居酒屋の珍客
「ぼく、商人というよりも事務屋なんです」
歩いている最中、しきりに汗を拭いながら、ペドロムは聞いてもいないことを延々としゃべり続けた。
「売り子さんは、また別の人にやってもらう手はずになっています。
ぼくが実際にやるのは、主に輸送計画の手配とか事務仕事、それに大きな契約関係になりますね。
この王都でも、まずは支店の候補にあがっている建物がいくつかあるんですが……」
などなど。
正直、ハザマ自身はそれらの話題には興味がなかったから軽く聞き流しておいた。
でもまあ、やり手のゴグスが王都という重要な場所の責任者に無能な者を指名するとも思えないし、こいつはこいつで優秀な人材ではあるんだろう。
仕立屋へ行って採寸し、手付け金を払い終えたあと、ハザマたちはオルダルトに誘われるままに下町のとある居酒屋へとむかった。
手付け金でもかなりの高額だと、店を出てからリンザがこぼしていた。が、オルダルトにいわせると、腕は確かだし特急料金も込みであるから、相場よりはかなり安くしてもらっている。おそらくハザマと洞窟衆の噂も耳に挟んでいて、未来の上客を捕まえるためにかなり勉強したのではないのか、というような意味のことをいった。
ドン・デラでも感じたことだが、それまで村からでる機会がほとんどなかったリンザの経済感覚は、ひょっとしたら異邦人であるハザマとどっこいどっこいなのではないのだろうか?
「……きちんとした礼服を仕立てるのには、通常ならば最低でも一月以上の時間を必要とします。
そこを無理をいって短期間のうちに仕上げて貰うことになったのですから……」
諭すような口調で、オルダルトはそう説明した。
「そもそも、おれが爵位なんてものを受けなければ服を仕立てる必要もなかったんだけどな」
ハザマは、そう茶々を入れた。
「だから、爵位と領地にはそれなりに見返りというものがありますし……」
いいかけ、オルダルトはハザマの顔が弛んでいるのを認めて、いったん口を閉じた。
そのあとに、
「その件については、今ここで議論するのはよしておきましょう。
こちらとしては、後悔させないように努めるだけです」
と、いい添える。
まあ、オルダルトの立場だと、そういうしかないだろうな……と、ハザマも納得はした。
「居酒屋ってことですが、こいつらも連れて行って大丈夫ですか? その、年齢的に」
話題を変える必要も感じたので、ハザマは背後に控えているリンザとクリフを示してそう訊いてみた。
「居酒屋といってもかなり気さくな店で、料理の種類も多い。
無理にお酒を頼まなくても特に問題はありません」
ハザマの感覚では、居酒屋というと元の世界のチェーン店なんかをすぐに想起するのだが、こちらの世界の居酒屋は料理店も兼ねているようだった。いや、それが全般的な傾向かどうかまではわからないが、少なくとも、その店はそういう店であるらしい。
「そこに、おれに会いたい人が居るってわけですか?」
再び、ハザマが問う。
「会いたい人たち、ですね。より正確にいうのならば」
オルダルトはそんな風に答えた。
「洞窟衆の働きは、一部ではすでに有名ですから。
興味津々といった様子で、かなりの人数が集まっています」
その居酒屋には、オルダルトたち洞窟衆対策班が声をかけた小領の主だった者たちが集まってきているという。領主自ら来ている場合もあれば、領地経営の場で重職にある人たちも来ている、とオルダルトは説明した。
要するに、いろいろと話題を提供している洞窟衆の首領、ハザマの首実験をしたいということらしかった。
このままいけばハザマも新たな領主となるという経緯も一部ではすでに広まっているので、
「今後のためにも」
今のうちに顔つなぎをしておいた方がいい……と、オルダルトはいった。
初見だし、今回は珍獣かなにかのように珍しがられて終わり、になる公算の方が高いような気もしたが、通信網仮設の許可を与えてくれた礼もいっておきたいところであるし、挨拶くらいはしておいた方がいいだろうな、とハザマはそう考え、居酒屋へ行くことを承諾した。
「ペドロムさん」
リンザやクリフは、問題がない。今までの言動を思い返しても、黙っているべきところでは黙っていてくれる。
「くれぐれも、余計なことはいわないでくださいよ」
ハザマは、あえてペドロムにそういった。
「滅相もない!」
ペドロムは心外だ、という気持ちをありありと表情に現して、顔の前で平手をぶんぶんと振る。
「ぼく、これでも口下手で内気なたちなんですから。
初対面の人の前では、ようしゃべれません」
……さっきまでべらべらと聞いてもいないことをしゃべっていた気がするのだが……。
顔を合わせてからさほど時間が経っていないこともあって、ハザマはこのペドロムという男を今ひとつ信頼する気にはなれなかった。
「でも……領主とか領地の重職が集まるような店だとすると、格式もそれなりなんじゃあ?」
オルダルトに顔をむけ、ハザマは別の疑問をぶつけてみた。
「領主とか重職とはいっても、こういってはなんですが、小さいところがほとんどですからね」
オルダルトはそういって肩をすくめる。
「格式も値段も、そこそこですよ。
場違いな客はまず入ってきませんが、そんなに堅苦しい場所でもありません」
オルダルトの説明によると、上から下まで住人の階級が揃っているこの王都では、飲食店の方もそれぞれの階級にあわせた店が自然と揃ってしまうのだという。
店の造りや構えをみれば、どういった階級むけの店なのかわかるようになっていて、客の棲み分けもなされているらしかった。
「ただそれは、あくまで客の方が気兼ねしないでくつろげるようにするため、自然とそうなっていっただけのことで……」
料理や酒の値段の他に、雰囲気や話題なども違ってくるため、同じような身分で集まった方が気楽に飲食できる……ということらしかった。
イギリスのパブみたいなもんかな、と、ハザマは思った。ハザマは、元の世界でも国外に行った経験はなかったのだが。
その居酒屋は、オルダルトがいっていたようにそこそこに風格を感じさせ、しかし、中にはいると客も店員もかなり気軽な態度で接してくれた。
「おお。来た来た」
「まずは、かけつけ一杯!」
「おい!
洞窟衆のハザマ殿に乾杯だ!」
そのあと、オルダルトから紹介された「領主や重職」にあたる人たちも、身なりこそきちんとしているものの、ご機嫌にほろ酔い加減になっている気のいいおっさんたちだった。
なにより、本気でハザマの思惑なりなんなりを探ろうとしている雰囲気でもなく、ハザマを口実に飲み会をしているような感じが見て取れたので、ハザマとしてはかなり気が楽になった。
ハザマたちはかなり大きなテーブル席に案内され、すぐに初老の店員が注文を取りに来た。
「ご注文は?」
「ええっと……まずは、ビール。……じゃあなかった。
エールで」
ハザマは、無難にそう答えておいた。
この場できつい酒を飲むつもりはなかった。
「エール、ありますよね?」
「もちろん、ございます」
「それからか、こいつらにもなにか飲み物を。酒以外で。
それと、なにか軽い食べ物も」
「かしこまりました」
初老の店員は、慇懃な様子で、しかし決してこちらを緊張させない柔らかい物腰でハザマに応じ、すぐに飲み物とつまみを持って来た。
「お待たせしました」
早いな、と、ハザマ思った。
気さくな店ではあるが、飲食店としてはそれなりにグレードが高いのではないのか、と、ハザマは感じる。
エールはハザマが想像していたよりも軽く、酒というよりは炭酸飲料といった方がいいような飲み物だった。そして、冷えていない。
そういや、ヨーロッパの方でもビールを常温で飲む国の方が多かったな、とハザマは思った。
リンザとクリフには、香草茶が配られていた。
オルダルトが、某家の誰それと周囲の客たちをいちいち紹介してくれ、それにあわせてハザマも適当に相づちを返したりしていたのだが、もちろん、ハザマが一人一人の名前をおぼえるほどの律儀さを持ち合わせているわけもなく、相手の心証を配慮して適当に態度を取り繕っているだけだった。
なにより、ここに来ている人たちには通信網の架設を許可して貰った恩がある。愛想よくするだけでいくらかでもその恩返しができるのであれば、安いものだった。
「ときに、洞窟衆の。
通信網というやつが、どうにもよく理解できんのだが……あれは、結局、どういうもんなのだ?」
理解できていないのに許可をしたのかいな、と思いながらもハザマは答える。
「遠く隔たった土地にいる人同士が、話し合うことができる術式です」
「そいつは、距離は関係ないのか?」
「しかるべき中継施設を設置すれば。
そのための許可を、みなさまにお願いしたわけでして」
「おお! そういうことか!」
「その通信とやらは、一般にも公開されるのであろうな?」
「もちろん、公開する予定です。
無論、相応の対価は頂くことになりますが」
「いや、そうであろうな。
使えるようになるまで、それなりに物入りであるだろうし」
「いつ頃、使えるようになるのだ?」
「ドン・デラと新領地間の架設はすでに終わっています。あとは、目下、架設中といったところですか。
ドン・デラから沿海州、それにこの王都へと結ぶ線も、かなり進行しております」
「架設だけでしたら、あと数日中にこの王都まで届く予定になっておりますです。はい」
横から、ペドロムが口を挟んできた。
「……もう、そんなに進んでいるのか?」
ハザマはペドロムに確認をした。
「森の中は、例の人たちが使えますからね。それだけ効率もよくなります」
例の人たち。犬頭人のことだろう。
貴族たちの前で犬頭人の名を出すことを遠慮したいい方だった。
「ですが、施設が機能するようになっても、部外者の方にも使用できるようにするための施設とか、それに使用料金とかの詳細がまだ固まっておりませんので。
実際に公開されるまでには、まだ日数を要することになるかと思います」
ペドロムは淡々と説明をする。
ハザマに、というよりは、その場にいる貴族たちに聞かせるための説明らしかった。
「ハザマ商会は、まだ王都に支店を出さないのか?」
ある貴族が、そんなことをいい出した。
「いや、わが領地に支店を出してくれれば一番いいのだが。
他のものはともかく、あのエルフ紙は是非に買いたい」
「王都支店も、近日中に開設する予定になっております。
まずは、王都郊外に倉庫を兼ねた店舗を。そのあとに、公館街のいずこかにも支店を用意する予定です」
そう説明してから、ペドロムは立ちあがって深々と頭をさげた。
「ぼく、ハザマ商会のペドロムいいます。
これでも王都支店の支店長をまかされております。以後、ご贔屓にどうぞ」
「……お客様」
「なにか、問題があるのか?」
そんなやりとりをしていると、入り口の方がにわかに騒がしくなってきた。
「恥ずかしながら当店は、お客様のような方が来ていただけるような店でもなく……」
「ふん。
客をえり好みできるほど大層な店でもなかろう。
なに、客であるわしがこの店に用があるといっておるのだ。
場違いであることは重々承知している。
少しの間、融通してくれればよい」
「……なんだか、野暮なやつが来たようだな……」
ある貴族がそんなことをいいながら入り口の方に視線を走らせ……その場で、全身を硬直させた。
「……こ、国務総長じゃないか……」
その呟きを受けて、ハザマの周辺にいた貴族たちも騒がしくなる。
「なんだって?」
「なんで、こんなところに!」
「……国務総長、って、誰?」
ハザマは、小声でオルダルトに訊ねた。
「ガイゼリウス卿ですよ」
オルダルトは、心持ちこわばった表情をしながらも、やはり小声でハザマに囁き返した。
「もう何十年も文官の頂点に座し、国政において絶大な発言権を持っている方です」
……この王国の裏番みたいなものか、と、ハザマは理解した。
その国務総長が、なんで……などと疑問に思うまでもない。
ハザマ自身が目的であるのに決まっている。
コツ、コツ、コツと杖をつきながら、小柄な老人がハザマに近寄ってきた。




