緑の街道
面談が少々難航したのは、馬車ごと積み荷と金を巻き上げられたと主張する行商人、マイセルだ。
マイセルはまだ二十代の日焼けをした若い男だった。
「なんだって、おれの財産を取り戻すのにこんなに揉めなくちゃあならないんだっ!」
そういわれても、めぼしい貴重品類はすでにザバル村に移送している。
それに、現金については、具体的な金額を申し出られても、それを証明するのは事実上不可能だろう。
「そうじゃない、そうじゃない。
金なんざ二の次だ。
おれの一番の財産は、長年連れ添った荷馬車と馬だ。
積み荷や金なんざ、商売さえ再開すればまた手にいれられる!」
あんまり聞き分けがないので、村から延びる道の、倒木のさらに外側、馬車と馬が繋いである場所へと案内した。
「ああ!
こいつらだこいつらだ!」
マイセルが駆け寄ったのは、馬車の中で一番みすぼらしい平台車のものだった。
馬も、一番痩せている小柄な馬を選んでいた。
「それを返すのはいいんですが……元手も積み荷も失った今、商売を再開するのも難しいのでは?」
ハザマが指摘すると、マイセルは覿面にうなだれた。
「そう……なんだよな。
商売道具が無事だったのはいいが……」
「なんでしたら……紙とか薬品、それに、毛皮なんかでよければ、こちらで工面することも可能ですが。
あ、あと、ワニの肉とか革も余ってたな……」
ハザマとしても、新しい販路を開くことはメリットが大きいのだった。
「……本当かっ!」
「ええ、まあ。
貸付という形で処理すれば、多少の現金も持たせることが可能だと思いますが……そっちは担当の者に相談してみないことには、確約はできません」
「頼む! 是非に頼む!」
こうしてマイセルもザバル村に向かうことになった。
残るは……女衒のズムガと商売女の一団。
事前に女たちに個別に面談させてみたところ、女たちの中で足を洗いたいと申し出たのは三名のみ。
この三名については、すでに保護してこの一団とは引き離してある。
今残っているのは、今後もその商売を続けることを望んでいる者たちだけだった。
「わたしらは、バタハムに向かう途中でしてね」
例によって、妙にへりくだった態度で女衒のズムガが告げてきた。
「このまま元の商売に戻らせていただくのが一番なんですが……」
「おれとしては、あんたらを解放することに異論はないんだけど……」
ハザマは冷淡な態度を崩さずに告げる。
ハザマは特定の職業に対して嫌悪感を持つタイプではなかったが、だからといって身内に抱え込んでもトラブルの元になる気がする……という警戒心を忘れていなかった。
そうでなくても、洞窟衆は、起源が起源である。
「……でもあんたら、路銀はあるのか?」
「ありませんねえ、ええ。
金目の物はすべて、あの盗賊たちに取り上げられておりますので……」
「あんたらから取り上げられた分は……確か、あの平荷車に積まれたとかいっていたな?」
「そうです、そうです。
一味の頭領が、その荷車を使っていたので……」
「ちょっと待ってて……」
ハザマは意識を集中して、心の中でファンタルだけに声をかけた。
『……ファンタルさん、今、ちょっといいですか?』
『なんだ? ハザマか?
エルシムの施術、さっそく使いこなしているようだな』
『それよりも、ファンタルさん。
昨夜、別働隊が捕らえた盗賊が持っていた財物ですが……』
『ああ。
まだ、送っていないな。
なんだ、女の中に好みのタイプでもいたか?』
『残念ながら、おれ、香水がきつすぎるのは好みではないようでして……。
いや、それよりも、それを持ってきて貰えますか?
その、村はずれの、馬車があるところまで』
『馬車があるところ……ふふ。
厄介払いか?』
『ま、そんなところです』
「……今、馬車があるところまで、取り上げられた財物を運んできます」
しばらく黙り込んでいたハザマがいきなり顔をあげてそういっても、少なくとも表面上、ズムガは驚いた様子は見せなかった。
「そうですか、そうですか」
それどころかズムガは、ニヤニヤと笑って見せる。
「それはまた、気っ風のよいところで」
こいつ、内心で「このお人好しが」くらいのことは思っているのかも知れないな、と、ハザマは思った。
しばらく待っていると、箱を持たせた犬頭人を連れたファンタルがやって来た。
「これでいいのか?」
そういって、ファンタルは箱を地面の上に置き、中身を検ためさせようと即す。
ズムガよりも先に、女たちが素早く箱に群がった。
取り上げられた値打ち物の装飾品などを、必死で捜している。
「そういや、ファンタルさん。
バタハムって、ここから遠いの?」
「遠いといえば遠いが……あそこは、なんにもないところだぞ?」
「いや、この人たちがこれからそこに向かうっていうから……」
「こいつらが、バタハムへか……ふむ」
ファンタルは、少しの間、考え込んだ。
「おい、そこの女衒。
またあのへんが、きな臭いのか?」
「はい。どうもそのようでして」
ズムガが、愛想良くうなずく。
「どういうこと?」
ハザマが、ファンタルに聞き返した。
「バタハムにあるのは、国境だ。
そこにこの女たちの相方が多く集まるのだとしたら……それは、近く大きないくさが起こるということだ」
「ああ……なるほど」
ハザマは反射的にうなずきかけ、
「ええ!
それって、戦争ってこと?」
と、また聞き返す。
「なに、何年かごとに繰り返される小競り合いだ。
ここ数年は天候も穏やかで豊作続きだと思っていたのだが……北の方は、そうでもなかったのかな?」
「北って……」
「北には、山岳の大国がある。
領地は広いが、耕作できる土地が極端に狭い国でな。
なにかというと周辺諸国に出兵しては、略奪を繰り返している」
「はぁ……なるほど」
ハザマは、曖昧な顔でうなずいた。
実の所、いくさだなんだといわれても具体的なイメージがわかず、ピンと来ないのだ。
「これは……古巣の連中からも呼び出しが来るかな?」
「古巣?」
「黒旗傭兵団。
まんざら、知らぬ間柄でもでもなかろう。
食料を余分に分けて貰った義理もあるからな。
場合によっては、駆けつけて恩を売っておくのもいいかと思うが……」
「……うーん。
考えてはおくけど、結論は保留ってことで」
「そうか。
この分だとまだ、時間的な猶予はあると思うが」
「あのぉ……」
ファンタルと二人で話し込んでいると、女衒のズムガが割り込んでくる。
「……ああ。
もう好きに出ていってもいいっすよ」
「はあ、ありがとうございます。
それはそれとして……別に、一つお願いがあるのですが……」
相好を崩して、ズムガがハザマに笑いかけた。
「……お願い?」
その笑顔に若干引き気味なりながら、ハザマが聞き返す。
はっきりいって、かなり胡散臭く感じた。
「はい。
できれば、ですね。
皆様方の、お墨付きのようなものを頂ければ……」
「……なんだ、そりゃあ?」
当然のことながら、ハザマは首をひねる。
「ええ。
道中の安全を保証するため、わたしらに手を出せば皆様方が報復をするぞ、という保証書のようなものをいただければと、そのように……」
「……おれたちの方には、あんたらの身の安全を保証する義務なんかないんだけど……」
「もちろん、実際に保証して貰わなくても結構です。それに、タダでともいいません。
形式だけのことといいましょうか、ほら、一種のお守りみたいなものでして、はい。
わたくしどもも、形だけでもどこかの組織が背後にあるということにして置きますと、いざというときに睨みが効くと申しましょうか……」
「……ミカジメ料、みたいなもんか……」
ハザマは、少し考え込んだ。
「ファンタルさん、このはなし、どう思う?」
「こいつらの安全はこちらで保障しない、という契約を結んだ上で、こいつら自身にそのお墨付きとやらを偽造させればいいのではないのか?」
ファンタルは、ぶっきらぼうな口調でそういった。
「ハッタリだけの、実効性がないことを前提としたお守りなら、それで十分だと思うが」
「なるほど」
ハザマは、深くうなずく。
「こちらの名前で、商売をするわけか……。
ええっと、商人なら契約の魔法が使えるんだったかな……。
ゴグスさんかマイセルさんを呼んで……」
「ああ。
わたしが呼んでこよう」
「いや、助かります。
あの赤鬼ヴァンタルを単身で倒したハザマさん率いる洞窟衆のご威光だ。
これで道行きもかなり安心できる」
近くに居合わせたゴグスに頼んで然るべき契約を結び、なんの意味もない「お墨付き」というやつを用意して渡してやると、ズムガは大仰に喜んで見せた。
その「お墨付き」は、ハザマたちが持ち込んだエルフ製法の紙にズムガが考案した文面をゴグスが代筆し、最後にハザマが漢字で「間繁」と署名したものだ。
前述の文面に意味はないが、珍しい署名でハザマが関係していること自体は証明できる。しかし、文面通りの契約としてまるで実効性がない、ということは、ゴグスも保証してくれた。
単なる落書きされた紙切れも同然だったが、珍しい紙と署名は本物であり、傍目には無効な契約だとはすぐには判断できないようになっている。
これで、今後、ズムガたちの一行が盗賊などに襲われてたとしても、ハザマたちの報復を恐れて手を引いてくれる……と、少なくともズムガ自身は信じているようだった。
もちろん、ズムガからは十分な謝礼が支払われ、その中からゴグスへの報酬も支払った。
娼婦たちを乗せた一際豪華な造りの馬車を見送った後、ハザマたちも本格的な撤収の準備をはじめた。
捕虜のうち、比較的近くの村から拐かされてきた者たちについては、手分けして犬頭人たちに送らせるように手配する。
残った捕虜たちは、残りの馬車に分乗させ、一度ザバル村へ送ることにした。
なにをするにしても、一度人里まで出てからの方が都合がよかったからだ。
幸い、捕虜たちの空腹は洞窟の時ほど深刻なものではなく、馬車での旅に耐えきれないほど衰弱した者はいなかった。
また、ハザマたちが紳士的な対応を心がけていたおかげで、それなりに信頼もしはじめている様子すら、あった。
特に、ハザマとヴァンクレスとの一戦を目撃していた者の印象が、かなりよいようだ。
「……緑の街道、ねえ……」
その街道はハザマが漠然と予想していた以上に道幅が広く、立派なものだった。
目測で、幅は五十メートルほど、だろうか。
それだけの幅がある石畳の道が、森の中をつっきってどこまでも続いている光景は、ハザマの目から見ても非現実的に見える。
「メンテナンスとか、誰がしているんだ? これ」
「補修、ですか?
街道に使用される石材はとても硬くて、滅多なことでは壊れないと聞いています」
そう答えたのは、捕虜の一員である、クリフとかいう下級貴族出身の少年だった。この少年は、わざわざハザマと同じ粗末な平荷車に乗り込んできた。少年の姉である少女も一緒だが、その姉はハザマの方をさっきから軽く睨んでいる。
他にものり心地のよい箱馬車があるのだが、そちらには姉弟の祖父だけが乗っている。
この馬車の本来の持ち主であるマイセルは、御者席に座って手綱を取っていた。
ハザマとクリフたち姉弟、それにリンザ以外には、盗賊に捕まっていた人たちがみっしりと乗っていた。
「滅多に壊れない……のなら、どうやって加工して石畳にしたんだ?
いや、それ以前に……こんなにいっぱい、重そうな石を大量に、どっから運んでどうやって敷き詰めたのか……」
ぶつくさと、ハザマが呟きはじめる。
ハザマが漠然と予測していたよりも、この世界の技術水準は高いのかも知れない。
「さあ……具体的な方法とかはわかりませんが、かなり昔、光帝の御代に敷設されたと伝えられています」
クリフが、解説してくれる。
「その……光帝って人は、どれくらい前の人?」
「ええっと……確か、五万年くらい前だっとと思いますが……」
「五万年!」
ハザマが、大声をあげた。
ハザマの出身世界なら、五万年前といえば、歴史学ではなく考古学の範疇に入る。
「……ぱねぇな、この世界……」
話半分で聞いたとしても、数万年前、すでにこれだけ大規模な土木工事を可能とした集団があったということだ。
ハザマが予想していた以上に、この世界は奥が深いのかも知れなかった。




