野営地の日々
ガンガジル王国軍所属のシュゼスは夜を徹して馬を走らせた。
自分が属していた輸送隊が襲われた事実を、一刻も早く王国上層部へと報せるためである。
シュゼスは輸送隊の隊長が射殺された光景を脳裏に焼きつけていた。
あの、異様に射程の長い弓の使い手が何人も揃っていた一団が、通常の盗賊団などであるはずもないのだ。
シュゼス自身にも、やつらの詳細はわからなかった。
が、少しでも早くあの連中についてなんらかの対策を施さないとなにかとんでもない事態になるのではないのか。
そんな焦燥感に駆られるまま、襲撃以来ずっと少しも足を止めずにシュゼスは馬を走らせ、そして今、ようやくガンガジル王国の首都、メリモリへと到着した。
ガンガジル王国の首都、メリモリもこの大陸の多くの都市の例に漏れず、外敵からの襲撃に備えるため、周囲を頑強な防壁で囲っている。
そのときシュゼスが着いたのは、メリモリの防壁の南に面した門であった。
門を守っていた兵たちは、髪を振り乱し、人馬ともに汗まみれになったシュゼスの姿を見て、不審に思った。
ガンガジル王国軍には統一された制服というのはないのであるが、輸送隊の副官であったシュゼスは軍旗を背負っていたままだった。
「どうした?」
「輸送隊の徽章を背負っているようだが」
不審な様子であり、当然警戒をしたままではあったが、門番の兵士たちは当然のようにシュゼスの乗る馬を制止し、来意を問いただす。
「襲われた!」
シュゼスは叫んだ。
「最初の斉射で隊長が倒された!
物盗りにしても手際がよすぎる!」
「それは……」
門番は少しの間絶句した。
「……積み荷を放り出してきた、ということか?」
「一刻も早く詳細を伝えなければ、と思ったんだ!」
シュゼスは、また叫ぶ。
「やつらは、やばい。
こうして逃げ出していなかったら、おれもやられていた!」
そういったあと、シュゼスは馬から降りて両手をあげた。
「早くもっと上の人に伝えてくれ!」
門番たちはお互いに視線を交わして、重いも敷く頷いた。
「わかったわかった」
「まずは……そうだな。
休んでくれ。
お前さんも馬も、汗だくではないか」
「当然だ!
逃げてからこの方、不眠不休で走ってきたんだからな!」
シュゼスは大声を出した。
「それよりも早く、この情報を上に取りついでくれ!
そうしないと、被害が増えるばかりだぞ!」
興奮状態にあったシュゼスは騒ぎに気づいて出てきた控えの門番たちに取り囲まれ、宥められながら別室へと案内された。
「……と、申しておりますが……」
「その、シュゼスという者の身元は?」
報告を受けたガンガジル王国の軍務官僚は、まず証言者の身元を確認した。
「税を肩代わりするために賦役を申し出てきた、雑貨商の次男坊ですね」
シュゼスの証言を取り次いだ役人は、そのように答える。
「実家も、特に大きな商売をしているわけではないですが、三代以上前からわが国を出入りしています。
ざっと調べたところ、特にうしろ暗いところはないようでした。
また本人についても、急いで調べた範囲では無法者など怪しい者との繋がりはないようです」
「引き続きの調査をお願いします」
その官僚はいった。
「どこでどのような者と知り合いになっているのか、わかった者ではありません」
彼らは、シュゼスが輸送隊を襲撃した連中と内通している可能性を疑っている。
残念なことに、そうした事例が過去に何度かあったのだ。
それに、シュゼスは、輸送隊の中で今回一人だけ生還している。
輸送隊が襲撃された場所からこのメリモリまでの距離を考えると、シュゼスの移動速度も驚異的に、不自然なほどに早かった。
本人の申告によれば「不眠不休で馬を走らせた」ということだったが、そうでもしなければ到達できないほど短時間で移動しているのだ。
現在、そのシュゼスは一通りの証言を終えたあと、監視つきの部屋に案内されてそこで休んでいる、ということだった。
やるべきことをやって気が抜け、疲れが噴出したという風にも見えるのだが、事実関係がはっきりするまではこのまま軟禁しておく予定であった。
「調査隊の手配は?」
「すでに出発しております」
「引き続き、周辺情報の調査をお願いします。
それから、ほかの輸送隊の安否も改めて確認しておいてください」
「はっ」
メリモリ以南の地域において、前後して多数の輸送隊が根こそぎ襲われていることが判明するのは、この時点からさらに数日の時間が必要だった。
その間に、シュゼスと同じように襲撃から逃げてきた者がばらばらと人里に姿を現して、名乗り出ていた。
その報告が首都メリモリに伝えられるまでのタイムラグもあり、ガンガジル王国軍が事態の全貌を把握するまでには相応の時間を必要としたのだ。
その数日の間に、ガンガジル王国軍が陸路で輸送した物資はほとんどまともに届かないところまで事態が悪化していた。
「……ここまでやれば、ガンガジルの注意はメリモリの南側に集中すると思うのだがな」
各国の代表者を集めた説明会の席で、ファンタルはいった。
「輸送隊を襲う連中を討伐するために、ガンガジル側が討伐隊を差し向けてくることも十分に考えられる。
それだけ北側、つまり三ヶ国方面への注意が疎かになるはずだ」
「その討伐隊を襲うわけですか?」
「いったい、なんのためにそんなことをするんだ?」
そういわれたとき、ファンタルは軽く顔をしかめた。
「仮に討伐隊が出てきたとしても、無駄に移動して消耗して貰うだけだ。
ガンガジル王国の兵力が無駄に分散されるだけでも、こちらとしてはありがたい。
やつらがこの先、どのように反応しようとも、こちらがやるべきことは決まっている」
メリモリから三ヶ国側に運ばれる物資を、根こそぎ奪う。
当初からの、ファンタルら混合軍の主目的であった。
「……それでは、これまでの略奪行為は、いったいなんのために行ったのですか?」
「ガンガジル王国側に、敵の正体がわれらだと確信させないためだ」
ファンタルは静かな口調でいった。
「もうしばらく、やつらには全力でこちらにむかってくるのを待って貰いたいからな」
敵であるガンガジル王国軍を一カ所に集中させないこと。
それに、こちらの人数がもっと増えるまでの時間を稼ぐことを、混合軍はこの時点での目的としていた。
広範囲に無数の小隊を配置して縦横無尽の移動させ、集合と離散を繰り返しながら略奪行為並び十分な必要物資の輸送を行う……という一連の行為は、実行するとなるとかなり難易度が高い。
たとえ通信網が整備されていたとしても、地平線まで視界を遮るものがないような荒野を移動する者は、ただでさえ自分の現在地を見失いがちであった。
そんな中で、迷子になったりせずにまっすぐ目的地へむかったり、なんにも目印がない場所に集合したり、物資を配置して受け渡したり、といった連携を行うことは、かなりの困難を伴う。
しかも、混合軍は出身や出自がバラバラな烏合の衆であり、結局は洞窟衆の者が司令部からの指示を伝え、事細かにその場その場でなすべきことを指示する必要がある。
「本日、第三襲撃計画の成功、報告来ました!」
「確保した物資の内容と捕虜の人数は?」
「第三の方が、麦粉千二百袋に捕虜二十二名。
全員、こちらへの投降を承諾しています」
「予想よりも捕虜が多いな」
「護衛の兵士の中に、現在のガンガジルの方針に不平を抱いていた兵士が居るらしく、むしろ積極的にこちらに寝返って来たそうです」
「少しは逃げ出して証言をして貰わないと困るのだが。
まあいい。
物資は例によって輸送隊に引き渡せ。
捕虜は、とりあえずこちらにむかって移動するように指示を」
「第五襲撃計画、成功したようです!」
「第四襲撃計画、成功です!」
「確保した物資は、五百袋分を第三十二休憩所まで、同じく五百袋分を第四十五休憩所まで……」
「第十四、十五、十八、二十一休憩所、撤去作業完了しました」
「第八十二、八十五、九十一休憩所設営作業完了しました」
司令部からの指示を徹底させ、遅滞なく機能させるのも一苦労であったが、物資や人員が有機的に流動し、機能的に配置されるように手配をしなければならない司令部内も、ここのところやけに騒がしいことになっていた。
その際に活躍したのは、ブラズニア家が抱える文官たちを中核にして組織された者たちであった。
ブラズニア家の文官たちは国境紛争のおりにも似たような仕事に従事していたのであるが、ここまで通信術式を駆使して、なおかつ直接現地の部隊とやり取りをしながら、というは当然のことながら初めての体験である。
司令部内に大きな壁面を設置し、そこにガンガジル王国の国土を図式化した略図を描き、物資や各部隊、ガンガジル王国軍輸送隊、それに仮説休憩所など示す色分けされた小さな板を、推定される現在地点へ固定する。
そうした小さな板は白墨で書き込みができるようになっており、物資の量や兵数などが書き込まれていた。
ここ数日、混合軍の参加者がばらばらとこの野営地に到着しているのだが、そうした者たちはまずこの司令部へと案内されていていた。
そして、軍務経験がある者ほど、この場の光景を見て絶句をする。
それは、
「これでは、いくさにならないではないか!」
という感嘆であったり、すでに稼働している人員や物資の量、つまりこの作戦の規模に対する驚きであったりした。
「この通信術式というものが、もっと早く実用化されていれば」
と、みずからの過去の戦歴を思い返し、歯噛みする者も多かった。
いずれにせよ、この場の光景を目撃した者は、このいくさが従来までの戦場とはまったく違った性質のものでえることをはっきりと認識することになった。
そうした見学を終えたあと、野営地に到着した将兵は例によってたっぷりと酒と食事をふるまわれる。
長旅の疲れを落として欲しい、という慰労の意味ももちろんあるのであるが、それ以外にも樽買いした酒を空にして、その大樽を風車塔の使う貯水槽に転用するのためである。
こうした大きな樽というのはやはり普段から樽造りを行っている職人に発注をするわけだが、発注してからすぐにできあがるものでもなく、やはり完成までにいくらかの期間を要する。
大量に作らせるとなれば、なおさらであった。
そこですでに完成している大樽を買い集めようとしたわけだが、こちらの方もすでに使用されているか、それとも使用するあてが決まっていることが大半であった。
そもそも、そこまで大きな樽などは、通常は完全に受注を受けてから製造しはじめるものである。
結局、この場でまとまった数の大樽をこの場に集めるためには、造り酒屋などから樽ごと酒を買い集めるのが一番の早道である、という結論に達した。
そんなわけで、この野営地においては、非番の兵と到着直後の将兵は飲みきれないほどの酒にありつくことになる。
余談はさておき、そうして一夜の歓待を受けたあと、混合軍の兵士たちはそれぞれ持っている技能によって仕訳され、いくらかでも乗馬の心得のある者はさっさと数騎単位の小隊に分けられて、荒野にむかって送り出された。
今後の略奪や輸送などを考えると、人手はいくらあっても足りないくらいなのであえる。
案内役が同行する場合もあったが、通信タグを渡された上で、
「このまま何日か、この方角にまっすぐ進んでくれ」
と、かなり漠然とした指示を貰うこともある。
そのまままっすぐに進み続ければ、いずれ案内役が連絡をつけて来て、以後の指示をしてくれる、というわけである。
野営地に残った人員に関していうのなら、彼らは彼らで多忙な生活が待ち受けていた。
出入りが激しい騎兵に持たせるための兵糧の生産、日々人口が膨れ上がる一方である野営地内の設備整備、それに、その合間に交代で武術の訓練や演習なども行っている。
なにしろ、この野営地に集まってきた者たちは寄せ集めであり実戦経験や武術の腕も一定していない。
それぞれ個々人にあわせた修練を指示して、同時に集団で動くための訓練も欠かせない。
こうした訓練や演習は、洞窟衆の者とそれに混合軍内部の経験者から選抜した者を教官役に配置して、模擬戦なども含めてかなり本格的に行っていた。
そんな慌ただしい日々を過ごしていた野営地に、ある日、異変が伝えられた。
「ガンガジル王国の軍旗を掲げた、五十騎ほどの集団がこちらにむかって来ています」
「ようやく来たか」
その報告を耳にしたファンタルは、そういって笑みを浮かべた。
「むしろ、遅すぎるくらいだな」
規模からいっても、様子見も兼ねた使者、といったところだろう。
そうした者たちに対する対処法も、当然のことながら事前の打ち合わせは何日も前に完了していた。




