凌辱の洞窟
「酷いもんだな」
「それをいえる立場か」
死屍累々とは、まさしくこのような場合に適用すべき表現だろう。
洞窟内には、犬頭人の死体が延々と転がっている。
「確かに、おれたちが先に到着すれば、同じことをやっていたわけだが……」
松明で遠くを照らしながら、傭兵のひとりがいった。
傭兵の仕事の中で、この手の異族退治は「害獣駆除」扱いに区分されている。見つけ次第、問答無用で皆殺しにするのが通常の対応であった。そうでなくとも、やつらは繁殖力が強い。
無論、相手は反撃してくるし、危険が皆無なわけではないのだが……人同士の戦よりは、よほど気楽に仕事が出来る。
それでも……こうして他人が行った惨状を間近に確かめる、相応の感慨は持ってしまうのだった。
「こうして他人がやっているの見ると、なんっつぅーか……」
「ああ。
業が深いな、おれたちの仕事は。
しかし……これ全部、あの妙な格好をした男がやったのか?」
それにしては……転がっている骸の数が、多い。
多すぎた。
「……なんだ、こいつは……」
返り血を全身に浴びた男が、呆然と呟く。
その言葉に答える者は、いない。
そもそも、男が発した言葉を理解できる者が、この場にはいなかった。
あたりに、むせかえるような臭気が漂っている。
獣の体臭と、青臭い臭い。それに、女の汗のにおいが入り混じって……。
男は松明を掲げ、なるべく遠くまで見通そうと試みる。
そして、薄暗い中に蠢く者たちがなにをやっているのか理解すると、
「……けっ!」
と、吐き捨てるように悪態をついた。
「そういうことなら……とことん殺ってやらぁっ!」
手近にいた、女の上に乗って一心不乱に腰を振っていた犬頭人の頸部に、無造作に手にしていた鉈を振り下ろした。
ぎゃん、と一声ないてその犬頭人は絶命し、直前まで交わっていた女の上に上体を投げ出した。
頸部の斬り口からドクドクと赤黒い血が流れて、犬頭人の下にいた女の体を濡らす。
なにが起こったのかようやく理解した女が、ようやく悲鳴を上げた。
薄明かりの中で一心不乱に運動していた犬頭人が、何事かと頭をあげてようやく件の男の存在に気づく。
慌てた様子で身を起こし、近くにあった得物を手にとって、男に殺到しようとして……その途中で、例外なく体を硬直させる。硬直した時点で不安定な姿勢だったのか、そのまま無様に、前のめりに倒れ込む者も少なくはなかった。
「悪いな、一方的で」
うっそりとつぶやいて、血塗れの男は近くにいた者から順番に犬頭人を手に掛けていく。犬頭人が動かない……ということを確認した女たちが、すぐにそれに続いた。男の後に続いていた女たちが力任せ、感情任せに動かない犬頭人に殺到していくのを見て、ついさっきまで犬頭人に犯されていた女たちも手近の武器を拾い上げてそれに続く。
その場にいた百名近くの犬頭人がことごとく絶命するのに、いくらも時間を要しなかった。
「……女たちが、いるな」
ファンタルが、ガルバスに告げる。
エルフであるファンタルは、暗闇にあってもヒト族よりよほど遠くまで見通すことが出来る。
「それも、大勢。何十名か。
武器を手にしている」
「大勢? 武器を手にして、だ?」
そう問い返したガルバスは、かなり怪訝な表情をしている。
「異族の床苗にされた女が、か?」
かなり異常なことだった。
通常、そうした女たちは子をはらむまで休む間もなく犯され続ける。救出されたとしても、十中八九、心神喪失状態にある。精神に異常を来し、最後まで理性を取り戻すことがない者が大半なのだ。
「……あの、不審な男の影響か?」
「さあな。
だが、あの女たちの精神は、まだ死んではいない。
それだけは確かだ」
ファンタルの口調は、あくまで飄々としている。
「……本人の口から確かめればよいか」
不機嫌な顔で、ガルバスが結論づける。
厄介といえば、厄介な事態ではあるのだ。
周辺の村から請け負ったのは害獣の駆除であって、誘拐された女たちの救出ではない。過去の例から見て、異族に連れ去られた女はすでに手遅れなものと見なされるのが、こうした場合の慣例だった。
理性を失った廃人であるのならば、改めて慰み者にするなり奴隷商に売り払うなりすることも出来るのだが……確とした意識を保ったままだとすると、扱いが面倒になる。
いずれにせよ……彼ら傭兵団が彼女たちに接触するまで、もうごく短い時間しか残されていない。
全員で、その場にいた犬頭人のすべてを始末し終えた後、合流した女たちはお互いの無事を確認し合い、これまでになにがあったのか、情報を交換し合った。
とはいえ、「無事だった者」の数はさほど多くはないし、交換すべき情報の量もさほど多くはない。
その場で犬頭人たちに辱めを受けていた女たちの大半は衰弱しきっており、立つこともしゃべることも出来ない者の方が多いくらいだった。
「この人が、片っ端から犬頭人を殺してわたしたちを救い出してくれたの!」
リンザたち、後から合流した女たちがはなせることは、この一行に尽きる。
「……誰? この人……」
「見慣れない服を着ているけど……」
「わからない。言葉も、通じないみたいだし……」
件の男は、いったいなにを考えているのか、へらへら軽薄な笑みを浮かべて周囲を見渡しているばかりだった。
「でも……この人の近くにいるやつは、全員、動きを止める。
なにかの神の加護か祝福を受けているんじゃない?」
「……加護?」
「祝福?」
つい先ほどまで慰み者になっていた女たちは、そういって顔を見合わせる。
男が近づくと、犬頭人が動きを止める。
その様子は、確かに彼女たちも目撃している。
しかし、あれは……その後のこの男がやったことを考えると……あれは、死神か戦神の呪いなのではないか?
そのとき、
「……そこの女!
いいかな?」
背後から、野太い声が追ってきた。
女たちが、ざわつく。
「……誰! ……ですか?」
いつまでも、誰も男の声に応じようとしないので、意を決してリンザが声を張り上げた。
リンザは人をかき分けて、男の声がする方へと進んだ。
「これは失礼した。
おれは、黒旗傭兵団の副長、ガルバスっていうもんだ。
この巣を潰すよう、周辺の村に依頼されてここに来た」
女たちの最前に立ってみると、十歩以上の距離を置いて、傷だらけの甲冑を身につけた大柄な壮年の男が立っていた。
「それで、その傭兵さんが、わたしたちに何のよう?」
堅気の人間にとって、傭兵とはあまりかかわり合いにはなりたくはない人種だ。
やつらは、食いつめれば、あるいは気まぐれに、簡単に野盗に変じて組織的に常民を襲う。
「そう警戒しなくてもよかろう。
ただ、その……今回のことは、いつもとは随分、勝手が違っていてな。
なにせ、おれたちが一仕事する前に、こうして犬頭人どもを片づけてくれた輩がいるようでな。
お嬢さん方。
そのことについて何か知っていれば、是非お教えいただきたいものだと……」
リンザの背後で、女たちの視線が「あの男」に集中する気配がした。
思ったよりも面倒なことになったな……と、殺気だった娘たちと対面したガルバスは苦々しい思いを噛み殺した。
娘たちは……いつもなら相手にしようとも思わない、非力な存在であるはずの女たちは……今では、両目を爛々と光らせて例外なくこちらを睨んでいる。
武器を手にしている、というだけではなく、明らかに殺気だった表情をしていた。
傭兵をしていればいやでも馴染みになる、血に酔った顔だった。
ああいう顔をしているやつら、一時的に死の恐怖を棚上げにしている。
この場で力尽くでどうこうしようとすれば、決死の思いで反抗してくることだろう。
例え全力でぶつかってきたとしても、最終的にねじ伏せる自信はあるのだが……それでも、こちらの方にも少なからず被害が出る。
ようするに、ここでこちらの人員を無駄に損なうのは、損得勘定として割が合わないのだ。
だから、この場はなんとか穏便にやり過ごすより他、方策がない。
件の男はといえば……リンザとガルバスの問答がはじまるまでは、にやにやとしまりのない顔をしてあたりを見渡すばかりだったのだが……二人の話し合いが聞こえてくると、片方の眉をきゅっとあげただけでフラフラと声のする方へと歩き出した。
周囲にいる女たちは、男が進む進路からざっと身を引き、結果として男の前に道が開いた。
「……それは……」
あの男のことを伝えるべきか、それとも伝えない方がよいのか……ためらっているリンザの肩に、唐突に手のひらが置かれた。
不意をつかれたこともあって、リンザの体が一瞬、大きく震える。
にやにや笑いを浮かべたままのあの男が、立っていた。
男は、表情を変えぬまま、リンザの肩にかけた手に力を込めて、リンザの体をどかす。
そして、リンザの前に進み出て……ガルバスと対面した。
「あんたぁ、なにもんだぁ?」
「……お主、何者か?」
ガルバスと男が、同時に同じ意味の言葉を発した。そして、二人とも首をひねる。
男が発した言葉は、この場にいた誰もが理解できないものだった。
「……あの……この人、言葉がわからないみたいで……」
リンザが、申し訳なさそうにガルバスに説明した。
「……大陸共通語を知らないって?
どんな蛮族だ。
それに……ふむ。
よく見ると、黒髪黒目の異貌。
かなり血糊にまみれてはいるが、見慣れない服……。
いや……そういうことも、あり得る……のか?」
ぶつくさと独り言をいうガルバスに向かって、男はガリガリと頭を掻きながらまた意味の取れない言葉を吐いた。
「……かぁー……。
また、言葉が通じないでやんの……。
日本語とはいわない。せめて英語とかわかんないもんかなぁー……。
いや、英語ではなされてもおれも片言でしか返せないけどよ。
……はぁ。
五十日ぶりにようやく他人にあえたと思ったら今度は言葉が通じないって、どんだけハードモードだよ……。
まあいい。
それじゃあ、次の質問行くぞ。
お前ら……おれの敵か?」
最後の一言だけが、やけに力強い調子であったため、それと手にしていた鉈を振り上げて大きく回して見せたため、傭兵たちの間にざっと緊張が走る。
「待て! 待て!」
得物を構えようとする傭兵たちを、ガルバスは慌てて制止する。
血に酔った女たちだけでも、傭兵たちよりも人数が多い。
それに加えて、この得体の知れない男までが加わるとなると……どう考えても、今この場で事を起こすわけにはいかない。
「まあ、待て!
誰かは知らんが、おれたちはお主とやりあうつもりはない。
おれたちは傭兵だ。
金にならない仕事はしない」
ガルバスはそういって、なにも持っていない両手を左右に広げて見せた。
言葉がわからななくとも、仲間の暴走を制止したということと、武器を持たない両手をこれ見よがしに振って見せたこととで、それなりにこちらの意志は伝わるだろう。
「……ほぉーんとぉかなぁー……」
にやにや笑いを浮かべながら、男は、無造作に傭兵たちの方に歩みを進めた。
傭兵たちは反射的にいくらか後退し、武器を構える。
二歩、三歩、四歩。
歩みを止めることなく、男は歩き続ける。
五歩、六歩、七歩。
もう、ガルバスの目前といってもいい距離だ。
男が一気に間合いを詰めて肩に乗せている鉈をふりきれば、ガルバスの頭蓋を砕くことも可能だろう。
しかし、ガルバスはあえてなにもしなかった。
直感的に……この男には逆らわない方がよい、と感じたからだ。
冷や汗をかきながら、ガルバスは男の出方を待つ。待ち続ける。
八歩、九歩、十歩。
ついに、男はガルバスのすぐ横に並んだ。
「ご苦労さん」
ぽん、と、片手をガルバスの肩に置いて、なおも男は歩みを進める。
傭兵たちは退いて男から距離を置いて、油断なく武器を構え続けた。
「……なぁーんだぁ。
本当にあんたら、おれの敵じゃあないのかぁ……」
三十人からの傭兵たちに囲まれながら、その男はにやにやと笑いながらのんびりとした声をあげた。
「それはそれで、つまらん展開だなあ」
傭兵たちがその男に注視していた、まさにそのとき。
野獣の咆哮と、骨と肉が同時に潰される音が響いた。