波乱の胎動
停戦になる前後でも、洞窟衆の荷捌き所の喧噪に変化はなかった。
一日あたり、優に百台単位の馬車が着いて荷のあげ降ろしを行い、すぐに引き返していく。降ろした荷は即座に別の場所へと運び出される。
それをすべて人力で、しかも速やかにやらなければならない。降ろした荷物の管理も含め、受け取る側も相当な人数を投入して要領よく行う必要があった。
肉体労働に従事する人夫、奴隷、犬頭人がひっきりなしにいきかい、その動きを洞窟衆の女たちが漏れなく管理し、指示を出している。
「……これを使えって、貰ったんだだけど」
「黒板ってやつ?」
「うん。
荷物のチェックに便利だろうから、って」
「使ってみるか。
それじゃあ、今日これから着く予定の荷車とその荷物をその黒板にリストアップしていって」
「はいよ」
荷捌き所の管理にあたっっていた洞窟衆の者たちの間で、そんな会話がなされていた。
黒板とチョークがどのようなものであるのか、彼女は通信によりざっくりと理解はしていた。
しかし、それと実際に使いこなせるのかということは、また別問題であった。
実践について、やはり「実際に使ってみないことにはわからない」部分が多く……試作班の連中が使ってみろというのなら、使ってみるしかない。
その他、販売部でも、ドン・デラでの小麦相場などを黒板によって告知しはじめていた。洞窟衆はすでにドン・デラとの通信網を完成させており、そちらの情報はほぼ時差をおかずに入ってくる。
こうして元値を明示することによって、現在の主要な取引商品である穀物の値を、洞窟衆側が不当につりあげているわけではないことを告知することに役立っていた。この情報の正確さについては、洞窟衆ほどに迅速ではないにせよ、それなりに野営地から離れた場所の情報もチェックしているブラズニア家などが追認の形で検証を行い、おおむね正しい情報を公示していると認めていた。
穀物などの実際の売価は、元値に洞窟衆の取り分、運送する距離に比例した運賃などを足したものになるわけであるが、これについては部族民たちも以前から十分に理解をしていた。洞窟衆は運送コストの圧縮を推進していたので、末端価格を過去の例と比較してみると、それでもかなり割安になっていたくらいなので、文句をいう者は皆無だった。
そうして荷捌き所で降ろされた荷のかなりの部分が、今では川を越えて新領地の中へと運び出されていく。
麻袋を担いだヒト族や犬頭人たちが長蛇の列をなして行く先は、森の中に設けられた臨時の荷物置き場だった。
そこで穀物の入った袋は防水加工を施された帆布で包まれ、出荷されるのを待つばかりとなる。
その帆布は、湿気や水分により商品が傷むのをおそれて慌てて手配されたものであった。
部族民たちは停戦交渉が正式に終結されるのを待って、順番に郷里へと帰っていくことになっていた。
それにあわせて、これらの荷物も順次運び出される手はずとなっている。
森の中で着々と積みあげられていく麻袋の山は、現在の洞窟衆の資金力、人員の動員力などを余すことなく見せつけていた。
中央の役人であるオルダルトが帰ったあと、入れ替わりになるように、今度はベレンティア家の家臣がハザマを訪ねてきた。
デオドル・ラグンドという勘定奉行。
以前、ハザマと水妖使いのドゥがボバタタス橋を挟んでルシアナの子らと対決したおり、遠眼鏡を貸してくれた中年男であった。
「ベレンティア公のことは残念でございました。お悔やみをもうしあげます。
それと、あの節は、どうも」
面識はあったので、ハザマはいきなり訪問してきたデオドルにそう挨拶をした。
「それで今回は、どういったご用件でしょうか?」
領主不在の、なにかと難しいこの時期に、わざわざベレンティア家の人間が洞窟衆を訪ねてくる必要がある用件、というのが、ハザマには思いつかなかったのだ。
「なに、そんなに畏まるほどのことでもないのですがな」
デオドルは柔和な表情を浮かべ、ハザマに答える。
「中央は、居留地の普請に関わる一切のかかりをベレンティア家に求めるつもりであるようです」
「……そいつは……」
ハザマは、軽く顔をしかめた。
「……かなり大きな負担になるのではないですか?」
「とはいえ、応じなくてはならぬでしょう。この領地を守るためには」
デオドルは淡々とした口調で答える。
「ベレンティア領を分割して取り込みたいと目論んでいる貴族は山ほどあります。
それだけの負担に応じられないとなると、われらベレンティア家の家臣団は能なしとして即座に解散を命じられるはずです」
なにしろ、現在のベレンティア領は領主不在である。それだけで、普段よりもずっと弱い立場を強いられるようだった。
「次の領主様は、まだお決まりにならないので?」
思わず、ハザマはそう訊いていた。
「候補となる方は何人かいらっしゃるのですが、そのいずれも取り立てて功績があるわけでもなく……先代の領主様が次代を指名していなかった以上、誰かが擁立してもどこからか横槍が入るような案配でして……」
実際に決まるまでには、少し長い時間が必要でしょう、と、デオドルは嘆息した。
「どうも、面倒なことになっているようですね」
ハザマとしては、そういうより他にしようがない。
彼ら、ベレンティア家の関係者にとっては文字通り死活問題なのだろうが、ハザマにしてみれば完全に他人事であった。
「それで、今日のご用件は?」
ハザマは、話題を元に戻した。
「そう、それでした」
デオドルは、ハザマにむきなおる。
「居留地の普請と、それに伴い、物資を輸送するための船着き場をこの地に作ることになりました。
それについて、必要となる人手をこちらの洞窟衆でも手配をしていただきたく、お願いにあがりました」
「……船着き場……」
呟いたあと、ハザマは怪訝そうな表情になった。
「この地に……ですか?」
「ええ、水運ですよ」
デオドルはなんでもないような顔で、そういいきる。
「今、この野営地がある場所は低地となっております。
川の水位が低い今の時期は乾いていますが、増水する春先から夏場にかけては沼地やら湿地やらになります。
これまでは放置していたのですが、これを機会に掘り下げて、船がつける場所にしようと……」
ハザマは慌てて通信でバツキヤに問いただし、その情報が正確なものなのかどうかを確認した。
とはいっても、バツキヤも、
「この土地が一年の三分の一ほど、水に浸かる」
ということぐらいしか知らなかったが。
「つまり、人手の確保をお手伝いすればいいのですね?」
ハザマは、通信でバツキヤに確認したことを表情に出さないよう、気をつけながら、デオドルにはそう返答をした。
「その程度のことでしたら、いつでも申しつけください」
もともと、その手の人材派遣は現在の洞窟衆でも行っていることであった。条件さえ折り合うならば、協力しない手はない。
「実際に手を着けるのは、まだ少し先になるかと思いますが、実際にはじまってみればかなりの人数が必要となるはずです」
デオドルはそういって、深々と頭をさげた。
「そのおりは、どうかよろしくお願いします」
この男にしてみれば、現在のベレンティア家家臣団の明暗を分ける事業として認識しているのであろう。
「いえ、こちらこそ」
ハザマは軽い口調で応じた。
「できる限りの協力はさせていただくつもりです」
現在の洞窟衆は、どちらかというと人手があまり気味なのである。
その人手を有効に使えるのであれば、こちらとしても拒否すべき理由もないのであった。
ここのところ、ガズリム・バルムスクは荒れていた。しかし、彼がなぜ荒れているのか、周囲の者はその理由を知ることもなかった。
強運のガズリムとも呼ばれ、多くの戦功を積んできた男。なにより、例のルシアナ討伐に参加した十名のうちのひとりである。
ブラズニアの家中はおろか、王国内でも屈指の英雄といっても過言ではなかった。
しかし、そのガズリムは、そのルシアナ討伐から帰還してから、むっつりと黙り込んでいることが多くなった。
そして、口を開けば、
「……早く領地に帰りたい」
とか、
「おれの人生はなんだったんだ……」
とかいう弱気な言葉を吐く。
おおよそ英雄らしくない、弱気な態度であった。
多くの獣が野営地を襲ったあの夜などは、流石に獅子奮迅の働きを見せ、周囲の不安を払拭したというのだが……そのときの様子も、勇猛果敢というよりは自暴自棄な態度にみえなくもなかった、ともいう。
とにかく、ガズリム・バルムスクの精神は傍目にそうとわかるくらいに、荒廃しているようだった。
そんなガズリムを、その日、ある男が訪ねてきた。
「……ガズリム卿、ですね?」
昼間から強い酒を口にしていたガズリムは、濁ったまなざしをその声の主にむけて……そのまま、瞠目した。
「……アズラウスト公子!」
そう叫んで、ガズリムは慌てて立ちあがり、そのまま直立不動になった。
「こんな場所に……いったい、なんのご用件で?」
流石のガズリムも、主家の世継ぎの前では態度を改めないわけにもいかなかった。
「楽にしてください。
いつまでも待機の状態では暇を持て余すのも仕方がありません」
そういって、アズラウスト・ブラズニア公子は手でガズリムに座るように即した。
「その暇なガズリム卿に、お仕事を紹介しようと思いましてね」
「仕事……で、ございますか?」
直立不動のまま、訝しげな表情をしながら、ガズリムは聞き返した。
いくら座れといわれても、主筋のアズラウスト公子を立たせたまま、自分だけ座るわけにもいかなかった。
「いったい、どういった仕事でございましょうか?」
「なに、簡単な盗賊退治だよ」
アズラウスト公子はにこやかな表情で説明してくれた。
「通信術式の軍事運用試験も兼ねているけどね。
彼らと戦った経験があるきみなら、ぼくらと同行するのにうってつけでしょう」
「は……はあ」
要領を得ないガズリムは、曖昧な表情で頷く。
「そういう命令であれば、どこへでもお供いたしますが……」
「いや、そういう堅苦しいのはいいから」
アズラウスト公子は手近にあった椅子を引き寄せて、そこに腰掛けた。
そして改めて、手真似でガズリムにも座るよう、指示をする。
不承不承、ガズリムは椅子に座った。
「……とりあえず、詳しい説明をしがてら、こいつを試してみないか?
こいつは、ルールは単純だけど、なかなか奥が深いゲームだ」
そういってアズラウスト公子は、卓上にリバーシの盤面を広げはじめた。
「……また負けた」
「オルダルト、お前、弱いなあ」
王都にある洞窟衆対策本部では、いつの間にかリバーシ大会が行われていた。
「弱くて悪かったな」
憮然とした表情でいって、オルダルト立ちあがる。
「どれ、次はわしにやらせてみい」
老いた魔法使いであるハンガスが、オルダルトの代わりに盤面の前に座る。
「見ていて、いくつかコツがわかってきた。
最初に取りすぎると、手詰まりになりやすい。
それに、早くに四隅を取ると有利になる」
「……いうのは簡単なんだけどな」
ドミダスはそういって、盤面の中央に白黒四つの駒だけど残して他の駒をはじく。
「爺さん、先攻と後攻、どっちでいく」
「白でよろしい」
「ほいよ」
ドミダスとハンガスの勝負がはじまった。
「やってみると、なかなか面白いよな。これ」
ズワイスがドミダスにそういった。
「王都でも、売れるかもしれん」
「もっと買ってくればよかったですかね」
包帯男のグスネスがそんなことをいった。
「いずれ、洞窟衆の方々もこの王都まで乗り込んでくるとは思いますが……」
「……門衛へ渡すつけ届けには、ちょうどいいか」
オルダルトも、深く考えることなくそんなことをいって頷いた。
門衛……王宮への出入りのチェックは、それなりに厳しい。
一国の政務の中枢であるからには、それなりに厳しくて当然なのであるが……とにかく、昨日今日発足したばかりのオルダルトたち洞窟衆対策班は顔パスというわけにもいかず、報告書ひとつ提出しにいくだけでも、前日までにしかじかの理由で出入りをしたい旨、届け出を出しておかなければならなかった。
まあ、これからはかなり頻繁に出入りするようになるわけだから、次第にオルダルトたちの顔も知られていくのであろうが……。
門衛たちの心証をよくしておくためにも、これくらいのつけつけ届けをしても罰は当たらないだろう。職場の人間関係を円滑にするための方便だ。
別になにかを要求するわけでもないので、賄賂とかには当たらないはずであった。
オルダルトは、そう思った。




