周辺の人々
一口に王国貴族といっても、ピンからキリまである。父親が戦功をたてたおかげで「騎士」の爵位を下賜されたものの、領地さえ持たないクオロルデル家などは、まごうことなき「王国貴族のキリ」に分類される。自他ともに認める、「名ばかりの貴族」だった。
若い頃は腕っ節の強さが自慢だったらしいのだが、オルダルトの記憶にある父親は年金という定収入があるのをいいことに、年中、飲み飲み歩いてホラ混じりのクダを巻いて晩年を過ごした老いぼれに過ぎない。
その息子であるオルダルト・クオロルデルは若い頃の父親とは違い、腕っ節の方にはてんで自信がなかった。それで、別の方向で出世を目指すことにした。領地なしの下級貴族など、やれ財政難だなんだとかいう上の都合でいつ年金が打ち切られるのかわからない、不安定な身分であったからだ。年金がでている間にもっと安定した収入源を確保しておく方が安心した老後を送ることができるというものだ。
幸い、座学はさほど苦にはならない性質だったので、難関といわれる国家官吏資格を得る試験にはさほど苦労せずに通過する事ができた。
その狭き門を通過したからといっても、おいしい役職はたいてい上級貴族の子弟がコネで占拠しているわけで、よほど運がよいかそれとも切れ者でなければ、役人としての栄達も望めないわけである。
が、オルダルト自身にはその手の野心には乏しく、むしろ、
「できるだけ楽で安定した役職につければいいな」
とか思っていた。
オルダルトが目指すところは、つまるところ「死ぬまで安定した収入を確保すること」であって、出世することではない。
難関といわれる官吏試験を通過した中では、かなり覇気に乏しい人材であるといえよう。
その官吏試験を通過したばかりの、しかし、まだ配属先が決まっていなかったオルダルト・クオロルデルはある日、王宮から呼び出しを受けた。それも、急を要する用件であるという。
下宿に届いたその書状を見つめ、寝ぼけまなこのオルダルトは呆然と呟いたという。
「……なんかの間違い……じゃあないのか?」
封蝋には、貴族人事省、国土省、国務省のみっつもの印が、ご丁寧に押されていた。貧乏な名ばかり貴族を騙すためにここまで大掛かりな真似をするはずもない。
オルダルトは賄いつき下宿の粗末な寝台に腰掛けて、その封書を慎重に開けて、中身に目を通す。
そうするうちに、眠そうだったオルダルトの表情が徐々に険しいものになっていった。
「……洞窟衆、か」
すべてに目を通したあと、オルダルトは口元を歪めて吐き捨てるように、いった。
「上のやつら……万が一、失敗したときのために、おれみたいな後ろ盾がない若造を人身御供にしようって魂胆か……」
その書状には、
「オルダルト・クオロルデルを対洞窟衆関係の総合窓口係として任命する」
とかいう内容が、ごたごたと装飾された文章で綴られていた。
もちろん内示の段階であり、オルダルトにも断ることはできる。しかし、実際にオルダルトがこの役職を断ったとしたら、今後、役人としての未来も自動的に閉ざされることになるだろう。
これは、「官吏になる資格を得てはいても、実際には就ける役職がない」という、浪人状態になる、ということを意味する。そうなったら最後、どこかの田舎貴族にでも売り込んで、代官にでもなるしか生計の道がつかないのであった。せっかく試験を通過して得た官吏資格が、丸々無駄になってしまう。
オルダルトは腰掛けていた寝台から立ちあがり、少ない荷物の中から一張羅の礼服を取り出す。
お上から呼び出しを受けた以上、どう返答するにせよ、行って自分の意向を答えねばならなかった。
「……いや、だからな……」
ガグラダ族のアジャスは部族民の仲間たちに説明を続ける。
「……そんなわけで捕虜になって、いつの間にやら洞窟衆の下働きをしているわけよ。
まあ、捕虜といっても待遇はそれなりだし、こうして行動の自由も与えられる。
特に不自由をすることもないんだが、いかんせん、身代金相当の働きをしないと解放されないってのがなあ……。
うちの部族全員分の身代金となると、はて、どれだけ働きをすれば払い終わることになるのやら……」
「だけど、お前んところのかーちゃんはやる気になってんだろう?」
「エルフっていやあ、森歩きの間じゃあ大先達だ」
「洞窟衆っていえば売り出し中の新部族だろう」
「金払いもかなりいいって聞いたぞ」
「年端もいかない小娘が大勢働いているらしいな」
「今、なんか食料を売ったり職人を集めたりしているみたいだな。
特に鍛冶屋は大歓迎で厚遇してくれるらしい」
「ダスガル族の連中も、年寄り連中が自分を売り払って、その代金で穀物を持ち帰るようだ」
「まあ、虐待されない先だとわかってりゃあ、それもありか」
アジャスの元に集まった部族民たちが、アジャスそっちのけで情報を交換しはじめる。
この手の情報収集は場合によっては死活問題に直結する。その事実をわきまえているので、たかが井戸端会議といえども、みな、それなりに真剣であった。
「そんで、どうだい?
実際のところは?」
集まった中のひとりが、アジャスに訊いた。
「その、洞窟衆ってやつの居心地は?」
「まあ……悪くはねえんだよなあ、これが」
アジャスはそういったあと、
「……困ったことに」
とつけ加える。
「待遇がいいんなら、喜びこそすれ、別に困ることはないだろう」
「いやいや。
表面的な待遇とかそういうのはともかく……ときおり、あれだ」
アジャスは思案顔で頭を掻きながら、そう続けた。
「……ついていけないところもあるんだ。
いろいろと……」
アジャスをはじめとするガグラダ族に与えられている仕事は、「部族民への営業活動」だった。
いわゆる、ご用聞きである。
別に聞き込みにくるまでもなく、洞窟衆に用があるものは新領地の砦に近づいて、いきあった王国軍兵士に取り次ぎを頼めばすぐに洞窟衆と繋ぎがとれる状態だった。
新領地にいる王国軍兵士の半数以上が洞窟衆なのであり、洞窟衆の誰かに要件を伝えさえすれば通信術式を使ってその場で取引その他の用件を準備しはじめてしまうという手回しのよさ。
不要品の売却や食料などの買いつけに関しては、こちらから売り込むまでもなく、洞窟衆の反応のよさは口コミでかなり広く伝わっていた。
では、なぜアジャスたちガグラダ族が出張って部族民たちに接しているかというと……。
「で、だ。
ここからが本題なんだが、さっきも誰かがいった通り、洞窟衆は専門的な知識や技能を持つ職人を広く募っている」
アジャスは滔々と説明しはじめた。
「居留地の建前も控えているし、鍛冶や大工も普通に募っているわけだが……それ以外に、皮革加工の職人や導火線の作り方を知っているやつを厚遇するとのことだ」
「革製品の職人はともかく……導火線、なのか?」
「火薬とかではなく?」
集まった部族民たちはそういいあって、顔を見合わせた。
「火薬についてはなあ。
どうした加減か、洞窟衆の頭が作るのに必要な材料を知っていた。
だから、そっちの職人は、今、必要としていていない」
アジャスがそういうと、その場に居た者たちの間にどよめきが起こる。
アジャスは慌てて、
「あー……洞窟衆の頭は、異邦人なんだ。
そのせいか、妙なことを知っていることがある」
と、つけ加えた。
「というわけで、今、必要なのは、導火線を作ることができるやつなんだが……誰か、心当たりはねえか?」
「それで、オルダルト」
安下宿の食堂で、同じ受験生仲間たちがオルダルト・クオロルデルを待ちかまえていた。
「王宮が、いったいお前さんになんの用だったんだ?」
資金に乏しく、食事と寝台つきで長期滞在できる安価な下宿屋。
そんな下宿屋を求める層というのは、意外と限られている。
官吏試験の前後に受験生を泊めるような下宿屋だったから、長居するのはオルダルトと同じような境遇の者たちがほとんどであった。
オルダルトのように官吏試験に合格した者もいれば、落ちた者もいる。落ちた者も、特に悲観した様子がない。何年も、場合によっては何十年も研鑽してはじめて合格するような難関なのだ。中高年、あるいは老年に入ってからはじめて合格する者も少なくはない。また、仮に合格したとしても、実際にはすぐに役職に就けるわけでもない。役職に就けなかったとしても、官吏試験に合格したという実績さえあれば、食うに困ることはないのだが……。
そんなわけで、このとき、食堂に集まってきた者たちもオルダルトと同年輩かそれ以上の年齢の者たちがほとんどであった。
「洞窟衆って知っているか?」
オルダルトはそう答えた。
「そいつと王国とを繋ぐ窓口をやってくれと、そう仰せつかった」
「……洞窟衆、か……」
「あの、新興勢力の……」
「そいつはまた……微妙だなあ」
下宿人たちは口々にそんなことをいい合いながら、顔を見合わせる。
洞窟衆の噂は、王都にも届いていた。
なんといっても、国境紛争での活躍がめざましい。
それ以外にも、商機に目敏い者たちの間では、ハザマ商会の躍進ぶりが注目されていた。
「確かに勢いはあるが……」
「それだけに、いつ躓くかわからない、危うさもあるな」
洞窟衆が「微妙だ」といわれるのは、その部分が大きい。
なんといっても、かなり短期間で名を知られるようになった集団だった。
内実がほとんど知られていないし、これほど短期間で躍進を果たした裏には、なにか後ろ暗いところがあるのではないのか、という疑惑の声も大きかった。
その洞窟衆の担当になるということは……将来的なことを考えると、かなりの博打なのではないだろうか?
「それで、オルダルト。
そのお役目、受けるつもりなのか?」
下宿人の一人が、そう確認してきた。
「受けるつもりだ」
オルダルトは静かに答えた。
「このままハダムに帰っても、私塾の講師になるかどこかで代官の勤め先を探すしかないからな。
今以上に零落することもなかろうし、官吏としての出発点がその海のものとも山のものともつかない洞窟衆とやらというのも面白い。
どこぞの執務室で書類の山に埋もれているよりは、やり甲斐がありそうだ」
オルダルト・クオロルデルは沿海州の港町、ハダムの出身であった。
港町として栄えているハダムは、多種多様な人種が蝟集する場所でもある。
そんな場所で生まれ育ったオルダルトは、「どんなものなのかよくわからない」洞窟衆という新奇な集団に興味を引かれもしていた。
上にしてみれば、オルダルトなぞ、「いつ切り捨てても惜しくはない捨て石」くらいの扱いなのだろうが。
「ま、オルダルトが納得しているんならいいけどよ」
「そうさ!
新たな官吏の誕生を祝おう!」
「おれも、次の試験こそは合格してみせるぞ!」
下宿屋の食堂内が、賑やかさを増していく。
「……ああ、それからな」
オルダルトは、そんな連中を手で制してから、大きな声を出して告げた。
「今度のお役目にはな、何名かの随員を雇うことが許されている。
この随員は、特に官吏試験の合格者でなくてもいいそうだ。
希望者が居るようなら、早めに申し出てくれ……」
実際、仕事量的なことを考えても、どう考えても自分ひとりだけでは回しきれない。
本来、このような役職を与えられる際には、それなりの人員もあわせて上から用意されるはずなのだが……。
その随員でさえも、「自分で調達しろ」といわれている。
まあ、冷遇されてはいるのだろうな、と、オルダルトは思う。
専任の役職を用意しなければならないが、本気で取り組む姿勢を見せていないというあたり、オルダルトは、王国上層部の洞窟衆に対する評価というものを垣間見たような気分になった。
その分、その責任者にあたるオルダルトが使える資金も豪勢なものではあったのだが……。
下宿屋でしばらく過ごしたあと、オルダルトは魔法省へとむかう。
王都のはずれにある下宿屋から魔法省まではかなり距離があったが、徒歩での移動であった。
魔法省の門前で王宮で発布された紹介状を見せて、用件を告げると、中の一室に案内された。
「これはこれは、オルダルト様」
魔法省の役人は、愛想良くオルダルトを出迎えた。
「ご用件のほどは、王宮より伺っております。
お役目のため、しばらく随行できる転移魔法の使い手が欲しいとか」
「しばらく、この王都とその出先とを往復することになるのでな」
その役人の言葉に、オルダルトは頷く。
「転移魔法が使える者は稀少だとは聞いているが、これもお役目のため。
なんとか都合していただければありがたい」
「無論ですとも。
さしあたって、以下の者たちをご用意しておきました」
その役人が背後に控えていた小者へ合図をすると、その小者が扉を開けて数名の魔法使いを招き入れる。
「……これは……」
オルダルトは、そう声に出してしまった。
顔中に包帯を巻いた者。オルダルトの祖父であってもおかしくはない年頃の老人。それに、オルダルトと同年輩の女性。
……どうも、この魔法省ではないがしろにされている者たちを急いでかき集めて来た、という感がある。
ここまで露骨に疎まれていると、いっそ清々しいな、と、オルダルトは思った。
「今回の任務は、かなり変則的なものになると思われます。
報酬は保証しますが、その分、激務になる可能性が高いし、場合によっては危ない橋を渡ることもありえる。
体力に自信がない方は、ご遠慮いただきましょう」
オルダルトは、魔法使いたちにそういった。
「以上のことを承知した上で、なおもお役目にご助力頂けるようでしたら……正式に契約をいたしましょう」




