三人の貴族たち
「それよりも、読み書きの勉強に戻りましょう」
ルアは話題を本題に引き戻した。
「成果を出せないと、今度はわたしが怒られます」
試作組の連中が、
「だよねー」
「やばぁー」
とかいいあっているが、ハザマはそれを無視した。
「最初ですから、まずハザマさんがどこまでおぼえているのか試させてください」
ルアはそういって、ハザマに大陸標準語とやらを一通り紙に書かせた。
いわゆる表音文字というやつで、母音と子音、あわせて六十七種の文字をハザマは難なく書いていく。アルファベットよりも文字の種類が多いのは、子音がそれだけ細分化された音素として認識されているからだった。
続いて、ルアは書き出した文字を一つ一つハザマに発音させ、間違えがあればその都度訂正していく。
大概の文字は発声できたが、ハザマが知る言語では認識しないような舌打ちのような音も音素のひとつと数えたりして、なかなか思うように発音できない文字もある。ハザマが知る日本語や英語ではあり得ない発声が若干含まれており、そういうところでは当然ハザマは苦戦した。
そうした怪しい発音に対しては、ルアは根気よく繰り返させ、ハザマがなんとかコツを飲み込むようになるまで繰り返させた。
ルアの教え方というのは、一言でいいあらわせば、
「できないことは、できるようになるまでやらせる」
ということである。
愚直ではあるが、その分、学習法としては堅実であった。
なんとかハザマが一通りの発声をおぼえたことを確認したところで、ルアは、
「今日はここまでにしておきましょうか」
といい、そのあと、
「明日は今日の分の復習から開始します」
と続けた。
実直にして堅実。
教師としてのルアは、それなりに有能そうだった。
翌朝、ハザマは例によって何百枚という書類に署名をせよとタマルに指示をされた。
これまでの雇用契約の他に、部族民関係の契約が増えてきていると説明されたのだが、いずれにしろハザマ自身が内容を直接確認できるわけでもなく、完全にめくら判ならぬめくら署名だった。
「……これ、ずっと続くのか?」
忙しなく手を動かしながら、ハザマはぼやいた。
「判子とかで代用できんのかな……」
契約魔法とかいうものがあるこの世界なら、しかるべき魔法をかけた判子でハザマ自身が署名したのと同じ効果が得られるものとか、製造できそうな気もする。
もしそれが製造可能であったら、こんな面倒な仕事はリンザなりクリフなりに丸投げするつもりだった。
「直属の試作班にでも相談してください」
タマルはにべもなくそういって、どさりと机の上にまた契約書の束を追加する。
「……そうする」
いずれ試作班に造らせるにせよ、とりあえずは、目の前の書類を片づけられるのはハザマしかいないのだった。
げんなりとした気分になりながら、ハザマはせっせとペンを動かした。
しばらくすると、昨日も顔を見せたダブスエル・メスリラギ子爵が何人かの貴族を引き連れてハザマへの面会を求めてきた。以前と同じく、アポなしで来訪であった。
「今は執務中で手が放せない」
と面会を断ってみたが、
「それでもいいから、とにかくハザマに会わせろ」
と強硬に主張してきたというから、そのまま通すことにした。
……この人たち、おれが外出していたら帰ってくるまで待ち続けるんだろうか?
と、ハザマは疑問に思った。
一応、挨拶をしてから、ハザマは再び書類の束にむかう。
現在、ハザマが執務中であるということは事前に断っているので、これは別に失礼にはあたらないだろう。
その手の作法に詳しいカレニライナにも、事前に確認してみたが、
「むこうが面会をごり押ししてきたのだから、いいんじゃない?」
ということだった。
ハザマがそれなりに多忙であることは確かであるし、そのことを実地に見せておく方が今後のためになるといういうとだった。
「それで、今度はどんなご用件で?」
そんなわけで、ハザマは書類から顔もあげずにそう訊ねてみた。
「昨日の件の続きになります」
ダブスエル子爵は淡々と切り出してきた。
「ハザマ殿に爵位と領地を下賜するという件について、今一度、確認しに参りました」
「その件については、お断りしたはずですが」
やはり、顔もあげずにハザマは答える。
「昨日も申しあげたとおり、できれば、報奨金に換算していただきたいというのがこちらの希望です」
「そう結論を急がなくても」
ダブスエル子爵ではない声が、ハザマの耳に入る。
先ほど、「国土省のブザラスニエ伯爵」とか名乗っていた、太った中年男だった。
「王国としては、是非ともあの新領地をハザマ殿に治めていただきたいのです」
ハザマは、顔をあげ、
「……おれでなくてはならない、その理由というのは?」
と、問うてみた。
「ハザマ殿……というよりは、洞窟衆の領土であることが肝心ですな」
ブザラスニエ伯爵はそういって片目を閉じてみせた。
肥えたおっさんがウインクなんかしてもハザマはなんの感銘も受けなかったわけだが。
「現在、洞窟衆は、中央員によって部族連合の一員として認定されております。
その洞窟衆をそのまま自由に国内で行き来させていたら、王国の沽券に関わります」
「それと、安全保障の面でも問題になりますな」
そう口を挟んできたのは、「国務省のスラスティス伯爵」と名乗った初老の男だった。
「部族連合に属する者たちが多数、国内を平然と跋扈するのは」
「……ですが、洞窟衆の者たちはほとんどこの王国に生をうけた王国民です」
ハザマはそういって、スラスティス伯爵とまともに目を合わせる。
ハザマがいった通り、洞窟衆の人間はほとんど王国民で占められている。
将来的にはともかく、現在のところは。
「それを取り締まる法が、この国にはあるのですか?
それに、われわれが必要以上に部族連合に肩入れする理由もないと思いますが……」
「確かに、現在の王国の法では、洞窟衆の活動を取り締まるべき根拠を持ち得ませんな」
スラスティス伯爵はあっさりと認めた。
「それに、洞窟衆が部族連合に肩入れする理由にも、特に思い当たりません。
しかしですな。
疑惑というものは、明文化された法とはまた別の問題でして……」
「……ふぅん……」
ハザマは、わざとらしく鼻を鳴らした。
「つまり、この王国は、法に規定されていないのにも関わらず、心証とか疑惑とかいう曖昧な理由で領民を虐げる場所であるわけですか……」
「いやはや、これは」
スラスティス伯爵は大仰な動作で首を振った。
「誤解をしてもらっては困ります。
別にわれら、王国行政府がそのような意図を持っているということではありません。
むしろその逆でして、そのような嫌疑がかけられている洞窟衆をそのまま放置しておいては、無用な摩擦や衝突を招きやすい。
そのことを回避するためにも、ハザマ殿に領地と爵位を受領していただきたいということなのです」
ハザマは、数秒、黙り込んだ。
それから、
「先ほどから、どうも、曖昧なものいいが多いので今ひとつ、おっしゃっている内容を理解しかねています」
と、はっきり告げる。
「具体的に、洞窟衆にそのような嫌疑をかけ、これから敵対するような動きを見せているのは……王国の中枢ではないとおっしゃるのなら、それは一体、どなたなのですか?」
ダブスエル子爵、ブザラスニエ伯爵、それに、スラスティス伯爵の三人はしばらく同行者同士で目配せをしあい、そのあとに、ダブスエル子爵が小さく咳払いをした。
「いうまでもなく、貴族や大商人たちです」
ダブスエル子爵はゆっくりとそう告げた。
「最近の洞窟衆は興隆めざましく……いささか、その勢いが強すぎます。
その洞窟衆に既得権益が害されることを恐れる勢力は、この王国内にも多いのですよ」
「そして、王国行政府は、国内でそのような混乱が起こることを望んでいませんものでして」
国土省のブザラスニエ伯爵は説明を引き継いだ。
「できれば、穏便に、このままなにも起こらないようにしておきたいのです」
「ですが……」
ハザマは、不機嫌そうな顔を隠さずにそう答えた。
「……物理的なものであれ、商売的な意味でであれ、なんらかの攻撃を受けたらおれたちは自衛のため、それなりの対応策を講じると思います」
「そうでしょうな」
スラスティス子爵はもっともらしい顔をして頷いた。
「また、王国側にしても、そのことを禁止する権利はありません。
ですが……そのような衝突を事前に回避する方法が、たったひとつですが、存在します」
「……その方法とは?」
ハザマは、短く訊ねた。
「ハザマ殿が爵位と領地を拝領して、われら王国側の一員であると周知することです」
そのあと、来客たちとハザマとは長い時間をかけて、少々込み入ったはなしをしはじめた。
「……ということを考えています」
一通りの説明をしたあと、ハザマはそういった。
「……どうです?
おそらく、これまでの王国の慣例からはかなり外れることになると思いますが……。
そんなことをしでかす領主を、この王国は欲っしますか?」
という意地の悪い質問で、締めくくる。
「いくつか、質問があるのだが……」
スラスティス子爵が片手をあげた。
「……ほとんど税を納めないとなると……領主として領民へ行わなければならない義務はどのようにして果たすおつもりであるのか?」
「その義務というものが、具体的にどのようなものであるのか、余所者であるおれは詳しく知りませんが……」
ハザマは、そのように答えた。
「……そうした領主としての義務は、税を納めて貰った見返りとして……ではなく、必要に応じて対価をいただき、その上で行う業務として行使するつもりです。
たとえば……そうですね。
治安の維持や災害に対する備えは、領地内に長期滞在する領民から徴収した保険金で賄います」
「……保険金……」
ダブスエル子爵は、呆然と呟く。
「それは、税とは違うのかね?」
「違いますね」
金融は発達していても、この世界には保険に該当する概念がないのかな? とか疑問に思いながら、ハザマは保険制度について説明をはじめる。
「……というわけで、この保険制度というのは各種のリスクヘッジを目的とした一種の賭けであるわけです。
こうして徴収した費用で必要な資材を買い、人を雇います。
しかし、こうして集められた人々は役人ではありません。
あくまで、住民から集められた資金で雇われただけの者、という扱いになります。提供されるサービスに住民が満足しない場合には、解雇されることもあり得ます。
天災や治安維持についての基本的な保険以外にも、別口で健康保険制度も用意するつもりですが、これもあくまで任意であり、強制ではありません……」
「ちょっと待ちたまえ!」
などと説明を続けようとするハザマを、ブザラスニエ伯爵は強制的に制止した。
「つまり、それは……。
これまで、役人が行ってきた業務をばら売りにして、民間の下請けに出すと……そういうことになるのかね?」
「そうですよ」
ハザマは、あっさりと頷く。
「おれが領地をいただいたら、そのようにするつもりです。
いろいろな要件から考えても、その新領地周辺には王国民や部族民だけではなく、その他にも多種多様な人々が集まって来るものと予測できます。
人の出入りも激しくなるでしょうし、そのくらいドライに割り切った方がかえってうまくいきそうに思いますが……。
実際には、国境をお預かりするわけですから、王国の役人様も多数、滞在することになるでしょう。
しかし、領地内の仕事に関しては、できるだけ役人を減らし、その分、住民の負担を減らす方向でやっていこうと思います」
ハザマの説明はそれからしばらく続いた。
王都からの客人たちは、ハザマの構想を一通り聞きたあと、驚いたり呆れたりしながらもそれぞれの方法で消化した様子だった。
その三人の貴族たちからの質問が途絶えたのを期に、ハザマは、
「……とまあ、こんな前例のないことを考えているわけですが……そんな男に、領地だの爵位だのを与えちゃってもいいんですかね?」
と問いかけてみた。
三人の貴族たちは、毒気を抜かれた顔をして洞窟衆の天幕をあとにした。




