テンロ教徒との接触
数日前から事実上、メラモリから三カ国へ送られる輸送隊は途絶し、かわりに三カ国内に居たガンガジル王国軍の兵士たちは地元住民たちから白眼視され、追い立てられる立場となった。
そうしたガンガジル兵士たちもつい数日前までは三カ国の各地で気前よく散財し、羽振りがよかったので大いに歓待されていたのであるが、金の切れ目が縁の切れ目。
盗賊に変じて返り討ちに合うか、それとも余力があるうちに自発的に帰路につくのか、といった按配で、ほとんどのガンガジル兵が個々の判断によって三カ国内から撤退をしはじめている。
「三カ国内からガンガジル王国軍を追い返す」
という混合軍の当初の目的は、この時点でほぼ達成していた形となる。
しかし、ガンガジル王国軍が撤退していったあとの三カ国は、いまだ混乱した状況にあった。
「洞窟衆のハザマが、身を挺して何万という山岳民の動きを単身で止めた」
などという噂が野営地内で囁かれるようになるまで、そう時間はかからなかった。
なにしろ実地にバジルの能力を体験した山岳民たちが口を揃えて吹聴している。
それだけに信憑性がある、とされた。
実際には、一度に止めた人数はかなり多めに見繕っても数千人単位なのであるが、ハザマがごく短期間のうちにブリュムルに侵攻してきた山岳民の動きを止めてしまったのは紛れもない事実であった。
ただしこれは、ハザマが転移魔法の使い手を使い潰すようにして絶え間なく移動し、実力行使に訴えてきたと、それにハザマによって野営地に案内された山岳民たちが積極的に仲間内にハザマの噂を広めて回ったこと、その二つの動きが影響しあって結実した成果物であった。
山岳民たちの中にも、人数は少ないものの転移魔法が使える者は居るわけであり、一度野営地に案内された山岳民は、野営地の実態を知らしめるために、積極的に影響力のある山岳民を野営地に送り込むようになっていく。
その課程で、
「そもそもの契機となった洞窟衆のハザマとはいかなる人物であるのか」
という説明を行う必要があり、そうなるとごく最近に体験したハザマの特殊能力について語ることになる。
ハザマの能力が山岳民たちの間で多少の誇張を伴って伝わっていくようになるのも、無理からぬ面があった。
また、そうした噂が伝播していく課程で、
「洞窟衆のハザマに抵抗しても無駄だ」
という空気も必然的に広まっていく。
そのおかげでハザマの実感としては、時間が経過していくごとに山岳民への説得がかなりやりやすくなっていったわけだが、その本当の理由について、当のハザマはかなりあとになるまで知ることはなかった。
そうした噂が広まっている時期、ハザマはかなり広範囲な地域を転移魔法で移動ながらかなり多忙な生活を送っていたからである。
ブリュムルの北方から侵入してきた山岳民たちの動きは、ハザマたちの活躍によってかなり抑制された形になる。
野営地からは、そうした山岳民たちへ供給するための物資を満載した馬車が立て続けに出発していた。
洞窟衆が手配できる限りの物資をかき集めて仕立てあげた臨時のものだったが、当然無償で提供されるということはなく、各部族ごとに交渉をしてそれなりに対価か負債と引き替えに供給されたものであった。
事態がここまで進行してくると穀物相場の高騰と相まって、流石に運ぶべき物資にも事欠くようになっていたのだが、それでも洞窟衆とハザマ商会の伝手を総動員して、どうにかそれなりの量をかき集めている。
物資だけではなく、輸送するための手段、すなわち馬車や馬もかなり不足していたのだが、最近ではナダラク伯爵をはじめとするガンガジル王国の北方諸公が公然と混合軍への各種援助を行うようになっていた。
とはいえ、デリガリ子爵のように公式にガンガジル王家から離反を表明している領主は少なく、そうして混合軍に協力するようになってきたガンガジル王国の諸公も、そのほとんどは見通しの利かない現状を認識した上で、将来の保険のために、どちらの陣営にも恩を売っておこうというところだろう。
それはそれで現実的な判断であり、なによりそうした諸公から供給される輸送隊、ならびにその諸公の領地で混合軍側の隊が受けられる補給の価値に変わりがあるわけではない。
また、ブリュムルには農村ばかりではなく商人や職人が集まってできたような町も点在する。
宿場町の周囲に工房が寄り集まっているような構造の町であったが、元々農地として適した土地が少ない土地柄でもあり、なにがしかの原料を買い集めて製品に加工し、それを外部に売りに出すことで生計を立てている者たちがこのブリュムルには一定数、居たわけである。
こうした町の者にとって、ガンガジル王国の兵士たちは他の旅人たちと同様、自分らの土地を通過していくだけの存在でしかなかった。
せいぜい、初期の羽振りがよい時期には派手に散財して地元経済を潤してくれた、程度の認識しかない。
こうした町の住人たちは、各種ギルドや商工会への帰属意識はそれなりにあるものの、農村部ほどには郷土愛に厚いわけでもなく、「侵略された」という意識が薄かった。
そして、本国からの補給がおぼつかなくなり、こうしたガンガジル兵士が「お客さん」から「厄介者」へと変貌していくと、今度は結束して追い出しにかかった。
金を持たない外来者は治安を乱すだけの存在であるし、こうした人の出入りが激しい町には特有の防衛機構がある。
普段はお客である旅人たちの手前表向きに顔を出すことはないのだが、なにかしらの問題が起これば牙を剥き出しにして威嚇、あるいは実力行使に訴えることも辞さない。
そうした自衛行動には、いざとなれば住人のほとんどが参加する。
自分たちの生活の場を争うとする者に対する遠慮のなさは、農村部でもこうした町でもたいして変わりはなかった。
たいていのガンガジル王国兵士たちはこうした地元住民に比べれると圧倒的少人数で行動しており、たいていは数の暴力に破れて撤退することとなった。
このとき、地元住人側が慈悲深かったりすると、帰路の旅費を貸し付けてくれたりすることもあったのは、前述した通りである。
この頃になると、混合軍ならびに洞窟衆へすり寄ってきたガンガジル王国諸公からの人的支援の一環として、多くの人員が協力するようになっている。
特に転移魔法が使える者の増員は有り難く、この増員のおかげで、ハザマもその活動領域と機動力とを大幅に向上させていた。
そのおかげでハザマは、ブリュムルの某所から野営地へ、そしてアジエスの某所へ、と、ほとんどなんの制約もなく移動できるようになった。
混合軍もまた、ハザマひとりを支援すれば大きな交戦が回避でき、なおかつこの野営地において各陣営の要人が直に顔を会わせて会談をする機会が作れるため、積極的にハザマの動きを支援している。
「いよいよアジエスか」
ハザマは呟く。
アジエスは、国土の半分が山地で占められている。
住民にも、山岳民と平地民が混在していて、文化的にみても両者の要素が混合しているという。
おまけに今は、テンロ教徒とかいうやつらまでが侵入してただでさえ複雑な状況がさらに輪をかけて複雑になっている……らしかった。
デリガリ子爵やザマンダ伯爵によれば、テンロ教徒とはかなり警戒してしかるべき相手だということだが、実際のところはどうなんだろうな、と、ハザマは思う。
洞窟衆のルメリも混合軍の外交要員であるカッセンも、テンロ教徒の実態について、詳しいことは知らないようだった。
とにかく、この近辺ではほとんど見かけないらしい。
「……ルシアナ亡きあと、混乱した山岳地において、急速に勢力を拡大したのではないですかね?」
カッセンは推測を語った。
「テンロ教徒は、飢饉や天災直後など、世の中が乱れたときに大きく勢力を拡大する傾向があります」
ルシアナが討伐されて以来、それまで使役してきた家畜が一斉にいうことを聞かなくなり、それまで人を恐れて近寄ってこなかったような野生動物までもがやけに好戦的になったという。
山岳民の社会にしてみれば、それまでのあって当然のものとしていた社会基盤が唐突に崩壊したのも同然であり……まあ、一種の天災といっても間違いではないのか、と、ハザマも思う。
そうした不安な状況ならば、カルト宗教のたぐいに引き寄せられる者も、一定数いるのかも知れない。
「その、詳しい教義とか、わかる?」
ハザマは訊ねてみる。
「自力による救済、というのは以前、説明してもらったことがあるんだが……」
これでは、ほとんど説明されていないようなもんだしなあ、とハザマは思う。
「残念ながら、それ以上に詳しいことは、なにも」
そういってカッセンも首を横に振った。
「……予習なしで、ぶっつけ本番でいくしかないのか」
ハザマは、そう呟いた。
テンロ教徒の勢力圏内に入っても、ハザマがやるべきことはこれまでとたいして変わりはなかった。
村の中に転移魔法で出現し、村人たちを説得して、村を取り囲んでいる山岳民たちの動きを止める。
同時に、山岳民たちの中から位階の高い者をピックアップして村の中に運び込み、村の有力者とともに直談判して無駄な交戦を辞めさせる。
つまりは、ブリュムルでも行ってきたハザマの鎮圧法を繰り返すだけだった。
それまでその方法で十分に通用したのだから、別段、改めるべき理由もなかった。
その瞬間までは、ということだが。
ハザマは、いつものように山岳民たちの大軍の身動きをまとめて封じ、バジルが感知する「位階の高い者」を探して人混みを縫うようにして移動している最中だった。
「貴様かぁー!」
そんなとき、そんな大声を響かせながらハザマの方にむかってくる者が現れた。
ヴァンクレスなど、これまでにだってバジルの能力が通用しない者は存在したから、そいつが動いていること自体にハザマはさして驚かなかった。
ハザマが驚いたのは、声に反応したハザマが振り返るよりも早くそいつがハザマに肉薄し、着込んでいた甲冑に重たい拳を叩き込んできたことに、だった。
ハザマの体は動きを封じられた山岳民たちを倒しながら軽々と、そう、十メートル以上は吹っ飛んだ。
端から見ている者がいたら、ハザマが吹っ飛んでいく様子は安っぽいカトゥーンかなにかのような印象を受けたことだろう。
なんという速度。
なんという拳の重さ。
とうてい、常人為し得る行為ではなかった。
「お前も加護持ちってやつかっ!」
すぐに起きあがりながら、ハザマは叫んだ。
「加護だと?」
そいつは拳を突きだしてにやりと笑った。
「この力は生来のものにあらず!
血のにじむような修練によって獲得したものである!
それよりも貴様が洞窟衆のハザマとかいう外道で間違いはないか!」
……確かめる前にぶん殴ったのかよ、こいつ……とハザマは思った。
「確かにおれは洞窟衆のハザマだが、そこまで外道ではない……はずだ」
心外な、というニュアンスを込めて、そう名乗った。
「大ルシアナを倒して山岳地の安寧を排除し、何十万という山岳民の生命と生活を脅かしたその所行、外道と評する以外にどう呼べばいいのかっ!」
そいつは、さらに声を大きくした。
「見解の相違だな」
ハザマは冷静に応じる。
「おれが洞窟衆のハザマであると知って、どうするつもりだ?」
もとより、ハザマは「正義は我にあり」といった幻想からは自由の男である。
ルシアナ討伐に限ったことではなく、これまでの自分の行動だって別の角度から見れさえすば十分に非難に値するということは、重々自覚するところであった。
「決まっている!」
そいつは叫んで、再びハザマとの距離を詰めた。
「諸悪の根元、軽く成敗してくれるわ!」
また、そいつのやらら重い拳がハザマの腹部に炸裂した。
しかし今度は、ハザマの方も身構えていたので空中を吹っ飛んでいくということはなかった。
せいぜい、数メートルも二本の細長い足跡を残しながら後退しただけだった。
やはり身動きを封じられていた山岳民たちが何十人もハザマの背中に押されて、そこでようやく停止をする。
いったいどんな修練とやらをすれば、こんな出鱈目な力を身につけることができるのか。
ハザマがバジルの能力によって強化された人間でなかったら、最初の一撃で即死していたことだろう。
「……あんたなあ」
苦痛をこらえながら、ハザマはいった。
「仮にも正義を名乗るのなら、もう少し周囲を見渡す余裕を持ったらどうだ?」
自分が悪の側であることは認めても構わないのだが、こんな短慮な人間を正義も味方であるとは認めたくはないな、というのがこのときのハザマの感想であった。




