不穏の萌芽
その後、ハザマはリンザに引っ張られてある小屋に入った。
「仮にもここの頭領ということになるんですから、身なりもそれなりに整えてくださいませんと……」
一体なにをするのかと思っていたら、リンザはそんなことをいいながらハザマに古着を何着か渡し、着替えたら着替えたで、その服に印をつけたり袖に針を通して固定したりしている。
裁縫道具が入手できたので、服のサイズを直してくれるという。
「ここの第一人者がしょぼくれた格好をしていたら、みんながどんよりした気分になります」
ハザマとしては、自分の服よりも女たちの服を先になんとかして貰いたかったのだが、リンザは強硬に反対した。
「ハザマさんも好きで頭領をやっているわけでもないんでしょうが、わたしたちだって好きで今の境遇にあるわけではありません。
これも役割だと思って、もっとパリッとした格好をしてください」
その後、ハザマはリンザの手によって延び放題だった髪の毛を短く切られた。
ようやくリンザから解放されると、こんどはファンタルに声をかけられる。
洞窟周辺、とはいっても、すぐそばに森があるわけで、気軽に人が行き来できる空間は限られている。狭い分、知り合いを探すのに手間がかからないのだった。
「お前もいっしょにやっておけ」
といわれて連れて行かれたのは、ファンタルと元傭兵たちとが、女たちに、戦い方、生き残り方を教えている現場だった。
女たちは十五、六人ほどいて、目つきがどうにも殺気立っている。
これまでに経験した出来事を、自分の中でまだ消化できていないのだろうな、と、ハザマは思った。こればかりは、ハザマにもどうしようもない。
そうした女たちに対して、元傭兵の三人の男たちは、弓や刀剣の扱い方を教えている。
まずは見本を見せてみて、やらせてみて、一人一人のフォームを修正する……という手順のようだ。
飲み込みの早さに関してかなり個人差がありそうだが、女たちの熱意は相当なものだった。
「それで、ハザマよ」
ファンタルが、にこやかに笑う。
「おぬしの剣のふるいようは、どうにも様になっておらなんだ」
「まあ、ずぶの素人もいいところだからな」
ハザマも、うなずく。
ここに来る以前のハザマといえば、せいぜい中学の授業の時、数時間竹刀を振り回した程度の経験しかない。
「自覚があるのならば、話がはやい」
ファンタルは、錆びた直剣をハザマに持たせた。
「一から鍛え直してやるから、そのつもりでいろ」
その日一日、ファンタルはハザマにつきっきりで剣の使い方を一から叩き込んだ。
素振りからはじめて模擬戦、走り込みなど、休憩もろくに与えられずに、徹底的にいじめられる。
すぐそばにいた元傭兵たちが、
「ファンタルの新兵いじめだ!」
とかいってはやし立てていた。
同じように訓練を受けていた女たちも、ハザマの様子をみて、心なしか顔色を無くしていた。
ハザマは何度も失神し、そのたびに水をぶっかけられて目をさます。
「思っていた以上に、頑丈にできているものだな」
息を吹き返すたびに、ファンタルはハザマのことをそう評した。
「起きあがれるということは、まだ動けるということだ。
続き、いくぞ」
非情にもそういいきって、さらにハザマを追い込んだ。
この時のハザマは、実のところ余分な思考ができるほどに精神的な余裕があるわけではなかったのだが、反抗する気も起きなかった。
意識の奥底では、そうして体を鍛えて体力の底上げをしておくことが、いざというときの生存率をあげるということに納得していたからだ。
完全に日が落ちて、ハザマはようやく解放される。
「喰え」
地面の上にのびていたハザマの上体を起こして、ファンタルがぬるい粥の入った椀を差し出される。
ハザマは、夢中になってそれを飲み干した後、すぐに意識を失った。
セイムが出産した双子は、異様だった。
まず、体毛が薄い。そして、鼻面が異様に短い。
ヒトとエルフとでは、同じ混血児でここまで違うものか、と、その姿を見た誰もが感嘆した。
ここにいる誰もが、エルフと犬頭人との混血児を目の当たりにしたことがなかったのだ。
エルフの出生率の低さをを考えると、混血児の存在そのものが奇跡だともいえる。
そして、極めつけに……その双子は、生まれた時点から母であるセイムのいうことを理解し、その言葉に従っていたのだ。
今、この双子は、並んで母であるセイムの乳房を無心に吸っている。
リンザが焚き火のそばに針仕事に勤しんでいると、ファンタルがなにかボロボロになった物体を肩に担いでやってきた。
肩に担いでいる物体を、ファンタルは無造作に地面に転がす。
よくよくみるとその物体は、意識を失ったハザマそのものだった。
「よく、揉んでおけ」
ファンタルは、リンザに向かってそういった。
「やり方を知らなければ、これから教える。
今のうちによくほぐしておかないと……明日は、地獄だろうな」
そんなことをいいながら、ファンタルは地面にのびているハザマの右腕のつけ根を揉みはじめる。
「こう……ですか?」
リンザも、見よう見まねでハザマの左腕を揉みはじめた。
「そうだ。
はじめてにしては、うまいぞ」
「……気を失っていますね、この人」
「なに。
疲れて寝ているだけだ。しばらく放っておけば目をさます」
「こんなになるまで……なにをやらせたんですか?」
「生き残るための術を叩き込んでいた。
いささか性急ではあったが、想像以上に飲み込みがはやいな、こいつは。
それに……ヒト族にしては、どうにも頑丈にできすぎている気がする……」
「は……はぁ」
「通常のヒト族であれば、ほんの一刻ももんでやればこうなるのだが……。
こやつは、なんと、どうにか一日耐えきってみせた。
通常なら十日にわけて教えるのがせいぜいのところを、圧縮して一日ですませた勘定になるな」
「……それって……」
「さて。
遠国から流されてきたことに関連するのか、それとも別の原因があるのか……。
そのへんははっきりせぬが、こやつがきわめて死ににくい体をしている、ということは確かであろう。
その割に、戦い方の初歩もよく知らなかったわけだが……。
後で巫女殿にでも、確かめておくかな」
ファンタルが去った後も、リンザは長い間、ハザマの体中を揉み続けた。
途中からは、畑仕事を終えてやってきたハイハズも手伝ってくれた。
「……うおぅ!」
翌朝、ハザマは全身が悲鳴をあげているのを感じて目をさました。
顔をあげるのも億劫になるほど、深刻な筋肉痛だった。
「……ててててて……。
体が、動かねー……。
動きたくねー」
地面に転がったまま、小さな悲鳴をあげる。
野外だった。
視線を逸らせば、焚き火の燃えかすが残っている。
誰かがここまで運んでくれたらしい。
「なんだ、情けない」
上の方から、声がした。
そしらに目線を移しかけて、そして慌てて目をそらす。
ノーパン裸ワイシャツ姿のエルシムを下から見上げる格好となったから、見てはいけないものが見えたような気がした。
「……せめて、パンツくらい履け……」
「……なるほど。
ファンタルがいった通り、位階があがっておるの。
あのトカゲもどきの影響か、それとも別の原因があるのか……」
そんなことをいいながら、エルシムはその場に腰を降ろしてあぐらをかいた。
無造作に座り込むものだから裾が大きくはだけたが、エルシムは気にする様子はない。
……やはり、こちらの住人の裸体に関する感覚は、かなり違っているらしい……。
「お前様よ。
昨日は話した遠方のざわめきについてだが、少し詳細がわかったぞ」
ハザマが不純なことを考えているとも知らず、エルシムは言葉を継ぐ。
「やはりな、北の方からこちらへ、不穏な気配が多数、近づいている。
おそらく、餌を求めて移動する獣のたぐいであろうが、数がかなり多い」
「それって……あの猪頭人よりもレベルが高いのか?」
「レベル?
ああ、位階のことか。
ここからでは遠すぎるので、確かなことはいえぬが……。
逆にいえば、これだけ離れていてもその存在を関知できる相手ではある」
「……そっか。
数がいるってこったし……バジルの餌にはちょうどよいかな?」
「十分な準備を整えてから出立しろ。
かなり遠いし……それに、このまま放置すれば、村のいくつかがその気配に飲み込まれる」
「……マジかよ!」
「この場で嘘を吐いてなんになる。
やつらの進路上に、いくつかの開拓村が存在する。
はやめにどうにかしないと、ここの娘たちを送り返す先がなくなるぞ」
「こうしちゃ……ててててっ!」
「……お前様よ。
どうしたのだ?」
「どうしたもなにも……筋肉痛だよっ!
昨日、ファンタルさんにこってり絞られて……」
「ああ、そんなこともいっておったかの。
しかしわからないのは、お前様がその苦痛をどうしてそのまま甘受しているのかということでな。
あのトカゲもどきにでも頼めば、苦痛だけでも感じないようにできるのではないか?」
「あっ」
心の中でバジルに頼み込んでようやく筋肉痛から解放されたハザマは、周辺を歩いて片っ端から声をかけ、遠征の準備を開始した。
ハザマが状況を説明すると、タマルは、
「それでは、その進路上の村への訪問と迎撃戦とを平行してやってしまいましょう」
と提案してくる。
「同じ方角なら、一緒にやってしまった方が手間が省けます。
人員も物資も、それだけ揃えて送り出せる。
それに、うまく交渉していけば、村の人たちからも力を貸してもらえるかも知れません」
最初の村との交渉は、ファンタル率いる一団が先行して傭兵団へ赴いていたため、犬頭人の数も制限されていた。
今回は、洞窟周辺を警護するための最小限の護衛を残しておけば、残りすべてを遠征に回せる。
「反対するわけではないが……タイムスケジュール的には、どうなんだろうか?」
ハザマは、首をひねった。
正直なところ、北からこちらにむかってくるとかいう集団と、その向かう先にあるとかいう村の位置関係や距離感が、まるで把握できていない。
「そうですね。
そのあたりも一度、確認してきます」
そういってタマルは、すぐに駆けだしていく。
ハザマもゆっくりしてはいられない。
元傭兵たちのところにいって、事情を説明して、
「今すぐ、一つでも多くの武器を整備してくれ。
手の空いている連中に手伝わせても構わない」
と、告げる。
「戦か!
戦なのかっ!」
「くっそうっ!
なんだってこんなときにおれは、戦えない体になっているんだっ!」
「そんなこといってる場合か!
犬頭でも女たちにでも声をかけて手伝わせろ!
出発までに一本でも多くの剣をとぎ、矢を作るぞ!」
すぐに大声で騒ぎはじめたので、なにもしないでも人が集まってきた。
片足を失った元傭兵は、大きくて平たい石を犬頭人に持ってこさせ、炭を集めて火をおこし、屑鉄を集めさせて、その場で鏃を作りはじめた。
別の元傭兵は、切れ味が鈍った剣を砥ぎはじめる。
にわかに、洞窟周辺が騒がしくなりはじめた。
ハザマは、エルシムの小屋へ向かう。
「とりあえず、今朝のうちに斥候として三組ほどの犬頭人を出したところだ」
エルシムが説明しはじめた。
気配を探るだけでは明瞭なことがわからないので、誰かがその目で事実関係を確認する必要があるという。
「二組は、進路上に位置する村の周辺に張りつけて、異変があったらこちらに伝令を走らせる。
もう一組は、直接南下してくる不穏な気配の所にむかわせている。相手の正体がわかりしだい、引き返してくるように命じてある。
しばらく様子を見て、数日中に戻ってくるだろう」
「数日中、か。
間に合うのか? その、進路上にある村とか」
「今のところ、気配はそこまで近づいていないから……おそらく、大丈夫だとは思うが……」
「連絡に時差があるっていうのが、面倒だなあ」
ハザマは、ため息をついた。
「遠くにいる人と通信する魔法とか、ないの?」
「通信する魔法……か。
今からでも使い魔を調達するか?」
「使い魔、ねえ。
それって、すぐに情報が伝わるの?」
「猛禽類の使い魔をうまく調達できれば、犬頭人の足よりははやいはずだ」
「いや、足とかいう前に、さ。
時差なしで、遠くにいる人と話す魔法とか、ないの?」
「時差なし……というと……今、こうして話しているのと同じように、遠方にいる者と、ということか?
そんな魔法のことは、聞いたことがない」
エルシムはむっとした表情で口を結んだ。
「……駄目かあ。
そういうのがあれば、便利なんだが……」
ハザマも、うなだれた。
「そういうものの実例を、知っているような口振りだな」
「ああ。
魔法とは、またちょっと違うんだが……。
ええっと……ほい。これ」
ハザマは、肩に下げた麻袋の中からバッテリーが切れて無用の長物と化しているスマホを取り出す。
「今は使えないようになっているけど、こいつが二つあれば、離れた場所でもこれを通じて話し合うことが可能になるんだ」




