いであると思います」
「そなたの言にも、一理はあるな」
ガンガジル国王は何事か考え込む顔つきになった。
「ブラバニア男爵、大儀であった。
さがってよろしい。
帰りに使節団への報奨が渡されるはずである。忘れずにそれを持ち帰るように」
「兄様はどうだった?」
「相変わらず、不機嫌そうな面構えで寝てた」
「姉様は?」
「敵に捕らえられて、かえって活き活きしていたな。
例の高尚すぎてわれらにはとうてい理解できない趣味を、護衛の女性兵たちに布教していたよ」
「父様は?」
「例によって、なにを考えているのかよくわかんない。
おそらくは、スデスラス王国も混合軍も、まとめて裏をかくような方法がないか考えているんだと思うけど」
「策士が策に溺れないといいけどね。
父様は、考えすぎてかえって自分の足元がお留守になるたちだから」
「デリガリ子爵も、あんだけ公然と粗略に扱えば、そりゃ離反もされるよね」
「そんなことよりも、この術符なんだけど。
よくよく探してみると、あちこちに配置されているみたいだね。
ひょっとすると、もうこの国中に同じような符がバラ蒔かれているのかも」
「心話を中継するだけの、簡単な符なんだけどね。
中継する内容を暗号化するようになっていて、この暗号というのが無駄に手が込んでいるから盗聴もできないや」
「こんなのが国中にあって、どこからでも自由に通話ができるようになっていれば……そりゃ、どんな大軍が相手であっても、気ままに翻弄できるよね」
「大人たちの事情には、あまり関心ないけどねえ。
でも、うん。
この国が潰れちゃうと、最悪、ぼくたちが路頭に迷う可能性も出てくるわけか」
「流石にそこまでいったら困るから、最低限、ガンガジルの王室が残るようには持って行こうか」
「そうだね。
それくらいなら、干渉するのもいいか」
結局、王国軍から脱走した形となるシュゼスはデリガリ子爵の一行に身を投じる形となった。
なにしろ老人や女子どもも混在しており、なおかつ急いででっちあげられた集団であるから、荷台も馬も十分に足りていない。
一行の歩みは極めて鈍いものとなった。
ジュデスのように王国軍から勝手に抜け出してきた者たちもこの一行の中には少なからず含まれていたわけだが、そうした若い男たちは当然のように連日徒歩で移動することになる。
そして、そんなのんびりとした旅の空の下にも、連日急激な情勢の変化についての報が飛び込んでくる。
デリガリ子爵配下の転移魔法使いが混合軍の野営地に日参し、連日のように混合軍が発行している文書を持ち帰って来ていて、デリガリ子爵はまずそれに目を通したあとすぐに婦人に回し、その婦人もざっと目を通したあとに周囲に居る者に適当に渡す。
結果的に、一行の中で文字が読める者たちは一通り、順番に回し読みする形となる。
なにしろ延々となにもない荒野を歩み続ける単調な道行きである。
たとえ悪い報せであったとしても、外部からなんらかの刺激を受けることは、どちらかというと歓迎された。
「ガルメラの王城も、やけにあっさりと奪回されたもんだなあ」
「メラモリでのやり口をおもいだしてみろよ。
やつら、やけに手慣れていやがる」
とか、あるいは、
「山岳民が山から降りてきやがったっ!」
「……と、思ったら、あっという間に骨抜きにされてら。
いったい、どんな手品を使ったんだ?」
とか、そんな具合に無責任にはやし立てながら、一行の者たちは外部からの報告を受け止めて咀嚼、消化した。
そうした報告によると、北部の諸公は次々と王室からの離反の準備を整え、南部からはスデスラス王国の大軍が続々と国内に入り込んできているらしいのであるが……この荒野の真ん中を進むデリガリ子爵率いる一団にとっては、今のところ実感を伴うことのない単なる情報に過ぎない。
「王様は、どうなさるおつもりなのかね……」
シュゼスは、歩きながら、誰にともなくそんな疑問を口にする。
「スデスラスに反抗したとしても、従順に振る舞ったとしても、どちらを選んでもいい結果にならないように思うんだが」
ガンガジル王国は、スデスラス王国の意を受け、多大な援助も受けた上で三カ国への侵攻を実行に移した。
それが失敗した今、スデスラス王国からみれば、ガンガジル王国は多額の投資をむざむざ無駄にした元凶ということになる。
どんな甘言で釣られたのかは知らないが、今後、スデスラス王国がガンガジル王国の関係者を優遇すべき理由は皆無なのであった。
取るものもとりあえずこうして荒野の真ん中を進んでいるデリガリ子爵の一行の方も、客観的にみてみればほとんど難民も同然の有様であり、明るい未来が待っているようにも思えなかったが。




