村への帰還
廃村からバザル村まで馬車で四日ほどの道のりであった。
犬頭人で森の中を突っ切れば三日ほどで到着すること考えると一見遅いようにも感じるが、これは馬車が通れる道筋が限られていて、森の中を直通するよりは遠回りになっているだけのことである。
同じ条件で単純に速度を比較するのなら、当然のことながら犬頭人よりも荷物を満載した馬車の方がよほど早い。
それに、馬車には一度に大量の荷物を積載して運べるという大きな利点があった。
一番豪華な造作の女衒の馬車は解放したもの、この一件だけで新たに四台もの馬車と多数の馬を鹵獲できたことは、戦果としては上々であったと断言できる。タマルにも、高価な馬と馬車は可能な限り無傷で入手してくれ、と、前々から念を押されていたのだ。
ファンタルはヴァンクレスの兄にあたる首領格の男を取り逃がし、禍根を残したことを悔いている風であったが、損害らしい損害といえばその失態くらいなものなので、ハザマ自身は今回の顛末に十分以上の満足を得ていた。
『少し困ったことになった』
廃村を出て四日目、ハザマの脳裏にエルシムの声が響く。エルシムやファンタルたちは、犬頭人を伴って一足早くバザル村に向かっていた。馬車に乗せるのは、捕虜となった人間や、ハザマのような負傷者を優先していたからだ。
バザル村に近づいてきて、エルシムの心話の有効距離に入ったらしい。
『どうした?』
『役人の一行が、村に来ている。
今、村長たちと打ち合わせをしている最中だ。
しばらくは、ワニによる被害の報告や今後の納税についての調整などに時間を取られるだろうが……それが済んだら、今度はわれわれ洞窟衆についても詳細に聞き込みをされるぞ』
『正直に、全部、話せ』
これまでハザマは、なにか事を起こす時、周囲の者に「これは合法な行為か、どうか?」ということを、しつこいくらいに確認している。とりわけハザマが遵法意識に優れていたというわけではなく、こちらの常識や感覚に疎いことを自覚しているハザマが、自衛のために確認を怠らなかっただけなのだが……とにかく、結果として、ハザマたち洞窟衆は、今のところ無法者の集団とは化していない。
『それとも、なにか問題があるのか?』
『問題というか……例の、大男のことだ』
ハザマは、馬車と併走している騎乗のヴァンクレスへちらりと視線を走らせる。
この大男は、ついこの間に体中矢を突き立てていたというのに、ごく簡単な応急処理をしただけの身で重たいプレートアーマーを着込んで平然と馬に乗っていた。
常人とは、体の造りからして違うとしか思えないタフさだった。
『ヴァンクレスのことか?』
『おう、そのヴァンクレスよ。
そやつは赤鬼とか呼ばれ、この界隈ではそれなりに名が通った賊であったらしい。
そこまでは別にいいのだが……やりすぎたのか、その赤鬼には、どうも多額の賞金がかかっているようでな……』
『役人に、引き渡さなければならんのか?』
ハザマとしては、別にそれでも構わない気がするのだが……。
正直、ヴァンクレスの身柄を、何が何でもこちらで押さえていたい! と、いうほどの執着はないのであった。
『引き渡されても、困るだろう。役人の方も』
エルシムはハザマに思い出させる。
『忘れたか。
あの男は、いざとなれば魔法的な戒めをすべて無効化できる体質の持ち主。
そんな厄介な男を、そこいらの木っ端役人がいつまでも取り押さえていられるものか……』
エルシムの心配は、役人からも受け入れを拒否された場合、ヴァンクレスの身柄は公的に洞窟衆の預かりになってしまうのではないか、ということだった。
通常の罪人であれば、どんな凶状持ちでも契約魔法で縛ることで、行動を制限することができた。
しかし、このヴァンクレスの場合は、それができない。
『つくづく……敵にしても味方にしても、厄介な男だなあ……』
ハザマはそっとため息をつき、
『聞かれたら、ヴァンクレス一味のことも正直に話せ。
その後どうするのかは、そのお役人の判断に一任しよう』
困ったときの、丸投げである。
ハザマとしては、すき好んで現地の権力者と事を構えたくないのであった。
村の中に、役人のものらしい荷馬車が何台も置かれている。
それを横目に、ハザマは入手したばかりの馬車を村はずれに停車させ、盗賊の捕虜であった人を解放する。この四日間、寝食を共にしていたせいか、元捕虜たちもずいぶんとハザマたちに馴染んでいた。その四日間で、ハザマたち洞窟衆のこととかこのバザル村の現状などについて、必要なことはおおかた説明し終えている。
「ハザマさん!」
狭い馬車の中から解放され、のびをしたりする人々の方へと、駆け寄ってくる人影があった。
今回、この村で留守番を担当していた、タマルである。
「おお。
こっちの村では、なんにもなかったか?」
なにかあれば、先の心話でエルシムが報告してきているのだろうが……一応、ハザマはそう、タマルに問いかける。
「お役人の件は……すでに耳に入っているんですよね?」
「ああ。
エルシムさんから聞いた」
「後は……先についた盗賊たちについてですが、全員、奴隷契約が完了しました。
もう、強制労働モードに入ってます」
「……えらく早いな」
先行したといっても、到着時刻で丸一日程度の差でしかなかったはずだが……。
「契約魔法って、両者の合意がないと発動しないとかいっていなかったか?」
「手っ取り早く合意していただくため、多少、強引な手段に訴えたことは認めます」
タマルのはなしによると、盗賊たちを犬頭人の雌に与えて集中的に子種を搾り取ったのだという。
搾取ならぬ、搾種、だった。
苗床として他種族の女性を使う例はあっても、犬頭人の雌が男性の種を積極的に受け入れた例は、あまりないそうだ。
「みなさん、ほんの二、三時間くらいでも、もう止めてくれ許してくれって必死になって懇願するようになってましたけど……」
惨いな……と、同じ男性としてハザマは思ったものだが、無理に「それも刑罰の一環だ」と考えることにした。
獣姦趣味の持ち主やケモナーだったら、かえってご褒美なのかも知れないが。
「それと、タマル。
今、連れてきた人たちの面倒も見てやってくれ」
「はい。
用意してます。
だいたいは、この村で働くことに同意してくださっているんですか?」
「ほとんどは、な。
若干、元居た村に帰りたがっている人も残っているし、職人や商人など、特殊な技能持ちもいる。そういう人たちは、だいたい今後も面倒を見ていくと約束しているはずだ。詳しい内容は、本人から直接聞いてくれ。
とにかく……それぞれ、個別に希望を確認してから、面倒を見てやってくれ」
「はい、分かってます」
「あの……これ、面談した時の、メモ……」
リンザが、タマルに紙の束を差し出した。
「まだ、字がうまくなくて、読みづらいかもしれないけど……」
「はい。確かに受け取りました。
こういうのは、大変に助かります」
馬とか馬車とか人とか、大漁であったからか、タマルの機嫌はよかった。
「ハザマさんは、もうすぐ村長かお役人さんから呼び出しをかけられると思いますので、どこかわかりやすい場所で待機していてください」
「ん、じゃあ……井戸で体拭いてから、自分の小屋で休んでいるわ」
長旅の後、体を清めたいという要求は共通のものらしく、井戸は混雑していた。
井戸の近くに衝立で仕切られた空間がいくつかあって、体を洗うときはそこを利用するのだが、今は満杯だ。
仕方がなく、ハザマは井戸から汲んだ水を共用の桶に満たし、それを持って自分に与えられた仮設小屋へ向かう。ハザマの後についてきたリンザも、同じように桶に水を汲んでハザマの後を追った。
「……おい」
仮設小屋の中にまで入ってきたリンザに、ハザマは声をかけた。
「なんだってお前まで入ってくる」
「怪我人が、何をいっているんですか?」
リンザも、退かなかった。
「肋骨と肩胛骨に皹が入っていて、それに手首も痛めているっていわれたじゃないですか」
放置しておいても自然に治癒するとはいわれていたが……逆にいえば、短期間ですぐに完治する疾患でもない。
「体を拭いてから、薬を塗り直します」
「……そうかい」
憮然として、ハザマは服を脱ぎはじめる。
馬車に乗っていた四日間、まともに体を洗う機会に恵まれていない。それに加えて、ハザマの場合、エルシム謹製のなんともイヤな匂いのする軟膏を体のそこここに塗りたくられている。
体中が、かなり汚れているはずだった。
「なら……頼むわ」
「まず軟膏を、剥がしますね」
リンザが、背中やわき腹に張りついてすでに乾ききっている軟膏を手で取り除きはじめた。
それから、濡らしてきつく絞った布で、ハザマの体表をさすっていく。
「わ。すごい垢」
「いちいち口に出すな」
「ついでに、頭も洗いましょう」
ハザマの上半身を一通り清めた後、リンザは持参した桶を持って小屋の外に出た。
「これから、お役人との会談があるかも知れないそうですし」
「へいへい」
逆らってもしょうがないので、ハザマはおとなしくリンザの言葉に従って外に出る。
リンザはまず、地面の上に汚れきった水をぶちまけ、ハザマに屈んで頭部を前に突き出すように、といった。
「水をかけます」
ハザマの頭部に水を掛けながら、リンザはガシガシと手指でハザマの毛髪をかき回す。
シャンプーでもあればいいのだが、まともなシャワーもないこの世界ではこれが精一杯なのだった。
「そういや、お前。
いつの間にか、文字が書けるようになっているのな」
「まだうまくないですけど、夜とかに、ハヌンやトエスに習いました」
洞窟の救出劇から数えても、まだ一月も経っていない。それを考えると、十分驚異的な学習速度であった。
ひょっとしたら……バジルの影響は、知力とかにも関係しているのだろうか、と、ハザマは思った。
エルシムにいわせると、一番濃い影響を受けているのは他ならぬハザマ自身であるとのことだったが……当然のことながら、ハザマ自身は、まるでその自覚がない。
桶一杯分の水を掛けながらハザマの髪の毛を洗い終えると、リンザは、
「桶は井戸に戻しておきますから、服は着替えて髪も整えておいてください。
汚れた服は、まとめておいてください。
後で取りに来ますから」
そういい残して、足早に去っていく。
「……お前は、おれのおかんか」
リンザの姿が完全に見えなくなってから、ハザマは、ぽつりと呟いた。
『……ハザマ』
髪を整え、新しい服を着た直後、頭の中にエルシムの声が響いた。
『お呼びだ。
村長の屋敷に来い』
『はいよ』
ハザマは小屋を出て、村長の屋敷へと向かう。
「あらまあ、ハザマさん」
扉をノックすると、顔見知りの中年女性が出迎えてくれた。
この村の村長の、おかみさんだった。
村の廃絶を回避し、復興にも尽力してくれるハザマたち洞窟衆への心証は、当然のことながら極めて良好といえた。
「こちらへ訪ねるようにといわれまして」
「はいはい。
皆さん、お待ちですよ」
おかみさんに案内されて、ハザマは奥の間に通される。
そこにいたのは、村長とエルシム、それに、隣村の村長の息子だとかいう若者と……後、村人とは明らかに服装が違う、三人の男たち。ハザマは、その三人の顔に見覚えがなかった。
どうやら、この三人が、お役人らしい。
「君が……洞窟衆とやらの頭目なのかね?」
三人のうち、年嵩の男が最初に口を開く。
年嵩、とはいうものの、せいぜい三十代半ばだろう。
「一応、そういうことになっております」
「名は、なんという?」
「ハザマ・シゲル」
「異国風の響きですな」
「ええ。
こちらの方から見れば、異国人ということになるかと」
「気がついたら、森の中にいたとか?」
「その通りで」
「あの森の中に……ふむ。
よく、生き延びて来られましたね」
「相棒の……バジルのおかげです」
「……バジル?」
「見ますか?」
ハザマが鞄の中からバジルを取り出してテーブルの上に乗せると、役人たちは息を飲んだ。
「それは……」
「一見、トカゲっぽく見えますが、こいつは生物ではないようです。
そこのエルシムさんがいうことには、生物でも精霊でもない、別の何か……だ、そうで……」




