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猪頭の王

 頬を叩かれてエルシムはようやく己を取り戻した。

 どうやら、何昼夜にもわたる輪姦の果て、しばらく意識を手放していたようだ。体中が、特に下腹部がズキズキと痛む。自分の体中に濃い精液の匂いが染み着いているのも自覚する。喉がひどく乾いている。

 乾ききった口腔内に舌を這わせていくらかでも湿り気を取り戻そうとしながらゆっくりと瞼を開けると、自分の顔を覗きこんでいるヒト族の女たちの顔が見えた。その女たちもやせ衰え、自分とは別種の不快な悪臭を放っている。

 どうやら、なにかの間違いで助けられたというわけでもなさそうだ。

「……なにが起きておる」

 掠れた声で、周囲にいた女たちに訊ねる。

 しかし、女たちは当惑した様子で顔を見合わせるだけで、誰もエルシムの問いには答えてくれなかった。

 つまり……と、エルシムは推測する……この女たちにも、今なにが起こっているのかよく理解できていないということか?

 そんなことを思いつつ、エルシムはなけなしの体力を総動員して上体を起こす。

 体中が悲鳴を上げているような気はしたが、どうにか、その程度の運動をするくらいの体力は残されていたらしい。

 この世に生を受けてから二百年以上になるが、異族に捕らえられて立て続けに性交を強要されたのこれがはじめてのことだった。不快ではあったし、二度としたくはないが、珍しく新鮮な経験であったことは間違いない。寿命の長いエルフの生において、なんにせよ「初体験」というのは珍重される。

 エルシムがなぜだか妙に張っている下腹部に手を当てて強く押し下げると、ゴボゴボと音を立てて濁った白濁液が裂けた生殖器から大量に出てきた。

 まったくあの犬頭どもは。エルフはなかなか子をなせぬ体質であることを知らぬのか。こんなに無駄弾を撃ちおって。

 心中でそんな悪態をつき始めたとき、エルシムの頭の中に《なにか》の声が響いてくる。

 ……足りない。足りない。

 ……もっと。もっと。

 飢餓感を伴うその思考は、一体誰のものなのか。

 エルフの巫女であるエルシムは深呼吸をして、その《なにか》の声に耳を澄ます。


 傭兵たちのうち、一番後ろにいた者たち五、六名が丸太のような腕の一振りであっけなく薙払われ、粉砕されていた。

 身につけていた甲冑ごと、骨や肉を持って行かれた。

 当たりどころが悪ければ訳も分からないままに絶命し、運良く手足を破損した程度で済んだ者は自分たちを攻撃した威容を間近に目にすることになる。

「……ほぅ」

 相変わらずにやにや笑いを浮かべたままの例の男が、関心したような呆れたような声を出す。

「今度は本物の化け物が出やがった。

 身長は三メートルオーバー、体重はトン単位ってところか。

 犬頭の次は豚、いや、猪頭ってな」

 そういうと、なんの気負いもない所作ですたすたと猪頭人の巨体がいる方へと歩いていく。

 そうした様子を、逃げ腰になっている傭兵たちは目を見開いて見守っていた。いや、見守っていることしか出来なかった。

 ここまで成長した猪頭人といえば……今の二倍から三倍の兵数でも討ち取れるかどうかという、剣呑な代物なのだ。

「あいつは……ああ、駄目なのか、相棒。

 なるほど。レベルが足りないってわけだな。

 で……ああ。

 いいぜ。

 そんなものなら……あたりに新鮮なのがいくらでも転がっているんだからな!

 死にたてのものから食べちまえ、バジル!」

 男が、例によってまるで理解できない言語をぶつくさと呟いたとたん……男が肩から下げていた麻布の鞄から、黒い影が飛び出してきた。

 その黒い影はたった今、猪頭人に倒されたばかりの傭兵の死体に取りつき、その首もとに食らいついた。


 ぐぉぉぉぉっ、と、猪頭人が威嚇するように、吼える。


「さがるな。

 もう後がないぞ!」

 ガルバスは及び腰になっている傭兵たちを叱責する。

「やつを倒せなければ、おれたちもおしまいだ!」

 この先は、気を失って戦力として勘定できない者も含め、薄汚れて疲れ切った女たち数十名いるだけのどん詰まりだ。

 後退したとしても、逃げ場がない。この猪頭人を首尾良くしとめなければ、この場にいる全員、生きてこの場から出られない。

 ここまで育った猪頭人を相手にするのには絶対的に戦力が足りないし、準備が不十分であることはわかっているのだが……それでも、今この場であきらめて抵抗を止める気にはならなかった。

 ガルバスの怒声を受けて、浮き足立っていた傭兵たちはそれぞれ手にしていた武器を構え直し、猪頭人の方に向き直る。


 倒れた傭兵の首もとに食らいついた《そいつ》は、すぐさま首の肉を半分ほど食いちぎり、長い鼻面を耳の後ろあたりまで差し込んでゴリバリと音を立てて顔の骨ごと咀嚼しはじめる。次いでその傭兵の頭蓋骨の中に顔を差し込んでぐしゃぐちゃと内容物を食い荒らした。

 わずか数秒でおいしいところを食い尽くすと、すぐさま次の死体へと向かう。


「うまいって? 脳みそ食いとはたいした美食家だ、相棒。

 お前はそのまま前菜をたらふく食ってレベルアップしてろ。

 おれは……」

 例の男が、うっそりと笑う。

「お前のメインディッシュを用意してやるよ!」

 そういって片手に鉈、もう一方の手に剣を持って無造作に猪頭人との距離を詰める。

 と。

 次の瞬間、男は吹き飛ばされていた。


 ガルバスをはじめとする、成り行きを見守っていた傭兵たちの目が点になった。


 壁面に叩きつけられた男は数秒、ピクリとも動けないでいた。

「……ってぇー……」

 しばらくして、頭を振りながらゆらりと起きあがる。

「身構えて、かすっただけでもこの有様かよ……。

 まともに相手に出来たもんじゃねーなー……」

 男は右手に持っていた鉈が刃の半ばから折られているのを確認してから、それを投げ捨てた。

「やつの動きは止められないか、相棒。

 ……うん。

 もう少し育たないと駄目か。そうか」

 男の相棒……男が「バジル」とか呼んでいた全長三十センチほどのトカゲ……あるいは、トカゲの形をした《なにか》は、今や四体目の犠牲者を食らっている最中だった。

「参ったなあ。

 死体はもういくらも残ってねーし……犬頭の脳みそは……食い飽きたし、もうレベルアップの足しにはならねーのか……」

 そんなことをいいながらも、男はゆらゆらと立ち上がる。

「こらぁ……詰んだかな?」


「だから、その剣を貸せ」

「……なんに使うんですか?」

「この死体の首を斬り落とす。

 生憎と、死体を丸ごと運ぶ体力は残っておらなんのでな」

「この人たち、まだ死んでいませんよ!」

「虫の息だ。それに、首尾良く生き延びたとしても廃人同様。

 ならば、この場で糧として役立つ方がよい。

 ヒト族よりも経験豊かなエルフの脳髄の方が、より滋養があろう」

「あなた……なんて酷いことを!」

「酷いのはおのれらだ!

 そうせねば、ここにいる全員があの猪頭人の餌食になるのを待つばかりなのだぞ!」


「……へっへっへ……」

 例の男は、相変わらず猪頭人と対峙している。

 不可解なのは、猪頭人の方もその男をむやみに攻撃しようとしていないことだ。低いうなり声をあげながら威嚇しているのだが、ただそれだけだ。

 あれほど育った猪頭人なら、そのまま突進してきてこの場にいる全員を喰らうことも、十分に可能なはずであるなのが。

 男はといえば、そこいらに転がっている倒れた傭兵たちの武器を拾い上げては、目測で距離を測りつつ、猪頭人の方へと手にした武器を伸ばしては弾き飛ばされている。

 猪頭人は、体が大きく力が強いだけではなく、俊敏でもある。

 男が手にした槍や剣が、目にも留まらない腕の一振りであっけなく弾き飛ばされる。

 男の方はといえば、咄嗟に武器を手放してはいるのだろうが、完全には間に合わず、

「……とっ、とっとっ……」

 などといいながら、そのたびに大きく上体を流されている。

 手首ごと持って行かれていないだけマシなのではあろうが……いったいこいつはなにをやりたいのか……という疑問を、傭兵たちは持たずにはいられなかった。

 背後からいくつかの物体が投げ込まれたのは、そんなときである。

 ごん、ごん……と音をたてて転がったものがなになのか、ガスバルはしばらく把握できなかった。

 いや、無意識的には「それ」の正体を理解していたのかもしれないが、理性がそうと認めるまで、数秒の時間を要した。

「女の……エルフの、首……」

 傭兵の誰かが、うめくように、いった。

 ぴぎゃっ、と可愛らしい鳴き声をあげてトカゲに見えるモノが新しい餌に飛びついた。

 即座に首もとから頭蓋に鼻面を埋めて貪りはじめ、ひとつあたり五、六秒でひとつの頭の中身をガツガツと食い尽くしていく。

「よしよし!

 今度はいけそうか? 相棒!」

 男が、叫んだ。

「そんじゃあいよいよ……メインディッシュだぁ!」

 男は、躊躇いもせず猪頭人との距離を詰めた。


「え、援護しろ!」

 それまで傍観するしかしなかったガルバスが、叫ぶ。

 男のやりようは無謀としか思えなかったが……それでも、この苦境を突破しうる者がいるとすれば、この男しかいないようにも思える。

 他によい方策も思いつかず、これを機に手持ちの戦力を一気にぶつけるつもりだった。

 傭兵たちは……数秒、躊躇したものの、すぐにガルバスの指示に従い、弓矢を構えはじめた。

 勝敗についての確信はとうてい持てないでいたが、それでもなにもせずに事態の推移を眺めているだけよりは、体を動かしていた方が、いくらかでも気が休まる。


 背後から飛来する矢が、猪頭人に降り注ぐ。

 命中したとしても、大半は分厚い毛皮に阻まれて猪頭人の体に刺さらない。いくつかは猪頭人の体に刺さっているようにも見えたが、それだって体のごく浅い部分までしか傷つけてはいないのだろう。

 その証拠に、猪頭人はさしてダメージを受けているようにも見えない。

「まあ、メタボ体形だしなあ。

 毛皮だけではなく、皮下脂肪もクッションになっているんだろう」

 そんなことをいいながら、男は手にした剣を横に構えてまた一歩、踏み出した。

 ぶん、と風切り音がして、猪頭人の腕が男の体を薙はらおうとして……なぜか、途中で静止した。

 男はその風圧で無様に横転し、しかし、猪頭人の腕には剣が刺さっている。

「……おぅ……」

 横になった姿勢のまま、男が感嘆の声をあげる。

「ようやく相棒のが効きはじめたか……。

 おれ自身の力じゃあ、到底刺りはしないが……こいつ自身の力をうまく利用すれば、なんとか傷をつけることくらいはできそうだ。

 それに……」

 たまたま手元にあった槍を拾い上げて、寝そべった姿勢のままそれを振るった。

「……全身が、均一に硬いってわけでもなかろう……」

 猪頭人は男を踏みつぶそうと片足をあげ……なぜか、一瞬、足を下ろす動作が鈍った。

 そのおかげで、男が手にしていた槍の穂先が、無防備だった猪頭人の股間に届く。


「野郎……ふぐりを斬り飛ばしやがった……」

 ガルバス、渋い表情になった。

 男性なら、その痛みは容易に想像ができる。

「いや。

 急所狙いは、効果的な常道だ」

 はぐれエルフのファンタルは冷静な口調でそういいながら、矢を放つ。

 ファンタタルが放った矢は、吸い込まれるように猪頭人の左の眼球へと突き刺さった。

 多くの生物にとって、眼球は、睾丸と並んで「鍛えようがない」急所である。


「バジル!

 メインディッシュを召し上がれ、だ!」

 ざっと、トカゲのようなモノが地を滑るように動いて猪頭人の股間へと飛びつく。

「脳みその前に、腸を食い荒らせぇっ!」

 トカゲのようなモノの姿は、そのまま外部からは見えなくなった。

 男の言葉通り、股間の斬り口から潜入し、猪頭人の内蔵を食べているのか。


 猪頭人が、吼える。

 しかし、今度の声色には威嚇や怒りではなく、どこか物悲しさを感じさせるものだった。

 猪頭人の、苦悶の声か。


『……伏せて!』


 男の頭の中に、そんな声が響いた。男が数十日ぶりに聞く、「意味が理解できる言葉」だった。

 しかしその声は、男だけではなく、傭兵たちや女たち、ともかく、その場にいた全員の頭の中に響いていたのだ。

 傭兵たちや女たちが、その声の逼迫した様子に感じ入ってばたばたと地面に身を投げる。

 最初から地に伏せていた男だけが、きょとんとした顔で左右を見渡している。

 次の瞬間、いきなり空中に眩いばかりの光の棒が出現した。

「まぶしっ!」

 叫んで、男は慌てて目を閉じる。

 突如出現した光の棒は、猪頭人の肩に、次いで胸部に突き刺さり……いきなり高温の光線により熱せられた猪頭人の血肉が膨張して、はじけた。


 大きな猪頭人の頭部が、ごろんと地面に転がる。

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