対策班の初日
ハザマとオルダルトが会談をしていた頃、クデルは実験用の窯からチョークの試作品を取り出し、コキリとともに検分をしてた。
「どれも実用上はあまり問題がないようだが……」
「まあ、書くという用途だけを見るのだったら。
あんまり硬すぎても書き味が悪いし、適当に脆くなるくらいでいいのかなあ……」
コキリとクデルは、やはり試作品の黒板にむかってチョークを使い、文字や簡単な図形などを描いて書き味や黒板に残った白線の濃淡などを、一本一本見ていく。
「石灰だけだとあまり白くならないから、貝殻の粉を多めにした方がいいみたいだね」
「視認性の問題か。
あとは、このチョークというものは壊れやすいから、運ぶときに注意が必要だな」
「製法も難しくないし、使う場所の近くで作らせた方が早いかも。
……需要がどれだけあるのかまでは、わからないけど……」
「いや、これはそれなりに使い道はあるんじゃないのか?」
クデルの疑問に、コキリは答える。
「この黒板というものも……ハザマっちは授業というものをやるための道具としてみていないようだが、他にもそれなりに使い道がありそうだし……」
「……たとえば?」
「えーと……今日のおすすめランチとか、看板代わりに書いたり……。
とにかく、大勢の人に見て貰いたい文章とか書いて表示するときは便利だよね」
「そういわれてみればそうか」
とりあえずコキリは、ハザマのつき人的な役割を果たしているリンザに通信で「チョークの試作に成功した」旨を伝えておき、そのあと、製造法を詳細に書いて試作品とともに工場村に送る準備をはじめた。
『チョークとかいうの、できたの?』
それからいくらもしないうちに、エルフのムムリムから通信術式で確認の連絡が来る。
『すぐに使えるのなら、こちらに回して欲しいんだけど』
黒板とチョークについての情報が出回った時点で、できあがったら医療所で使用したいという連絡は以前からあったのだった。
「あ、はい。
試作品でもよかったら、数はそれなりにありますから」
コキリはそう応じて、医療所に黒板とチョークを送る手配をしはじめた。
といっても、実際にはチョークを簡単に梱包して下働きの者に医療所まで持って行くよう、命じるだけだったが。
黒板についていえば、使える人手の中から木工の心得がある者を募って作らせていた。かなり大きな板の表面を滑らかに、引っかかりがないように加工するのはそれなりに骨ではあったようだが、それ以外は技術的に難しいものでもなく、問題なく仕上がっていると思う。
現在の医療所は、これ以上の負傷者が増えることもなく、段々手が空いてきている状況だという。
この野営地には、王国各地から徴発されてきた医療関係者が集まっているわけで、このまま解散する前に専門的な知識や具体的な技法について情報交換をするのに使いたいとか、以前にムムリムがいっていた。
この世界でのチョークと黒板の実用実験第一号は、ムムリムたち医療関係者になりそうだった。
それらの手配をしている間にも、
「リバーシの完成品、そろそろ数が揃ってきたけど」
とかいう報せが、コキリに届く。
「問題がなさそうなら、そのまま販売部に回して」
顔もあげずにコキリはそう指示をした。
生産ラインを完成するところまでいったのなら、それ以降のことは試作班ではなく別の部署の問題になる。
リバーシの製造ラインも、そのまま販売部の管轄に移行するはずだった。
試作班は試作班でまだまだやるべきことが山ほどあり、いつまでも終わった仕事に関わっていても意味がないのであった。
「木版画の方はどうなっているの?」
チョークと黒板についての手配を終えたコキリは、ザイスのところにいって進行状況を確認をする。
「完成品に問題がないって意味では成功なんだけど……」
インクまみれになったザイスは、そう言葉を濁す。
「……ちょっと、版面にインクを乗せるときに手間取るかなあ。
枚数が少ないならいいけど、何千とか何万とかのオーダーになったら刷毛や筆ではしんどくなりそう」
「今、ハザマっちは王都から来たお役人の相手をしているそうだから、それが済んだら聞いてみましょう」
コキリはそういった。
「それから……その作業をやるときは、エプロンかなにかをした方がいいと思う」
「それから、インクもちょっとなあ」
ザイスはさらに問題点を指摘してきた。
「既製品だと、色が薄い気がする」
コキリは木版画によって制作された紙を手に取り、まじまじと見つめた。
「……そういわれてみれば……」
「ペン書きが前提のインクだと、ちょっとね。
インクだけ、もっと色味が濃いものを発注する?」
流石にインクまでは洞窟衆の内部で製造していない。外部から買い入れたものをそのまま使用していた。
「……これについても、あとでハザマっちに相談してみましょう」
コキリは即座にそう結論した。
どのみち、木版画とか印刷とかを本格的にやりだすようになれば、インクの類も大量に消費するようになる。
それを外部からいちいち買い入れているようだと、経費的にも無駄が多い気がする。
自前で大量に生産でき、印刷映えするインクないしその代用品についての知識をハザマが持っていたら、そこで問題は一気に解決するはずだった。
「……通信用の術式というのですか?
それは……」
「ええ。
こちらではばんばん、使われているようですね。
内容は暗号化されているようで、すぐには読みとれないようになっていますが……」
オルダルトは魔法使いのグスネスに確認をしてあと、
「……そうですか……」
と呟き、何秒か沈黙した。
暗号化まで施されているとなると、その通信術式を使いはじめたのも、昨日今日ではなさそうだった。
その間に、洞窟衆がどれほど通信網を広げていることか……想像に、難くない。
これほど実用的な魔法なのだ。使用範囲も、広げられるだけ広げていることだろう。
だが、それを確認するよりも前に、今はやるべきことがあった。
「予定通り、おれと魔法使い一名は王都に帰り、この会談についての成果をまとめて上にあげる準備をします」
オルダルトはそういった。
「他の人たちは、この場に残ってこの地の状況と、それに洞窟衆についての情報を収集してください」
ハザマとの最初の会談を終えたあと、オルダルトはかねてからの打ち合わせ通り、いったん、その場で仲間たちと分かれることにした。
まずは上にあげる報告書をまとめあげることを優先する。
これはもちろんのこと、それ以外にも、洞窟衆関連の情報をなんでもいいから集めておきたいところだ。なんといっても、上を説得して、洞窟衆の要求を呑むように持って行かなければならないのだから。
それに、オルダルトたち対策班は、王国側から提出された資料でしか洞窟衆を知らない。
そこには、それなりのバイアスがかかっているはずであり、もっと多様な角度から情報を収集する必要を、オルダルトは感じていた。
通信術式のことひとつを取っても、オルダルト側は洞窟衆の動きをほとんど把握していないのだ。このままでは、今後の交渉も王国側の不利になる一方なのである。
これまで、王国側が洞窟衆に迫っていたように、こちらの都合を押しつける一方なのも問題であったが、その逆に、洞窟衆の都合ばかりを優先してしまうのも別の意味で問題であった。
なににつけ、ちょうどよい落としどころを模索するためにも、正確な情報を収集しておくのことは重要だとオルダルトは判断した。
その一方で……。
「上の方々も、どうにかして説得しなけりゃなあ……」
と、オルダルトは嘆息した。
「転移しますよ」
女性の魔法使い、ネリアスがオルダルトの肩に手を置いて、そういった。
次の瞬間には、オルダルトたちにとっては昨日からお馴染みの、古ぼけた建物の四階部分へと移動している。
「……さて、説得をするためには、それなりにしっかりした報告書を書きあげなけりゃあな……」
そのように呟いて、オルダルトは自分の席についてペンを取った。
そうしてから、
「……エルフ紙とかいうやつを買ってくればよかったな」
と気がついた。
洞窟衆対策班が帰ってきたのは、日が暮れてからだった。その頃には、オルダルトも上に提出する報告書を書きあげていた。
「そいつの写しを三部ずつとっておいてくれ」
オルダルトは、部下となった下宿生たちにそう指示をする。
オルダルトの対策班は、国務省、国土省、貴族人事管理委員会……など、複数の部署の仕事を兼任する下部組織ということになっている。
報告書をあげる先も、それだけ多くなるのであった。
「これ……洞窟衆は、領地と爵位を受けることに基本的には同意した……って書いているけど、いいのかよ? このままで」
オルダルトが書き上げた報告書をみて、ズワイスが疑問の声をあげた。
「いいさ。嘘はいっていない」
オルダルトは即答する。
「洞窟衆側が要求することは、どれもこれも大したことではない。
十分に交渉の余地があるものと、おれはみている。
それ以上に、今まで交渉してきた方々が門前払いに近い扱いを受けていたことに比べ、今回の会談では格段に態度を軟化させたことを強調しておきたい。
その分、これからは洞窟衆側の要求することに応えるために、あちこちに飛び回らなければならなくなるわけだが……」
忙しくなるぞ、と、オルダルトは続ける。
「ひとりは写しを作って、あとひとりは王宮に行って、明日にでも報告書を提出しにいくと関係省庁に予約を取ってきてくれ。
残りは、今日あの野営地で聞き込んできたことの報告だ」
「その前に!」
ダミドスが持っていた荷物を机の上に置きながら、確認してきた。
「洞窟衆の売店でエルフ紙を買ってきたんだが、これ、経費で落ちるよな?」
「……職務に使用するのであれば、な。
どれ、その束でいくらくらいになるんだ?」
「これ、領収書」
「……いい値段だな」
「羊皮紙よりは高めだが、その分、かさばらないし見た目もいいからな。
上にあげる報告書に使えば、心証もよくなるだろう」
「まあいいさ。
そいつはあとで精算する」
「……ゲームだと?」
「ああ、リバーシっていうんだがな。
ちょうど今日から売り出しはじめたそうだ。
おれもちょっとやってみたが、なかなかに面白い」
「なんだって洞窟衆がそんな遊び道具を……」
「おれに聞いても困る。
高いものではなし、参考のために買ってきて置いたから、あとでやろう。
あ。
こいつも経費で落ちるかな?」
「……善処しよう」
「他にもいろいろ動いていたな、洞窟衆は。
ブラズニア家領内の盗賊退治を手伝うとかで、その準備もしていたし……」
「洞窟衆がか? なんでまた、ブラズニア家領地内の問題に……」
「その辺の経緯まではわからないが、洞窟衆は緑の街道周辺の盗賊を一掃したり、ドン・デラの賞金首を片っ端から捕らえたとかいう前歴もあるからな。
その辺が評価されたんじゃないのか?
とにかく、武器や防具の職人を集めて、忙しく仕事をさせているようだった」
「……そういえば司令部でブラズニア公に、洞窟衆の仕事をするのなら、ブラズニア家の陣地を訪ねるといいとか、そんなことをいわれていたような気もするな」
オルダルトは誰にともなくそう呟いた。
「今回は、上にあげる報告書の完成を優先して後回しにしていたが……。
今後むこうにいくときには、忘れずに訪ねることにしよう」
しばらくはあの野営地とこの王都を忙しなく往復する生活が続くはずだが、もう少しこの対策班の陣容を整えたら、オルダルトはむこうにもこちらの人員を常駐させ、こまめに情報を送って貰うつもりだった。
「他には?」
「これは、以前から噂されていたことを確認する形になるわけだが……洞窟衆は大量の穀物やその他の物資を、川を越えた新領地側に運び出している。とにかく、すごい量だ。
どうやら、部族民相手の取引が本格的に活発化してきているらしいな。
今はまだ昼餐会があるからボバタタス橋を通行できないわけだが……あれが終わったら、そのまま馬車で乗り入れ、いけるところまで行くんじゃないのか?」
その他、野営地で集めてきた、外部から伺える洞窟衆に関しての情報を交換して、その日の対策班の業務は終了した。




