若き貴族たちの計算
「ベレンティア領、か……」
ヒアナラウス・クラゴラウス公子は野営地の篝火を見つめながら、そういった。
「なんとも、不思議な領地だ。
公称では領民は百二十万人程度のはず。
しかし、この場にはベレンティア領の者だけで三、四十万ほどはいるように見える。
みて、この篝火の数を!
この夜をまるごと照らすような勢いじゃないか!」
「ベレンティア領は、王国の中でも特別だわ」
マヌダルク・ニョルトト姫が答える。
才媛として名高いマヌダルク姫は、十七歳。
その年齢にして小柄で、あどけなさが残る顔つきをしていた。
「奴隷も多いけど、流民の数が王国の他の領地に比べて、とても多い。
奴隷が多いということは、労働力を集約して組織的に運営されている大規模農場が多いということ。
それに、この領地の流民は定住していないというだけであって、税は毎年積極的に収めているし、有事の際にはこうして大挙して馳せ参じる」
「税制の問題ですね。
奴隷は、財産であって領民ではない。
定住していない流民も、領民とは数えない」
今度は、バグラニス・グラウデウス公子が解説する。
このバグラニス公子は、このとき二十六歳。
眠たげな目つきをしているものの、大柄な体つきをした偉丈夫であった。
「帳簿の上では領民百二十万であるとはいっても、実際の人口はその数倍に膨れあがるはずです。
ベレンティア領は領土のうち半分近くが農地にむかない山地であると聞きます。
流民の比重が多いのは、昔ながらの山暮らしを続けている者が多いからでしょう」
「それでは……まるで、山岳民ではないですか」
そうした事実を知らなかったのか、ヒアナラウス公子は驚きを含んだ口調でいった。
このヒアナラウス・クラゴラウスは、使節団の中に含まれる三人の大貴族の中では最年少の十六歳。バグラニス公子とは、ちょうど一回り違うことになる。
まだまだ、知らないことが多かった。
「山岳民よ。実質は」
マヌダルク姫が、澄ました顔をして答える。
「ベレンティアは山岳と国境を接する領地。
いいかえれば、度重なる紛争で分割、吸収して領地を拡大してきたところ。
今のベレンティア公は、元からいた住んでいた住民も快く受け入れてきたし、それ以外に、山岳民社会の中で爪弾きにされてきた部族を丸ごと移住させた例も少なくはない。
風俗は山岳民そのままであっても、そうした流民たちのベレンティア公への忠誠心はかなり高いわ」
「本来であれば……治めるのが、とても難しい土地柄であるのですがね」
バグラニス・グラウデウス公子は、そういって頷く。
「当代のベレンティア公は、とてもよくできたお方です。
他の領地では、たとえ有事の際でもこれほど多くの民を集めることは難しいでしょう。
民からの慕われようは、おそらくは八大貴族の中でも随一かと」
「当代ベレンティア公の治世と功績を否定するつもりはありませんが……」
マヌダルク姫が、疑問を口にした。
「……それでも、世継ぎを作ろうとしなかったように見受けられるのは、いかがなものでしょうか?
若くして正室が没してからも側室や後添えを求めることをせず、かといって、養子を取るわけでもなし……。
後継者を指名しないままというのは、平地に乱を起こすために、災厄の種を自ら蒔いているようなものです。
いくら難しい土地を治めても、あとが続かないのであれば意味がないではありませんか」
「どうにも難しい方であるといわれていますしね、ベレンティア公は」
バグラニス公子は苦笑いを浮かべながら、そう答えた。
「われら若輩者には計り知れぬ思惑がおありなのでしょう。
さて、そろそろ天幕の中に戻りましょう。
司令部の三公爵のはなしでは、今夜中に、この野営地への敵襲が予想されるそうです」
「それ、ぼくたちも参戦できませんかね?」
ヒアナラウス公子が、軽い調子でそういい、
「他人の手柄を掠めようとするのは、感心しませんね」
バグラニス公子が、さりげなく諫めた。
「それよりも、そうした煩わしいことは現地の方々に任せて、今夜は早めに休みましょう。
明日は、かなり多忙なことなるはずですよ」
マヌダルク姫は、二人の同僚にむかってそういった。
最年長のバグラニス・グラウデウス公子が使節団長、マヌダルク・ニョルトト姫が副団長、最年少のヒアナラウス・クラゴラウス公子は役職なしの、実質的には見習い身分といったところか。
むろん、実務を担当する官僚たちが背後に控えているわけだが、この三人がこの度の使節団の責任者、ということになっている。
使節団用に用意された天幕に入った三人は、香草茶を嗜みながら明日の昼餐会のことをはなしだした。
「山岳民たちは、どう出てきますかね?」
ヒアナラウス公子が、無邪気にそう問いかけてくる。
「和戦の両面で考えてはいるのですが……」
バグラニスは、そういってから難しい顔をして黙り込む。
「おそらくは、大幅に譲歩した上で停戦を求めてくるでしょうね」
マヌダルク姫が、あっさりと答えた。
「そうでなけりゃ、今の時点で昼餐会を申し出てくることもないだろうし、ましてや、中央委員会なんて大物を出してくるはずもないし。
単なる停戦だったら傷口が広がる前に、さっさと申し込んでくればよかったのに。
ベレンティア公の兵がこれだけ集まった今、生半可なことはでは国境を抜けきれないってわかりきっているでしょうに」
「それじゃあ、マヌダルク姫はこの交渉が遅すぎたっていうの?」
ヒアナラウス公子が、マヌダルク姫に問い返す。
「山岳民側からみれば、ね。
やつらの目的は国境突破と略奪。
その目的が容易に達成されない状況になったら、さっさと兵を引かなけりゃ。
無駄よ、無駄。
やつらは無駄に戦死者を増やして自分からドツボにハマっていったの。
いくさなんてのは、勝敗よりも損得で考えなけりゃ。
ズタボロになってなんとか勝利を手しても、ろくな戦利品にありつけませんでした、では戦死者が浮かばれないわ。
いくさだけではないけど、これ以上やって駄目とわかったら早めに損切りすることはとても重要よ」
「辛辣ないいようだが、為政者としてはかくあるべしといった見解だね」
バグラニス公子は、マヌダルク姫の発言をそう評した。
「われら、上に立つ者には、相応の責任というものがあるのですから」
「バグラニス公子も、同じ意見なんですか?」
ヒアナラウス公子が、今度はバグラニウス公子に水をむける。
「いくさに関しては専門外なんですが……そうだね。
これまでの成り行きでみる限り、山岳民軍の司令官は、計算よりは感情で動く人間であるように思えます。
引き際を見誤った、というマヌダルク姫の意見には、一理あるでしょう。
敵将の……ええと……」
「ホマレシュ族のザメラシュ。
やつら山岳民は、部族名を家名のように扱うこともあるから、王国風にいえばザメラシュ・ホマレシュということになるわね。
名門有力部族の次期総領、という以外に特記すべきことはなし。
少なくとも過去の王国とのいくさで名があがったことは皆無。
この分だと、実績らしい実績もほとんどないんじゃないかしら?
おそらく、血筋だけで担ぎあげられた名目だけの司令官といったところだと思うけど……」
「凄いね、マヌダルク姫。
そんなことまでわかるんだ!」
ヒアナラウス公子は、素直に感心していた。
「この程度のこと、公表されていることを頭に入れていれば誰にでもたやすく推察できます」
マヌダルク姫は、ヒアナラウス公子の賞賛をあっさりと受け流した。
「最後までその名前だけの司令官が相手だったら、王国側も楽だったんだけどね。
中央委員会の、よりにもよって、アリョーシャが出てくるとは……。
ったく。
子どもの尻拭いを親がしようとしているんじゃないわよっ!」
「その、アリョーシャって?」
「山岳民連合中央委員会のアリョーシャ・ホマレシュ。
王国におきかえていうのなら……そうですね。
主に、外交畑で活躍している敏腕政治家、といったところでしょうか」
「……活躍?
暗躍の間違えでしょ」
バグラニス公子の発言を、マヌダルク姫が修正する。
「ガニラキヌ条約、ゴダイアス戦役の停戦交渉、アルティタイア事変、ドッガニア族の乱。
その他、あの女が裏で糸を引いていたもの思われる国際的な事件は数知れず。
バグラニス公子もあんまり呑気に構えていると、あの女狐に寝首をかかれちゃうんだから」
「でも……このいくさは、王国軍が勝っているんですよね?」
ヒアナラウス公子が、また無邪気な問いを発した。
「侵攻を許さない状態になった、ってことは、すなわち勝っているってことにはならないんだけど
」
軽くため息をつきながら、マヌダルク姫が一蹴する。
「負けにくくなった、ということと勝利はあまり結びつきません」
バグラニスは、補足説明をしだした。
「どちらかというと……双方の戦力が下手に拮抗していると、いくさが長期化して双方に損害が増えます」
「だから、早めに見切りをつけて損切りをすることが重要になってくるわけ」
マヌダルク姫が、澄ました顔をしたままそう結論する。
「は……はあ」
ヒアナラウス公子は、曖昧な表情で頷いた。
「ですが……そんなアリョーシャ・ホマレシュが出てきたとあっては、わたしのような若輩者でまともに相手になるかどうか……」
バグラニス公子が、穏和な表情を崩さないまま、そんなことをいいだす。
「心配することはない。
と、思う」
マヌダルク姫は、すかさずそんなことをいいだした。
「おそらく、明日、山岳民側は……かなり、下手に出てくると思う」
「……ほぉ」
バグラニス公子は、目を細める。
「して、その根拠は?」
「だって……損切りするにはすっかり手遅れになったこのいくさ、今になって、それも中央委員会まで担ぎ出してきて交渉を求めてくるのって、異常じゃない」
マヌダルク姫は、あっさりとそういった。
「あちらには、なにがなんでもこのいくさを止めたい理由があるのよ。
おそらく初手から、かなり譲歩した条件を提示してくると思う」
「その、敵方がこのいくさを止めたい理由とは?」
バグラニス公子は、質問を重ねる。
「……公子も、わかっていらっしゃるくせに。
山岳民連合の体制をひそかに支えていた大魔女ルシアナの消失。
そのおかげで、今の山岳民連合は、かなり混乱しているはずだし。
ルシアナをわずか十名で討伐したとかいうナントカという男は、王国にしてみれば大恩人もいいところね。
今夜、あると予想されている敵襲も……明日の交渉を少しでも有利な方向に持って行こうとする、山岳民側の悪足掻きでしょうね」
ドゥ、トロワ、キャトルの水妖使い三人には、特製のマントが用意された。
首の部分に工夫がしてあって、サーベルタイガーに変身しても締めつけないような構造になっている。サーベルタイガーになっているときは、首輪についた布切れが背中にまとわりついている形になるわけだが、人間の形になっているときには首から膝の下までをすっぽりと覆うような構造になっていた。
「普段からこれを着ていれば、その下にどんな服を着ていても問題はないと思うんですけどね……」
そのマントを用意したトエスは、そんなことをいう。
これを身につけるように習慣づければ、いつどこで変身をしてもあとになって素っ裸で途方に暮れる……ということがなくなる、というわけだった。
「ついでに、こんなのも作ってみました」
「……なんだ、こりゃ?」
ハザマは、トエスから差し出された物体を見ながら、呟いた。
なんというか、それは……ハザマの知識の中では、拳銃を吊すホルスターに一番似ていた。
革製ではなく、布製ではあったが。
「肩に吊して、バジルちゃんが中に入れるようになっています。
この間のロック鳥のときみたいに、ハザマさんがいきなり駆け出すとき、バジルちゃんが振り落とされないようにと……」
「……なるほど」
こんなとき、どういう表情をすればよいのか、見当がつかなかった。
「実際に使ってみないことには、バジルのお気に召すかどうかわからないが……一応、礼をいっておこう」
そういってハザマは、そのバジル入れを受け取って、身につけてみた。
左肩に固定して、バジルが入る袋はちょうど肩胛骨の上にくるような構造になっている。
実際にバジルの体をその袋の中に入れてみると、すっぽりと収まった。
「そのマント、ルゥ・フェイの爺さんの分は?」
「ああ!
すっかり忘れていました! その存在ごと!」




