中洲の捕り物
スセリセスは大勢の魔法兵とともに転移魔法を阻害する術式を駆動する作業に従事していた。
スセリセス自身はまだ転移魔法を使えなかったが、転移魔法を阻害する術式そのものはさほど難しくはない。
転移魔法を成功させるためには数多くの難解な理論を理解しなければ不可能なのであったが、それを邪魔するための術式についてはそうした理論を理解する必要もなかった。
ただ一点、周囲の「空間の位相」とやらを乱してやれば、通常の転移魔法はすべて使用不可能になる……と、そのように魔法兵たちに説明された。
その魔法兵たちによれば、スセリセスは通常よりもかなり大きな魔力を体内に保有できる体質であるらしく、それを活かすためにも現在の配置になっている。
実際にやることといえば、自分の魔力を消費して周囲の空間を「乱して」やるだけである……だ、そうだ。
実のところスセリセス自身はそれがどういうことを意味しているのかすら理解してはいなかったのだが、とにかく、指示された通りに呪文を詠唱し、術式を駆動させると体内の魔力が消費される感覚はあった。また、スセリセスにその術式について説明した魔法兵たちも、スセリセスが「うまくやれている」ことを保証してくれた。
なかなか「貢献している」という実感を持てないでいたものの、その場でのスセリセスの持ち場はそこであり、役割は精神を統一してひたすらその呪文を唱え、途切れることなく術式を駆動させ続けることなのである。
スセリセスは淡々と自分の仕事を実行し続けた。
「船を展開し終えたら、碇を降ろしてその場で待機せよ」
ワデルスラス公家軍の指揮はアゼリナハ・ワデルスラスという者が執っていた。
「中洲から逃げてくる者が居たら捕縛せよ。それ以上のことはなにもしなくてよい。
下卑な戦場働きなどグフナラマスの海賊どもに任せておけばいいのだ」
このうち後半は吐き捨てるような口調になっている。
一応、公爵家の血縁では外戚にあたり、ワデルスラス家の中では完全に外様扱いされている者である。現場司令官としてそうした身分の者を当てること自体が、ワデルスラス家は今回の出征に対してもあまり積極的ではないということを証明していた。
ワデルスラス公家も一応水軍を保有してはいたが、なにぶん内陸部の領地でもあり十分な水練を詰む機会に恵まれていない。
ではなぜ水軍があるかというと、領内には河川や沼地もそれなりにあり、そうした場で兵を運送する必要もそれなりにあるため、船舶の備えも欠かせないからだ。
基本的にワデルスラス公家における水軍とは「兵員を無事に運搬するための組織」であり、船に乗って戦う機会や経験はきわめて乏しかった。
ひとことでいってしまえば、その練度において、兵の八割以上がなんらかの形で船に縁がある沿海州グフナラマス公家とはまるで比べものにはならない。
「まったく……」
アゼリナハ卿は小声で毒づいた。
「……このような茶番、さっさと終わってしまえばいいのに……」
今回の作戦においてワデルスラス公家が供出した船は櫂漕ぎだけでも四十人は乗り込むことが可能な、河川で運用する船としてはかなり大型の物であった。
それだけに小回りが効かず、急激な旋回などや加速、停止などはほとんどできない代物であったが、もともと兵員の輸送を目的に作られている船なのでそれで問題はなかった。
ただこの手の大型船は、水深が深く無理に浅瀬に入ろうとすると船底を破損し、座礁するおそれがある。
つまりは、上陸戦をまるで想定していない仕様なのである。
今回の作戦の発案者であり総司令も勤めるアズラウスト・ブラズニア公子もそうした事情を弁えているのか、ワデルスラス公家軍には、
「中洲から逃亡する者たちの捕縛」
しか、指示をしていない。
現在、ワデルスラス公家軍は、ほぼ等分の間隔をあけながら動員した船十八隻を川幅いっぱいに展開し終えたところだった。
それとて、操船に慣れていない者が多かったので、かなりの時間を要したわけだが。
「だがまあ、王家直々の下知である。
ここではせいぜい協力的に振る舞っておこうか」
ひとり、アゼリナハ卿は誰にともなくそんなことを呟いた。
上陸中のグフナラマス公家軍よりも一足早く、アズラウスト麾下の魔法兵団は通信で連絡を取り合いながら、中洲に居合わせた人間を片っ端から無力化、鎮圧していった。
ここ、ゲイバルズ川の中洲は上流から流れてきた土砂が堆積して出現した土地である。
川が氾濫するたびに形が変わり、地質的にも作物を育てるのにはむいていなかったから、定住する者もいなかった。
たまに水運の際の中継点として利用されるのがせいぜいであり、長く無人ののまま放置されていた。
中洲の中には葦や草木などが好き放題に生い茂り、誰が作ったのかわからないような朽ちかけた小屋がいくつか点在する。
中洲の周囲にはかなり広く葦が茂っていたから、外から内部への見通しはほとんど効かなかった。
そんな内陸の無人島にいつの間にか賊が拠点を造り、それを制圧するのが今回の作戦の目的である。
グフナラマス公家軍は三十隻以上の小型揚陸船に分乗して中洲に近づいた。
芦原に行く手を遮られると、その場で一、二名のみを揚陸船に残し、その他の人員は下船した。
腰まで水に浸かり、葦をかき分けながら陸地へとむかう。
兵士たちは革鎧に丸盾、剣や半弓などで武装しており、どちらかといえば軽装であった。これは、水軍の常なのではあるが。
「今のところ、迎撃はないようですね」
「へっ。
仮に刃向かって来ようが、ドン・デラの軟弱者なんざどうとでもあしらえるさね」
彼らは、「敵は、ドン・デラから逃げ延びてきた無法者の群れ」であると説明をされていた。
より正確にいうのならば、その前に「今、判明している」という条件がつき、「それ以外に得体の知れない者たちが潜んでいる可能性もあるから、十分に警戒をするように」とも訓戒をされていたはずなのだが、普段から海賊相手に蛮勇な振る舞いをしてきた彼らは後半の注意をあまり気にとめてはいなかった。
こうして半身を水に浸かりながら進軍している最中に、ブラズニアの魔法兵団第八分隊からの通信が途絶する。
彼らひとりひとりに通信用タグが配布されていたから、その前後の司令部とのやり取りも自然と彼らの耳に入ることとなった。
「少しは骨があるやつがいるようだな」
「なんでも、敵にも魔法を使うやつが混ざっているらしい」
「それで中洲の内偵が何度か阻害されたとか」
「へっ。
ここまで近づいても静なもんだ。
どうせ虚仮威しだろうよ」
そんなやり取りをしながら、グフナラマス公家軍の兵士たちは中洲への上陸を果たした。
「グフナラマス公家軍百五十名、下流方向から中洲に上陸しました」
司令部内に通信担当の魔法兵の声が響く。
「第八分隊を除く魔法兵団、順次目標拠点を制圧中」
ここでいう「目標拠点」とは、中洲内にある小屋などの建物を指す。
以前の記録に残っていた小屋などを順番に改め、そこに人が居れば無力化して捕縛していた。
ただ、中洲内に潜んでいる人数については、司令部側でも詳細に把握していない。
賊が中洲を占拠してから新たに建物を建造している可能性もあるし、この時点ではとにかく心当たりのある場所を片っ端から改め、最終的には中洲のすべてを捜索する必要があった。
今回、魔法兵が行った戦法は以下の通りであった。
賊が潜んでいると予想される拠点を取り囲み、グワヒア草を乾燥させ、押し固めた物に火をつけてその拠点に放り込む。
乾燥したグワヒア草に火をつけたときに出てくる煙をまともに吸い込むと、目眩や幻覚に襲われ、果ては、その煙を吸い過ぎると前後不覚になって昏倒する。ごく少量を痛み止めとして処方されることもあったが、一般的にはグワヒア草は「毒草」として認識されていた。
そのグワヒア草の煙が十分に充満したところで、口や鼻を布で覆った魔法兵が突入して、その場に居た者たちを取り押さえ、拘束する。
仮に抵抗する者があったとしても、グワヒア草の煙を十分に吸い込んでいたら体の自由が利かず、魔法兵たちもあまり危険をおかさずに取り押さえることが可能だった。
今回は情報収集のため、賊を生きたままとらえることが必要だったので、こうした手順が選択された。
「散発的な抵抗はありますが、今のところ問題なく対処できています」
「賊は、いまだに組織だった抵抗をする様子がありません。
今回の襲撃について、うまく対応できていないものと思われます」
「敵は通信術式を持っていないはずですし、明け方に不意打ちですからね」
アズラウスト公子はそう感想を述べる。
「襲撃を予想していなかったら、こんなもんでしょう」
そして、これは声には出さず、
「……このまま最後まで順調にいけばいいのですが……」
と、心中でつけ加える。
「第一地区から第三地区まで、完全に制圧が完了しました」
「第三分隊がグフナラマス公家上陸隊と合流、これより第五地区にむかいます」
「予想以上に賊の数が多いそうです。
敵は中洲内に天幕を張って、かなりの人数を寝泊まりさせている模様。
用意したグワヒア草では対処不能になりそうです」
「予備のグワヒア草を送ってください」
アズラウスト公子は冷静に指示を出した。
「敵味方双方の傷が浅くて済むのなら、それに越したことはありません」
「捕虜の数が三百名を越えました。
搬送作業を開始しますか?」
「制圧が完了した東側に船をつけ、捕虜をこちらに運んできてください」
アズラウスト公子はそう答える。
「了解。
これより捕虜の搬送作業を開始します」
「王家より派遣されてきた方々は、捕虜の尋問の準備をお願いします」
なにもかもが、事前に準備した手順の通りに進行していた。
でも……あまりにも、円滑に進み過ぎやしないか?
アズラウスト公子の脳裏に、そんな不安がふとよぎった。
「本当に……これだけ大規模な反乱を準備していた者たちが……」
こんなに簡単でいいものなんでしょうかね?
アズラウスト公子は、現在の状況がひどく不自然なものに思えた。
これまで、領主側に知られることなく各村の不和をついて手を回していた手際と、今、目前で展開している無防備さとが、ずいぶんとチグハグに感じたのだ。
「魔法兵の各員に通達」
その不安を打ち消すために、アズラウスト公子は通信兵にそう告げる。
「今まで以上に周囲を警戒せよ。
なにか異変があったら、即座に通信で伝えるように」
「第十三分隊より緊急通信!」
通信兵がそう告げてきたのは、その直後だった。
「賊が……味方の寝首を掻いて、その犠牲を元になんらかの魔物を召喚した模様!
救援を求めています!」
「第十三分隊は、取りあえず、逃げよと伝えてください」
「……はい?」
「その魔物の正体が明らかになるまでは手を出さず、距離を置いて他の分隊と合流。
体制を立て直すように」
「はっ!
そのように指示を出します!」
「……敵の中に召喚師が混ざっていましたか……」
アズラウスト公子は呟く。
賊の中になんらかの術者が混ざって居るであろうことは、味方の使い魔などが中洲に近寄った途端に惑わされることからも、事前に予測されていたことではあった。
「よりによって、数ある術者の中から外道の召喚師であるとは……」
アズラウスト公子はぼやいた。
生命を捧げることで異世界からこの世のものではない奇怪な生物を呼び出す術者、召喚師はこの世界では外道と呼ばれ、正道の魔法使いとは区別される存在であった。
そうした召喚された存在がいかに強力なものであっても、いや、強力であればあるほど、世間からは忌避される。
強力な召喚獣であればあるほど、召喚した者の制御を離れ、暴走する危険性が高まるからでもあった。
「召喚の際に犠牲になった人数は判明しているのか?」
「……判明しているだけでも、十名以上はくだらないということです」
一般に、その手の召喚魔法は、捧げる犠牲が多ければ多いほど、強力な存在を召喚できるとされている。
そうした供物は、知能が低い動物よりは知性が高い動物である方がよい。
その数も、少ないよりは多い方がよいとされた。
人間十名以上を供物として捧げた結果、この世に顕現する化け物といったら、これは……。
「さて」
アズラウスト公子はそう呟いた。
「この場に居る人間だけで対処できる代物なのかな?」
ため息をついてから、アズラウスト公子は、
「……洞窟衆のハザマ殿に連絡。
念のため、彼にも手を貸してくれるようにお願いしておいてくれ」




