活版印刷の構想
アズラウスト公子のいうことをよく聞いてみると、どうやらあの手の術式を戦場で多用することを想定しているようだった。
トランシーバーみたいなもんか、と、ハザマは納得をする。術式の使用者同士が中距離で直接やりとりをするのに留まる、といった意味において、だが。
昨夜の実戦時も、どうやらそうした使用法をしていたようだ。
この世界には手軽な遠隔地への通信手段がないようだったから、それだけでも十分重宝するのだろう。
そこいくと、洞窟衆の使い方は多数の中継基地を設置し、それを経由した上で、だから、どちらかというとケータイに近かった。
「離れた場所にいる者と通話する」という機能は同じでも、用法は少し違うな、と、ハザマは思う。
『……それで、この通信術式のことも含め、一度、ゆっくりとおはなしをしたいのですが……』
と、アズラウスト公子はいってくる。
ようするに、「改めて時間を作り、ハザマと直に対面したい」ということらしかった。
少なくとも、友好的な感触ではあるな、と、ハザマは判断し、
『それでは、お時間のあるときに洞窟衆の天幕をお訪ねください』
といっておく。
『こちらも不意に呼び出しを受けることがあったり、他の用件で席を外していることもありますが……』
『お邪魔するときには、この通信で事前に確認を取るようにしますよ』
アズラウスト公子はそう返してきた。
『……それが確実ですね』
ハザマもそう答えて、公子との通信を打ち切った。
「……今のは、アズラウスト公子様ですか?」
クリフが、なんだか眩しいものをみる目つきでハザマをみあげてくる。
クリフやカレニライナにも通信用のタグは渡してあるので、通話内容は丸聞こえになっていた。
「ああ。
昨日、戦闘中にちょっとはなしをして……」
ハザマはなんの気なしにそう答えかけてからクリフの表情に気づき、
「……なんだ、クリフ。
ブラズニアのお姫様とは普通に接していたのに、公子様が相手だと畏まるのか?」
「だって、アズラウスト様はお世継ぎですよ!」
クリフは、少し興奮した様子でそういった。
「ブラズニア家の次期当主様と対等におはなしをする機会なんて、そうそうあるもんじゃあありませんよ!」
……そんなもんか、と、ハザマは思う。
いや、世間的には、クリフのような反応の方が一般的なのかもしれないが、ハザマはこの世界の住人ではない上、「身分」というものについてはかなり鈍い感覚しか持っていなかった。
頭では、「偉い、とされている人たち」ということは理解しているのだが、無条件で敬意を表しようとは思えない。
どんな身分の者にも出来不出来は、個人差は存在するし、敬意を持つのも侮蔑するのにも個々の人となりを見極めてからでいいじゃないか、という感覚があった。
もちろん、そんな思いは実際に口に出そうとはしないわけだが……。
この場では、
「……大貴族の一員にしては、はなしをしやすい人ではあったな」
とのみ、いっておく。
思い返してみれば、初対面のときからなにを求めるのかズバリといってきたし、腹のさぐり合いをする必要がないだけつき合いやすい相手だと思った……という程度の意味であった。
天幕に帰ると、待ちかまえていたタマルに捕まり、事業報告やら現在の野営地周辺の洞窟衆関係者の就労状況になどについて、長々と説明をされる。
もちろん、ハザマがそんな細々とした説明に興味を抱くはずもなく、半分以上は適当に聞き流す。この頃にはタマルを筆頭に読み書きや帳簿づけ、それに人の割り振りなどをおぼえた「実行班長」的な役割を果たす者がかなりの数育ってきており、仕事の種類により必要な技術を持つ者を集めて臨機応変に遂行する、ということが可能となっていた。
純粋な戦闘行為だけではなく、炊事や洗濯など生活に不可欠な家事、天幕や厩舎の設営や解体、臨時に設置した商店の運営、医療所へ人員派遣、兵糧の製造と配布、各種物資搬入など……洞窟衆の関係者がこの戦場で行っている業務は多岐に渡り、当然、各種作業を監督する者の人数もかなり増えてきている。
単純労働については人を雇ったり奴隷を使役したりすれば足りるはずだったが、監督者ともなると一定の知識や見識が必要になるはずだ。
そのことをふと疑問に思ったハザマは、タマルに訊ねてみた。
「……その班長さんって、今、何人くらいいるの?」
「実際に使える者は、今、六百人を少し越えるくらいでしょうか?
それに準じる見習い扱いが、さらに三百人くらい」
タマルは即答したあと、今度はハザマに訊き返してくる。
「どうしたんですか? いきなり」
「その六百人とか三百人とかは、よくこの短期間で、必要な知識を学べたもんだなあ」
ハザマは、感嘆する。
「みんな、必死でしたからね」
タマルはそういって頷いた。
「最初から読み書きや計算ができる人も、一定数いましたし。
それに、知識の習得がかえって不安を散らしてくれるという面もありましたし」
洞窟衆の中核をなす人材は、犬頭人に捕らえられていた女性たちである。
必要な知識の習得が、期せずして心理面でのリハビリのような効果をあげたということか……と、ハザマは思った。
「……それでなあ、タマル。
それとちょいと関係するんだが……」
「なにか新しい事業、ですか?」
タマルの目が、妖しい光り方をする。
「……まあ、最終的には金にもなるんだろうが、まずはその前段階からだな」
ハザマはそう前置きして、本題を切り出した。
「この戦争もどうやらこのまま手打ちになりそうだし、状況がこのまま落ち着くようなら……」
……活版印刷機、というものを作ってみないか?
と、ハザマはいった。
少し時間をかけて一通りの説明を終えたあとも、タマルはしばらく黙り込んで何事か考えているようだった。
「……その印刷機というものが普及しだしたら……」
しばらくしてようやく口を開いたと思ったら、タマルの口から出たのはそんな言葉だった。
「……紙の値が、跳ね上がりますね。
需要も増大どころではなく………うふ。
うふふふふふふ」
今のところ、「エルフ紙」と呼ばれる紙の製法は洞窟衆が独占している。
競争相手のいない、かなり美味しい市場だった。
「むしろ、需要に応じられなくなることを心配した方がいいな」
ハザマは、そういって頷いた。
「活字や印刷機、それにインクなどをこれから試行錯誤して作っていくわけだから、まだしばらく時間はかかると思うけど……いずれにしろ、紙の製造量を増やす準備は、今からはじめておいたほうがいい」
「……ちょっと、そちら方面の製造現場に掛け合ってきますぅ!」
といって、タマルは会議室から出ていった。
活版印刷機は、原理的には判子や版画と同じもので、そう複雑な機構でもない。
基本となるアイデアがあり、実現するための開発費があり、それにやろうと思う気持ちさえあれば、誰にでも実現できそうに思えた。
細かいノウハウは、試作品を製造する段階で一から蓄えていけばよかった。
まだまだ羊皮紙が主流であるこの世界にいきなり活版印刷機を持ち込むことでどのような変化が起こるのか、予測がつかないところではあったが……識字率をはじめとして洞窟衆周辺の知的水準を底上げするためには、やはり印刷技術の普及は欠かせない要件である、と、ハザマは判断していた。
活字をデザインする者、実際に活字を揃えるための職人、印刷機を作る者……それら、特殊な技能の持ち主もどこからか探し出してきて、集めなければならない。
実現するためにはまだまだいくつもの難関があるのだろうが、今の洞窟衆の資産を考えれば、その程度の余裕は十分にあるはずだった。そうでなければ、タマルにはなした段階で資金難を理由に止められている。
会議室に残っていたクリフやカレニライナ、リンザなどに印刷機について詳しく説明していく。
クリフは単純に目を輝かせていたし、カレニライナは、
「そんなに同じ文章をいっぱい印刷したとしても、いったい誰が読むのよ」
とかなり懐疑的だった。
そもそも、まともに読み書きができる者自体がまだまだ少数派であるし、
「文章といえば人の手で綴るもの」
という認識が、一般的なのである。
大半の文章は、その場限りの一過性のものだった。
「……そうだな」
ハザマ少し思案をしてから、より詳しい説明をする。
「たとえば、教科書……とか?」
「教科書って、なに?」
「……んー。
お前ら、少し前に回復魔法を習っていたな。
そのときおぼえた知識とかがすべて事前に書き出されていたとしたら、教える側も教えられる側も随分と楽ができたとは思わないか?」
ハザマが知る限り、どんな知識も、口頭での説明や実際にやって見せて、直に伝える……という師弟制度が、この世界での「学習」のデフォルトだった。
「……でも、それって……」
カレニライナは、さらに首を捻る。
「文字が読めることが、前提になっていない?」
「……卵が先か、鶏が先か」
ハザマは、そう答えた。
「実際には、この印刷技術が普及し、印刷物がこの世に溢れるようになったら、いやでもみんな、文字を読もうとするさ。
そうしなけりゃ、なにをするにも不利になるし、世の中から置いてけぼりにされるからな。
まあ、いきなり教科書ってのも難しいから、最初の段階では、薬の服薬法とか注意書きみたいな身近なものからはじめることになるだろうし……」
「……筆写生は、いっぱい失業しそうですね」
リンザのコメントは、そんなものだったりする。
必要な文書を筆写する職業というのが、この世界にはあるのだそうだ。都市部でしか生計をたてられないそうだが。
いわれてみれば、確かにそういう需要はあるのだろうな……とは思うものの、それについては、
「……そうだなあ」
という芸のない返答しか、ハザマはできなかった。
この「印刷機の構想」についてはタマル経由ですぐに洞窟衆関係者に周知されていったが、これといった反響が帰って来ることはなかった。
エルシムやファンタルは、この件に関しては「自分の首尾範囲外」と認識し、無視を決め込むことに決めたらしい。
おおむね、この件は、
「ハザマの道楽」
と理解されているらしかった。
それ以前に、戦闘行為はなくなったとはいえ、まだまだ洞窟衆の組織にかかる負担は多く、特に医療や流通関係は相変わらずかなり多忙な状態だったから、そんなことにまで関わっている余裕がないだけかも知れない。
「やあ、どうもどうも。
おひさしゅうございます」
日が落ちた頃に、ゼスチャラに頼んでいた伝言が届いたのか、女衒のズムガがもみ手をしながらやってきた。
「洞窟衆のハザマさまにおかれましては、だいぶん、羽振りがよいようで……。
いろいろと、噂は聞き及んでおります」
「そんなことはどうでもいいんだが……」
ハザマはズムガの言葉を遮って、肝心の要件を伝える。
「……今度、うちの主催で宴の場を設けることになった」
それから宴の趣旨を説明し、大体の参加人数や予算をはっきりと告げる。
「……こちらでも酒や酒肴はそれなりに用意はするが、それだけではどうにも彩りが乏しい。
うちの女たちに酌をしろってわけにもいかないし、それで……」
「はいはい。
そういうご用件でしたら、わたくしどもにお任せくだされば」
ズムガはしまりのない笑顔をみせながら、そういう。
「女と、それに珍しい酒も用意いたしましょう。
料金の方は、かなり勉強をさせていただきます」
もちろん、なにかと威勢のいい洞窟衆とのコネクションを失いたくない、という損得を計算した上での媚態だろう。
それでも、本心が分かりやすい分、つき合いやすい人種ではあったが。
ズムガが帰ったあと、ハザマは人をやって主要な陣借衆に渡りをつけ、
「明日の晩、洞窟衆主催で慰労会を行う」
旨を通達させた。
『……時間が空いたから、これからそちらにお邪魔してもいいかなあ?』
かなり軽い口調でアズラウスト公子から通信が入ったのは、そうした雑事が一通り終わった時分のことである。
『いいお酒も取り寄せたし、それからうちの妹もいっしょに行くから……』




