魔軍の到達
「今までご苦労だったな」
ある日唐突に、シュゼスは解放された。
「これまで拘束していた分、しばらく休暇を取らせる。
本日と、それから明日から五日間、出仕の必要はない」
結局、シュゼスは十日以上も身柄を拘束された。
拘束?
いや、やはり拘束であったのだろう。
最初のうち、シュゼス自身も半信半疑ではあったが、何度も同じことを、つまり輸送隊が襲撃されたときの様子を繰り返し聞き返されるうちに、
「どうやら自分は疑われているらしい」
ということに、薄々気づきはじめていた。
客観的に見れば、内部の事情に詳しい者が襲撃者側に詳しい日程などを事前に知らせておくのが、襲撃を容易にする一番の手だてであるのだ。
輸送隊の中で唯一の生還者であるシュゼスが真っ先に疑われるのも、よく考えてみれば無理はなかった。
不眠不休で馬を走らせて急を告げた本人にしてみれば不本意極まりない境遇であるのだが、襲撃者に繋がりそうな手がかりは現状ではシュゼスしかないのも事実であり、不祥不祥ではあるが、納得するしかないようだ。
シュゼスの身柄を押さえている側も、別にシュゼスが襲撃者と内通しているという確信を持っているわけではないらしいことは、あまり手荒な扱いをされていないことからも想像がついた。
これまで身柄を拘束されたシュゼスがされていたことはといえば、何度何度も、いやになるほど繰り返し、襲撃当時の様子を聞き返され、その発言に矛盾点があればどんな子細な点であっても執拗に確認を求められる、といったことだけである。
事実上、軟禁はされていたものの、罪人を扱うときのような手荒な真似は解放される最後までついにされずに終わった。
身柄を拘束し、外部との接触を断つこと自体も、目的のひとつだったのだろうな。
と、解放された今になって、シュゼスは思う。
シュゼスを拘束していたガンガジル王国当局にしても、シュゼスが襲撃者の一味と内通していることについては最後まで確証が持てず、せいぜい、半信半疑であったのだろう。
では……。
シュゼスの脳裏に、新たな疑問が浮かぶ。
なんでおれは、今になって解放されたんだ?
しばらく考えてみたが、解答らしきものが浮かぶことはなかった。
シュゼスが知らない場所で、なにかの動きがあったのかも知れない。
シュゼスが拘束されている間、次々とメラモリへむかうガンガジル王国の輸送隊が襲われて、ほとんど物資が届かなくなっていることを、当然のことながらこの時点のシュゼスは知らなかった。
一連の襲撃事件はどうやら個別に計画されたものではなく、何者かが統率して行っている、当初予想していたよりも大規模な犯行であるらしい。
シュゼスが解放されたのは、次々と輸送隊の生き残りが発見される中、ガンガジル王国上層部がそう判断したからに過ぎない。
さらにいうのなら、これまでメラモリ以南の地域に限定されていた襲撃事件が、数日前からメラモリ以北の広大な地域でも再現されるようになっていたのだが、そちらの襲撃事件についての報告はこの時点では首都メラモリに届いていなかった。
しばらくぶりに目にした首都メラモリの光景に、シュゼスはそことはない違和感をおぼえた。
どうも、普段の、シュゼスが知っているメラモリよりも、人々がざわついている気がする。
道行く人々の表情に余裕がないというか、なにかに脅えているかのように、精彩を欠いている気がした。
十日以上も軟禁されたシュゼスの目に、たまたまそう映っただけなのかも知れなかったが。
ガンガジル王国とその首都メラモリの歴史は、これでなかなか古い。
五百年前にはすでに史書の中に記述されていると、そういうはなしであった。
とはいえ、そのときのガンガジルは独立した王国ではなく、当時周辺諸国を従えていた王国の一地方領に過ぎなかったそうだが。
その五百年前の王国は膨張するだけ膨張した末に爛熟し、内部での腐敗と外部からの侵攻に受けて、あっさりと滅んだ。
その後、地方領主であったガンガジル家が必要に迫られた形で独立を宣言して王家を名乗り、現在に至っている。
その当時からある古い都市であるから、メラモリには新旧取り混ぜて様々な施設が建造されていた。
荒野と耕作地を、あるいは耕作地と都市部を分ける高い防壁。
その中には湧き水や川を利用した用水路が縦横に駆けめぐってメラモリに潤いを与えている。
そして、煉瓦や石で造られた大小の建築物。
どれも古い、歴史のある頑強な建物ばかりであったが、気のせいがどれもが埃にまみれ、シュゼスの目からはいつもくすんでいるように見えた。
シュゼスは主計課に寄って溜まっていた給料を貰い、メラモリでの定宿にしている店へとむかう。
一応、給料は、シュゼスが軟禁されている日々の分まで用意されていた。
特に最近は、ガンガジル王国の国軍の動きは激しく、長いことひとつの場所に留まることは珍しい。
そこで、移動が多いシュゼスのような一兵卒は、自然と素泊まりの木賃宿を渡り歩くような生活になってしまうのだった。
今、シュゼスがむかっている店もそのような安価に素泊まりができる店のひとつであり、一階は酒場、二階は宿屋という形態で営業している。
きちんとした個室もあるのだが、寝台だけをずらりと並べて素泊まりだけの客も受け入れていたので、シュゼスのようなあ裕福ではない独身者にはありがたい店でもあった。
「おやまあ、シュゼスさん」
店に顔を出すと、酒場の掃除をしていた顔見知りのおかみさんが声をかけてくれる。
「ずいぶんと顔を見なかったけど、お仕事でメラモリを離れていたの?」
「まあ、そんなところ」
シュゼスは曖昧に答えた。
「それよりもなにか適当に、腹にたまるものを用意してくれないか?
あと、寝台に空きがあればそれも押さえておきたい」
こうした安宿は、早めに予約を入れておかないと埋まってしまう可能性があった。
「はいよ」
おかみさんはカウンターの中に入って、すぐにシュゼスの食事を作りはじめた。
「来ると途中、なんかみんなピリピリしていたようだけど、なんかあったのかなあ?」
シュセズは、念のために訊いてみた。
「なんでも、南部の方に盗賊団が出没しているとかで、今日にでも討伐隊がでるみたいだよ」
そんなにみんなピリピリしていたかい?
と前置きをした上で、おかみさんは答えてくれる。
「シュゼスさん、兵隊さんなのにそういうこと聞いてなかったのかい?」
「ああ。
おれは下っ端だし、それに今日このメラモリに着いたばかりなんだ」
正直に自分の境遇を説明するのも面倒なので、シュゼスは適当に嘘を混ぜて説明した。
「討伐隊か。
どれくらいの規模なんだろうな」
「さあ。
かなり力を入れているとか、近衛兵から選抜しているとかいうことは噂されているけど、でも、具体的な数まではわからないねえ」
近衛兵まで動員するのか。
と、シュゼスは内心で驚いた。
冷静に考えてみれば、三ヶ国への出兵が開始されてからこっち、このメラモリに余分な兵力などない。
それこそ、虎の子の近衛兵でも動員しなくては、討伐隊としての体裁も整えられない有様なのだろう。
だが……。
と、シュゼスは自問自答をしはじめる。
そんなことをしたら、それこそこのメラモリと王城周辺の守りが薄くなるんじゃないだろうか?
シュゼスが値段が安い割にそこそこうまくてそこそこ腹持ちのする食事を食べていると、宿のすぐ外がにわかに騒がしくなった。
「なんの騒ぎだ?」
「なんなんだろうねえ」
シュゼスふと口にした疑問に応じるように、宿屋のおかみさんが外に様子を見に行って、すぐに店の中に帰ってきた。
「あれまあ。
馬に乗った兵隊さん。
それも、誰も彼もが様子がいい。
あれが近衛兵って人たちなのかね」
「……なに?」
シュゼスは食事を中座して宿屋の外まで身を乗り出した。
イワヘビの紋章が入った軍旗を堂々と掲げ、確かに「様子がいい」騎兵たちが整然と通りを更新していく。
馬も、体格がよく、肌も手入れが行き届いた色つやをしている。
ガンガジル王国の近衛兵は、貴族の子弟とか容姿が整った者が選抜されているから、おそらくはこの部隊が近衛兵により編成された討伐隊で間違いはないだろう。
さらに驚くべきは、その数。
その行列はなかなか途切れなかった。
正確に数えたわけではないが、百や二百では足りない。
少なく見積もっても、三百騎は居そうな気配だった。
今のメラモリに、こんなに戦力が隠れていたのか……と、シュゼスは半ば呆れた。
しかし、たかだか盗賊狩りにまで、こうして虎の子の近衛兵を駆り出さなければならないとは。
いよいよこの国の情勢も逼迫してきているようだな、と、そんなことを思った。
食事中のおかみさんとの世間話で、シュゼスは自分がメラモリを留守にしていた間に宰相であるデリガリ子爵が王宮への出仕を禁じられていることを知った。
ここでいうデリガリ子爵は、現在、野営地に居る大デリガリで子爵はなく、その息子である小デリガリ子爵のことを指すわけだが、そもそもシュゼスの世代の者にとって「宰相のデリガリ子爵」といえばすなわち小デリガリ子爵のことを意味する。
大デリガリ子爵が現役の時代を知らない世代であった。
「……宰相様が」
いよいよもって、危ういな。
と、シュゼルは思う。
町中がピリピリとしているのは、盗賊よりも今のこの王国の体制が原因なのではないか。
いざとなれば、逃げるか。
と、シュゼルは考えはじめている。
こういってはなんだが、さほど多くはない税を収める代わりに自分の身柄を王国軍に売った形になる両親や兄たちにはなんの義理も感じない。
どのみち財産といえるほどものは持たない身軽な身である。
このガンガジル王国と心中しなければならない理由など、シュゼルにはないのであった。
簡素な食事を終え、一息ついた頃、また外が騒がしくなった。
なんだ?
と思い、扉から宿屋の外に顔を出して、シュゼルは目を丸くする。
蹂躙、されていた。
つい今し方、整然と列をなして宿屋の前を通過していった、近衛兵からなる討伐隊が、である。
あちこちで、悲鳴や怒号があがっている。
巻き添えを食らってはたまったものではない。
シュゼルはすぐに扉を閉めきり、閂をかけた。
おかみさんにも、
「騒ぎが収まるまで、決して外を見ないように!」
といい渡す。
その頃には外から明らかに交戦中とわかる物音が聞こえていたせいか、おかみさんは顔色をなくしてコクコク頷くばかりだった。
「なんでこんなことになっているんだ!」
小さく叫びながら、シュゼルは宿屋の二階へと駆けあがっていった。
適当な部屋に入って窓を開け、交戦の物音がする方向を見る。
やはり蹂躙、されていた。
戦闘、などという生やさしいものではない。
接触するやいなや、文字通り粉砕されていくのだ。
人体、馬体を問わず。
敵軍の先頭に居た、巨大な人馬が。
目にも止まらない速度で獲物を振るい、その度に、血肉が周囲に飛び散る。
なんとも悽愴な。
同時に、非現実的な光景だった。
「……なんだ、これは」
ようやく、シュゼルはそう呟いた。
感情はもとより、思考までもが麻痺しているように感じた。
「あまりにも……一方的じゃあないか……」
先頭の巨大な人馬は、よく見ると背中に見慣れない紋章の軍旗を差していた。
……トカゲ?
なのだろうか。
とにかく、その軍旗には、そう見えないこともない紋章が記されている。
こちらの紋章は、シュゼルの記憶にはないものだった。
とはいえ、シュゼルも周辺諸国の紋章をすべてそらんじているわけではないのだが。
その先頭の人馬が正面から討伐隊を左右に切り開く。
左右に分かれた敗残兵たちをあとに続く敵軍の者たちが手際よく始末している。
慣れているのか、円滑で統制の取れた動きだった。
そして、その敵軍の後続部隊が掲げている軍旗の紋章を確認し、シュゼルはまた目を見開いた。
百合と蜘蛛を象った、紋章。
おそらくその紋章は、この大陸で一番有名な紋章であっただろう。
「……シャルファフィアナ帝国が、なぜこんな場所に」
呟きつつ、シュゼルは、
「一刻も早くこの国から逃げ出すべきだ!」
と、決意している。




