悪意の予兆
このところ、ファンタルは多忙であった。
村の畑はことごとくワニどもに踏み荒らされてしまったので、目下土地は余っている。
もう少し落ち着いたら次回以降、種まきができるようにと土を耕しはじめるのであろうが、それだって耕作に従事できる人数がほぼ半減しているのだ。勢い、実際に作づけ可能な面積も、以前の半分近くになる。
遊んでいる土地があるのをいいことに、ファンタルはハザマ、リンザ、ハヌン、トエルらと犬頭人をいいようにシゴキだした。
兵士は普段から鍛えれば鍛えるほど使えるようになる、というのがファンタルの持論であり、使える兵士とはすなわち、非常時や危地を自分の力量で乗り越えることが可能な人材である。
あのトカゲもどきの食欲に従ってこれからも進んで危地に入ろうとするのならば、その危地を乗り越えるための方法も学んでおけ、というのがファンタルの理屈であった。
実際にこうして走らせたり稽古をつけたりしてみると、エルシムがいう「位階」うんぬんの理屈はおおむね妥当であると納得せざるをえない。
単純に体力や走る速度などでみれば、ハザマは、明らかに一般の成人男子の水準を抜きはじめているし、リンザ、ハヌン、トエルらも同様に、「単なる村娘」としては説明できない身体能力を獲得しはじめていた。
ちなみに、トエルの能力は、「リンザよりも下、ハヌンよりも上」といったところだ。
このトエルはワニの襲撃に際し、途中まで村長たちと一緒に閉じこめられていた。解放されてからは、硬直したワニを屠るのに協力しているのだが……いずれにせよ、エルシムがいう、「ハザマに近しい者から」、「ハザマとともに戦った者から」、ハザマがいう経験値が分配される、という法則には準じている形となる。
それら対象となる者たちを、ファンタルは走らせ、剣や槍、弓矢の扱い方を教える。
森の中などでは間合いの短い剣の方が有利だったが、開けた場所では弓矢や槍の方が断然有利だ。場所やシュチュエーションにより、使い分けられるようにしておくべきであろう。
人的資源を鍛えるのと同時に、ファンタルは武器の製造にも手を着けはじめた。
鍛冶については、この村で一軒しかない鍛冶屋は、村の復興に必要な道具や資材を製造することに忙殺されているため、とりあえず置いておく。
しかし、ワニから取れる皮や骨は、加工次第では強力な武器や防具となりえた。
皮を加工するのはすでにはじまっているので、なめし革が入手でき次第、それで楯や防具を作りはじめるつもりだった。弾力に富んだ部位を選んで、弓を作る。これについては、すでにはじめている。
手先の起用な犬頭人を集めて作り方をファンタル手ずから作り方を教授し、量産しはじめていた。
視力に問題がある犬頭人に弓矢を扱わせても命中率には期待できないのだが、大勢で弾幕を張るような運用の仕方ならば問題がない。
これだけ大勢の、統率が取れて、恐れを知らず、移動力に優れた戦力があるのならば、それを十全に活かせるようにしておかなければ勿体ないというものだ。
教練が首尾よく終われば、この犬頭人の群は、遠距離支援も近接戦闘も可能な、どこへ出しても恥ずかしくない歩兵隊に生まれ変わる。
ファンタルと同じくらいに多忙なのが、経理担当のタマルであった。
この村との折衝はもとより、今後の、周辺の村へ出身女性を送る事業の継続や、すでに訪問した村へと定期的な訪問と行商のスケジューリング、さらに今後、外部に向けて行われる予定の商業ルート開拓の準備などなど、タマルが主導する仕事はいくらでもあった。
このうち、「周辺の村へ出身女性を送る事業」については、洞窟との連携が必要となってくる。
旅に耐えられるほど回復した女性から順番に、洞窟からこの村へと送ってくる手はずになっていた。すでに訪問している二つの村に関しては、そのまま数名ずつ行商がてらに送り届けるし、また行ったことがない村に関しては、これまで通り、まずはハザマに率いられる形で連れて行く予定である。
なんだかんだいってあのトカゲもどき、バジルの硬直化能力は強力であり、特に相手に害意がありそうな場合の護身には極めて重宝する。最初の村で実証されたように、明確な悪意を持つ相手の動きを封じることができるのは、交渉の際にそれだけ優位に立てるという事だった。
それ以外に、洞窟でもやっていたように、エルシムがこの村でも一角の土地を借りて薬草の栽培をはじめていた。
こちらに関しては、別にタマルが主導して行っているわけではないのだが、うまくいけば商品の供給が今以上に安定することになる。
その他に諸々、細かい仕事はいくらでもあるわけであるが……。
「……そろそろ、助手が何名か欲しいかな……」
というのが、この頃のタマルの本音であった。
「……洞窟衆、ですか?」
バゼド村から見舞いに来た村長の息子が聞き返した。
どころどころワニによって破壊された跡が残っている、村長の屋敷での会話だった。
「ええ。
わたしらは、そう呼んでおります」
この村、ザバルの村長は、そういってうなずいた。
復興事業は、まだまだ着手しはじめたばかりだが、損害の割には将来に夢を託せる好材料も多い。
特に、膨大なワニ肉の供与や当面不要となった土地を貸す代わりに、実質、かなり巨額の資金援助をしてもらえるのことが大きかった。
それもこれも、あの掴みどころがない男に率いられたエルフや女たち、それに犬頭人からなる奇妙な一団のおかげである。
彼らが存在しなかったら、今頃この村自体があのワニどもにいいように蹂躙され、すっかり廃墟となっているのであろうが……。
「奇妙な人たちですな、あれは」
「まったくで。
どうしてか、あの犬頭人たちは人のいうことに従っている。
他の異族とは、まるで違います」
異族とは……人間と近しい姿をしながら、人間の言葉や論理が通じず、接触すれば争うより他ない者……というのが、おおかたの認識であった。
しかし、あそこにいる犬頭人は……。
「いうことを聞くとかそういうことよりも、よその異族よりもずっと賢く見えます」
「……ですな。
今も、うちの樵に連れられて、伐採の手伝いをしているはずなのですが……」
「……よしっ!
その調子だ!
そこまで斧を入れたら、今度は反対側から……」
樵のダンガは斧を振るう犬頭人に指示をする。
伐っていい樹とそうではない樹を見分けるのには、長年の経験が必要になる。
しかし、実際に伐採する時に必要なのは、いくつかのコツと根気よく斧を振るい続ける体力だ。
十分に年老いたダンガにとって、不平一ついわずに黙々とこちらの指示に従い続ける犬頭人は、理想的な助手といえた。
「よし!
どけよ、お前らっ!
もう少しすると……ほらっ!
倒れるぞっ!」
両側から大きく切れ目を入れられた樹が、自重を支えきれずにメキメキと音をたててゆっくりと傾斜を深めていき、ついには地面の上に転がった。
「後は、枝を落として村にまで運んでおけ!
そこで、皮を剥いでしばらく乾燥させる」
森にとって不要となった樹を定期的に間引き、村の周囲の森を理想的な環境に保とうとするのも樵の重要な仕事だった。樹が密集しすぎていても、長い目で見れば森のためにはよくない。しかし、生物というやつは手を加えずにいればいくらでも野放図に子孫を増やそうとする。それは、動物でも植物でもあまり変わらなかった。
今回、村が大きな被害を被ったおかげで、通常よりもずっと多くの樹を伐採しなければならなくなったわけだが、伐採する樹を注意深く選べばわずか数十年で森は元に戻ることだろう。そうするように、伐る樹を選ばなくてはいけない。
「後の手順は分かるな。
運ぶのお前らに任せる。
斧を持っているやつらはおれに着いてこい!」
樹を伐る者、伐った樹を運ぶ者、運んだ樹を加工する者……それぞれの作業に携わる者を分けて使っていた。
いわば、分業である。
一般に人よりも知能が低いとされている異族に込み入った作業をさせるつもりはなかった。
それにしても……と、樵のダンガは思う……こいつら、聞いていたよりも知恵があるんじゃないのか?
異族とは……人よりも動物に近い存在だ……と、ダンガは聞かされていた。
これまで、身近に異族と接する機会に恵まれてこなかったダンガにしてみれば、貸し与えられた犬頭人たちの従順さと理解力について、疑問に思わないわけにはいかない。
こちらの言葉をはなすことはないものの……こいつらは、きちんと手順を説明しさえすれば、意外に呑み込みが早い。
今までに仕事を手伝ってきた若い衆よりも、よっぽど使えるくらいだ。
最初のうちこそ、あのエルシムとかいう小さいエルフが監督していたものだが、半日もしないうちにダンガが直接指導した方がよほど早いという事になった。
今は村の非常時であり、こいつら犬頭人たちもそのために貸し与えられているわけだが……事によると、その非常時が過ぎてもこのまま何匹か貸してもらえるよう、頼んでみてもいいかも知れん……。
ダンガは、そんなことを思いはじめている。
「……ふむ。
妙な気配がするな」
森の中で瞑想にふけっていたエルシムは、突如目を見開いて呟いた。
「……犬頭人を何匹か出してみて、様子を探らせるか」
ワニの時ほど大きな波紋ではない。
しかし、何者か、不穏な気配を放つ者がこの森のどこかに固まっているようだった。
しかも……。
「明確な悪意を伴っている。
ということは、人か」
野生動物は時として人を害するが、人のような悪意を持つことはない。
明確な悪意を持つということは、知性がある存在にしかできないことなのだ。
「いずれにせよ、情報が足らぬな。
早々に、ハザマなりタマルなりに報せておくか……」
「森の中に、人……ですか?」
森から戻ったエルシムは、その足でタマルがいる執務室へと向かった。
執務室、とはいっても、急造した掘っ建て小屋に毛が生えたような粗末な建物だ。
村の復興を第一の目標にしている現在、余所者であるタマルたちばかりが贅沢をするわけにはいけない。
最低限の機能だけを優先した結果、洞窟衆のために粗末な小屋がいくつか並ぶこととなった。
「それも、よからぬたくらみを秘めた、な」
「……盗賊、ですかね?」
「犬頭人を何匹か出した。
その結果次第だが……まず、間違いはなかろう」
森の中は、通常の人間にとってはかなり過酷な空間である。
絶えず、動物や虫に襲われる。そこいらにある木の実や茸にも、毒を含んだものが多い。触れれば盛大に肌がかぶれる樹もある。
十分な知識を持たない人間が入ったら、数時間と持たずに人里に戻りたくなるであろう。
そんな場所に好んで入りたがるような人間は、よほどの変わり者か、それとも後ろ暗いところがあって人目を避けている身か、だ。
「もしも、盗賊の類だとしたら……」
「……捕らえてコキ使おう。
もしもお宝があったとしたら……」
「当然、没収で」




