アズラウストの提案
「そいつは……味方の損害が大きすぎるんじゃないですかい?」
アズラウストから一通りの説明を聞いたあと、ハザマは渋い顔つきなった。
「おれがこうして走り回っているのも、少しでも被害を減らそうとしているわけでして」
「なに。
領民など、治世さえ安定していれば、すぐに五万十万と増えるものですよ」
アズラウストはことなげにそういいきる。
「うちの領地では定職に就かない浮浪者が増えすぎて問題になっているほどです」
あ。
こいつは、貴族様なんだな、と、ハザマはアズラウストを評価する。
いいやつなのか悪いやつなのか、この場の短いやり取りだけでは断定できないのだが……人を、数字や統計で考えるタイプなのだ。
「抵抗が、あるかい?」
ハザマの表情であまり賛同してくれないことを察したのか、アズラウストはそう、確認してきた。
「このまま防戦一方でいるよりは、短期決戦に持ち込んだ方がかえって被害が少なくなると思うけど」
「抵抗は、そりゃあ、あります」
ハザマは、自分の感情を隠そうとはしなかった。
「こちらではどうだか知りませんが、おれの国では人命は尊いものだとされていましたから。
そうでなくても、目の前に危ういやつがいたとしたら、救ってやりたくなるのが人情ってもんです」
だから、ハザマはこうしうて走り続けている。
バジルの能力が及ぶ範囲が広がれば広がるほど、味方の損害は少なくなる理屈なのだ。
「それはとても大切な考え方だとは思うけど、ハザマくん。
ここは、戦場ですよ」
アズラウストは、にこやかな表情を崩さずに続ける。
「計算や割り切りも、大切だと思うのですが」
「計算や割り切り、ねえ」
ハザマは、ため息をついた。
同時に、心話通信で、ファンタルにアズラウストが提案してきた作戦の成否について問い合わせておく。
「それでアズラウスト様は、その急ごしらえの作戦が、どの程度成功するものとお思いで?」
「成功率は、あまり高くはないかなあ」
あっけらかんといい放つアズラウスト。
「第一、敵がこちらの挑発に乗ってくれるかどうか、分からないし。
でも、ブラズニア家としては、このいくさが終わる前に、ひとつくらいは目に見える手柄を立てておきたいところなんだよねえ」
うまくいくかどうか確信が持てない作戦と数万単位の人命と秤にかけて平然としている精神の有り様は、ハザマの想像力の外にある。
『こちらの方針をねじ曲げない範囲内で協力する、という線ではどうか?』
ハザマが考え込んでいると、ファンタルが助け船を出してくれた。
『やつら、ルシアナの子らがおぬしの首を欲しがっていることは確かであろうし。
順路を変更して、おぬしの姿が目に入りやすいようにすることは可能であると思うが』
『いや……おれ自身を囮にする、という案自体は、おれも考えてはいましたけど……』
アズラウストが出した案は、以下の通りとなる。
まず、ハザマが目立つ場所に姿を現して、ルシアナの子らをおびき出す。
それと同期して、あらかじめむこう岸に渡っていたブラズニア家の魔法兵たちが敵本拠地を急襲し、指揮官かアリョーシャの身柄を拘束して、このいくさの終了を宣言させる。
作戦というにはあまりにも粗が多すぎる。そう、ハザマは思っていた。
第一、ブラズニア家の魔法兵がそんなに強いのなら、この戦争だってもっと早くに終結しているはずだ。
敵の動き方も含め、あまりにも自分たちにとって都合のよい予想から発案されてはいないだろうか……というのが、この案に対するハザマの評価だった。
この案を実行に移すためには、まず相当数の魔法兵が王国軍野営地から姿を消さなくてはならない。
今の状況下でそんなことをすれば、それだけ味方の損害も増えるわけだし、なによりそれまで活躍していた魔法兵の姿がいきなり消えれば、敵から怪しまれない訳がない。
「敵に、千里眼の持ち主がいる可能性があります。
ルシアナの子らの一員です」
苦しまぎれに、ハザマはそう指摘した。
戦場には姿を現したことがないバクビェルが敵軍中に存在することをこの時点でハザマは知らなかったが、ルアを尋問した際、そういう能力者がいたことは記憶している。
「こちらの動きは、かなり詳細に把握していることも考えられます。
奇襲は、成功しないでしょう」
「でも、だからといってこのままずっと防戦一方というのも、少々間が抜けているよね」
それでもアズラウストは、引いてくれなかった。
「リスクが高い攻撃はこちらが担当するから、せめてチャンスをくれないかな。
少し試してみて、敵が引っかからないようだったらスッパリと諦めるから」
『……現在の制圧状況は?』
『安全圏といえるのは、野営地のせいぜい三分の一ほどでしかないな』
通信でファンタルに確認すると、撃てば響くように答えが返ってくる。
『特に水妖使い三名が効率よく敵を駆逐してくれているが、なにしろ、野営地は広い』
今、この野営地には、ちょいとした都市くらいの人口が集まってきているのだ。
広範囲に散らばった獣たちをすぐに一掃できるのならば誰も苦労はしないし、ハザマも走り続けていない。
『……ファンタルさんは、どう思います? この案』
『試してみる価値はあると思う。
少なくとも、それで敵の出方を探るための布石にはなる。
それに……失敗したとしても、別に洞窟衆が責を問われるわけではないしな』
王国軍の兵士の被害が増し、敵軍への襲撃が失敗する結果になったとしても、それはすべてブラスティア公軍の責任になる、というわけだった。
そもそもハザマは、こんな戦争で洞窟衆に戦功をたてさせようなどと考えてはいない。
今走り回っているのも、少しでも戦死者を減らしたいがためであって、この戦争の勝敗についてさえ、本気でどうでもいいと思っている。
他人の、それも味方の死体を量産してでも功績が欲しいと主張するアズラウストの価値観は、ハザマの理解を完全に越えていた。
いや……おれの余所者意識が抜けきっていないだけか。
とも、思うのだが。
『……洞窟衆がこの案に乗っかるメリットはどこに?』
『ブラズニア家に貸しができる。
しかも、むこうが助力を乞うているのだ。
貸しておいて、損はないだろう』
またもや、ファンタルが即答した。
幸い……というか、この場で危機に陥っているのは王国軍であって、洞窟衆ではない。
洞窟衆は、多少なりとも戦闘力を持つ者が非力な者を保護する体制を早くから固めていたため、今にいたるまでたいした被害を受けていなかった。
強いていえば、歩哨や獣討伐の際に死傷者がいくらか出た程度であるが、これも他の王国軍の被害と比較すると驚くほど軽微なものである。
仮にアズラウストの案に乗ったとしても、洞窟衆の被害はたいして広がらないだろう。
つまり、この案にリスクは、あくまで「王国軍のリスク」であって、「洞窟衆のリスク」ではない。
賛同できない理由があるとすれば、その根拠となるのは……おれの価値観、だけなんだよなあ……と、ハザマは思う。
ここで問われているのは、むしろおれ自身のスタンスだ。
洞窟衆の地位向上のために、他の、見知らぬ公国軍兵士多数を見殺しにできるかどうか、という問いを突きつけられている形であった。
『……ファンタルさん。
今後、おれの順路を少し敵に気取られやすい形にしてくれ』
『あえて、囮になるか?』
『ま、ルシアナの子らとは、正面から決着をつけておきたいところですしね』
『マニュルが手懐けている獣の中には、おぬしの能力が効かないかも知れないモノも混ざっているはずだが?』
『なんとかなるでしょう。
いや、なんとかします』
短く、通信でやりとりをする。
「完全に協力するわけではありませんが、ブラズニア家に機会を与えましょう」
そして、口に出してはこういった。
「これから少しして、おれはわざと敵の目に留まりやすい動きをします。
そうですね。
緑の街道の真ん中を、しばらくひた走ってみましょうか。
そのとき、首尾よく敵さんが現れてくれればそれでよし。突入のタイミングについても、そちらで勝手に判断してください。
うまくいきそうになかったら、いさぎよく諦めてください」
「ご協力に感謝します」
アズラウストは、兜の中で弾けるような笑みを浮かべた。
「そりゃあもう、恩に着ますよ」
その兜をみて、ハザマは思う。
この男、ハザマとはまるで違う倫理観に従って生きているが、邪気はないんだろうな、と。
戦争を、まるでゲームかなにかのように楽しんでいるだけだ。
それはそれで性質が悪い、という見方もできるわけだが、倫理観という観点からみればハザマ自身のそれも適度に壊れており、他人のことをとやかくいえる身の上でもないのであった。
「それでは、準備を整えておきますので、いつでもご自由にどうぞー!」
ハザマの返答を聞いたアズラウストは、そう叫んですぐに進路を変えて、ハザマから離れていく。
アズラウストの姿が見えなくなったところで、ハザマはファンタルに現状の説明を求めた。
『まだ新しい動きは出ていませんか?』
『まだ、大人しいな。
逆にこちらは、おぬしの能力によって自由になったベレンティアの志願兵が、街道を挟んで東側に大挙して押し寄せ、獣を狩りはじめている。
数と勢いに任せてかなりの成果をあげているようだ』
『そいつはよかった』
本心から、ハザマはそういった。
なんにせよ、被害者が減るのであれば歓迎すべきだろう。そういう価値観が、ハザマの中にはある。
『……っていうことは、やはり、おれの走り回り作戦は有効なのか?』
『有効も有効。
おぬし一人の働きだけで、今の時点でも野営地の四分の一ほどの獣の動きを止め、多くの味方を救っているではないか』
ファンタルは呆れたような口調で答えた。
『この成果は、水妖使い三人の戦果を合わせたものよりも大きい。
おぬしは自分の能力を、過小評価しすぎだ』
『と、いわれても……おれは、この奇襲に対応してからこっち、一戦も交えていないからなあ。
今いち、実感が湧かないというか』
バジルの能力は、ハザマ自身が敵と遭遇したときは、当の敵はすでに静止した状態にあり脅威とはならない……という性質のものである。
時間的に余裕があればハザマ自身の手にかけることも厭いはしないのだが、現在のような状況であると、そんな暇があったら少しでも移動し、より広範囲にバジルの能力を及ぼして、より数多くの敵を無力化した方がよい。
『改めて考えると、バジルの能力ってのは、あんまり勇ましいもんじゃないのな』
ハザマがそんなことをいうと、
『なにをいまさら』
と、ファンタルにため息をつかれてしまった。
『そんなに危険なのが好きなら、次の機会にはバジル抜きで敵の大軍に突撃でもしてみるんだな。
そんな便利な能力を使えるのに文句をいったら、それこそ罰が当たるというものだ』
『ごもっとも』
ハザマも、頷く。
『おれも、多少退屈ではあっても、危険なのよりも安全な方がいいです』
命大事に、これ大切。
ハザマは、心中で改めてそのモットーを噛みしめる。
『……それで、アズラウスト公子の案には、いつから取りかかるつもりだ?』
『あまりお待たせしても仕方がない。
今からはじめましょう』
ハザマは、あっさりとそういった。
『ちょうど今、緑の街道の方へむかっているところだから……街道にぶつかったら、今度は少し、街道沿いをウロウロしてみますよ。
これ見よがしに』
さて、おれという餌に……敵さんは、食らいついてくれるかどうか。
「動きがあったぞ!」
千里眼のバクビェルが叫ぶ。
「やつだ!
トカゲ男が、街道上を走っている!」
バクビェルは、千里眼で細くした映像を仲間たちに転送した。
「罠だな」
「罠ね」
「罠でしょう、これは」
「いくらなんでも、これみよがしすぎる」
口々に、ルシアナの子らの面々はそう断定した。
「罠ではあっても、いい機会であることもまた事実」
軍師のバツキヤは、そういって傍らのマニュルとトグオガに声をかける。
「マニュルさん。
彼の前途に、トウテツを出してください。
トグオガさん。
例の攻撃方法を、すぐにでも」
「わかった」
「承知した」
マニュルとトグオガは、弾かれたように行動を起こした。
「……罠とわかっているのなら、その罠を食い破るまでです!」




