見学の開始
「それで、今日のご予定の方は?」
ペドロムが訊いてくる。
「いい機会ですから、王都の近辺を見て回りますか?
なんでしたら、案内の者でも用意しますが……」
今日一日、ハザマの予定がほぼないことはこのペドロムも把握している。
新領地に帰ってもよいのだが……明日に国葬や授勲式などの式典が控えているので、毎日のように転移魔法で往来するのも面倒に思い、数日こちらに留まることにしていた。
もちろん、これは、通信網が整備されているので、新領地に居る者たちともそれなりに連絡が取れる、という前提があっての決断であったわけだが。
「いや、王都見物については、また機会を改めることにしよう」
ハザマは、軽く口調で応じる。
「公館とやらを構えるようになれば、頻繁にこちらに来る用事も出来てくるだろうし……」
それに、この王都もなかなか広いようだし、本格的に見て回るのなら数日は必要になるはずだ、と、ハザマは口には出さずにつけ加える。
「……今は、王都よりもこの商会について、見て回りたいかなあ」
と、これは口に出しておいた。
「商会を、ですか」
そういわれたペドロムは、瞬きをする。
「特におもしろいこともやっておりませんが、そういうことでしたら商会の業務全般について詳しい者をつけることにしましょう」
「そうしてもらえると、助かる」
ハザマは、もっともらしい顔をして頷いた。
「この商会でどういうことをやっているのか、具体的に把握しておかないと、今後、支障が出てきそうだしな」
会計的には、このハザマ商会と洞窟衆とはかなり気をつけて分断しており、事実上、別組織といっていいはずなのであるが、業務内容的には連動しているところも多い。
ハザマ自身は、例によって細かい部分はすべて他人に丸投げして関知していないわけだが、それでも、大ざっぱにでも全体像を把握しているのといないのとでは、大きな違いが出てきそうな気がしていた。
「……これから見物する前に確認しておきたいんだが……」
ハザマは、ペドロムに訊いてみた。
「……一応、儲かっているんだよな?
この商会」
「まあ、正直にいいまして、今の時点で赤字の部門もありはしますが……」
ペドロムは、慎重な口振りで答えた。
「……それでも、全体的にみれば、かなりの儲けを出させていただいとります。
それに、現時点で赤字の部門も、まるっきり見込みがないというものはありませんので、将来的に考えたらかなり明るいもんでしょう。
実際には、そんなことを考える間もなく、次から次へと発生する仕事を片端から潰していくうちに月日が流れている感じですが……」
このペドロムだって、実は王都の支店を取り仕切っている身である。
「その割には、よくおれのところに顔を出しているな」
ハザマは、確認する。
「そら、なんだかんだいうて、ハザマさんとの会話は刺激的ですからな」
ペドロムは、そういって頷いた。
「そこから現状を改良するための機知のようなもんも仰山得られておりますし、商売のためにはできるだけしゃべっといた方がいいと、そんな風に思っているわけでして……」
なにぶん、ぼくは商売人じゃなくて事務屋ですからなあ。毎日が勉強ですわ……などと続ける。
かなり多忙なはずなのだが、ハザマとの会話からは、なにかと気づくところがあるらしく、できる限り時間を都合して直接対面するようにしているらしかった。
ハザマとしては、必要以上に迷惑をかけていないのならばそれでよかったので、それ以上追求はしなかった。
「で、大将」
ペドロムとの会話が一段落したのを見計らって、ヴァンクレスが声をかけてくる。
「今日はどうするんだ?」
「聞いての通り、商会の周辺を見て回る」
ハザマは、淡々と答える。
「それから、新領地の方とも、いくつか細かい打ち合わせをする必要があるだろうな」
工事関連のこと、部族連合から王国に支払われる賠償金の輸送問題……などなど、待った無しで進行中の案件はいくらでもあるのだった。
実際には、それらの打ち合わせの合間に、商会を見学するようなことになるのではなかろうか。
「そういうお前は、昨日は一日なにをしていたんだ?」
「散髪して髭を剃られて……そのあとは、あの堅っくるしい服を脱いで厩舎にいって馬の世話をしてた」
ヴァンクレスは即答する。
「この商会の厩舎は、なかなか大きいな。
軍の厩舎と比べると馬が見劣りしたが、その分、頭数は多かった」
ただ、十分な運動をさせてやれるだけの場所がないのが難点だな、とか、ヴァンクレスはしたり顔でいう。
「あくまで、馬車を牽引するための馬を休ませておくための場所だからな」
ハザマは、そう答えておく。
「運動場とか、そういう余分な場所を用意する余裕もないんだろう」
「馬のためには、気晴らしをする場所を与えるのもいいんだがなあ……」
と、ヴァンクレスはひとしきり、ぶつくさと呟いていた。
タマルとハルマクに確認してみると、二人とも新領地に居る者たちと連絡を取り合いながら、いつも通りの業務を行うということだった。
実務に携わっているこの二人は、ハザマ以上に余裕がない状態であり、のんびりと王都や商会の見物をする気分にはなれないらしい。
特にタマルは、昨日からの方針決定により、国債を売り払った収益をいかに効率的に使い、素早く利益を得るのかという計画を少しでも早く具体化する必要に迫られており、こうしている今も通信を使って関係各所と打ち合わせ行っているようだった。
「ダドリスといいます」
朝食を食べ終わり、お茶を飲んでいるところに、二十代後半くらいの青年が入ってきた。
「ペドロムさんからいわれて、皆様を案内することになりました。
どこなりとも、興味がある場所をおっしゃってください」
そのダドリスは、むっつりとした表情の、がっちりとした体格をした青年だった。
商人というよりは、肉体労働者風に見えないこともない。
「案内をして貰う前に……」
ハザマは、ダドリスに質問をする。
「ダドリスくんは、普段はどういう仕事をしてるの?」
「内職仕事関係の、差配ですね」
ダドリスは即答する。
「毎日のできあがってくる量を予想して、賃金を用意したり、新領地へいく馬車の便を手配したり……」
内職を受けている人たちのものへ必要な材料を持って行ったり、できあがった製品を集めてきたり……といった仕事をする者だけでも百人以上は居る、ということだった。
それらを統括する仕事をしているのが、このダドリスらしい。
「……重要な仕事じゃないか」
ハザマは、呆れた。
「おれたちの案内なんて野暮用のために、抜けてきても大丈夫なのか?」
正直、もっと当たり障りのない小者をつけてもらった方が、気が楽なのだが……。
「おれ一人が何日か抜けたくらいで仕事に穴が開くようなら、それは組織としてかなり不安定な状態ですね」
ダドリスはそういって肩をすくめる。
「おれなんかの代わりが勤まる者は何人もいますし、それにペドロムさんからは、ハザマさんとはなすとそれだけで勉強になると聞いていますから」
……そんなもんか、と、ハザマは納得することにした。
「それでは、遠慮なく……」
ハザマはそういったあと、数秒考え込み、
「そうだな。
まず最初に……厨房に案内して貰おうか?」
「…………厨房……ですか?」
ダドリスはしばらくあっけにとられたあと、忙しく目をしばたいた。
「あるんだろう?
一階には飲食ができる場所もあったわけだし。
あそこでは毎日何食分くらいの食事を用意しているのか、とか、材料はどこから仕入れているのか、とか、あとは、どういう料理を、何種類くらい提供しているのか、とか、訊きたいことはいくらでもあるんだが……」
「……いえ。
もちろん、厨房はあります。
ただその、意外だったもので」
そういったあと、ダドリスは、
「今、厨房の方に確認を取ってみます」
と断りを入れて、しばらく黙り込んだ。
どうやら、通信で、そちらの担当者に連絡を入れているらしかった。
「……では、ご案内します」
しばらくして、そういってハザマたちを先導しはじめる。
ハザマのあとには、リンザとヴァンクレスがついてきた。
ヴァンクレスは、おそらく暇だったからだろう。
「……こちらが、商会の厨房になります」
ハザマたちがいた商会の建物を出て、少し歩いた場所にある小さな平屋に案内された。
「厨房はほかにもいくつかあるのですが、一番大きなところがこちらになるそうで……」
そうで、といういい方をするところをみると、このダドリスもこちら方面の業務についてはあまり明るくないようだった。
「そうか」
ハザマは、頷く。
「この厨房でやっている仕事について、一通り説明できる人を呼びだしてくれ」
「ああ……はい!」
ダドリスは、またもや通信のために黙り込む。
「なんだってんだよ、もう!」
いくらも待たないうちに、平屋の中から小柄な男が出てきた。
「この忙しいときに……」
「忙しいところ、すまない」
そういって、ハザマはその小柄な男に頭をさげる。
「この厨房でやっている仕事について、いくつか教えて貰いたいことがあるんだ。
おれは、洞窟衆のハザマという」
「……洞窟衆の、ハザマ……だって?」
小柄な男は、そういってまじまじとハザマの顔を眺めた。
「商会と、同じ名前じゃないか」
「まあ、そのハザマだな」
ハザマは、そう答えた。
「じゃあ……あんたが商会のトップ?」
「いや。
実際には、最初の起業のとき、資金を提供しただけなんだが……」
「こいつは失礼しマシたぁ!」
小柄な男は後ずさったあと、ハザマにむかって深々と頭をさげる。
「そうとは知らず、ご無礼のほどを……」
「いや、そういうのはいいから」
ぐだぐだといい募ろうとする男を、ハザマは手で制する。
「いくつか訊きたいことに、答えてさえくれれば。
忙しいところを悪いだけど……ええっと……きみ、名前は?」
「料理人のザバンといいます」
小柄な男は顔をあげる。
「今の仕事があるのもハザマ様のおかげ。
なんでも訊いてやってください」
「それでは……まず、一日に何食分くらい作ってるの?」
ハザマも時間を無駄にしたくはなかったので、単刀直入に質問をぶつけてみた。
「それは、この厨房だけで、ですか?」
ザバンは、ハザマに問い返す。
「それとも、商会関連の厨房すべてをひっくるめた総数で、ですか?」
「できれば、ひっくるめた方で」
ハザマは、答える。
「全体像を知りたいんだ」
「……日によって多少前後しますが、おおよそ、一万五千品くらいですかね」
少し考えてから、ザバンはそう答えた。
「それはすべて、商会の建物の中で売られているわけ?」
「いえ。
ありものの総菜として、そとに売りに出す分も含めてです」
ザバンによると、物売りに持たせて外売りをする分も含めて、こうした厨房で作っているという。
「日によって前後するのは、なぜ?」
「材料の仕入れ量が、あまり一定しませんから」
ザバンによると、野菜にせよ魚にせよ、その日によって仕入れられる量は違ってくるという。
……よくよく考えてみれば、この世界では冷凍技術が発達していない。
生鮮食品の扱いは、そんなもんなんだろうな……と、ハザマは思う。
「ここで扱う材料は、野菜と魚だけ?」
「それと、小麦粉ですね。
ただ、小麦粉については十分な備蓄がありますから、日によって使う量が変化するということはないです」
「肉は?」
「獣肉のことですか?
入ってくる量が圧倒的に少ない上、安定していませんから、大量に料理をするうちでは扱えません」
まあ、そうだろうな。
と、ハザマは思う。
食肉用の家畜を飼う習慣がないのならば、獣肉はすべて狩りによって得られるものだけになる。
大量生産の原料には、到底、むかないだろう。
「魚は、安定して穫れるものなの?」
「季節により、穫れるものは異なってきますが」
ザバンははきはきとした口調で答えた。
「ここ王都は、いくつもの川が走っておりますので。
一年を通じてなにかしらの魚は穫れるものでございます」
「……乱獲で、魚が穫れなくなるとかいうことはないの?」
「さて……」
ザバンは首を捻った。
「そういうことは、耳にしたおぼえがありませんね」




