急造の使節団
王宮に使者が到着したのはその日の午過ぎであった、と、記録されている。
使者が持参した三公爵の署名つき封書はただちに上に届けられ、国政を左右する立場の者たちに手渡されることとなった。
部族民連合とのバボタタス橋周辺を巡る紛争は数年おきに起こる。
王国にとってみればいわば慢性の疾患ともいえたが、だからといって軽視するわけにもいかず、現地の状況は何時間かの時差はあるものの、遂一王都に報告されていた。
「……しかし、ここで中央委員会が出てきますかね」
封書を前にして呆れたような声を出したのは、ゼレタウリス・メレディラス王子であった。
「敵さんは、よほど気が急いているらしい」
ゼレタウリス王子はこの国の第一位王位後継者であり、このまま順当に推移すれば次に玉座に座るべき人物だ、とされている。現在でも老齢の国王にかわって国政に必要な業務の半ば以上を執り行っていた。
「例の、大魔女ルシアナの件が原因でありましょうな」
そう応じたのは、国務総長を務めるガイゼリウス卿である。
ガイゼリウス卿は綺麗に撫でつけた白髪が目に立つ六十過ぎの老人であった。身分こそ男爵と貴族としてはかなり低いものであったが、その身分でこの地位にまで昇りつめるくらいだから無能であるわけもなく、常に穏和な表情を保ちながらも複雑な貴族社会を泳ぎ続けてきた老獪さも秘めている人物であった。
「アルマヌニア公の三男坊が同行していたから、根拠のない噂ではないとは思っていたが……」
ゼレタウリス王子は軽いため息をついた。
「中央委員会が出てきたとあれば、こちらでも相応の地位の者を出さなくては釣り合いが取れない」
「地位と、それに判断能力ですな」
ガイゼリウス卿は、王子の発言を補う。
「王子自らが出向くほどの用件とは思われませんが」
「……駄目かい?」
「駄目です」
ガイゼリウス卿はきっぱりと告げる。
「今、王子が王都を離れてしまうと、国務が甚だしく遅滞します。
それに、王族が軽々しく外出するものではありません」
「いい気分転換になると思ったのだが……」
ゼレタリウス王子は一度、なにもない天井を目をむけてから、そういった。
「では、三公爵以外の八大貴族の中から、何名か適当に見繕ってくれ。
できれば、若い者がよいな」
「グラウデウス公家のバグラニス公子、ニョルトト公家のマヌダルク姫、クラゴラウス公家のヒアナラウス公子……くらいですかな。
相応の経験と能力があり、すぐに現地にむかえるのは」
八大貴族ともなれば、世継ぎかそれに近い地位の若者たちは王都に滞在して執務に必要な教育を受けながら社交界で横の繋がりを増やすことに邁進することになる。
そのまま地元に帰らず国政に参加する者も少なくはなく、ガイゼリウス卿が名を揚げたのもそうした大貴族の子弟たちであった。
「ブラズニア家のアズラウスト公子にアルマヌニア家のファナルリス公子も加えよう。
直接交渉に貢献することはないだろうが、たまには王都を離れて現地を見学させておくことも必要だ。
幸い、他の国境の情勢は安定しているし、対山岳民対策は今後も重要な課題になってくる。
若いやつらに経験を積ませる、いい機会だ」
そういうゼレタウリス王子はもう四十台半ば。そろそろ毛髪の寂しさが気になるお年頃であった。
「その他に、実務経験に富んだ文官を何名かつけて貰わねばならんが……」
「そちらの人選に関しては、こちらにお任せを」
人員を召集し、使節団を急造するのに数時間を要した。人員の召集だけではなく、国交に最低限必要な体裁を整えなければならなかったことを考えると、これでもかなり急いだ方であろう。
使節団は貴族や官僚や女官の他、料理人なども含め、総勢三十余名にまで膨れあっがった。
これも、使節団としてみればどちらかといえば規模が小さい方だ。
今回の交渉は単なる停戦交渉だけではなく、これから大きく姿を変えるであろう山岳民連合上層部の意向を直接伺うまたとはない機会なのである。王国の今後にとっても決して小さくはない影響を与えるはずであった。
召集された大貴族の子弟たちも心なしか緊張した面もちになっている。
「老師。
そろそろお願いします」
一同を代表して、バグラニス・グラウデウス公子が廊下に座り込んでいた老人に声をかけた。
「ふむ」
老人は重々しく頷いたあと、その場で転移魔法を詠唱しはじめた。
この枯れ木のような痩せこけた老人は王国魔法庁にこの人ありといわれた重鎮、ハメラダス・ドダメス老師であった。
これだけの人数を遠く離れた国境まで一度に転移魔法で送りこめるほどの魔力の持ち主となると、かなり限られている。
転移魔法は成功し、使節団は王国軍野営地総司令部前に無事到着した。
すでに日が傾きかけた時刻であり、雑然とした野営地は茜色に染まっていた。
「おお。
いつものことながら見事なお手際」
バグラニス・グラウデウス公子はハメラダス老師に一礼すると、総司令部入り口前に立って案内を乞う。
後方で、あるいは王国でそれなりに動きがあろうとも前線ではいぜんとして戦闘は続いている。
アルマヌニア公軍が迫撃をかけていた山道については多大な犠牲を払いながらも山岳民軍が逃げのびる形で小康状態に落ち着いた。アルマヌニア公軍は警戒を強めながらも山道に放置された死傷者、それに、バリスタや投石機の残骸などの片づけをしはじめる。
負傷者については、もはや手の施しようがない者については介錯を行い、それ以外は敵味方関係なく担架で後方に運び込み、しかるべき手当をした。
死体についても、そのまま放置すれば森の中に住む肉食動物が大挙して押し寄せてくるので、離れた場所に深い穴を掘り、運び出してそこに埋めなければならなかった。死体運びのような不浄な労働に関しては、もっぱら戦時捕虜や奴隷身分の者が行うことになっているのだが、それだけでは手が足りず、人夫や下級兵士までもが動員されることになった。
そんなわけで、新領地の砦は出入りする人数が普段よりも多く、かなり忙しないことになっている。
この砦は昼夜の休みなく急造されていたものだが、今の時点ではその造作を停止していた。
完成したから、ではなく、もっと他に優先すべき作業が発生したからだった。
「回収された残骸も、壊し方がまだまだ甘い。
半分くらいの部材はそのまま流用できますな」
ムヒライイヒ・アルマヌニアにそう説明した技師がいた。
「それで、明日の朝までにどれくらい完成しそうですか?」
ムヒライヒは、その技師に問いかけた。
「おおよそ、十八機分の部材は完成しております。
あとは、それを現地に運んで組み立てるだけでして。
必要な人手さえいただければ、明朝までにそのすべてを完成させることも可能ですが……」
「人手に関しては、いくらでもかき集めて使ってください」
ムヒライヒは即答した。
「こちらの山道に、五機。
残りすべては……」
「バボタタス橋の両側に展開、ですな?」
「その通りです。
どうやら、総司令部に山岳民の使者が到着した様子。
早ければ、明日には昼餐会が行われるでしょう。
それまでに、少しでも王国軍にとって有利な状況を作らねばなりません」
「弾の製造が間に合いませんが?」
「なに……。
最悪、見かけだけのハリボテでも構わないのです。
対岸にいる山岳民には見分けがつかないでしょう」
明日にも行われるであろう停戦交渉の際、どれだけ王国にとって有利な条件を引き出せるのか……ということが、これからの争点になる。
たとえ虚仮おどしであっても、ムヒライヒとしては打てる手はすべて打っておきたいところだった。
『橋の方ではまだ競り合いが続いているようだが、こちらは小休止といったところだな』
心話通信で、ファンタルがそう告げてきた。
『ムヒライヒ卿は、後片づけと新しい投石機の製造を急がせているそうだ』
「……まだ作れるんですか?
その、投石機というやつ」
『部材は完成していたからな。
あとはそれを運んで組み立てるだけなのだそうだ。
ただ、肝心の打ち出すべき弾丸の数が揃わないようだが……』
「ありゃま」
ハザマは、呆れた。
「じゃあ……ハッタリ、っすか?」
『まさしく、ハッタリになるな。
戦場ではこの手の欺瞞は珍しいことではない。
それで、そちらの様子は……』
「ルシアナの子らからの直接的な攻撃は、あれ以来ありません」
ハザマは答えた。
「おそらくは……夜中か明け方に、決戦をしかけてくるかと」
『お主もそう思うか?
まあ、この手の襲撃といえば、それくらいの時刻に行うのが常道であろうな』
ハザマもファンタルも、次の襲撃こそ、ルシアナの子らの総力を結集した攻撃になるだろうと予測していた。
その一番の目的は、王国軍の全般的な弱体化。
副次的な目的として、ルシアナを討伐したハザマの殺害があるが……これについてはどこまで本気でやってくるつもりなのか、今の状況では判断できない。
「対応としては……総司令部とかアルマヌニア公の本陣に、こちらが知っている限りの敵の情報を渡して注意を呼びかけました。
それに、こちらに陣借りを申し出てきたやつらにも同じ情報を渡して、気をつけるようにといっておいて……少し時間が経ったら、それと同じ情報を書いた冊子を野営地のそこここで売りさばくやつが出ていましたが」
あの巨大な駝鳥もどき、ロック鳥が不意に出現する様は、この野営地では何度か目撃されている。
その事実が、洞窟衆が流出させた情報に信憑性を付加した。
王国軍の兵士たちも、相手に対する詳細さえ把握していれば、独自に対策をする程度の頭や自発性はあるのだった。
「それから……同じ情報を記した紙束を持たせて、ドン・デラの決死隊にも使いを出しておきました」
『……やつか?』
「ええ。
やつです。
あれで、純粋な物理攻撃だけならそこそこ使えるやつですから……水をむけておけば、あとは勝手に動くでしょう」
『王都からの使節団は、もう到着したのか?』
「……使節団?」
ハザマは眉根を寄せたあと、
「どうでしょうねえ。
少なくとも、おれの耳には入っていませんが……」
といい、傍らにいたクリフに問いただした。
「なあ、クリフ。
王都からの使節団って人たちについて、なにか聞いてないか?」
「……あんたねえ!」
クリフの代わりに、クリフの姉であるカレニライナが怒ったような口調で答えてくれる。
「今、野営地中、その噂で持ちきりなんだけど!
王族の方こそいらっしゃらなかったものの、八大貴族の子弟が大勢、こんな辺地までいらっしゃっているそうよ!」
「八大貴族の子弟が、ごろごろいらっしゃっているようです」
ハザマは、ファンタルにむかってそう伝えた。
『そうか。
もう着いているのか』
ファンタルは、数秒黙った。
『それでは、おそらく明日あたりに昼餐会が催されることになるな』
「……昼餐会?」
『停戦のための交渉、だな。
わかりやすくいえば。
だから、このいくさも……おそらくは、今夜が最後の山場となる』
「お前、読んでおけ」
洞窟衆の使者……と名乗った者から封書を受け取ったあと、ヴァンクレスはそれをそのままスセリセスの胸元に投げつけた。
なぜヴァンクレスが今、厩舎にいるのかといえば、現在のバボタタス橋は乱戦の最中にあり、そうした敵味方が入り乱れている戦場では騎兵はものの役に立たないからであった。
「……いいんですか?」
スセリセスは、首を傾げる。
「どのみち、おれは読み書きができん」
「それでは……」
スセリセスは封を解き、中身の紙束に目を走らせる。
「……これはっ!」
「なにが書いてあった?」
「ええっと……これから、おそらくは夜半から朝方にかけて、野営地を襲ってくる敵の情報ですね」
「……そうか」
ヴァンクレスの口が、笑みの形にゆがんだ。
「大将が、おれを頼ってきたか」
「頼ってきたのか、どうか。
ただ、ここに書かれていることによると、敵の総数は千を越えます。
いつ、どこに現れるかわからない上、かなり特殊な能力を持つ人や獣も含まれているようです」
「なら、そんな特徴はすべてお前がおぼえておけ」
そういって、ヴァンクレスは厩舎から出て行った。
「ヴァンクレスさん、どこへ……」
「決まってんだろう」
ヴァンクレスは答える。
「夜に備えて、今のうちに寝ておく」




