学費の返済方法
「……と、いうことがありましてね」
バジャスが帰ってから、ハザマはその足で医療所に居るムムリムのところへとむかった。
「参考までに、医者として独り立ちするまでにはどれくらいの時間がかかるものなのですか?」
「どこまで追求するかによっても変わってくるけどぉ」
ムムリムは淡々とハザマの質問に答える。
「基本、医術って終わりがないのよね。
生物って生きている限り、どこかしら壊れたり歪んだりするものだし、その故障や歪みをどうにかして誤魔化して少しでも長保ちさせようってのが医術なわけだし」
「いや、今聞きたいのはそういう原理的なことではなく……」
ハザマは慌ててムムリムのはなしの内容を軌道修正しようとする。
「わかってるわよぉ」
ムムリムはそういって、冷めかけた香草茶を啜った。
「その前に、ハザマくんが来た世界の医術について聞きたいんだけどぉ」
「といわれましても……」
ハザマは自分の後頭部を掻いた。
「……そっちは専門外だからなあ。おれはあまりよく知らないし……。
治療とか回復魔法がなかったことは、明言できます。
それと……ああ、そうだ。
癌と水虫とハゲと風邪は治せませんでしたね。おれのところの医学では」
そう聞いてムムリムは、すうっと目を細めた。
「そのうち、ハゲは病気ではないし、風邪は何十何百とある病魔による似たような症状についてそう総称しているだけ。病魔というのはあっという間に変異して性質を変えるものだし、根本的な予防や治療が望めないのは当然ね。
水虫は……あれは、カビの一種だし、基本的に清潔にして、患部をしばらく乾燥させておけば自然に治るもの。治せないというのなら、患部を露出して乾燥させることができない環境の方がむしろ問題。
癌は……あれは、生体の誤作動ともいうべき現象で、どんな生物でも一定の確率で起こるもの。平均寿命があがればあがるほど癌による死亡率はあがっていく理屈になるのねん。
その癌が問題としてクローズアップされているというのなら、その世界は他の健康上の問題がほぼ解決されているか対処法が開発されているということで……ハザマくんが来た世界は、かなり進んだ医療技術があったということになるんだどけどぉ……」
「そうなんすかね?」
ハザマは首をひねった。
「おれにいわせると、魔法ですぐに傷口をふさいじゃうこっちの方が、ずっと派手に見えますけど……」
「表面上はそうかも知れないけど……その回復魔法だって、使いすぎれば患者の体力を奪ってかえって危ないわけだし、むしろ使わないで済めばそのまま自然治癒に任せておく方がかえって負担が少ないくらいなんだけれど……」
ムムリムはそういって、軽くため息をついた。
「……でも、一刻一秒を争う負傷者が次々と運ばれてくる戦場みたいな環境では、そうもいってられないのよね。
それで、最初の質問に戻るけど……。
周囲に医者がほとんどいないような環境で、一通りの患者を診察できるくらいの知識と経験を本気で身につけようとしたら、軽く五年とか十年、あるいはそれ以上の年月が必要となるでしょうね」
「……ですよねえー……」
ハザマはあっさりと頷いた。
「おれの世界でも、医大とか教育期間が長かったし……」
体系的に医学を教授するカリキュラムがさほど整っていないと予想されるこの世界なら、もっと長くかかるはずだ、とハザマは予想していた。
その予想が当たっていることが確認できたわけだが……。
「……さて。
その研修期間の生活費や学費を、どこから引っ張ってくるかなあ……」
ハザマはそんなことを呟いた。
本人が、あるいはグゲララ族が弁済できるのならそれが一番いいのだろうが……現状の彼らには、支払い能力がないとみていい。
働きながら医術を学ぶとなると、今度は時間がかかりすぎる。
資金的な問題は、あとタマルなどとも相談することにして、せっかくムムリムが目の前に居るのだから、今はムムリムの専門分野について質問をすることにしよう……と、ハザマは考える。
「ムムリムさん」
ハザマは真面目な顔をして訊ねた。
「ひとつ、質問があるのですが……」
「改まって……なにかな?」
ムムリムは首を傾げる。
「この世界で避妊するときには、どういう方法を使っているのですか?」
ムムリムは数秒、ハザマの顔をまじまじと見つめたあと、いきなり両手を延ばし、ハザマ首を絞めはじめた。
「さっきのは完全に、ハザマさんが悪いですね」
リンザはきっぱりとそう断言した。
「ただでさえ受胎率が極端に低いエルフの前で、避妊とか子殺しといった話題は禁句です」
「まるっきり考えていないこともないんだが……ちょっと効率が悪いかなあ」
デリケートな問題にいきなり土足で踏み込んだハザマが悪い、ということらしかった。
「よくわからんなあ、こっちの基準も」
指の痕がくっきりと残った首をさすりながら、ハザマはぼやいた。
「こっちの基準……というより、エルフが一番敏感になる話題に触れるから、そういうことになるんです」
そういうリンザは、いい薬になるだろうと何分か事態を静観してから、ようやくハザマにしがみつくムムリムを宥めて引きはがしていた。
「しかし……教育コストの問題、かあ……」
首元をさすりながら、誰にともなく、ハザマは呟く。
「医学方面だけではなし、これはちょいと早めになんらかの対処法を考えないとなあ……」
読み書きとか一般教養だけなら、教育に必要となる期間もたかが知れている。
別の仕事に従事しながら、合間合間に気長に学んでも、特に問題はないはずだった。
しかし、習得するのに数年以上要する専門的な知識を体系的に学ぼうとすると……やはり、その間は、それ専門に取り組んだ方が効率がよい。
その間の生活費や学費を、どこからどのように捻出するべきか……。
「……グゲララ族に対して便宜を図る必要が、そこまであるのでしょうか?」
随行していたクリフが疑問の声をあげた。
「いや、これ、たまたま今回グゲララ族から問題が表面化したってだけで、どのみちいつかは解決法を考えなけりゃあならなかった問題だから」
ハザマは、そう答える。
「医療だけではなくて……そうさな。
たとえば、魔法とかもそうだな。
その他にも、専門的な技術や知識が必要な分野はこの世界でもそれなりにあると思うが……そういった人材育成は、洞窟衆でも積極的にやっていきたいと思っている」
「……なんでまた、そんなことを」
リンザは、ため息混じりにそう漏らした。
「だって、そういう道筋を用意しておけば、それだけ食いっぱぐれがない人材が増えるわけだろう?」
ハザマは、あっさりとそう答える。
「自分で金を稼げる人材が増えれば、飢える人も減る。治安も金回りも、よくなる」
「そりゃあ……理屈でいえばそうなるのかも知れませんけど……」
リンザは戸惑った様子で、弱々しく応じた。
「……だからといって、洞窟衆がなにもかも背負い込む必要もないかと思いますが……」
「洞窟衆で背負い込むつもりはないけどな」
そういってハザマは、通信でタマルに二、三の用件を伝えた。
『……医者として一人だちできるようになるのに必要な費用の計算と、グゲララ族が多額の負債を負った際の実際的な弁済方法、ですか?』
簡単に事情を説明したあと、ハザマはそのふたつについてまとめてあとで提出するように、と、タマルに指示を出した。
「まあ、一種の国費留学生扱いだな。
今回の場合、グゲララ族という団体がそれなりの医師を欲しがって、こっちに世話を頼んできたんだ。
それにかかる費用を負担してもらうのは、当然のことだろう?」
ハザマは、そんなことをいう。
「その費用を払うあてがないのなら、こちらとしてもその要望をお断りすればいいだけのこった」
『学費については、改めて医療所に問い合わせて計算しないことにはなんともいえませんが……グゲララ族に関しては、農産や畜産だけでそれだけの学費を支払わせようとすると、かなり無理があります。
それらさほど高額な商品でもありませんし、輸送費もかかりますし……地元で流通させるのならともかく、わざわざ運賃をかけて売りに出しても、商売としてはさほどうまみがなく……』
「それじゃあ、グゲララ族に支払い能力はないものと見ていいわけ?」
『いえ、あくまで、これまでにグゲララ族が行っている産業だけをみればそういう結論になる、ということです』
タマルは即座にそう返してきた。
『今回の場合、彼らが郷里に帰ってからも、洞窟衆の仕事を手伝って貰うのがよろしいかと。
どのみち、広大な山岳部に販路を開拓しようと思えば、中継地点も複数、用意しないわけには行かないわけですし……』
倉庫やハザマ商会の支店をグゲララ族の土地に建造して、そこで働く人手もグゲララ族で用意をして貰う……という案をタマルは提案してきた。
『ある程度、大量の荷を保管しておくことができるような建物を造ったり維持したり……ということをして貰う代わりに、医学生にかかる費用を相殺すれば、双方にとって益になるかと……』
「その線で案をまとめて、バジャスと交渉してみてくれ」
ハザマはタマルにそう伝えた。
「他の部族との取引にも、そういう条件を出したところがあるのか?」
『グゲララ族が最初ですね』
タマルはあっさりとそういった。
『他の部族は、あくまで手持ちの支払い能力に応じた取引しか行っていません。
というか、ある程度知った相手でないと、信用取引なんて危なくてできないでしょう』
「……それもそうか」
グゲララ族は、これまで洞窟衆のために従順に働いてきて、問題らしい問題を起こしてこなかった。
契約魔法によってそれなりの縛りをいれるのが前提ではあるが、それでも信用貸しで大きな取引をするのなら、裏切らないと予想できる相手とする方がいいのであった。
『欲をいえば、今、街道沿いに点在している駅のよう形のものを山岳部にも作りたいところですが、これは今すぐにとはいかないでしょう。
資金的なことを考えてもかかる手間を考えても、すぐに手を着けたとしてもそれなりの形になるまでには時間がかかると思います。
だからまずは、信用できる部族を中心にそういった倉庫兼支店を増やしていくのが堅実なやり方なんじゃないかと』
彼ら部族民にしてみれば、地元で現金収入を得るための機会を得ることに繋がる。
成功例ができれば、あとに続く者も多いのではないか、と、タマルは続けた。
「……ま、そういうことなら、そちらは任せた」
ハザマはといえば、一通りの説明を聞いたあと、例によってあっけらかんとそういった。
別に専門的な知識や技術を持つ者がいるのなら、専門家に任せられることはすべて丸投げしてしまうのがハザマのやり方である。
ところで、昨日今日から黒板を持ち出して青空教室を行っている者の姿が増えてきていた。
本格的な医療関係の講義は黒板とチョークが完成したときから継続してはじまっていたのだが、それを真似て別に木戸銭を貰って読み書きや計算などについてを教えはじめる者がではじめたのだ。
その際に必要な黒板やチョークなどは、洞窟衆から買うなり借りるなりして調達しているらしかった。
生徒となるのは王国軍兵士たちで、先生役を勤めるのは貴族など、多少は教養がある階級の者が行っているらしい。集まった生徒の中には、負傷兵も多く含まれているようだった。
簡単な読み書きや計算などの知識を潜在的に求める層は、それなりに存在するようだ。おそらく、こうした青空教室の受講料も、一人が支払う額は小遣い銭程度に収まってもいるのだろう。
点在する人だかりを認めて、ハザマは、
「要するにみんな、待機待機で暇を持て余しているんだろうな」
と、そのように思った。
読み書きにしろ計算にせよ、できないよりはできた方がいい。
しかし、そうした教育を受ける機会を得られなかった層がそれなりに居るのが、この世界だった。
現在の野営地のように、教えられる人材と知識を必要とする人間とが密集している場所で、黒板やチョークという知識を教授するための道具が出てきたことで、潜在的な需要が掘り起こされた形なのだろう。




