受難の村
時間を少し遡る。
トエスは、手土産として、木登りワニの死骸十匹分を引っさげて、三番目に交渉にいく予定だったザバル村へ赴いた。ワニの死骸は、手土産であると同時に、このような生物が数十匹以上の大群で森の中を移動している、という証拠でもある。
村のはずれで通りがかった村人に声をかけ、人を集めて貰った。
このザバル村は街道にほど近いこともあり、以前に交渉した二つの村よりは閉鎖的な空気がなく、少なくともこちらの話にまともに耳を傾けてくれる。
それから村長の館の中に案内されるまで、いくらも時間がかからなかった。トエスは招かれるままに、護衛として二匹の犬頭人だけを連れて村長の屋敷へと向かった。
村長にむかってトエスは、自分は正式な使節が来る前の前座のような存在であること、正式な交渉は後でしかるべき人がちゃんと来る予定であること、それに、逼迫しているワニの脅威について伝え、この村でもしかるべき警戒態勢をとってほしいことなどを説明する。
特に金品を要求するような内容でもなかったこともあり、ザバル村の村長はトエスの説明に深く聞き入りながらうなずいてみせた。
「それでは、お嬢さん。
そのワニの件は、早急に見張りをたてた方がよろしいようですな」
「ええ。
すぐそこまで出現していますから……」
人の足だと数日はかかるが、枝と枝の間を渡って移動する木登りワニの移動速度は、意外に迅速だ。
いつこの村に出現しても、おかしくはない……といったことを説明している途中で、外から悲鳴や怒号が聞こえてきた。
「……なんですっ!」
「せっかくの警告だが、一足遅かったようだな。
お嬢さん」
村長は立ち上がり、窓の外を見ていった。
「外はもう、ワニの群で溢れかえっておる。
あの分では、外にいた連中も助からんだろう」
村長に続いて席を立ったトエスは、ワニで埋め尽くされた外の風景を確認して唖然とした。
村長は窓の格子戸を素早く閉めて、人を呼んで茶箪笥をその窓の前に動かす。
トエスも、犬頭人たちにその手伝いをするように指示した。
「こうなれば、立てこもって中に入ろうとするやつらを片っ端から迎撃してやりすごすより他、道はない。
やつらが通り過ぎるのが先か、それとも外から誰かが救援に駆けつけるか、あるいは……われわれが、やつらに喰われるか」
村長は、外に通じる窓や扉の前に重い家具や荷物を置くよう、家人に指示し、一階にある一番広い部屋に全員を集めるように指示した。
トエスは素早く紙とペンを取りだして現在の窮状をしたため、最後の出入り口が塞がれる前に護衛の犬頭人に紙片を押しつけて、「それをハザマに届けて!」と命じて外に出した。
これで、たとえこの村が壊滅したとしても、この村の危難がいつ起こったのかは、ハザマに伝わる。
そうすれば、これ以降のワニ対策にも参考にされるはずだった。
運が良ければ……救援が間に合って救われるかも知れなかったが、そうなる確率がさほど高くはないことも、この時点のトエスは悟っている。
村長の屋敷に居合わせた村人たちは即座にその意図を察し、いわれた手配を終えた後、屋敷の中にある武器になりそうなものを片っ端から集めて手渡しはじめる。
屋敷の外では、生き残った村人たちの抵抗が続いていた。
見通しのいい野外で野良仕事をしていた人々は、あっというまに殺到した木登りワニに飲み込まれたわけだが、たまたま建物の近くにいた者は中に避難することで、いくらかの時間を稼げた。
トエスらが到着して、まだいくらも経過していない。そうしたワニが来るらしい、というはなしは聞いていたものの、これほど間髪をおかず、それも、こんなに大量に押し寄せてくると予想していた者は皆無でもあった。
予想外ではあっても、死地から逃れようとする本能は機能する。
近くの建物の中に入り、出入り口を塞ごうと試みる。農具を手にして、屋内に進入してきたワニに抵抗する。
実際には、一度中に入られれば次から次へと新手のワニが入ってきて手がつけられなくなるため、多少の時間稼ぎ程度の成果しか得られなかったわけだが、それでも喰い殺されるまでに数匹のワニを道連れにした者も少なくはなかった。
抵抗した者の中には、屋内に多数のワニが進入してくるのを察して、建物に火をつけて道連れにしようとする者もあった。
おっとり刀でハザマたちがザバル村に駆けつけた時には、そんな風に襲われてからいくらかの時間が経過していた。かなり急いだのだが、トエスが護衛の犬頭人を放ってから、半日ちかく経過している。むしろ、その程度の遅延で済んでいたのが奇跡であるとさえいえる。いくら犬頭人を使ったとはいえ、非常識に近い迅速な移動といえた。だが、この時のハザマはそんなことを意識している余裕もない。
村中が木登りワニで埋め尽くされている現場を目の当たりにしたハザマは、そのまま勢いを止めずに村の中に入っていった。
すると、ハザマの周辺にいたワニたちの動きが、いきなり彫像にでもなったかのように一斉に静止する。
ハザマに続いていた犬頭人たちが、静止したワニを片っ端から一刀のもとに屠っていく。
以前、洞窟の前でハザマがやっていた行為の、再生産だった。
ただし、あの時はハザマ一人が凶刃を振っていたわけだが、今度は数十匹の犬頭人が一斉に動いている。
殺戮の効率は、一気に数十倍にまで拡大されていた。
ハザマは、まるでワニがいないかのように、駆ける。
一軒一軒、生存者がいないのか確認するように家の中に入っていく。
運良く隠れていた者をみつけた場合は、犬頭人たちに命じて村はずれの安全な場所まで退避させる。
ハザマが最初に進入したあたりのワニは、すでに広範囲にわたって早々に駆逐されていたため、どうにか安全地帯といえる部分ができはじめていた。大量の死骸をすぐに移動できるほど余分な労力はなかったので、地面には無数の息絶えたワニが転がっている状態ではあったが、少なくとも当面の安全は確保されている。
そうしてハザマが一つ一つの建物を開放していった後に、屋内に残された動けないワニたちを犬頭人たちがシラミ潰しに始末してまわった。
そして、ハザマに少し遅れて、続々と犬頭人やファンタルに率いられてきた女たちが到着する。
そうした者たちも救助された者たちのすぐ脇を駆け抜けて、先行する者たちに倣ってワニを殺戮しはじめた。なにしろ、いくら殺しても減ったように見えないほど、この村はワニにまみれているのだ。
ハザマとバジルの影響で動けなくなったワニから順番に、息の根を止めていく。ハザマと前後して到着した犬頭人よりもワニの方が圧倒的に多かったので、動きは止まっているものの、誰からも攻撃を受けないまま放置されているワニがまだまだ存在したのだ。生きて抵抗するワニよりも無抵抗のワニの方を優先的に始末するのは、省力化の観点から見ても当然のことだった。
弓が使えるファンタルや女たちは、建物の壁や屋根の上によじ登っていたワニを優先的に攻撃した。
村の中でもハザマに解放され、安全な地帯が徐々に拡大されるようになると、解放された村人たちも犬頭人やファンタルの一党に加勢する者が現れた。
もともと、このワニに蹂躙されたのは彼らの村なのである。
救出されて落ち着いてみれば、今度は脳裏に怒りが充満する。
そうした怒りに支配された村人たちは、農具や武器になりそうな鈍器を手にして動けないワニに向かっていった。
そこまでの怒りを感じていない村人たちは、数人がかりで木登りワニの死骸を引きずって整理を開始していた。
怪我人の治療をするにせよ、炊き出しをするにせよ、一定量以上の広場を確保しておかなければならないのだ。
つまり、村人たちの中にも、恐慌から解放されて将来に対する想像力を回復させた者たちが、徐々にではじめた。
遅れて到着したタマルが火を起こし、犬頭人に指示して木登りワニの死骸を解体しはじめる。
ワニの肉が美味であることは実証されていたし、こうした緊急時に十分な食料があることは人心を落ち着かせるのに大きく貢献する。
案の定、肉が焼ける臭いがあたりに充満しはじめると、救助された村人たちが集まってきた。
タマルは肉が焼ける端から村人たちに手渡していき、犬頭人たちにも交代で食事を取るように指示する。
「……よっ」
ハザマは、二階の窓から躊躇なくワニでまみれている地上へと飛び降りる。
何匹かの犬頭人たちもそれに続いた。何匹かの犬頭人は、窓から壁をよじ登って、屋根の上に残っていたワニを始末しにいく。
「ちょっと、ハザマさん!」
律儀にハザマに随行していたリンザが叫ぶ。
「危ないですよ!」
「……そんなことをいっている場合かぁ!」
ハザマの声と背中は、すぐに小さくなって消えた。
ハザマのいうことも、一理ある。
ハザマが移動して静止するワニが多くなればなるほど、ワニの脅威も減じるのだ。
理屈はわかるのだが……今のハザマは、なんといっても無鉄砲に過ぎる。
それに……。
『なんで……あんなに、走りづめでも疲れていないんだろう?』
村に入ってからこのかた、ハザマは全力疾走のし通しだった。それでいて、息の一つも乱れた様子がない。
常人離れした持久力、だった。
リンザは少し躊躇してから、やはりハザマのように窓から飛び出してみる。
ワニの硬い肉体の上に着地したリンザは、着地の衝撃が想像した以上に軽微に感じたことに不審をおぼえる。
予想した衝撃の、せいぜい半分以下でしかない。
どうも……ハザマと自分の肉体は、数日前よりもずっと強化されているのではないか……という疑念が、リンザの脳裏をよぎった。
リンザ自身も、全力で疾走し続けたハザマの後を追って速度をゆるめずに走り続けたていたのだ。だが、いっこうに疲労を感じていない。
とはいえ……。
リンザは、ハザマが駆けていった方向へ、走り出す。
村長の屋敷の中の、奥まった一角で籠城していたトエスは、屋敷の中に進入してきたワニがたてる物音に耳を傾けながら、「終わり」の時を待っていた。物音は多くなる一方で、ここまでくれば自分たちが助かる可能性はほとんどない。トエスの中の客観的な部分が、そう判断していた。
「……誰か!
誰かいないかっ!」
そんな時に、聞きおぼえのある声が耳に入ってきた。
「ハザマさん!」
トエスは、反射的に叫んでいる。
「……そっちか?
今いくから待っていろ!」
ハザマの声が、近づいてくる。
同時に、多数の低いうなり声。例によって、犬頭人たちを引き連れているのだろう。
トエスは、自分が助かったことを確信し、安堵のため息をついた。
体が、軽いな。
そう、ファンタルは思った。
戦士として長く生きているファンタルは、好調な時に似たような感慨を持った経験が、何度かある。
しかし、今回のはそうした感慨よりも、もっとはっきりとした感覚に感じられた。
不審に思いながらも、ファンタルは両手に持った剣を振るって周囲のワニの頸動脈を斬り飛ばしつづける。
エルフは長命だ。しかも、人間と比較して老化する速度がゆるく、若々しい時期がひどく長い。
最盛期の身体能力が、数百年も続く。
人間だと、どれほど武芸に熟練したとしても、現役で活躍できる期間はせいぜい数十年に限られているわけだが、エルフにはその枷がない。一代で何百年も修練を重ねるのだから、その気になったエルフが並の人間では到達できない境地に達することは、不思議でもなんでもなかった。
ファンタルもまた、そうしたエルフの一員である。
ゆえに、その技量は超絶の域にまで達している。
周囲を静止していない無数の木登りワニに囲まれていたとしても、臆することなく剣を振るいつづけ、生きて自身に近寄らせることはなかった。
その超絶の技巧を誇るファンタルは、ハザマの影響がいまだ及ばない地域のワニを制圧して歩いている。
途中まで女たちがついてきていたが、次第に危険な場所へと向かうファンタルについていけず、いまでは単独での行動となっていた。
この、大量に発生した木登りワニ……は、いったい、なんなのであろうか?
ファンタルは、このような生物の存在を、これまでに見たことも聞いたこともない。
つまり、かなり遠方からここまで渡ってきたということで……。
これも、絶無とはいわないが、滅多にはない現象だ。
面白い、と、ファンタルは思う。
あのハザマという男の周囲にいると、滅多にない体験をできるものらしい。
多くのエルフの例に漏れず、長すぎるおのれの生に飽んでいる傾向のあるファンタルは、やはりあの男についてきたのは正解だったな、と、そう思った。




