拠点の胎動
その後、紙についてどれくらい量産ができるのかうんぬん、などの具体的な話し合いがエルシムとタマルの間でもたれるのだが、その間ハザマは黙々とパンを食べてやりすごした。
正直、あまり興味を持てない話題だったし、意見を求められることもなかったからだ。
「そうすると……お願いが、あるのですが」
その話題が一段落してから、タマルはハザマに向き直っていった。
「なんだ、いってみろよ」
タマルのお願いとは、商隊を複数個たちあげて運用したいという事であった。
犬頭人を護衛と運送にあて、少数の交渉人にその指揮を取らせる。そんな編成の商隊を複数創設して、運用する……と。
「将来的にはそれもいいかも知れないけど、今の時点では動ける人数がかなり限られているだろう」
「さらにいえば、今いる中で、まともに読み書きができる人間がどれくらいいるか」
ハザマとエルシムは、慎重論を唱えた。
「もちろん、今すぐにとはいいません」
タマルは、食い下がる。
「ですが、一度交渉を持った村へなら、わざわざハザマさんやわたしが再度訪れる必要も少ないかと」
いわれてみれば……一度、交渉に応じた村とのやり取りは、定型的なものになりがちで高度な判断力はあまり要求されない。
「さらにいうと、二度目以降の訪問時は、買い取りよりもこちらの商品を売る方の比重が多くなるものと予想されます」
余剰の食糧もだが、不要品などもそうそう豊富にはないだろう。
「で……売り子の方は、どうにかなるの?」
「これから、育てます」
タマルは大声で保証した。
「先ほども、外に人を出す方法とか考えていたではないですか。
一人前の行商人としてやっていけるように、わたしが育てます!」
「ああ……まあ……。
希望者だけにしておけよ」
熱意に圧されたわけではないが、ハザマとしてはそう答えるしかなかった。
「出産や衰弱から回復して、まともに動けるようになった女たちも増えてきているのだが……」
「なにか問題が?」
結構なことじゃないか、と、ハザマは思う。
「問題というか、な。
当然といえば当然なのだが、犬頭人たちを毛嫌いしておる」
「……酷い目にあわされてきたんだから……順当といえば順当か」
ハザマも渋い顔でうなずく。
「だけど、そんなのおれにはどうしようもできないぞ。
おれは、カウンセラーでもなんでもないんだから」
「それについては、弁えておる。
問題は、だな。
そうした、犬頭人への嫌悪感を露わにしている連中が集まって、ここから離れようとする動きがあるということだ」
「まことに結構なことだ」
ハザマは大きくうなずいた。
「面倒を見なければならない人数が減るのなら、それにこしたことはない」
「お前様よ。
本当にそれでよろしいのか?」
「……なにか、問題が?」
「そやつら、十中八九、無駄死するな。
やつらはこの森を、甘く見過ぎておる」
現状でも、多数の犬頭人たちを駆使して食料の確保や拠点の確保をどうにかできている段階なのだ。
「犬頭人の護衛抜きに森の奥深くに入っていけば、まず間違いなく、死ぬ。
それは、お前様の本意ではあるまい?」
「勝手にしろ……っていいたくなるところだが……。
その手の不満を持っている連中は、集めておいてくれ」
「どうするつもりじゃ?」
「ファンタルさんに丸投げする。
あいつ、エルフだから森の中での生活については詳しいだろうし、戦闘技能についても文句なし、だ。
あいつを教導員にして、森の中に放り出しても生き残れるようなレンジャーに仕立て上げてしまえ。
それが終わった後なら、どっかにいこうがここに残ろうが好きにさせておけ」
「名案……というより、それ以外に手はなさそうだな」
エルシムも納得したようだ。
「急ぎ、そのように手配しよう。
犬頭人に頼らずに生きていくための方法を教えるといえば、やつらも否とはいわんであろう。
それで、お前様よ。
次の村へは、すぐにでも出立するのか?」
「そうしてもいいんだがな……。
おれはともかく、バジルのやつが……」
「あのトカゲもどきが、どうかしたか?」
「微妙に、腹を空かせているらしい。
大物は例の猪頭人を食わせたのが最後で、最近はろくなものを食わせていない。
あれと同等かあれ以上の大物をご所望だとよ。
火急ってわけでもないが、近いうちになんとかしないと機嫌をそこねる。
エルシムさん。
ここから数日でいける範囲内で、それらしいやつの心当たりはないかな?」
「……あれと同等か、それ以上……か。
北側の空気が、少しざわついている気もするが……。
少し心を落ち着かせて、深く探ってみることにしよう」
エルフの巫女であるエルシムは、精神を統一して森の気配を探ることで遠見をする力があった。
ただし、その能力を発揮するためには、かなりの長時間、一人で瞑想する必要がある。
「頼む」
ハザマは、エルシムに頭を下げる。
「おれが今、生きているのもバジルのおかげだしな。
できるだけ、やつの要望には応えておきたい」
「わかっている」
エルシムは、そっと微笑んだ。
「お前様とあれの間には、すでに目に見えぬ絆で結ばれておる。
もはや、一蓮托生。
逃れようとしても逃れられんわ。
お前様よ……」
そのせいで、これからいらぬ苦労を背負うことになるぞ……と、つけ加えた。
「話し合いは終わったか?」
エルシムの小屋を出ると、ファンタルが話しかけてきた。
「ああ、一応な。
ちょっと、ファンタルさんに頼みたいことが……」
「すでに同衾した仲ではないか。遠慮するな。
と、いいたいところだが……その前にちょっと、顔を合わせて貰いたいやつらがいる」
「やつら……複数、か」
「おお、来た来た!」
「こいつだ!
たしかにこいつだった!」
ファンタルに連れられていった先には、手足を失った、三人のむさ苦しい男たちがいた。
どこかでみおぼえが……とか思っていたら、なんのことはない猪頭人にやられて生き残った傭兵連中だった。
「ああ、そうか……あんたら、すぐには元の稼業に戻れないから……」
「そう! そう!」
「あんたには、すっかり世話になっちまったな!」
あの猪頭人に単身で立ち向かおうとしたハザマは、この連中の中ではかなり人気が高い……といった意味のことを、ファンタルが耳打ちする。
「それで、目をさましたはいいが……どうにも暇を持て余していてな!」
「なにか、おれたちにもできるような仕事はないか?」
「まず真っ先にやってもらいたいのは、残された武器の手入れだな」
そういうことなら……と、ハザマはいくつかの仕事を口に出してみる。
「今ここに残っているのは、犬頭人が集めてきた物がほとんどなわけだが……どれも錆びたり切れ味がわるくなったりで、どうにも使い勝手が悪くていけない」
「違いねえ!」
「やつら、手入れをするほどの知恵もないからなっ!」
元傭兵たちが、どっと沸く。
「最低限、使う分に関しては、手があいているやつらが刃を砥いだりさせているんだが……まだまだ、放置したまんまの武器が多い。
まずはそれの手入れをして貰いたいかな」
女たちに持たせるにせよ、犬頭人たちに持たせるにせよ、実質的な戦力の底上げに繋がる。
元傭兵たちは、「それくらいのことなら」と、気軽に引き受けてくれた。
「道具と材料を揃えてくれれば、新しい武器でも鍛えてやるぜ」
と豪語するものさえいた。
「おれは、傭兵になる前は、鍛冶屋の見習いをやってたんだ」
片足になった、元傭兵だった。
「材料は……折れたり曲がったり破損した武器がたっぷりとある。
道具は、なにが必要だ?
金槌くらいならあったはずだが……」
「それと、金床と、ふいごと……良質な炭が、大量にいる」
「揃えられるかどうかはわからないが、探してはみよう」
今、ここになかったとしてもタマルに相談してあとで調達させよう、と、ハザマは思う。
ここで武器や金属製品の生産が可能になることには、それなりにメリットがあるはずなのだ。
「次に、おれもたった今、耳にしたばかりなんだが……」
ハザマは、「犬頭人嫌いの女たち」についてその場で説明をしはじめた。
どうせファンタルに相談する予定だったし、元傭兵たちにも協力してもらえるのなら、効率がよくなるだろう。
「つまり、あんたは……ここの女たちを、一人前に戦えるようにしろと?」
「本人が望むならな」
ハザマは、肩をすくめた。
「ここでまともな戦い方を知っているのは、この場にいる人たちだけだろう?」
さらにいうのなら、ここに来るまでは平凡な若者でしかなかったハザマ自身も、剣の振り方一つ知らないのであった。
「違いねえ!」
元傭兵たちが、また笑う。
こいつらは、手足を失うような目にあっても、あくまで陽気だった。
「はなしはわかった。
第一、よく考えればこの周りは女ばかりだ!」
元傭兵の一人がそう指摘すると、どよめきがあがった。
「なあ、あんた!
その女たちとは、やっても構わないんだろう?」
「本人が承諾すればな。
口説くのは構わないが、無理矢理手込めにするのはなしにしてくれ」
「十分だ!」
傭兵の仲間内でも、同じような不文律があるのだ。
略奪した者ならともかく、治療を施して食料も分けてくれた集団に不義理を働こうとする者はいなかった。仮にいたとしても、ファンタルあたりに成敗されているだろう。
同じ頃、エルフのセイムは出産の苦しみを味わっていた。
犬頭人に囚われたエルフは少数にすぎず、さらにその中でも実際に孕んだ者はこのセイムのみだった。
運が悪いことに……この時のセイムは、双子を孕んでいる。
自然、母体にかかる負担も、産みの苦しみも、倍加していた。
双子のうち、一人目はすでに体外に排出して産声をあげていた。今は、二人目のために息んでいる最中だった。
「……おね……がい……」
臍の尾を切り、生まれたばかりの子どもを洞窟へと運ぼうとする女の手を掴んで、セイムが懇願する。
「連れて……いか、ない……で……」
「だ、だって……」
生まれたばかりの赤子を抱えた女が、狼狽する。
「……この子、もう少しすると……」
「……なん……とか、するから……。
そのまま……そこに、置いてて……」
この双子の存在が、将来のハザマたちに大きく影響を及ぼすことを、セイムも狼狽する女も自覚していなかった。
「手が空きましたか?」
元傭兵たちの小屋を出ると、リンザに声をかけられる。
「ああ。
空いているといえば、空いているけど……」
「父が、挨拶としたいと。
それと、お願いもあるそうです。
来ていただければ……」
「はいはい。
あの村から来た、親父さんね……。
おつき合いしましょう」
逆らわず、ハザマはリンザの後をついていく。
「ご覧の通り、何種類かの薬草を、森からここに移し替えているようですが……」
リンザの義父にあたるとかいうハイハズは、ハザマに向かっていった。
「……これの世話を、させて貰いたい。
もともとおれは、農作業のことしか知らない。
これから近くに新しい畑を開墾する余裕もないみたいだし……」
「おれとしては、異存はないです。
っていうか、そういうことは、おれよりもエルシムと相談してもらいたいな」
おそらく、この薬草畑も、そのエルシムの手によるものだ。
「麦とは多少勝手が違うかも知れないが、堆肥づくりなどの基本は一緒だろうし……」
自分だけではどうにも判断がつかないので、ハザマはリンザに申しつけてエルシムを呼びにいかせた。
エルシムは、いくらもしないうちにやってきて、その場でハイハズに向かって細々とした指示を与えはじめる。
その後、
「まだまだ森の中から株ごと持ってくる予定なのだが……」
と、いいはじめた。
「では、耕作できる面積を増やしておきます」
ハイハズは、あくまで従順にうなずく。
「頼む。
ハイハズが頼りになるようだったら、ここの薬草を原料とした薬物も売りに出せるようになる」
ここで消費するために作った畑らしかったが、専任で世話をしてくれる者がいるのなら、当初の予定よりも作付け面積を増やすことができるのだった。




