王都からの使者
その日の朝、バグラニウス公子をはじめとるする使節団は王都からの客人を迎え入れた。
人数は十名余りと少数ではあった。
ベレンティア領経営補助、居留地建造の監督役、そして、洞窟衆との交渉役と、与えられた役割こそ異なっているものの、いずれもこれまでに相応の実績をあげてきた、王国国務を第一線で支えてる能吏たちであった。
「……下賜される領地や爵位を拒否する、と?」
その中のひとり、ダブスエル・メスリラギ子爵が気の抜けた声を出す。
「洞窟衆の連中は、本当にそのような主張をしているのですか?」
そういって、呆然と唖然を足して二分したような、濃いため息をついた。
「そんなものを貰って邪魔になるだけ、だそうです」
バグラニウス公子は真面目な顔をしてそう呟いた。
「少なくとも、噂ではそういうことになっています」
野営地中の者がそういっていますよ、と続けて肩をすくめた。
バグラニウス公子にとって、洞窟衆の処遇は自分の職分外のことであり、完全に他人事であった。
「気にかかるのであれば、直にいって確かめてみるべきですね」
「無論、そうさせていただきます」
ダブスエル子爵は昂然と胸を張ってそういった。
「どのみち、彼らとは直接、会談をする必要があるわけですし。
しかし、下賜される領地を欲しがらない者がいるとは……」
それがなにであれ、「上」から与えられるものを拒否する領民が居るわけがない、というのが、ダブスエル子爵が持つ「常識」であった。
これまでの、ダブスエル子爵はその「常識」を露ほども疑うことなくその生涯を全うしてきた。
そしてこれから、虚勢であれ、なんらかの駆け引きであれ、その「常識」を覆す存在と正面から渡り合う必要があるわけで……。
「……どうやら、一筋縄ではいかない相手であるようですね」
小さな声で、ダブスエル子爵は呟く。
その日の朝、ハザマは全裸で目をさました。全身、汗まみれであった。
イリーナの姿は見えなかった。
「……いかん」
身を起こす前に、掠れた声で、そういう。
すかっりのどが乾いていた。
「はりきりすぎた」
以前よりもずっと体力が増強されていたので、いったん火がつくと延々とやり続けてしまう。
という事実を、昨夜、ハザマは発見した。
特に相手であるイリーナも際限なく求めて来たので、なおさら止めるべきときを見失ってしまった。
そっちの方面については、ハザマは別にストイックでもなんでもないのだが、
「これは少し自重していかないと、いくらなんでも身が保たないなあ……」
とか、思いはじめている。
なまじ体力があるから、以前よりもずっと長時間に渡ってやり続けることができるということは、裏を返せばそれだけでいくらでも時間を使うことができるということでもあり……。
「……ハーレムなんて作っても、面倒くさいだけだぞ」
と、声に出していう。
人間関係的なことを考えても、複数の女性を囲っても気疲れするだけだと思う。
後宮とか大奥とかは、あれ、後継者を作る必要があったから出てきた発想で……ハザマは自分の子どもを作らなければならない必要性などないのであった。
少なくとも、今の時点では。
「……あとでムムリムさんにでも、この世界の避妊事情について確かめておかなけりゃなあな……」
そんなことをぶつくさと呟きながら、ハザマはのろのろと身を起こす。
ちなみ昨夜は最初のうちこそ外に射精していたのだが、イリーナ自身が求めたこととハザマも面倒くさくなったのとで、すぐにそのままイリーナの中に出すようになっていた。
このままイリーナが懐妊する可能性だって、十分にあるのである。
仮にそうなったとしても、今のハザマは、子どもの一人や二人、養育するのに困るような立場でもないのであるが……。
事前にその覚悟ができているのといないのとでは、やはり気の持ちようが違ってくる。そんな気がする。
「王都からの使者の方がいらしています」
身支度を整えて会議室に行こうとすると、その途中でどこからともなく現れたリンザが声をかけてきた。
「もう少し遅れたら、起こしに行くところだったのですが……」
「王都からの、ねえ」
ハザマは、口をへの字型に曲げた。
「例の、内示の件かな?」
「それ以外には、思い当たるものがありませんね」
リンザも、ハザマの言葉に頷く。
「あまりお待たせするのもなんですし、すぐにお会いになるのがよろしいかと」
「昨日、内示を貰った件についてですが……」
挨拶もそこそこに、ハザマははっきりといった。
「……謹んで、お断りさせていただきます」
「……よろしければ……」
このたび、洞窟衆との窓口役を務めることになった、とかいうダブスエル・メスリラギ子爵という役人は、息を呑んでからそう返してくる。
「……拒絶する理由をお聞かせ願いたい」
まあ、そう来るよなあ、と、ハザマは思う。
ダブスエル子爵の役回り的に考えても、そのまま「断られました」で終わらせてしまったら、無能もいいところだ。
「理由は……はっきりいってしまえば、こちらの王国に必要以上に貸しを作りたくはないからです」
ハザマはダブスエル子爵の目をまっすぐに見て、そういいきった。
「おれたち洞窟衆は、外からはどう見えているのかは知りませんが、自分たちを一種の互助団体であると規定しております。
特定の、既存の勢力に大きく依存してしまったら、それだけ活動が制限されます」
『……互助団体、ってなに?』
クリフが、通信術式で誰にともなく疑問をなげかけた。
『聞いたことがないけど……おおかた、あの男の故郷にそんな組織があるんでしょうよ』
クリフの姉であるカレニライナが、すぐに返答する。
「……互助団体……ですか?」
ダブスエル子爵は、なんとも微妙な表情になった。
「失礼ですが、それは、どういった性質を持った団体なのでしょうか?」
「洞窟衆は、もとをただせば犬頭人の被害にあった者たちが、自立と社会復帰を目指して寄り集まってできた団体です」
そこまで、こちらの事情がむこうに伝わっているのかどうか、この時点でのハザマは知らなかった。
「今では、その他にも様々な事情を抱えた者たちが集まって、かなり膨れあがっていますが……。
それでも基本的な理念は、ただひとつ。
弱い立場の者を助け、自力でもやっていけるようになるまで手助けをすることです。
今回、アルマヌニア家の要請に応じてこの戦争に参加したのも、こういういい方もなんですが、王国に貸しを売りつけ、王国での洞窟衆の地位を保証するのが目的でした。
ここでこの王国から領地や爵位を貰ってしまったら、今後のわたしたちの動きも、それだけ制限されることになります。
王国寄りに傾いていくことを、期待されてしまいます」
ここでハザマは、一度言葉を切る。
「……つまり、洞窟衆は……」
ダブスエル子爵は、ゆっくりとはなしだす。
ハザマの言葉を咀嚼し、理解しようと努めているようだった。
「……報償も特に求めていない、ということですか?」
「誤解されたくないのですが、おれたちも聖人君子の集まりというわけではありません」
ハザマはゆっくりと説明をする。
「無欲とはほど遠い境地にありますし、現に商売の方も、かなり手広くやらせて貰っています。
ただ、それと爵位なり領地なりを頂くことは、同一視できません」
「……王国の風下には立ちたくはない、と?」
ダブスエル子爵は軽く顔をしかめた。
「そこまではいいませんが……」
ハザマは、ゆっくりと首を振った。
「……今のところ、おれたちは、誰の臣下にもなりたくはないと思っています。
先日、いきなり連合の部族民に認定されたことがありましたが……あれも事前の連絡もなにもなくいきなりいわれたので、こちらではかなり戸惑っています。
いろいろ聞いてみた結果、洞窟衆の行動を制限する要素は薄そうだということがわかって、一安心をしているところなのですが……。
爵位とか領地を貰ってしまったら、今度はそうもいきませんでしょう?」
うむ、と、ダブスエル子爵はうなり声をあげた。
『……ものはいいようだねー……』
見学していたトエスが感想を述べる。
『あれで、屁理屈は達者な人ですから』
これは、リンザのいい分であった。
こいつら、と、ハザマは思う。
筒抜けになっていることをわかった上で、好き勝手にいいやがって。
「……領地か爵位、どちらかでも頂いて貰えませんかね?」
少し考えこんでから、ダブスエル子爵はハザマに訊ねてきた。
どうやら、妥協点を探りに来る腹のようだ。
「一番、ありがたいのは、その二つを金銭に換算して報奨金として頂くことなのですが」
ハザマは、そう答えておく。
「なにせ、現金にはなんの意味も色もつきませんからね」
「それは……不可能だというわけではありませんが……」
ダブスエル子爵は、思案顔で応じた。
「いや、前例がないので、持ち帰って検討してみなければ、確かなことはなにひとつ明言できませんが……」
「では、そうしてください」
ハザマは、したり顔で頷いた。
「おれたちは、領地や爵位を求めておりません。
ただ、王国との関係を壊すことも望んでいませんから、協議の末、なんらかの妥協点は見いだせるものと思います」
「妥協点、ですか。
うむ」
ダブスエル子爵は、さにかを探るような目つきでハザマの目を覗きこんだ。
「そういえば、洞窟衆はいくつかの村へ入植中であるとか。
その土地を飛び地扱いにして自領に組み込むというのは……」
「ああ」
ハザマは平然とした顔をしてそう返す。
「あれらについては、すでにアルマヌニア領内の開拓村として認定されております」
「……アルマヌニア領の」
ダブスエル子爵の眉が、ぴくんと跳ねあがった。
「それは、決定事項なのですか?」
「その方が混乱が少なくてすみますしね」
ハザマは、なんでもないことのように頷いた。
「なんなら、アルマヌニア公の印が入った認定書もお見せしましょうか?」
ハヌンが何度もアルマヌニア家の官吏とやりとりをして認めさせた成果である。
結果論ではあるが、これにより、ハザマたち洞窟衆には、領土を欲する野心はないと証明することにも役立った。
「……あなた方は……本当に、領地を欲していないのですか?」
うめくように、ダブスエル子爵は疑問の声をあげる。
この人の価値観では、想像もできないことなのかも知れないな、と、ハザマは思う。
子爵、というくらいだから、貴族社会のヒエラルキーという物差しでしか物事を計れず、その外にあることには理解が及ばないタイプなのかも知れない。
「残念ながら、他にやりたいことが多いものでして」
ハザマはそう答えておく。
「仮にわれわれが領地なり爵位なりを受けたとしたら……かなり型破りなことをしでかしてしまいそうで、畏れ多いということもあります」
そのあともしばらくやりとりをしたが、その場では特に進展もなく、結局、ダブスエル子爵は、
「……王都に持ち帰って再検討してみます」
といい残して、洞窟衆の天幕を辞した。
「……ふぅ」
客人を見送ったあと、ハザマはふといい息をついた肩を回した。
「ああいう偉そうな人の相手をすると、微妙に気疲れするな」
「……全然、そんな風には見えなかったんだけど……」
カレニライナが、半眼でハザマを睨む。
「でも、王都のお役人を前にして一歩も引かなかったのは、凄いと思います」
いれ直した香草茶をハザマの前に置いて、クリフがいった。
「ま、初回だし、あんなもんだろう」
香草茶のカップを手にして、ハザマはいう。
「まずは、こちらの意向をしっかりと伝えたから……あとは、むこうがどう出てくるか」
「それはそれとして……」
分厚い紙束を抱えたタマルが、ハザマのそばに寄ってきた。
「……決済や判断を必要とする業務も、かなり溜まっています。
お役人との戯れ言はともかくとして、こっちはこっちでしっかりと働いて貰いますよ」
洞窟衆の首領、という役割も、これでなかなか多忙なのであった。
洞窟衆の天幕を出たダブスエル子爵は、その場で随行してきた魔法使いに命じて王都へと引き返した。
今、王都の各省庁は、ハザマをはじめとした今回のいくさでの戦功あげた者に対する報償の準備をすることで大わらわになっている。
場合によっては、ハザマが爵位や領地を辞退する可能性が出てきた……ともなれば、複数の省庁に跨がった問題になるのだった。
それらの部署に連絡をしつつ、ハザマに対して爵位と領地を受けさせるよう、交渉を進めていかなければならない。
まさか、下賜されるものを辞退しようとする者が本当に存在するとは想定していなかったダブスエル子爵は、頭痛に悩まされながら、今後、どう動くべきかを考えはじめた。




