専門家の不在
しばらく歩いて行くと、出迎えに来ていたエルシムと合流することができた。
挨拶もそこそこに、エルシムはハザマたちに背をむけて、森の中に入っていく。ハザマたちもそれに続く。
「どうですか、こっちの様子は?」
ハザマはエルシムの背中に声をかける。
「急ピッチで伐採と整地作業をしている最中であるな」
エルシムは即答した。
こうしている今も、木に斧を当てる音が遠くから聞こえてくる。
「それ以上の上物となると、本格的な知識なり技術なりを持った者でないと手のつけようがない。
まずは、資材を搬入するための道と、それに用地を確保させている」
まずは土木工事から、か。
と、ハザマは思う。
「……間に合うのかな?」
そう、口に出してみた。
「なにに間に合わせようというのだか」
エルシムは肩をすくめる。
「この森も、正式にいえばまだ部族連合の土地のはずだ。終戦協定の調印とやらが済んでいないからな」
王国からハザマに下賜される領地……になることはほぼ決定しているのだが、名義の書き換えは、正式にはまだ済んでいない状態にあった。
「この時点でこれだけの下準備が進んでいるのだから、むしろ幸先がよい流れなのではないのか?」
今の時点でも木の伐採作業は数班に別れ、百名以上の人員が従事していた。
いいかえると、それだけの人数がそれなりに作業に習熟していることになる。
今後も増員は必須であろうが……先行して慣れている作業者が居るのと居ないのとでは、作業効率がまるで違ってくる。
木を伐る作業だけではなく、倒した木の枝を払う者、枝や木を運ぶ者……などの仕事も発生するわけであり、それぞれの分担に応じたコツを学んでいる者が多ければ多いほど、あとから加わる者の負担も少なくなるはずであった。
「では、人数を増やせばそれだけ効率もよくなるわけですか?」
ハザマは素朴な問いを投げかけた。
「それは……やり方にもよるのではないか?」
森の中を先導しながら、エルシムは答えた。
「たとえば、伐採した木の置き場などもうまく配慮してやらなければ、やはり作業も滞る」
切り倒したばかりの生木は、しばらく放置して十分に乾燥させなければ、建材にも薪にもならない。
これだけ多くの木を短期間のうちに切り倒してしまったら、今度は置き場の問題が出てくる。
下手な場所に放置すれば、最悪、物流を遮断することになりかねない。
あとで別の場所に移動することのことまで考え置き場を作り……などということを考えるのは、作業員よりもむしろ作業を手配する側の仕事だった。
エルシムによると、
「どこの木を伐り、どこに道を作り、どこを造成地にするのか……といったことまでいちいち指示をしてやらねばならんのでな。
これでなかなか、面倒なことになっておるのだ」
ということだった。
そうした判断は、森の中の様子に詳しいエルフたちが中心になって行っている。
主にエルシムの仕事になっているのだが、手が空いているときはファンタルやムムリムも手を貸している、ということだった。
そんなことをはなしこんでているうちに、目的地に到着した。
唐突に森が終わり、視界が広くなる。
「どうだ。
なかなか広いだろう」
エルシムが得意げな顔つきでそんなことをいう。
「ああ。
広いっすね」
ハザマも、そういって頷いた。
「野球は無理でも、バスケットボールくらいはできそうだ」
それも、観客席込みで。
森の中に唐突に現れた、空き地。
細長い、長方形……目算で、短い辺が五十メートル、長い辺が二百メートルくらいだろうか。
地面は剥き出しのままで、凹凸が激しい様子だった。隅には……仮置きなのだろう。丸太が山積みになっている。
ハザマとしては、これだけの広い空間を森の中に確保していることに驚いていた。
作業時間は、せいぜい数日といったところであろうに……。
「これだけの広さがあれば、立派な建物が数棟は建てられますね」
ハザマは、そんな感想を述べた。
村、と呼ぶにしては規模が小さいかも知れないのだが……とりあえずは、それで十分だ、ということもできる。
「地ならしはこれからになるが……こうした敷地を、現在急ぎ造成中だ」
エルシムは説明を続ける。
「傾斜が比較的緩い箇所を狙って造ることになるから、あまり広くはできないし一カ所に集中させることもできない。
どうしても森の中のあちこちに散在させる形になる」
「とりあえずは、それで十分でしょう」
ハザマは頷いた。
「通信の魔法もあるわけだし……特に不自由はしないと思います」
なにより、森の中に網の目のような道路網を作ることがすでに決定しているのだ。
そうした村同士を結ぶ交通網があるのなら、問題になるようなことはあまりない……と、ハザマは思う。
「規模の大小ではなく、こうした敷地に居心地のよい環境を構築していく方が大事です」
こうしたちゃんとした土地には、倉庫や各種商店、宿屋など、外来者向けの施設を優先して建てるべきなんだろうな、と、ハザマは思う。
洞窟衆の身内は、森の中に小屋でも作ってそこに寝起きすればいい。それでも天幕暮らしよりはよほど快適なはずだし、それに、手作りであっても時間をかければそれなりの代物にはなるはずなのだ。
それに、罠だらけの森の中に洞窟衆の施設を作ることで、余計な訪問者を自然と排除することができる
「現在、部族民たちの野営地があるあたりは傾斜がかなり緩い」
今度は地面の上に手書きの地図を広げて、エルシムが説明をはじめる。
「そのあたりは、将来的には各国居留地の用地として割り当てられるはずなのだが……それに隣接した部分の森をかなり広めに切り開いて、ハザマ商店の支店と倉庫に当てようと思っている」
「順当ですね」
ハザマは頷いた。
「居留地と隣接していた方が、商談とかなにかと便利でしょうし」
それですぐ近くの森の中には、製紙とか印刷などの各種工場が無数に作られ、商品を供給していくわけだ。
「傾斜の問題以外にも、あまり森の木を伐採したくない理由もある」
エルシムは真面目な顔で説明を続ける。
「森というのは、うまく管理さえすれば紙や薬品の原料、木材などを延々と供出してくれるわけだからな。
長い目でみても、下手に開発をしすぎるよりも、うまく共生していった方がいい」
「その辺の判断は、エルフの人たちに任せますよ」
その説明に、ハザマも頷いた。
「別にこのあたりを大都会にしたいとも思っていないし」
実用上、不便でなければそれでいい……くらいに、ハザマは思っている。
「規模よりも、おれとしては……やはり、快適さを追求して欲しいところですね」
できれば、下水道くらいはどうにかして完備したいよなあ……と、ハザマは思う。
野営地とか開拓村でのトイレの始末は、基本的に深く穴を掘っただけのものだった。満杯になれば埋めて、別の場所にまた穴を掘る。
その際、かなり深く穴を掘るので臭いとかはあまり気にはならなかったのだが……それでもやはり、ハザマとしては水洗トイレが恋しいところだった。
そうした要望を、ハザマはエルシムに伝えた。
「昨夜、ポンプだの水車だの風車だのについて説明していたようだが……」
一通りの説明を聞いたあと、エルシムはそんな意見を述べた。
「……仮に、そうした仕掛けによって水を供給する機能がなんとかなったとしよう。
だとしても……そうした汚水をいったいどこに流すというのだ?
まさか、川の中に垂れ流しというわけにもいかないであろうし……」
素朴な、そして的確な疑問であった。
「……あー」
ハザマは、少し考え込んだ。
「……建物からかなり離れたところに、かなり深い穴を掘って……そこに溜めておくとか?」
「なんだ。
やはり埋めるのか」
「いや、埋めてもいいのですが……」
ハザマは真面目な顔で答える。
「ある程度溜まったら、汲みだして肥料の原料として利用するか売りに出しましょう。
前に小耳に挟んだんですが、すでにそうしている国もあるそうですし」
戸数があまり多くないからこそ可能な仕掛けであった。
「まあ、お主がそういうのであれば、それでもいいのかも知れぬが……」
ハザマの返答に引き気味になりながらも、エルシムはそう応じる。
「……そうした設備を作るとなれば、それなりに余計な予算が必要となるぞ」
「そうっすね」
ハザマは頭を掻いた。
「ま、頑張ってタマルを説得します」
その際には、また金を稼げるなにかしらのアイデアを提供する必要があるんだろうな……と、ハザマは思った。
「そっちの下水はそれでいいとして、その他の生活排水は、溝かなんかを掘って川に流し込む……で、大丈夫ですかね?」
「それで問題なかろう」
エルシムも頷いてくれた。
「その程度なら、かえって川を豊かにする」
食器や体を洗ったあとの排水……程度ならば、川に流し込んでも魚や微生物の餌になるだけだった。
「それはそうと……お前様よ」
エルシムが指摘してくる。
「用地の造成までは自前でなんとかできるにしろ、それ以上の上物となると、やはり専門家に頼らぬとどうにもならぬぞ」
自分たちで使うだけならともかく、外来者にも利用して貰うことが前提となる建物……になると、やはりそれなりの知識や技術を持った者の手を借りるしかない。
「それなんですけどねえ」
ハザマは浅いため息をついた。
「今、ハザマ商会の方でも探して貰っているのですが、これという人がなかなかいないそうで……」
あるいは、王国内のめぼしい建築家や職人は、すでに居留地の方に回っているのかも知れないな……と、ハザマは思う。
「……場合によっては、国外の人材を頼ることになるかも知れません」
伝手がないから探しようがない、というだけであって、ハザマとしては別に王国内だけに条件を限定して人材探しをしなければならない理由というものがないのであった。
場合によっては、ネレンティアス皇女あたりを頼ってみるのも手かな、と、ハザマは思いはじめていた。
ポンプの設計なんかもそうだが、ある程度以上に突っ込んだ内容のことをしようとすると、どうしてもこの世界の専門家を頼らないとやっていけなくなる。
この場では、
「……そのあたりは、急いでなんとかします」
としか、答えようがなかった。
ハザマたちがそんなことをしている間に、イリーナやスセリセスを含む洞窟衆の一団は、ブラズニア家配下の魔法兵たちによって転移魔法で現地へと移動していた。
移動自体は、例によって一瞬で済む。
瞬きをするような時間で周囲の風景が変わり、ブラズニア領内にあるとかいう建物の中に移動していた。
周囲に人気がなく、どことなく空気が埃っぽい。
「ブラズニア領内にある、ズベレムという村の外れにある小屋ですね。
農繁期は人の出入りがありますが、今の時期は誰も近寄りません」
魔法兵のルッシモという男が、洞窟衆の面々に説明した。
「人目を避けるためにこの場所を選びました。
なにか問題が起こるまでは、当面、この場所を本拠地にして活動していく予定になっています」
それから、ルッシモによる説明がはじまった。
「われわれの任務は、偵察になります。
敵……匪賊とも無法者の集まりともいわれていますが、その実体がいまひとつ明らかになっていない。
とにかく、この村の周辺に出没して村人を脅かす集団の正体を見極め、鎮圧するのが今回の出兵の目的になります」
「相手の人数は把握できていないのですか?」
イリーナが質問をぶつけてみた。
「最低でも百人以上……といわれていますが、詳細は不明です」
ルッシモは軽く首を振った。
「その情報もあくまで噂の範疇を出ないような有様でして……」
「いいですか?」
スセリセスは片手をあげて質問した。
「どうして、人目を避ける必要があるのでしょうか?」
「それは……ですね」
ルッシモは、ため息混じりにそう答えた。
「村人たちと賊とが結託している可能性もあるからです」
ズベレムをはじめとするブラズニア領内の村々は、総じて古い歴史を持つ。
この王国がはじまってからそろそろ三百年になるわけだが、それ以上の歴史を持つ村がほとんどであった。
「……それだけに、村を支配する家系もほぼ固定されていまして……」
村長の家、自作農の家、その他家……と、出自でそれ以降の仕事や人生もほぼ決定してしまう。
それに異を唱えようとするのなら、村を出て自分の才覚だけで出世をしていくしかない。
という環境だそうだ。
「それだけ古い家柄になると……それなりにしたたかになりましてね」
賊が出たことを理由に所得を隠して領主に免税、減税を迫る、などという事例は珍しくないという。
あるいは、もっと積極的に賊と結託する場合もある、と。
「とにかく、詳しい内情を探ってみないことには、誰が信用できるのか、判断がつかない状況なのですよ」




